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6! 久保はオニギリ♪ちょいと休憩してから、行くぜ★みなさん♪利尻富士&礼文島もスゴかった! (2008年1月16日 3:29Am)

羊蹄山を、脳味噌に「回収」せよ。
I'd love to turn Mt.Youtei on...
俺を見つめるな
俺を信じるな
俺を感じてくれなくてもいいから
そのまま登れ
そこにある。
羊蹄山に登った。
2006年7月8日(土)3:10Pm

9日(日)5:45Pm
★これが見える♪
「蝦夷富士」の異名があるホド、晴れた日に見せる巨大な姿は神がかり。
しかし、私が行った日には、雲に隠れていた。

私は、羊蹄山に登った。
それは、スゴイ体験だった。これから、それを説明しようとしている自分の文章力を、書く前から疑ってしまうほどに、スゴイ体験だった。
もしかしたら自分の人生は、「羊蹄山を登る前」と「羊蹄山を登った後」の二種類に区分できるのではないか、とゆーホドである。
それほどまでに強烈な体験であったのに、その体験を読む人に正確に伝えられるかどうか、書く前から自信が無い。
いったい、この巨大な体験を、どのように言葉で伝えればいいのだろうか?
写真をもってしたところで、まだまだ正確には伝えられないだろう。
もちろん、一番、ハードでヘビーな状態にはカメラを持つ余裕なんて無かったから、手元に残った写真は、楽しいハイキングのよーな、お気楽なスナップばかりだ。
いや、もし、マイナス気温の濃霧、激しい嵐の中、ずぶ濡れになって崖に足をとられ、転落しそうになっている場面の写真があったとしても、
『共犯新聞』読者に正確には伝わるまい。

そんな時に、私が想ってしまうのは、たとえば、真夏のグラウンドで長時間、ボールを追った共通体験で芽生える「友情」とゆーヤツへの、違和感である。
また、「とにかく、言葉なんて必要ない。ストーンズ、最高!」とか、
「この本の感想?とにかく、読め!」とか、
「素晴らしい美術作品に言葉など不要だ。」とゆーヘドの出るようなクソ発言。
それらは、明らかに「批評」の敗北である。
しかし、私が今、羊蹄山で全身に得た体験を言葉(=人文知)によって回収できないのであれば、私もまた同罪なのである。
羊蹄山も巨大であり、さらに、それを表現する言葉を作り上げることも、同様に巨大なのである。

そもそも私が「羊蹄山に登る」なんて無謀な決断をしたのは、
この山のふもとに住む画家、徳丸滋とのやりとりからだった。
私は昨年9月に訪問した時に、徳丸画伯から、
「久保さん、私の描いた羊蹄山の絵を観に
羊蹄山のふもとまで来るのもいいのですが、
是非、羊蹄山そのものに登ってみてください。」と、言われた。

んなコト言われても私の登山の経験は、たったの3回。
1990年、パレスチナの、シナイ山。標高、2285m。
◆アカバの赤い花◆
1995年、大雪山の、赤岳。標高、2078m。
2005年、沼田町のとなりの雨龍沼。標高850m、頂上直径4km。

そんな私が、北海道を代表する羊蹄山に登れるのか!?
しかし、元々、帯広市に住んでいた徳丸画伯が、
羊蹄山を見てから、それまでの幻想的な画風を変えて、
ほとんど羊蹄山ばかりを描きだした秘密も体験してみたい。
まさしく、羊蹄山を絵画(=人文知)によって回収しようと
日々、そのふもとに住み、見つめながら
格闘している男が、そこにいるのだ。まるで羊蹄山のように。

2006年7月8日(土)12:30Pm
ジェフリー&エミリーのアメリカ人夫婦と、
小学校3年生、8歳の私の娘を連れて、私の車を飛ばす。
ジェフリーのブロクにも、
今回の羊蹄山の登山のことが書かれているよん♪
★just imagine...♪Jeff Meyer's JetBlag: Kurione KamakuraNavigation

まずは羊蹄山のふもとにある、徳丸画伯のギャラリーへ。

画伯は『共犯新聞』トップの私の1行日記(?)を読んだのか、
「ようこそ。もう、羊蹄山に登ったの?」と、お出迎え。
「これからなんです。」と、言うと画伯は顔を曇らせる。
「そうかぁ。今日は山の上は雨と大嵐だよ。」
「えええ!?じゃぁ、登山は……。」
「うーん。残念だけど、今日は登山を中止にすべきですねぇ。」
がくっ。
★徳丸1983♪
徳丸滋 「山頂」(F100、1983年)


同じ山を描いていても、羊蹄山が画風を大きく変えた。
★徳丸せんせー♪
徳丸画伯のギャラリー奥にあるアトリエ。
大小の羊蹄山が描かれた絵が、アタリマエのように周囲を囲んでいる。

私が企画した今回の行程の特徴は、羊蹄山に登る前に、羊蹄山に魅せられた画家たちの絵を観る、というアイディア。
つまり、画家たちが「回収」した(←もしくは、「回収しようと試みた」)羊蹄山が、登山していない私(たち)に強く訴えかけるのか、どうか、と・ゆー「実験」。
たとえば、自分が旅行した経験のアル土地がテレビなどに出てくると、思わず観てしまう。
それって、その土地の魅力でもなければ、そのテレビ番組の優劣でも無い。単なる自己の記憶を癒しているだけである。
私たちが絵画(&すべての表現行為)に向う時に、それだけではダメなのである。
「思い出」を癒すために芸術が存在しているのではない、のである。
むしろ、「思い出」や「体験」と切り離したところで、芸術が自立できているか、が重要なのだ。
★ここにも、羊蹄山♪
★just imagine...♪アートだ!観て♪感じて♪小川原脩記念美術館
北海道虻田郡倶知安町北6条東7丁目-1 tel 0136-21-4141
『「ふるさとの山」展2』 2006年5月24日(水)〜7月9日(日)
8名の個性ある画家たちが描く、羊蹄山。
日本海をさえぎる壁のようなニセコの山々。
小川原脩、坂口清一、鈴木康子、田丸公記、
徳丸滋野本醇、穂井田日出麿、米澤邦子

1:30Pm
たまたま、この日に羊蹄山のふもとにある美術館で、
羊蹄山の絵の特集があった、のではない。
羊蹄山の絵の特集があったから、羊蹄山に登るのだ。
その発想の方向こそが、思想としての『共犯新聞』なのだ。

8人の画家が描く羊蹄山は、
同じ題材であるのに、さまざまな画法で描かれていて、
この企画の意図がダイレクトに伝わってくる。
★ここにも、徳丸せんせー♪
もちろん、徳丸滋画伯の作品も3品展示。
「イワオヌプリ」(1997年)、「ニセコ高原」(2004年)、「羊蹄山」(2005年)。

