IconI'll follow you wherever you may go!
top page⇒うぇ〜ん!『共犯新聞』NEW YORK地図やっぱ、映画館で観たい♪映画パラパラ・・・BOOK共犯音楽祭★Music〜音という抽象芸術♪Rock ☆コーヒーの湯気。cafe
moto_kubo@hotmail.com
Terayama

『寺山修司』
という
共犯工場
★たとえば→5月4日の歴史★
カメラマンと一緒に訪れた時の入院中の寺山修司 。
Shuji Terayama died in May.


★木に水、ちょーだい♪
緻密な森。
★just imagine...♪アートだ!あん♪アン♪木村 環(きむら・たまき) 作品展 『夢見る人』入場無料
2007年6月19日(火)〜7月1日(日) 10Am〜7Pm 月曜休

★just imagine...♪アートだ!あん♪アン♪ドラマシアターどもW でんわ;011-384-4011
(江別市2条2丁目7-1 JR江別駅から徒歩5分)

同時開催!7月1日(日)3Pmから同所にて
北海道ポーランド文化協会主催 ★just imagine...♪アートだ!あん♪アン♪『ポーランドの寺山修司』

★主催者の霜田千代麿氏は、天井桟敷ポーランド公演のときに通訳として一緒にまわった人です♪
★2007-0427kimura♪
うぇ〜ん!2007年4月27日 木村画伯を囲んで、パチリ。

江別市のポーランドの寺山修司』の久保AB-ST元宏
text by うぇ〜ん!久保AB-ST元宏 (2007年7月18日 0:27Am)

当日、7月1日は『沼田町民運動会』っー沼田町民であれば
参加義務(?)な大イヴェントがあるのだけど、なんせ、『ポーランドの寺山修司』、である。
この怪しすぎるタイトル。参加しなければ、後悔、まちがいなし。
『沼田町民運動会』には、午前中だけの参加でカンベンしていただき、
午後1時30分、江別市へ向う。

3Pmを少し過ぎて会場に到着。
すでに映画が始まっている暗闇を手探りで前に進むと、
誰かの耳の穴に指を突っ込み、ドキリ!
突っ込まれた人の方が、私以上に驚いたことだろう。すんません。

【第1部】
3Pmやっぱ、映画館で観たい♪映画上映♪クリックして、見よっ!『田園に死す』(102分)
★3Pm■映画上映『田園に死す』(102分)♪
テレビ記者>『書を捨てよ町へ出よう』や『さらば箱舟』、その他の実験映画よりも好きです。

なるほど!
商業映画の(?)『上海異人娼館』(1981年)も含めて、やはり、『田園に死す』が一番、
寺山的完成度が高いような気がします。今回、改めて観て、そう感じました。

5:30Pmトーク;ポーランドの寺山修司
★寺山♪Mr.Chiyomaro Shimoda and Mr.Inaba.
左・霜田 千代麿 (しもだ・ちよまろ、1943年生、元・ポーランド「グロトフスキー実験劇場」)
右・稲葉 憲仁 (いなば・のりひと、1949年生、元・「天井桟敷」、月刊テラヤマ新聞編集長)

そも&そも、『ポーランドの寺山修司』とゆーイヴェント名が、なぞ。
そのナゾが、このトークで解明した。
寺山修司は、1973年10月、ポーランド国際青年演劇祭の招聘で
天井桟敷の『盲人書簡』を公演した。
たったソレだけなんだけど、この日のイヴェントは、そこを見事に拡大&再生産した。
立て、立つんだ場〜!ステージ、に。『盲人書簡』
作&演出 寺山修司
音楽 J・A・シーザー
美術 河田悠三 
舞台監督 稲葉憲仁 制作R・テンケート 九条映子
出演 新高恵子 蘭妖子 サルバトール・タリ他
1973年9月15日〜23日(アムステルダム・メクリ劇場他オランダ各都市)
1973年10月20日から23日(ポーランド/ブロツワフ・ポルスキー劇場)
1974年1月26日から2月2日(アテネフランセ文化センター)
1974年7月26日から30日(法政大学学生会館大ホール)

