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『共犯新聞』NEW YORK地図映画◎歴史】

ジョン・コルトレーンJohn Coltrane(ts, ss)(1926−1967.7.17)

 少年期にアルト・サックスをスクール・バンドで吹く。1949年にディジー・ガレスピー楽団に加入。
1955年にはマイルス・コンボに参加したが、約1年で麻薬のため退団。
その後セロニアス・モンクに師事し、1957年にはプレスティッジと専属契約、多くのセッションを録音し、同年11月にマイルス・コンボに復帰した。
同コンボではモード手法の洗礼を受け、1959年、「Giant Steps」において"シーツ・オブ・サウンド"奏法を完成させた。
1960年には自己のコンボを結成し、AtlanticやImpulseに多くの作品を残した。
1965年の問題作「アセンション」以降はフリー・ジャズへの転身を図った。
癌により1967年7月17日に死亡。
★日付をクリックすると、♪好きな時代に行けるわっ♪あん♪アン♪歴史から飛び出せ!
★たとえば→7月17日の歴史★
♪Yeah! Yeah! 40年。
ジョン・コルトレーン

John Coltrane
(ts, ss)
(1926.9.23−1967.7.17)

7月は、コルトレーンの月。
世界中のジャズ喫茶が今年も、
7月17日には
夜通しで
コルトレーンのレコードを
かけることだろう。

My Favorite ♪クリックして、見よっ!John Coltrane was gone
before just 40 years.
Jazz titan Alice Coltrane died in Los Angeles
on Friday, January 12 2007.
She was 69 years old
and suffered from respiratory failure.
John Coltrane ! ニューヨークでアリスの恋。ステージのむこうへ、メルト・ダウン。今夜、すぐきて♪
1966年、夫のJazzzzzzzzz!! クールの意味を知りたくて。ジョン・コルトレーンが死ぬ前年。


ジャイアント・ステップスはお勉強になります…。 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
  JAZZLAND通信
   ♪ 独断的ジャズエッセイ No.8 ♪
ジャイアント・ステップスはお勉強になります…。
  日付 : Wed, 6 Feb 2002 08:30:00 +0900 (JST)
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
Icon批評集
ジョン・コルトレーン
『GIANT STEPS (+6)』
1959年4月、5月、12月録音

ジョン・コルトレーン(ts)/
トミー・フラナガン(p)/
シダー・ウォルトン(p)/
ウィントン・ケリー(p)/
ポール・チェンバース(b)/
アート・テイラー(ds)/
レックス・ハンフリーズ(ds)/
ジミー・コブ(ds)

  1. Giant steps
  2. Cousin mary
  3. Countdown
  4. Spiral
  5. Syeeda’s song flute
  6. Naima
  7. Mr.P.C.
  8. * Giant steps
  9. * Naima
  10. * Like Sonny
  11. * Countdown
  12. * Cousin Mary
  13. * Syeeda’s songflute
曲名の頭に
「*」が付いているものは、
CDのみのテイクである。


●セッション−3=1959年5月5日

ジョン・コルトレーン(ts)/
トミー・フラナガン(p)/
ポール・チェンバース(b)/
アート・テイラー(ds)/

1.Giant steps
癌により1967年7月17日に死亡。
===========================================================
 雨の降る夕方。
ジョン・コルトレーンの傑作アルバム『ジャイアント・ステップス』を聴いている、
録音は1959年、僕が8才の頃である。
1950年代は僕にとって魅力的な時代であり、
ジャズにとっても何かが起きる予感を感じさせる時代である。
こんな書き方すると、みんな嫌になっちゃうよね。
===========================================================


僕は楽器が下手だったから、演奏に対してあれこれ言う権利は無いんだけど、
ファンとして言いたいんだ。
小さな音源会社でディレクターをやって来て、
演歌歌手の歌やシャープス&フラッツのカラオケ演奏、
日本人ジャズ・アーティストの録音、
邦楽演奏家の録音など色々付き合って録音して来たけれど、
こんな凄い録音を見てみたいと正直思うね。
全般的に何か恐さとか凄さを感じてしまう。
ジョン・コルトレーンのサックスの音が激しくて、
他のメンバーが思わず緊張している様な緊迫感がが感じられるんです。
ギャラを貰って演奏して生活している彼等が
何か神とか運命の糸とかに引っ張られて演奏している。
パラパラ『コルトレーンの世界』(1978.1)
■植草甚一
『ジャイアント・ステップス』の前は、
やはりかなりヘロイン中毒で、終わって来ると、
ポカンとしてせいぜい会話に反応するぐらい。
パラパラ『ジョン・コルトレーン 至上の愛』(1991.11)
■内藤遊人
アップテンポで一小節のなかで
二拍ずつ変化するハーモニー進行に乗って
一気にアルペジオを吹き切る。
パラパラ雑誌『レコード・コレクターズ』(1993.8)
■脇谷浩昭
マイルスの『カインド・オヴ・ブルー』への
参加直後である1959年5月の録音。

■後藤幸浩
この頃ってまだ悩みがない?!
パラパラ雑誌『季刊ジャズ批評』92(1997.7)
■大村幸則
タイトル・ナンバーは
細かいコード・チェンジを繰り返す難曲で、
トミー・フラナガンの苦労している姿には
同情してしまうほどだが、これが、
コード・プログレッションを使った
「コルトレーン・ミュージック」の極限。
★♪好きに行けるわっ♪あん♪アン♪HP『bronson』(2000.1.14)

一曲目の「ジャイアント・ステップス」
出だしのピアノのコード進行が、
よく聞いてもらうと分かるが、
ピアノだけで聞くと曲としてバランスが成り立っていない
要するに音階が滅茶苦茶なのである。
が、そこでベース、ドラムが
うまくそれらをリードして曲が成り立っている。
奥が深い曲だ。
そしてコルトレーンは、それらの緻密な計算によって
進行されているリズムをバックに、水を得た魚のように
コルトレーンのサックスが、blowしている。
●セッション−2=1959年5月4日