特に私の興味を引いたのは、野本醇(のもと・じゅん)「羊蹄展望」(1957年)だ。
私の知っている野本画伯の絵は茶色のバリエーションで描かれた神秘的な抽象画なので、
この49年前(!)の斬新な画風に驚かされた。
ギャラリーどらーるの取材班によれば、
「工事現場のアスファルトを貰って来ては絵の具代わりにしていた」時代の作風だそうだ。
★これも、羊蹄山♪ジュンちゃん、かっくいー!
野本醇(のもと・じゅん)「羊蹄展望」(1957年)
偶然 竜馬@管理人 - 2003/09/15(Mon)「野本 醇 さんの個展会場で」
2003年に私が始めて訪れた野本画伯の個展。
40年の年月を経て、画伯は洗練された抽象の世界を切り開いた。
この神秘性に、羊蹄山が影響を与えたのではないか、
と、想像するのも楽しい。

画家が人生の中で画風を変えてゆくのは、
ピカソだけではない。
むしろ、画法の情報を入手するのが容易な今日、
画風を変えることは、
変えないことよりもカンタンなのかもしれない。

変わらない象徴のように彼らの目の前には、
巨大な羊蹄山がある、のだが。
★変遷♪
この美術館の「主役」=小川原脩(1911年〜2002年)の作品が時系列に並ぶ常設コーナー。
彼も、91年間の長い人生の中で、見事に画風を変遷しながら生き抜いた。
右の作品は中国の風景画なのだが、なぜか羊蹄山に見えてしまう。
そして、右から3番目の作品、「群れ」(1977年)には、下記に紹介するエピソードがあった。

この小川原脩記念美術館を訪問してから1ヵ月後の8月12日から、
朝日新聞の北海道面で、「戦争と画家 小川原脩の生涯」と題された
特集記事が終戦記念日をはさんで、6回、連載された。
その記事のの中からいくつかの文章を右に転記してみた。
記事を書いたのは、朝日新聞旭川支局の中村尚徳記者。
★群れ、と、芸術家。
こんなテレビ番組もあった。
NHK 2003年8月16日
★just imagine...♪アートだ!観て♪感じて♪「さまよえる戦争画――従軍画家と遺族たちの証言」
自らの戦争責任に真摯に向き合う元従軍画家・小川原脩
―「群れに囲まれながらも自分であるためには・・・・」を問い続けて―
旧制倶知安中学から東京美術学校(現東京芸術大学)に進んだころは、まだ、
大正デモクラシーの自由主義の気風が残っていた。

卒業後は欧州のシュルレアリスム(超現実主義)を目指す美術文化協会に加わった。

会の中心だった福沢一郎(1898〜1992)が逮捕される。
共産主義を取り締まる治安維持法違反の嫌疑がかけられた。

小川原と東京・中野で下宿していた弟の理(とほる、86歳)は思い起こす。
「福沢は兄が最も影響を受けた人。仲間が集まり、どうしようかと話し合っていた」
この年、日本は真珠湾への奇襲で米英と戦端を開く。
協会の例会や展覧会に特高刑事が顔を出すようになり、
小川原の画業にも戦争の影が忍び寄っていた。

陸軍省報道部の大尉、山内一郎が戦争画を描くよう求める。

山内は、小川原にとって旧制倶知安中学の2年先輩にあたる。

1944年、小川原の陸軍報道班員としての従軍は、歌手の渡辺はま子、作家の高見順ら
各界の著名人十数人と一緒だった。

日本軍が成都を爆撃する様子を描くことも命じられた。
戦時中に出された「大東亜戦争陸軍作戦記録画集」に、その「成都爆撃」は収録された。

「写真なら余分な情報も写るが、絵は軍が伝えて欲しい部分だけを取り出して強調できる」

同じ関東軍にいた2人の弟のうち、理は中国北部で終戦を迎え、
3年半のシベリア抑留を強いられ、末弟の勤は沖縄で戦死している。

終戦後、戦争に協力した画家の責任を問う声が上がった。多くの画家は口をつぐんだ。

小川原の元には所属していた美術文化協会から突然、除名通知が届いた。

小川原が1977年に描いた「群れ」という作品がある。
一匹の犬が群れから離れ、物悲しそうな表情でたたずんでいる。
孤独な犬を、写真家の大石芳野(62歳)が「小川原さんのようですね」と言うと、
小川原は「そういうつもりだ」と答えた。
個と群れ―。戦後、中央画壇と断絶した小川原の創作活動を支えた思想だ。
戦争に突入していくときの「群れ」
戦争画に走った画家たちの「群れ」
そして自分を除名した画家たちの「群れ」……。

戦争画にかかわった画家たちの中で、小川原は最後まで生きた。
そして自身の戦争責任を語った。

小川原脩記念美術館の学芸員からも、
「今日の羊蹄山は上の半分に深い霧がかかっていますから、
登山はしないほうがいいでしょう。」と、アドヴァイスされた。

2:10Pm
登山をあきらめた私は、「昼メシでも喰おう。」と、提案。
腰のしっかりした、うどんを喰う。
★うどんー♪
ジェフリー&エミリーは、「エビ・チリうどん」。

「羊蹄山は濃霧で雨が降っているようだよ。」と、私が登山アキラメの話題を振る。
すると、8歳の娘が、「おかぁさんが、雨ガッパを持たせてくれたよ。」と、ぬかす。
「ゲッ。お前、登るつもりか?」と、おそる&おそる聞いてみれば、
「うん。」、がくっ。
外人夫婦も、
「ワタシタチモ、れいんこーと、持ッテキタ。雨ガ降ッテモ、登ルアルヨ。」と、
英語で言った。たぶん。
私と言えば、天気予報が「晴れ」だったもんだから、雨具は用意していない。
ギリギリ雨具と言えるのは、ゴミ袋ぐらいか。がくっ。
しかし、ここは多数決帝国ニッポン。
の・のぼるかぁ・・・。
★本にも、徳丸せんせー♪
うどん屋にあった雑誌に、さっきお邪魔した徳丸画伯が特集されていた。
やっぱ、有名人なのねぇ〜♪

羊蹄山には、登り口が4つある。
  • 京極コース (所要時間:往/4時間10分 復/3時間00分)
  • 倶知安コース (所要時間:往/4時間40分 復/3時間40分)
  • 真狩コース (所要時間:往/4時間40分 復/3時間30分)
  • 喜茂別コース (所要時間:往/4時間20分 復/2時間50分)
倶知安コース、またの名、「比羅夫(ひらふ)」コースを選ぶ。
その理由は、徳丸画伯が自宅から毎日、見ている風景だからだ。
実際、画伯の家の窓からは見事な羊蹄山が見える。
その大きな窓は、陳腐な言い方だが、まるで絵のようだ。