実はポーランドは、グロトフスキーの実験劇場のあることで知られる。
当時の海外誌評で「グロトフスキー以来の発見」と賞された寺山修司と、
高い芸術性を誇るポーランド文化の共通項がトークでは語られた。
霜田千代麿氏は、天井桟敷ポーランド公演のときに偶然、ポーランドに住んでいて、
寺山修司がポーランドに到着した時から、押しかけ(?)通訳として一緒にまわった。

途中、寺山修司が死んだ前後の思い出を語っている最中、霜田が突然、泣き出した。
今、霜田は仏教の寺の住職をしているそうだ。彼の人生も不思議、だ。
★just imagine...♪引き出しの向こうに、テラヤマ♪ テレビ記者>青森の★just imagine...♪アートだ!あん♪アン♪『寺山修二記念館』
>大学生のとき足を運び、
>このポーランドにゆかりのある
>『盲人書簡』という劇について
>説明書きがありましたが、
>実態がよくつかめないままです。

おお。うらやましいですね〜。
今回もその話題も出ました。
今月、『寺山修二記念館』に新しい展示も増えるそうで、
暗闇をペン・ライトで机の引き出しを引きつつ、
寺山が生前に使っていた黒電話を取り出して
音を聴くという展示らしいです。

6Pm軽食!なんと、たった1000円の入場料なのに、ドリンクと、♪ホロピリ米、食ってるかー?おにぎりが出た♪
★寺山=久保&久保♪
おにぎりを食べながら、同じ建物内にあるギャラリーで、
★just imagine...♪アートだ!あん♪アン♪木村 環(きむら・たまき) 作品展 『夢見る人』を観る。
ギャラリー会場の中心には、パラパラ・・・古書店『書肆吉成』(しょし・よしなり)の即売会。
今回のイヴェントに合わせて、寺山や演劇中心の古本が並ぶ。
久保の顔を隠しているは、パルコでの寺山演劇祭のお面型チケット。\300(笑)。
そして、左手に持つ「久保栄」とは・・・。

脚本作家の久保栄は明治33年12月、
北海道開拓の先陣企業の
野幌煉瓦工場の社長、
久保兵太郎の次男として札幌で誕生。
野幌煉瓦工場は現在、沼田町にある。

社会主義リアリズムの作家として活躍。
昭和33年3月、
東京で病気療養中に自殺。

栄の弟、久保守
明治38年(1905年)札幌生れ、
早い時期に渡欧し、
東京芸術大学で教えるなど、日本画壇の
第一人者として長期に渡り活躍。
1905年(明治38年)札幌生まれ。東京美術学校(現東京芸術大学)に学び、卒業後渡欧、国画会を中心に作品を発表。戦後は東京芸術大学で、長年にわたり美術教育に努める傍ら現在に至るまで、具象画家の新たな可能性を追及、わが国を代表する画家のひとりとして意欲的な作品づくりに取り組んでいる。とりわけ静かさの中に美の響きをもつ室内画、静物画は、みずみずしい気品と芳香を放ち、その独自の作風は高く評価されている。
沼田町が好きになったり、嫌いになりかけたり、煉瓦が欠けたり。タテワキさんからのEメール
2005年1月24日
野幌煉瓦陶管株式会社の沿革についてご説明します。
父親から聞いた話ですと、
(父親は死んだ爺さんから聞いたみたいだけど)
明治32年 4月 館脇煉瓦工場として発足
(初代社長はたぶん館脇米蔵)
昭和 2年 8月 野幌煉瓦株式会社設立
昭和17年12月 (有)野幌陶管製作所設立
昭和49年 1月 野幌煉瓦と野幌陶管製作所が合併し
           現在の野幌煉瓦陶管株式会社
(株主には紅一点で有名な岩田醸造がいます。)
 館脇煉瓦工場は野幌、沼田、名寄と
もうひとつあったそうです。

米蔵はあの原 敬に仕えていた頃に
「これから商売として儲かるのは鉄、煉瓦だから
やるんだったらそれがいい」と助言されたそうです。

うぇ〜ん!久保AB-ST元宏やっぱ、映画館で観たい♪『北の零年』という、
若林さん出演の映画が上映されていますが、
まさに煉瓦をめぐる北海道人の苦労=歴史は、
『北の一年』としての第二歩目
あったのではないでしょうか?