3:10Pm
登り口の駐車場に車を停めると、
全身、びしょ濡れの男が、登山口から降りてきた。
まるで海からあがったかのように、山から降りて来た男に、
「あ、雨、すげー降っているんスか?」と聞くと、
「ぜー、ぜー。もう、小降りですよ。ぜー、ぜー。」と息も絶え絶え。
ううううう。小降り、っーたって、降っているんじゃんかよー。
雨降りの登山は危険だよー。死んだ人もいるんだよぉ〜。
と、ビビる私を無視して、娘&ガイジンは、
ちゃく&ちゃくとリュックサックを背負い、準備OK。
そして、まぁ、なんちゅーか、登山、開始。
登山の経験ほとんどゼロの私に、
傾斜角度45度がひたすら続くヘビーな時間が始まった。
★登るぞ♪

★ツイスト&シャウト♪
途中、雪の重みからか、いびつな形の木が多く見受けられた。この木などは「知恵の輪」のよーな、「ツイスト」木である。
帰宅後に知ったんだけど、これ、私たちが登った「ひらふコース」の6合目・上部にある、「タコガンビ」とゆーあだ名の、登山家のアイドルらしい。
こんな「ツイスト」木を、1980年代の徳丸画伯は、こう描いた。
★1980年代の徳丸は、こう描いた♪
こんな「ツイスト」木を、21世紀の徳丸画伯は、こう描く。
★21世紀♪

★びゅーちふる♪ だんだん、風景が遠くなってゆく。

たくさんの下山する人たちとすれ違う。
ほとんどの人は、かなり疲れていて、
そして、これからニコ&ニコと登る私たちを見て、ギョッ!と、する。
最初はその「ギョッ!」の意味が分らなかったが、
ある男性が、困ったような顔をして教えてくれた。
「これから登るんですか?
今から登ると、もうすぐ真っ暗ですよ。
羊蹄山に登るのは何度目ですか?」
「初めてです。」
(「あんた、バカ?」とゆー顔をしてから、)
もう引き返したほうがいいよ。
暗闇の登山ほど危険なことは無い。
それに、こんなに小さい女の子を連れて、この時間から登るなんて、ムボーすぎる!」

昨年の雨龍沼の登山は、変化にとんだコースで、なかなか楽しかったが、
羊蹄山は、ただひたすら傾斜角度45度の直線コースを、
もくもくと登る、超ストイックな登山。
気温も、そこそこ高いので、一気に汗が出て、キツイ。
山は、全体の登山コースを10で割って、
「1合目」〜「山頂」と区切る目安がある。
今回の登山で私が一番キツかったのは、登る時の「3合目」だ。
かなり苦労して登って、「ええぇ〜?まだ半分にもほど遠いのぉ?」と、
登山モチベーションを下げる効果バツグンなのである。
★汗♪

徳丸画伯の代表作、「ダケカンバ」のモデルのような大木の霊性に思わず、立ち止まる。
★徳丸せんせーの木♪
すごい作品だ。
徳丸滋 「ダケカンバ」(F120、2002年) 

■午後6時30分。
ああ、きれいな夕焼けだなぁ〜♪
★夕焼け♪

なぬっ!?
ゆ・ゆ・ゆ・ゅ夕焼けぇええ〜!?
★もしや・・・♪

またたくまに、あたり一面、真っ暗!
おいおい、まだ7合目だぞー!
3割、登山が残っているぞーっ!

今ごろ、
「もう引き返したほうがいいよ。
暗闇の登山ほど危険なことは無い。」
とゆー助言の意味が分った。
がくっ。

真っ暗になると、
それまではツライ登山でも、
なんだか「観光道路」のイメージが
あったが、
こーなると、もう「けもの道」である。
私の顔も、ゴジラに変身(?)。
★いやん♪

■午後8時。
先にトットコ歩いて行っていたジェフリーと合流。
ジェフリーは激しい岩山の崖に座っていた。
なんでも、ここが登山口の分かれ目のようだ。
石にスプレーで文字が書かれていた。
「←山頂」と、「小屋→」、だ。
アメリカ人のジェフリーはこの漢字が読めずに、
前に進むことができなかったのだ(笑)。

ここから、小屋に向って歩く。
だんだん、道が細くなる。
しかも、足元は鋭角な崖。
岩山ながらも、木が生い茂っている。
木の高さは、160cmぐらい。
私の娘の身長であれば、ちょうど木の中をくぐって前に歩ける。
んが、身長178cmの私にとっては、
ちょうど木の先端や、枝の先が顔に当たり、
かなり首から上を怪我した。がくっ。
なんせ、真っ暗闇で、ほとんど手探り&足探りなもんだから、
いきなり木の先が首にグサリッ!と、刺さったりする。
だからと言って、あわてると、足がずるずると崖にとられる。
私は数回、このラインで、崖からずり落ちた。
ひえぇ〜〜〜〜。
よく見ると、足元には細いロープがある。
これが道しるべなのだ。
明るい昼間は分っても、暗闇では危険がいっぱい。

空には、満月。
その満月の存在に気がついた時には、
なにかずっと先回りして見つめられていたような
かすかな恐怖を感じた。
月のまわりだけ、雲が素早く移動しているのが分る。
その満月の光の下に、ぼんやりと小屋が見えてきた。
小屋の周りには、なんと!雪がまだ広く残っている!
この万年雪が小屋の大切な水になるんだねぇ。
★もーすぐー♪

★着いた♪
声をひそめて、暗闇でオニギリ(がくっ)。
■午後8時40分。
よーやく、小屋に到着。
しかし、しーん、と、静まり返っている。アタリマエだ。みんな、とっくの間に寝ているのだ。
それでも数分、ごそ&ごそと話をしていたら、ヒゲ顔の、いかにも「山男っ!」とゆー管理人が起きてきた。
「なんですかっ、今頃!」
声を低めてはいるが、明らかに怒っている(がくっ)。しかも、山の怖さを知らないバカどもに対して、とゆー風に。
「最低でも、午後7時までには来てくださいっ。」
しかし、ここは避難小屋でもあるので、「来る者は、こばまない」思想が、ある。よかったぁ〜。
「毛布は使いますか?何枚?1枚、200円です。宿泊料は別です。」
1枚づつ、借りた。毛布があるので寝具をかついで登る必要は無いので、これは便利。
ただ、避難小屋だから、宿泊料は無料であると私は思いこんでいた。がくっ。
「食事は?」
あ、そーだった夕食もとらずに、ひたすら、5時間30分、歩きっぱなしだった。
「食事を済ませたら、すぐに寝てくださいよ。もう消灯時間ですから。」
「はい。」しょんぼり。「ジェフ、カム・イン!」と、外で待っていたジェフリーとエミリーを中に入れる。
「コンバンワ。ドーゾ、ヨロシク。」と、ジェフリーが言うと、
管理人は、「あ、こちらこそ、よろしくお願いいたします。ようこそ、羊蹄山へ。」。
う〜む。
やっぱ、ニッポン人って、西洋人に弱いのね。がくっ。

★寒いのよ、これが♪
毛布は1枚、200円。とりあえず、1枚ずつ借りた。
私の寝た場所は、毛布が積んであるスグ、横。
さて、管理人の指示通りに、おにぎりを食べ終わると、ランプを消して、寝た。
疲れているので、一発で熟睡!かと、思ったら、やっぱ、板の間(←フローリング、っーより、本当に板。がくっ。)では背中が痛い。
しかも、マクラは、明日の朝はく予定のクツシタ。ほとんど、マクラの役目をはたしていない。
なんだか、寝にくいなぁ〜。と、思っていたら、それどころではなく、寒くなってきた。
登山中の、ほてった体も冷えてきて、板の間にピッタリつけていると、もー寒い!
そのうち、「ぴゅ〜、ぴゅ〜♪」とゆー風の音が、「うんごぉおおおおーっ!」ってゆー嵐になってきた。
うー。ますます、寝れない。
寒いよ、マジ。がたがた。
寝ている私の横には大量の毛布が積んである。しかし、私が管理人様に払ったのは、1枚分の200円のみ。
今、ここから毛布を借りて使うと、とっても、あったかくなるだろ〜なぁ〜♪
いかん、いかん!私は200円しか払っていないのだっ。
外では、嵐。ゴコオオオオオーーーーーッ!!!
寒い。背中、痛い。マクラ、欲しい。
嵐は激しくなる一方だ、グォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォオオオオオーーーッ!
寒い。背中、痛い。マクラ、欲しい。
毛布、ほしい。いかん、いかん、200円しか払っていない。
でも、私のすぐ横に大量の毛布が手の届くトコにある。
嵐は、さらに激しくなる。ウングググギャァアアグォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォオオオオオーーーッ!!!
えいっ。と、悪魔に魂を売った(=しかも、400円で・がくっ。)私は、こっそりと積んである毛布を2枚もぎとった。
1枚は、はじっこをマクラのように丸めて、そのまま背中にひいた。もう1枚は、正規の(?)1枚にかぶせた。
まだ寒いが、とにかく、目をつぶって・・・。
■午前3時。
嵐がおさまった。
なんだか、外も明るいようだ。
「ご来光?」なぁ〜んて感じで外に出てみた。
うわっ。
一面、ガスで真っ白。
もうリュックサックを背負って下山する人が、ちら&ほら。
んなモンだから、午後9時には消灯なんだわなぁ。
山男たちが私に声をかけてくる。
「何度目ですか?」
「あ、私?初めてです。」
「ああ。私は毎年3回は登っています。もう30年続いていますよ。」
そんな山男、ばっか。
小屋の入り口に温度計があった。
気温は・・・0度!
こりゃ、寒いわぁ。
★サむっ♪
小屋の左横の道が、私が登った反対側の「真狩コース」。

★おはよー♪まずは、ジンギスカン!・・・えっ?
「ありがとう、クリーム!」につづいての、我らのキーワード「おはよう、ジンギスカン!」がくっ。
んで、小屋にもどって、寝直した。
今度は、かなり熟睡〜♪

■午前7時。
みなさん、ぼちぼち起きだした。
私はリュックサックに入れていた一番でかい荷物、
ガス・コンロを取り出した。
実はこのコンロ、
夜高あんどん製作の時に絵を描くロウを溶かすコンロ。
すみません、ちょいと借りました〜(笑)♪

まずは背負ってきた貴重な水で、
スタバのフレンチ・コーヒー。
ちゃんとペーパー・フィルター、ドリップで淹れるのよ(笑)♪
写真の右下が、ソレね。

全員が起きたら、私の企画、「おはようジンギスカン」!
本当は昨夜、小屋の前でジンギスカンをしたかったんだけど、
消灯時間だったしね(がくっ)。
ジュー、ジューと、なかなか美味しい♪
ちょい☆ぬるめのビールも、山の上では貴重なお味♪

しばらくすると、昨夜の管理人が掃除にやってきた。
「おはようございます。」と、言いつつ、コーヒーをプレゼント。
「えっ!?いいんですか?貴重な水ですよ?」
なるほど、山頂ではコップ1杯の水でも、
ここまで運ぶ苦労があるのだ。
水の貴重さが分るほどに、山を知ることになるのだねぇ。
「うまいっ!いやー、このコーヒー、売れますよ。美味しい!」
と、管理人さんは昨夜より少しのびたヒゲ顔で笑いました、とさ。

けっこー、みなさん食べたねぇ(笑)。
おかげでリュックが軽くなった♪
★おはよう、カンパイ♪
★おいおい、なんで今、トランプ♪
せっかく持ってきてやらないのは悔しいから、
なぜかトランプ♪
帰りに管理人の部屋で、登山記念バッジを買いました〜♪
本当に、管理人さんにはお世話になりました!
★どーやって、この小屋を建てたんだろう〜♪
私たちが泊まったのは、小屋の2階。
ほとんどベニヤ板だけの小屋。こりゃ、寒いわ。
★さらば小屋よ、またね〜♪

★山よ♪感じて♪
▲2006年6月18日
避難小屋のエントツ修理。
管理されている方、ありがとう!
羊蹄山に登る前には、必ずチェックしよう!
★ヤッホー♪羊蹄登山についてのアドバイス・情報・記録山を愛している管理人さんたちによる最新情報♪
ここに、こんなコトも書いてあります。
入山における諸注意
羊蹄小屋に宿泊する登山者は緊急時を除き、日没前には小屋に入るようお願いします。
夜間登山は非常に危険です。夜間の事故に素早く対応出来ない為、現在夜間の入山は禁止しています。
マナーとモラルを守り、ゆとりのあるスケジュールで充実した山行を!

・・・どーも、スミマセン。なんだか、私たち限定のような「諸注意」でございます。深く、反省しております。がくっ。
よしっ!次は、日没前に小屋に入り、ジンギスカンを外で食べるぞっ(笑)!