差出人 : 沼田町が好きになったり、嫌いになりかけたり、煉瓦が欠けたり。タテワキ
送信日時 : 2007年7月20日 8:27Am
宛先 : 久保AB-ST元宏
件名 : 古書発見

おはようございます、タテワキです。

さっそくですが、件名はちょっと大袈裟かもしれませんが。
義母の実家を取り壊すときに見つけたそうです。


久保さんはこういう本の存在知っていましたか?

きのう鵜沼さんに行った時、『ばあちゃんの家壊すときに見つけたんだ』と。
舘脇煉瓦も一行載っています。

今、読んでいますが、漢字が読めなくて。

では、後々。

6Pm軽食時間中に、書家・吉田つとむ本人によるポーランドのクラコフでの個展の報告。

【第2部】
6:30Pm北海道ポーランド文化協会会長 安藤厚(ロシア文学)の挨拶。
★寺山♪ポーランドの歌声。
客席にいたポーランド人がステージに上がり、ポーランド民謡「森へ行きましょう」
私は1月に聴いたスロバキア人によるスロバキア民謡「おお牧場は緑」を思い出した♪

6:40Pmポーランド詩と寺山修司作品の朗読。
      1.ポーランド人によるポーランド詩の朗読。
      2.ポーランド詩の日本語訳の朗読。
      3.寺山修司作品の朗読。
        歌とピアノ 「かもめ、戦争は知らない」 (佐賀優子 vo、藤井辰哉 p)
佐賀の歌の表現力は、客席の熱を少し上げた。
        寺山短歌と舞踏のコラボレーション 「鬼のままにて老いたれば」
真っ暗闇に、白い面をかぶった男女がロウソクの明かりで短歌を叫ぶ。70年代的!?
        歌と朗読 (ムックリタッチ&ミー)
        朗読 「アメリカ」 (稲葉憲仁)
稲葉は読み終えた原稿用紙を飛ばしながら朗読。後半は、即興詩に融合していった。
        朗読寸劇 (柴田智之&佐賀優子)
★寺山♪叩け!叩け!叩け!
詩を朗読する学生服を着た男を、先ほどの女性歌手が大きな花束で、激しくぶったたく。
        朗読 「日本自殺考」 (金子千絵)
        映像 「かつてのポーランド、いまのポーランド」(ラファウ・ジェプカ)+『邪宗門』
ポーランド人によるスライド。そのBGMに『邪宗門』の演劇の音がかぶさる。

とにかく、すごい企画でした。
私の気がつく範囲では、マスコミは『共犯新聞』しかきていませんでしたね(笑)。
もったいない!
またしても、マスコミが報道しなければ、この魅力的な一日は無かったことになるのでしょう。
大学の教授も数人来ていて、ポーランドの詩の翻訳を紹介していました。
若いパフォーマーの歌や短い劇も、濃密でした。
つまり、アカデミックと、路上の若者が見事に融合。企画者の知能指数の高さに、脱帽。
ポーランド人も10人ほど来ていて、終了後はワインで懇談会がありました。
『スロバキア国立オペラ』と半年前に交流をしたばかりの私は、
このような民間レベルの深い交流に、観劇による感激(がくっ。)すらしました。
私の古い知人ミスターKは、寺山修司の意志を継ぎ(?)、
劇団『万有引力』の俳優になったのですが、これも不思議な話。長くなるので、止め(笑)。
差出人 : ☆本と音楽の湯気。booxbox 田原書店 田原ヒロアキ
送信日時 : 2007年7月9日 3:13Pm
宛先 : うぇ〜ん!久保AB-ST元宏

件名 : OLD BRICK HOUSE VS 木造校舎

久保さん、みなさん、こんにちは。

 遅レスですんません。

うぇ〜ん!添付の写真は、日曜日の江別市での
『ポーランドの寺山修司』の短い演劇の一部です。
これは、寺山の短歌をセリフにした劇でした。
多くの人が有機的に入り乱れているイヴェントでした。
ここに、ミカさんや田原さんがいないのが不思議
なぐらいでしたよ。
あ、☆コーヒーの湯気。ミカさんの『香聡庵』でのライブ、
バター・ドッグも、良かったよーで♪
京都のアイリッシュバンド「バター・ドッグス」も、良かったよーで♪