★寒いけど、行くぜっ♪
▲午前9時30分。
よしっ。あと、頂上まで、高さ223mだっ。登るぞーっ!
ヒゲの管理人さんがコーヒーの匂いを感じさせる口から、「ここまで来たら、もうすぐですよ。」、と。
ヤッホー♪
★スキー♪
▲午前10時30分。
山頂に近づくにつれ、嵐!霧の中で、全身、パンツまで、べしょ濡れ。風に飛ばされないように、一歩、一歩。むむむむ。
あと「223m」って、もースグかと思ったら、「高さ」であって、「距離」は、どんどん急になる山の先端をグル&グル歩くので、えらい長い!
行けども、行けども、悪魔の冷凍ホワイト・ビームの世界。
それに、まるで台風の中を進軍している八甲田山の陸軍のよう。
吹きっぱなしの嵐が時々、強烈な突風をくらわす。体重の軽い私の娘は、何度か飛ばされた。崖に足をすべらせなかったのが、奇蹟。
ヒゲの管理人さん、「ここまで来たら、もうすぐですよ。」って、ソレは貴方の基準だったのね。
がくっ。
「山頂」っーぐらいだから、
足元も、もう、とんがった包丁の上を歩くような感じ。
狭い道無き道を、嵐に耐えつつ、かなりストイックに進む。
気温は、小屋で0度だったから、
この高さ、この嵐だから、
もうマイナス10度にはなっているだろう。
霧がマユゲなどに付きつつも、白くなってゆく。
咲いている植物も、霜が降りたように、白くなっている。
地上は真夏の7月でも、
まちがいなく、ここは冬だ。しかも、ほぼ、吹雪き状態。
もう、手塚治虫『ジャングル大帝』のクライマックスの
雪山シーンを思い出しちゃった。

さて、山頂!
と、思ったところは、「三角地点」で、
かつて山頂と思われていたところ、らしい。
「ええっ?いったい羊蹄山の一番トップって、どこ?」
しばらく探した。
だって、もうここまで来たら、何も目印も無いし、
コンビニやガソリン・スタンドすら無いから、
道をたずねることもできない。がくっ。

そして、ついに!

■午前11時15分
ジェフリーが、小高いとがった部分を発見。
しかも、そこには、
なにやらお墓のような(?)目印が立っているのが見えた!→
おおおお。
ついに!
★山よ、山よっー♪


差出人 : サカタ@バンクーバー
送信日時 : 2006年7月11日 4:42Am
宛先 : 久保AB-ST元宏

件名 : Re: 「魔の山」の歌詞、教えてちょうだい。

  ■□ サカタともです

// "Kubo Motohiro"-san wrote (on 07/10) //
> 久保です。
> 土曜日〜日曜日、夜の暗闇を岩山とジャングルの登山、
> 嵐の中の避難所での一夜、
> 朝の嵐と濃霧の山頂到達、
> とゆー羊蹄山の登山をしました♪うふっ。
> それを『共犯新聞』にUPするにあたり、
> 著作権の問題が無ければ(笑)、
> 君が作った「魔の山」の歌詞も
> 参考にさせていただきたいので、
> 歌詞を教えてちょーだいね。
> お願い。

 昔テラさんやハチスカや弟のOKOと、
マウンテンバイクに乗るつもりが
途中から自転車に乗るどころじゃない急坂になり
やがて自転車を捨て登山となって、
丹沢や奥多摩の山に登ったことが私もあります。
脚が吊ってキツかった。
今となっては絶対できんが、
今頃そういうことをやってるとは、
さすが米屋は強いのねえ。

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 『魔の山』の歌詞はこうです。
こういうノートが即座に見つかるから、
まったくコンピュータはありがたい。

『魔の山』
作詞&作曲;サカタ

荒れ狂う風が手を滑らせる 細いロープにつながれて
凍てついた壁をよじ登る ひき返すこともできぬ程
登り来てしまった魔の山に
魅惑の氷壁に ロック・クライミング

怒れる山のその前で 消え去った友情は幻
正確な作業だけが俺たちに 残された合い言葉
信じる気持ちは尽き果てても ロープを手渡して

お前の目を見てた 行き場のない俺たちは
ハンマーを打ち鳴らして まだ見ぬ頂きを目指した
マウンテンが夜の支配者 氷の指で 俺を振り払うよ
マウンテンが夜姿変え 俺を殺しに 夢に現れるよ
俺を見つめるな 俺を信じるな
俺を感じてくれなくてもいいから そのまま登れ

昨夜の貧しいテントの中で 話すこと全てが終わった
最後のジョークでこの山に 絶望と名づけ眠る
いつの日かこの旅終えたなら 二度と会うこともない

お前の目を見てた 行き場のない俺たちは
ハンマーを打ち鳴らして まだ見ぬ頂きを目指した
マウンテンが夜の支配者 氷の指で 俺を振り払うよ
マウンテンが夜姿変え 俺を殺しに 夢に現れるよ
俺を見つめるな 俺を信じるな
俺を感じてくれなくてもいいから そのまま登れ
★徳丸せんせー、頂上だよー♪
★ぺろり♪

★雲の上♪
▲昼12時30分。
もう頂上を制覇した達成感、ゆっくりと景色を楽しみながら下山。
おお、まだここも雲の上なのね〜♪

★飯♪
▲午後2時30分。
余裕でカップ・ヌードル♪
あ、ガス・コンロ、「沼田中学校あんどん」ってバレた(笑)?
ちゃんと、カセット・ガスは自分で買いましたから(笑)。
★涼しい♪
▲午後4時30分。
隠れた名所、「風穴(ふうけつ)」。
万年氷が、岩の中にあるせいか、クーラーのように涼しい風が出てくる。
娘は、「これが一番の思い出」と言う。なんじゃ、ここ、山の登り口だぞっ!

■午後5時45分
後半、エミリーが両方のヒザが痛くなり、ほとんど歩けなくなってしまった。
3合目ぐらいで、ジェフリーが先に走って下山し、荷物を置いてから、もう一度のぼり、エミリーの荷物をかついであげて、ゆっくりと降りて来た。
そのせいか、健康な(?)私と娘は、ゆっくりと山の風景や高山植物を楽しみながら降りて来た。
そうそう、やっぱ、高山植物を楽しむのであれば、6月下旬から7月上旬がいいようだ。これより先であれば雪で咲かないし、後であれば、枯れてしまうのだ。
そんな意味でも、こんな嵐でも、いい時期であったんだろー。たぶん。
また、登るときは、愛想の無い娘だったが、降りる時には、すれ違う登山者たちに自分から、「こんにちはー!」と、声をかけていた。
登っている最中はかなりキツイので、そーゆー年配者にとっては、山頂から帰ってきた小娘(笑)が、こんなに元気なのは大ビックリもんだから、
「おじょーちゃん、スゴイねぇ〜。将来はアルピニストだな!」と、何度も声をかけられていた。
おかげで、娘はアルピニストと、「〜合目」という登山用語をおぼえた。
ついでに、山頂でガイジンのみと2日間過ごした娘は、英会話がペラ&ペラになった。←うそ。
まぁ、私と言えば、娘がほめられた(?)度に、その背後から、
「頂上は、風がかなりキツイので注意してください。」と、いかにも山に詳しいオジサン気取りでアドバイスしてみた(笑)。
頂上を制覇した者は、なぜか、これから登る者よりも「階級」が上、みたいな世界なのである。まぁ、それも、たぶん・な登山初心者の私の印象なんスが。
それにしてもジェフリーも言ってたが、羊蹄山に登山している人の大半が高齢者であるのには驚いた。少なくとも私よりも若い人は1割程度、だ。
ジェフリーが言うには、「アメリカをはじめ、世界の登山の大半は、まずは学生だよ。60歳以上はまず、珍しい。しかし、ニッポンは高齢者が主流だよね!」と、驚く。
んならば、私も、これから40歳代後半だし、登山を趣味にする?……いや、今回が人生4回目にして最後の登山かもよん(笑)。