 この日(7月1日)は、☆コーヒーの湯気。琴似のAMICAさんに、
嵯峨夫妻主催の馬頭琴イヴェントの
アミカ=おともだちー!
「打上げ」に参加しに行ってました。

 実は、そちらは早々に退出し、急ぎ車で江別に取って返し、
そのくせなんと自宅の前を素通り、『ポーランドの寺山修司』が
開催された「ドラマシアターどもW」さんのある
「OLD BRICK HOUSE」(と呼ぶことにします)まで
行ったんですよ。

 当然イヴェントはすでに終わっている時間だったのですが、
それゆえに、うぇ〜ん!久保さんやパラパラ・・・吉成さんに、建物の前で、
ばったり会ったりしないもんかなと思って。

 その割には、車から降りることなく、「OLD BRICK HOUSE」
ある一角を ぐるっと回って、様子見して、帰ってきただけですが。
「打上げ」だけに参加 するのは、
どうにも参加するほうもされるほうも興醒めだな、と
ほんの少し前、感じたばかりでもありまして。

 それはともかく、実はこの「OLD BRICK HOUSE」には、
JR江別駅前の市民文化。
当方も色々因縁があります。

 時系列で古いほうから並べると、馬頭琴・喉歌演奏家、
ホ〜ミ〜!!共犯音楽祭★Music〜音という抽象芸術♪嵯峨治彦の初のCD
共犯音楽祭★Music〜音という抽象芸術♪『OLD BRICK HOUSE (Hard to Find)』が録音されたのが、
日本のロンドン?
まさしくこの「OLD BRICK HOUSE」においてで、当時、
この建物は、録音用スタジオとしても使われていたのでした。

 そのCDの発売から数年を待たず、
田原はなんと「OLD BRICK HOUSE」の中で賃金労働を
しばらくの間することになりました。
1999年の秋口から、2000年の春先までだったでしょうか。

 江別でIT部門での起業を企てたM氏に誘われてのことだった
のですが、このM氏、北大の建築科を卒業後、F通北海道に入社、
システムエンジニアとしてのキャリアを積んだ、という人で、
どうやら歴史ある煉瓦の建物が気に入っていたようで、
その企業家としての出発点に、
「OLD BRICK HOUSE」を選んだのです。

 田原はそこで、M氏がF通から下請けしてきた、
マルチメディアコンテンツの素材画像処理の、
さらに下請け仕事をしていたのでした。

 さて、「OLD BRICK HOUSE」はそれなりに古い建物で、
以前は郵便局であったり病院であったりしたそうです。

 そのせいかどうか、普通は目には見えないような、
いろいろな方々も、いらしたようです。
 M氏が賃貸していた(つまりは、田原が時に一人きりで深夜まで
コンピュ ータに向かっている)一室には、おおよそIT関連企業の
場にはふさわしからぬ、無数のお札が貼ってありました。

 あるとき、スピリチュアル/ヒーリング系のご婦人
(早い話が、霊能者。占い・加持・祈祷を生業とされて
繁昌もしていたらしい)がいらして、一言。
「ここも、だいぶん、治まってきたわね」
なんのことはない、お札は、貼るべきポイントを見極めた
そのお方の手によって貼られたものだったのでした。

 実は、さきのCD『OLD BRICK HOUSE』の録音時も、
いろいろ大変だったそうで、嵯峨氏の話では、
いろんなところで、勝手なタイミングで、
いろんな音がしたんだそうです。

 おかげさま(?)で、田原は、そういう方面にも鈍感らしく、
どういう目にもあわず、そこでの賃金労働を終えたわけですが、
ときどき「OLD BRICK HOUSE」の近辺を通るたび、
今後どうなってくのかなあ、と気にはなっていたのでした。

 それゆえに、「ドラマシアターどもV」の賃貸契約が解除され、
新しい活動場所を探していた「ミスターども」安念さんが、
「ドラマシアターども」を「OLD BRICK HOUSE」で再開と
聞いたときは、うれしくもありまたびっくりもしました。