私は、この体験をどうやって『共犯新聞』に書こうかと、考えながら帰路に向った。おそらく、書き上げるのに、2ヶ月以上はかかるだろーな、と思いながら。がくっ。


差出人 : 徳丸滋
送信日時 : 2006年9月22日 3:31Pm
宛先 : 久保AB-ST元宏
件名 : Re: My mt.Youtei page is Up !
★火星大接近の日に、眼球に乗り移った火星♪赤い惑星が眼球に焼き付いた!?久保のツッコミ 2006年9月23日(土) 9:40Am
今朝は、朝6時に火事のサイレンでめざめ、沼田消防団員として出動してきました。
農家の納屋の乾燥機が1台、中で乾燥中の米に引火したようです。
全焼という内容ではなかったのですが、水もかなり出しました。
農家の方も私より2歳上で、今、町内のPTA活動などを一緒にしている方なので、
彼も照れながら情況を説明してくれましたが、やはり涙目でした。

見たよー〜〜
体験からUPまで2ヶ月以上かかったのという大作を、笑いながら楽しく見ました。
★火星大接近の日に、眼球に乗り移った火星♪赤い惑星が眼球に焼き付いた!?久保のツッコミ
まぁ、もちろん、2ヶ月まるまる書いていたワケではなく、
その間、他のことをしていただけなんですが(笑)。
それでも、改めて自分で書いて、読み返してみて、いまだにあの登山の強烈な印象が
自分の中に残っていることに不思議なぐらいの経験の重さが残っています。
上手には私は書けませんでしたが、私の冒頭の「上手には書けないだろう」というキモチで書いた
先回りの言い訳(?)の文章が、我ながら一番、イイですね(笑)。
まぁ、後は、いつもの漫談です(笑)。

若い頃は羊蹄山を内側から描いていました
★火星大接近の日に、眼球に乗り移った火星♪赤い惑星が眼球に焼き付いた!?久保のツッコミ
なるほど、そーゆーコトですか。
でも、「内側」から描くと、「ドロドロ(=竜馬・記より・笑)」して、
「外側」から描くと、「サラサラ(=久保・記。血液かよっ!?)」するのは、その視点だけなのでしょうか?
9月18日(月曜日)に、旭川の神田一明画伯のお宅&美術館に訪問してきました。
最近、徳丸大画伯とも少しだけ交流させていただいていると伝えると、神田画伯は、
「あの人は、ずーっとボクなんかよりは若いよね。」
「いえいえ、いつもジーパンをはいてヤングですが、神田さんと同じ1934年生まれだと思いますよ。」
「へぇー!」
とゆー、感じでした。
20年ぐらい神田画伯は、徳丸さんの絵を見ていないようで、
「徳丸さんの絵は木が、こんがらがっている絵だよね。」
と、言ってました。
「いや、今は羊蹄山が中心でして・・・。」
と、絵の具や、アルコールがダメなこととか、マチエールの格闘のことなどを話しました。

多分今は朽ちていると思うが山道の脇に「タコガンビ」という、あだ名の木があり、
「タコガンビ」油絵を3枚ぐらい描きました。
★火星大接近の日に、眼球に乗り移った火星♪赤い惑星が眼球に焼き付いた!?久保のツッコミ
タコガンビは今もあります♪
今回、『共犯新聞』に載せた写真が、ソレのようです。
偶然ですね!
ひらふコースの6合目上部にあります。
「タコガンビ」と知らなくても印象的で、思わず写真に撮りました。

『共犯新聞』に載せてあった「山頂」(F100、1983年)は
昔、頂上付近に山火事の後のハイマツがごろごろ転がっているのを描いたもので、
月明かりに照らされて白骨が転がっているようでした。
★火星大接近の日に、眼球に乗り移った火星♪赤い惑星が眼球に焼き付いた!?久保のツッコミ
なるほど〜。
「山火事」って、なんとなくドストエフスキー的ですね。←たんなる印象ですが(笑)。
今朝の火事は農家でしたので、近くに水がタクサンあって助かりましたが、
山頂の火事はかなり見ている方も、なすすべが無いと思いますので、つらかったでしょうね。
今回も、「旧山小屋」の標識を頂上付近で見ました。
ジェフリーに「火事だったんだよ。」と教えると、深刻な顔で見ていました。

山小屋泊まりは有料でしたか。最近行っていないので、情報不足でした。
★火星大接近の日に、眼球に乗り移った火星♪赤い惑星が眼球に焼き付いた!?久保のツッコミ
羊蹄山のHPによると、下記のようなことらしいです。

小屋では協力費の負担をお願いしております。
宿泊の場合・・・大人¥800・小学生以下¥400
休憩の場合・・・大人¥300・小学生以下¥200
貸出の場合・・・毛布1枚¥200・寝袋1つ¥300
尚、飲料水や食料の販売・提供はしておりません。

まぁ、シティ・ホテルよりは安いので(笑)、助かりました。
それに、お世話になって「無料」っーのも、心苦しいですしね〜♪

とにかく、無事生還で何よりでした。
★火星大接近の日に、眼球に乗り移った火星♪赤い惑星が眼球に焼き付いた!?久保のツッコミ
そうですね(笑)。
だいたい、登山前に徳丸さんから「今日は登らないほうがいいよ。」と言われていたんですから!
以後、気をつけます。がくっ。

僕のことも数多く書いていただき有り難うございました。
空気が澄んで、山はこれからが良いですよ。
徳丸滋
★火星大接近の日に、眼球に乗り移った火星♪赤い惑星が眼球に焼き付いた!?久保のツッコミ
では、今日、登ります(←うそ)。
紅葉が終わりましたら、また、お互い大好きな(?)除雪のシーズンですね♪
★ヤッホー♪山と、ジャズ!
徳丸画伯はポスターを、毎年デザインしています♪
★ヤッホー♪徳丸 滋 「くっちゃんJAZZフェスティバルとのこと」
徳丸画伯のジャズ・エッセイ!

★ヤッホー♪絵と、言葉!
徳丸画伯と、
北海道新聞の美術担当、田中 秀美記者。

★ヤッホー♪絵と、言葉!
徳丸画伯は
独特のシンメトリー感覚がある。


★ヤッホー♪絵と、言葉!
徳丸画伯の興味は、
巨大な山と、微細な自然。



Jeff's Mt. Yotei

Saturday July 8.
10:20 am (all times are approx.): Kubo San and the lovely Soran Chan, his eight year old daughter, roll into Higashi Yonesato from Numata-cho. We load our gear and ourselves into the car, introduce ourselves to Soran Chan, and are on our way to Kutchan for a pre-climb art appreciation tour. Before climbing the mountain, it was Kubo San's goal to appreciate Yotei-zan and the land it presides over through the interpretations of Hokkaido artists. Our first stop would be the ST Gallery, the home of painter Shigeru Tokumaru. His art is steeped in the landscapes of the Mt. Yotei environs around Kutchan and Niseko.

12:30pm: We arrive at ST Gallery, which is in a building next to Shigeru Tokumaru's home. Tokumaru San is there to greet us and take us over to the gallery. The gallery is filled with fantastic landscape interpretations of the region. Many of them focus on Yotei-zan and Annupuri, the mountain that the Niseko ski resorts are built on. We gaze on Yotei-zan in the paintings. Meanwhile, the real Yotei-zan is obscured by a wall of clouds. We wonder what that bodes for our ascent. Tokumaru San is a gracious host and gives us a great tour of the gallery and his studio. He also presents Emily and I with a beautiful book, complete with custom autograph inscription, of his landscapes. We will treasure it forever. We bid a fond farewell to Tokumaru San and head out for the next stop on the art tour.

1:30pm: Our next stop is the Shu Ogawara Museum of Art in Kutchan. Shu Ogawara lived in Kutchan and is one of Hokkaido's most famous painters. He died in 2002 at the age of 91. Besides the permanent collection of Ogawara's paintings, there is an exhibition of Mt. Yotei inspired landscape paintings by various artists, including Ogawara and Tokumaru San. As Yotei-zan is still shrouded in gloomy looking rain clouds, we enjoy vibrant and varied artistic looks at Yotei-zan. We wonder if we will see the real McCoy today.

2:20pm: We dine on an udon noodle lunch and debate our next move. To climb or not to climb, that is the question. Yotei has not shown his face and the clouds are thick, but Soran Chan will not be deterred. She pushes to climb, and the rest of us concur. We finish lunch and head for the trailhead.

3:30pm: We finally hit the trail. Our goal tonight is the cabin on the shoulders of Yotei a couple hundred vertical meters below the peak. The cabin is open during the summer for hikers to stay in. The trailhead sits at 350 meters. The peak of Yotei-zan sits 1,548 vertical meters (5,077 vertical feet) above us at an elevation of 1898 meters (6,225 feet). We are the only ones heading up at this late climbing hour. Everyone else is coming down. The trail is unrelenting in its vertical ascent. The hours tick by and we continue to climb. We climb through the clouds and enjoy a beautiful sunset. We are armed with flashlights and we will be needing them.

8:30pm: The sky is dark with a near full moon occasionally peeking through, but clouds are reconverging with a vengeance on top. With our flashlights on we make our way through the brush towards the cabin. We soon spy it's outline in the gloom and arrive at our night's lodging. The cabin host greets and checks us in, and informs us that bedtime is 9 o'clock. There are about six other people staying in the large two floored cabin tonight. We head upstairs, set up our sleeping spots, and eat a light dinner. Our jingiskan plans will have to wait for tomorrow.

9:30pm: We are snug in our bedrolls. Let the snoring and dreaming begin.

Sunday July 9.
3:30am (all times approx.): Kubo San, and the other second floor inhabitants, awake to scope the weather for sunrise appreciation. The weather is not cooperating. A thick cloud sits on top of Yotei enshrouding it in pea soup not conducive to sunrise appreciation. Kubo San returns to bed. Unfortunately our upstairs cabin mates don't, and soon begin cooking and talking loudly. This makes for some restless sleep, but it is sleep nonetheless.

7:00am: We awake for the day. The clouds are still thick and the wind is howling. The first plan of the morning is to dine on some Ohaiyo Jingiskan, since we did not get to dine on it the night before. Kubo San sets up his stove and starts us off with some coffee and tea to prepare us for the Ohaiyo Jingiskan. We dine, play a little cards, and pack up to venture off into the great unknown. Before leaving we pay a visit to the first floor, sign the journal, and purchase a couple of Mt. Yotei pins.

9:30am: We venture out into the mist. The mist is thick and wet and the wind is blowing strong. It is a very moist day on Yotei-zan. We are in the cloud, so it is not really rain falling from the sky, we are in the rain! As we head further up towards the peak, the wind increases and the the moisture from the cloud is being blown sideways. We head up in the thickening gloom. Visibility is at a minimum, but we push towards Yotei-zan Sancho (the top of the mountain.)

11:15am: We go up and down over some preliminary tops, until finally reaching the tippy top of Yotei-zan at 1,898 meters. The top is marked with a wooden post inscribed in kanji with "Yotei-Zan Sancho" along with the elevation of 1,898 meters. Our goal has been attained and the celebration in the fog begins. No grand views and vistas to be had on this day, as visibility is about 20 feet, but our enthusiasm is not dampened. As the wind howls, we snap pictures and enjoy the sensation of being the highest people in Western Hokkaido. There are a few higher peaks around Hokkaido, but not many.

11:45am: We make our way back around the rim of the crater, looking down into the sea of cloud that is hiding it from view. The wind is howling. We begin to pass waves of elderly hikers heading to the top. It is amazing how many 65 years old and up hikers we pass. The elderly in Japan are the longest living and most active in the world. The trail up Mt. Yotei is not for the faint of heart, yet 80% of the hikers we passed that day heading up were senior citizens. Gambatte!

12:30pm: We are off the rim, and the wind is not so strong. We stop for a break, and then begin our descent in earnest. On the way down we stop for an hour lunch break and many shorter breaks. We descend out of the clouds covering the top half of Yotei-zan and enjoy views and some sun for the last half of the hike back to Kubo San's car.

5:45pm: We arrive at Kubo San's car, decompress, load up, and head on home.



7月8日土曜日。
午前10時20分(すべての回がおよそそうです): 久保サンとすてきなSoranチェン(彼の8歳の娘)は沼田町から東米里に迎えに来ました。 私たちは、私たちのギヤと自分達を車に積み込んで、Soranチェンに自分達を紹介して、プレ上昇芸術鑑賞ツアーのためのKutchanに行く途中です。 山に登る前に、それが北海道の芸術家の解釈で議長をするYotei-zanと陸に感謝するのは、久保サンの目標でした。 私たちの最初の停止はST Gallery、画家Shigeru Tokumaruの家でしょう。 彼の芸術はKutchanの周りの近郊山とYotei Niseko山の風景に浸されます。