 「どもV」時代は、JR高砂駅近くで踊っていた
ギリヤーク尼崎さんも、
「ども W」になって、江別駅前で踊るようになりました。
★ギリヤークさん、ダンディ♪ 栄通さんの撮影です。
 今年は、四日後11日に夜六時から、江別駅前の三角公園でまた
踊るようです(1930年生まれだというのに・・・!)
★ギリヤークさん、激しい♪ 栄通さんの撮影です。
 寺山さんがいらしたり(多分来てたでしょう)、
友部正人さん(こちらはご健在です)、
ギリヤーク尼崎さんはが訪れるのはもちろん、
彼に惚れ込んだ絵描きの佐藤久美子ちゃんが個展をしたりと、
そして久保さんまでもやってきて!
「OLD BRICK HOUSE」も賑やかになったもんです。

 音江小学校の旧校舎は取り壊され、
「OLD BRICK HOUSE」
正真正銘の「幽霊ビル」になることを免れ文化的な拠点として存在し
続けられているのは何故なんでしょうね。
☆絵葉書が出来上がったら
 今、実際に、にれの木〜!桂子さん♪桂子さんの「木造校舎の声」
手にし、目にして、その答えを見つけることが、
コンテンツ企画・制作・販売者としての今後の自分の
指針のひとつになるのかもしれないと感じています。

 ではでは!


■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■
□ 田原 洋朗 TAHARA Hiroaki
■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■
□ ☆本と音楽の湯気。有限会社ブックスボックス
■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■
□ パラパラ・・・田原書店 (インターネット書店:古書・CD)
■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■
□ ☆コーヒーの湯気。ブックスボックス 香聡庵 〜 自給園付きブックカフェ
■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■
□ 共犯音楽祭★Music〜音という抽象芸術♪田原書店 外伝 (BLOG)
■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■
□ 利尻島スタジオ
□ 097-0311 北海道利尻郡利尻町仙法志字御崎19
似顔絵アーティスト 黒田晃弘さんのブログ『じゃっくろ日記』利尻島編より☆本と音楽の湯気。
利尻島の南端にある、田原さんの今は亡き父の漁師小屋。
漁に出るための網などの道具が置かれていた。
この小屋をギャラリーにして、この町の人達の似顔絵を飾る。
町からも車で15分くらいかかる所にあり、
近くには民家が数件しかない。
似顔絵アーティスト 黒田晃弘の
■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■

差出人 : ☆コーヒーの湯気。プチ・レストラン『にれの木』 にれの木〜!桂子さん♪keiko
送信日時 : 2007年7月18日 1:50Am
宛先 : 久保AB-ST元宏
件名 : OLD BRICK HOUSE and 木造校舎

木曜になったら 歩けなくなっていた。
腰痛は 持病なので 母に連れられ 旭川 永山の カイロプラクティックに行く。
かなりの時間を要し 全身を直してもらう。

その日は また 歩けず 帰ってから 寝る。
が 時間が もったいないので
今回 絵葉書のことで つながった
 越野 武先生のパラパラ・・・『北の建築散歩』

 角 幸博先生のパラパラ・・・『旭川と 道北の建築探訪』と、パラパラ・・・『道南・道央の建築探訪』
を ベッドの中で 読む。
これらの本には 私の絵葉書の舞台となった 木造校舎の写真が出ていて
設計者の 石井喜助(1893〜1977)や 施工の 宇佐美常治朗のことが紹介されている。
角先生は ずいぶん この 石井喜助について調べたそうだ。
私も この木造校舎が 北海道で 歴史に残る建物であったことを知った。

するとしばらく読んでいると 見たことのある 写真が。
おお、コレは 田原さんのいう OLD BRICK HOUSE ではないか。

木造校舎と old brick house が 角 先生によって つながっちゃうのねん。

一人 感激するので あった。
建築っ♪
角幸博氏。
札幌生まれの札幌育ち。
北海道大大学院教授。


★just imagine...♪アートだ!あん♪アン♪GALLERY NEW STAR
札幌市中央区南3条西7丁目★just imagine...♪アートだ!あん♪アン♪KAKU1F 電話;011-281-2909
11Am〜8Pm(日&祝〜5Pm) 休廊;火
『木村 環 展:リトル・フューリー・シングス』 2007年8月23日(木)〜9月5日(水)
★寺山=久保&久保♪
うぇ〜ん!『ポーランドの寺山修司』の時に同時に行なった個展『夢見る人』の会場♪