午後12時30分: 私たちはST Galleryに到着します。(ST GalleryはShigeru Tokumaruの家の横にビルにあります)。 ギャラリーに私たちに挨拶して、私たちを持って行くために、Tokumaruサンはそこにあります。 ギャラリーは領域の空想的な風景解釈で満たされます。 Yotei-zanとAnnupuriの上の焦点、それらの多くがNisekoスキー場が造られる山。 私たちは絵でYotei-zanを見つめます。 その間、本当のYotei-zanは雲の壁によって見えなくされます。 私たちは、それが私たちの上昇で何に予示するかと思います。 Tokumaruサンは、親切な接待役であり、ギャラリーと彼のスタジオのかなりのツアーを私たちに行います。 また、彼は彼の風景の美しいカスタム自筆の碑文で完全な本でエミリーとIを紹介します。 私たちはいつまでも、それを大切にするつもりです。 私たちは、好きな送別をTokumaruサンに告げて、芸術ツアーのときに次の停止に結球します。

午後1時30分: 私たちの次の停止はKutchanのシュOgawara美術館です。 シュOgawaraはKutchanに住んでいて、北海道の最も有名な画家のひとりです。 彼は2002年の91歳のときに死にました。 Ogawaraの絵の永久的な収集以外に、様々な芸術家による絵を美化して、OgawaraとTokumaruサンを含んでいて、奮い立たせられた Yotei山の展示会があります。 Yotei-zanが暗い見る雨雲にまだ覆い隠されているとき、私たちはYotei-zanで敏感で様々な芸術的な表情を楽しみます。 私たちは、今日本物に会うつもりであるかどうかと思います。

午後2時20分: 私たちは、うどんヌードル昼食を食べて、次の移動について討論します。 登るか、または登らないように、それは問題です。 Yoteiは顔を出していません、そして、雲は厚いのですが、Soranチェンは思いとどまらせられないでしょう。 彼女は登るために押します、そして、私たちの残りは同意します。 私たちは、昼食を終えて、足跡の起点に向かいます。

午後3時30分: 私たちは最終的に立ち去りました。 今夜、私たちの目標はピークの2、3垂直な100個のメーター下のYoteiの肩の上のキャビンです。 キャビンはハイカーが滞在する夏の間、開いています。 足跡の起点は350個のメーターに座ります。 Yotei-zanのピークは私たちの垂直な1,548個のメーター(垂直な5,077フィート)上に1898メーター(6,225フィート)の高度で 座っています。 私たちはこの時間に遅く登っている向かう唯一のものです。 他の人皆は下りる予定です。 道は垂直な上昇において言いなりになりません。 数時間はカチカチします、そして、私たちは登り続けています。 私たちは、雲を通して登って、美しい日没を楽しみます。 私たちは懐中電燈で武装しています、そして、それらを必要とするでしょう。

午後8時30分: 空は時折覗き見される近い満月を終えた暗闇ですが、復讐が先端にある状態で、雲は再収束しています。 私たちの懐中電燈がオンな状態で、私たちはキャビンに向かってブラシを擦りぬけます。 私たちは、すぐ、暗闇でそれのアウトラインを探って、一夜の宿に到達します。 キャビンホストは、中で私たちに挨拶して、チェックして、就寝時刻が9時であると私たちにお知らせくださいます。 今夜大きい2いっぱいに踏まれたキャビンにいる他のおよそ6人の人がいます。 私たちは、上の階に向かって、私たちの眠っているスポットをセットアップして、軽い夕食を食べます。 私たちのjingiskanプランは明日待っていなければなりません。

午後9時30分: 私たちは私たちの寝袋できちんとしています。 いびきをかくのと夢想を始まらせます。

7月9日日曜日。
午前3時30分、(すべて、およそ回、)、: 久保サン、および他の2番目の床の住民は目覚めて、日の出の感謝に関して天気を見ます。 天気は協力していません。 厚い雲は、日の出の感謝に役に立たないエンドウ豆のスープの中でそれをおおい隠しながら、Yoteiの上に座っています。 久保サンはベッドに戻ります。 残念ながら、私たちの上の階のキャビン仲間は大声でしゃべりません、そして、料理して、すぐ、大声でしゃべり始めてください。 これは何らかの浅い眠りになりますが、それはそれにもかかわらず、睡眠です。

午前7時: 私たちはその1日に目覚めます。 雲はまだ厚いです、そして、風は遠吠えされています。 朝の最初のプランはいくらかのOhaiyo Jingiskanを食べることです、私たちが、その前の夜それを食べ始めなかったので。 久保サンは、Ohaiyo Jingiskanのために私たちに準備させるために彼のストーブをセットアップして、いくらかのコーヒー、紅茶、緑茶で私たちを始めます。 私たちは、すばらしい未知に下に冒険するために食事して、少しトランプして、詰め込みます。 いなくなる前に、私たちは、1階を訪問して、ジャーナルにサインして、一組のYoteiピン山を購入します。

午前9時30分: 私たちは霧の中への外を冒険します。 霧は、濃くて、ぬれています、そして、風は強い状態で吹いています。 Yotei-zanの上の非常に湿気の多い日です。 したがって、それが本当に空から落ちる雨でない、雲には私たちがいて、雨の中にいます! 私たちがさらにピークに向かって結球するのに従って、風は増加します、そして、雲からの湿気は横向きで吹かれています。 私たちは厚くする暗闇で向かいます。 目に見えることが最小限でありますが、私たちはYotei-zanサンチョに向かって押します。(山の頂上。)

午前11時15分: 私たちはいくつかの予備の先端にわたって1,898メーターで最終的にYotei-zanの傾きやすい先端に達するまで上下します。 先端は1,898メーターの高度に伴う「Yotei-Zanサンチョ」が漢字で記される木製のポストで示されます。 私たちの目標に達しました、そして、霧における祝賀は始まります。 壮観と視度がおよそ20フィートであるのでこの日に持つ見通しではなく、私たちの熱意が湿っていません。 風が遠吠えされるように、私たちは、スナップの写真を撮って、西北海道で最も高い人々である感覚を楽しみます。 多くではなく、北海道の周りにいくつかの、より高いピークがあります。

午前11時45分: 私たちはクレーターの縁の周りを進み返しています、視点からそれを隠している雲の海の中として下を見て。 風は遠吠えされています。 私たちは先端に向かう年配のハイカーの波を通過し始めます。 私たちが何人の65歳以上のハイカーを通過するかは、驚くべきものです。 日本の年配は、世界一最も長い間住んでいてアクティブです。 Yotei山への道は気弱な人のためのものではありません、しかし、私たちがその日の見出しを通り過ぎたハイカーの80%が高齢者でした。 Gambatte!

午後12時30分: 私たちは縁にいます、そして、風はそれほど強くはありません。 私たちは、中断のために止まって、次に、本気の家系を始めます。 下にへの途中では、私たちは1時間昼休みと多くの、より短い中断をとどまって待ちます。 私たちは、Yotei-zanの上半分をカバーする雲から下って、引き上げの最後の半分のために久保サンの車に視点といくらかの太陽を楽しんで戻します。

午後5時45分: 私たちは、久保サンの車に到着して、負荷が上にある状態で減圧して、家の上で向かいます。



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