ジョン・コルトレーン(ts)/
トミー・フラナガン(p)/
ポール・チェンバース(b)/
アート・テイラー(ds)/

2.Cousin Mary
12.* Cousin Mary(別テイク)
4.Spiral

CDCDライナーノーツ(1988.3)
■高井文夫
本アルバムの核をなす翌日のセッション−3とともに
主要なセッション。

「カズン・マリー」は
マイルス・クインテットで56年に吹き込んだ
「ブルース・バイ・ファイヴ」が原曲。
従妹に献げたブルース・ナンバー。
冗舌にならず制動のとれたコルトレーンが聴かれる。
●セッション−4=1959年12月2日

ジョン・コルトレーン(ts)/
ウィントン・ケリー(p)/
ポール・チェンバース(b)/
ジミー・コブ(ds)

6.Naima
6曲目の名曲「ネイマ」なんか見たことも無い世界が、目の前に出現して、
何か運命的なものを感じてしまう。
パラパラ雑誌『季刊ジャズ批評』92(1997.7)
■大村幸則
その一方で、このアルバムには、
ペダル・トーンの上に
サスペンデッド・コードを乗せるという方法を取った
斬新なバラード「ナイーマ」のような曲も収められ、
こちらは、60年以降の「コルトレーン・ミュージック」への
予兆に満ちたものとなっている。
●セッション−3=1959年5月5日

ジョン・コルトレーン(ts)/
トミー・フラナガン(p)/
ポール・チェンバース(b)/
アート・テイラー(ds)/

7.Mr.P.C.
1.Giant steps
人間は何で生きて、何で働いて、何で年をとるまで生きて、
孤独に死んでいくのだろう。
7曲目「MR.PC」はその答えでは無いけれど、ヒントの様な気がするんです。
コルトレーンは必死になって考え、感じ、叫び、苦しみ、
そして彼なりの答えを出そうと懸命に吹き続ける。

次のピアノ・ソロが悲しいな、全然答えにならないね、
テクニックで何かを表現したいんだろうけど
コルトレーンのパワーに圧倒されてしまう。
結局はコルトレーンの世界であって、
他のメンバーは参加出来てはいないのかも知れない。
CDCDライナーノーツ(1988.3)
■高井文夫
F「ミスターPC」は
ミスター・ベースマンこと
ポール・チェンバースに献げたブルース。

ここでのコルトレーンは
オーソドックスでありながら、深い洞察力を感じさせる。
●セッション−1=1959年4月1日

ジョン・コルトレーン(ts)/
シダー・ウォルトン(p)/
ポール・チェンバース(b)/
レックス・ハンフリーズ(ds)/

8.* Giant steps
9.* Naima
10.* Like Sonny
8曲目「ジャイアント・ステップス」別テイクだけあって、
あんまりパワフルでは無いな。
やっぱりジャズは時間を切り取る音楽であって1回1回が真剣勝負だね、
でもやっぱり良い。

ここまで来ると、どのテイクでもコルトレーンが凄くて、
他の演奏家が可哀想なくらい目立たないね。
ポール・チェンパースのアドリブでさえ全然駄目だよね。
マイルス・デイビスでも
ジョン・コルトレーンの存在感は恐怖だったかも知れないね。
CDCDライナーノーツ(1988.3)
■高井文夫
本編に先立って行われた
実験的なセッション。
●セッション−3=1959年5月5日

ジョン・コルトレーン(ts)(ピッコロ)/
トミー・フラナガン(p)/
ポール・チェンバース(b)/
アート・テイラー(ds)/

3.Countdown
11.* Countdown(別テイク)

5.Syeeda’s song flute
13.Syeeda’s songflute(別テイク)
僕はコルトレーン大好き人間なので、いつの時代の演奏も好きだけど、
このアルバムは若々しくて好きだな。

「カウントダウン」はそんなパワフルな彼を象徴するナンバーで、
人間技とは思えないような凄い演奏です。

やっぱりジョン・コルトレーン万歳を叫んでしまいます。
ロマンティックなバラードは無いけれど、
彼の演奏家としての姿勢を充分理解出来るような気がするアルバムです。
ぜひ、貴方のCD棚にならぺて下さい。
まだ外は雨、今日も暇なJAZZLANDでした、明日はどうかな…。

http://jazzland.tripod.co.jp/dokudan/index.html

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
        ♪ JAZZLAND通信 ♪

発行者:JAZZLAND-CLUB
CDCDライナーノーツ(1988.3)
■高井文夫
本アルバムの核となったセッション
B「カウントダウン」J「カウントダウン」(別テイク)も
マイルスの<チューン・アップ>
<ブルース・バイ・ファイヴ>とともに
『クッキン』(Prestigeに収録)を原曲とする。

脅威的なアウト・オブ・テンポでのコルトレーンの
”シーツ・オブ・テンポ”にはただ圧倒されるばかりだ。

荒削りではあるが、倍近い長さである後者の方が
聴きごたえがある

┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
  JAZZLAND通信★TKB/ジャズ+フユージョン・バンドhttp://jazzland.tripod.co.jp/tsusin_f.html
   ♪ 独断的ジャズエッセイ No.7 ♪
 独りでコルトレーンを聴く悦びについての独白・・・。
  日付 : Wed, 30 Jan 2002 09:10:00 +0900 (JST)
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛


 今回は待望の傑作アルパム『JOHN COLTRANE /LIVE AT THE VILLAGE VANGUARD』のご紹介です。
嬉しいね、このリズム、このメロディ、このサウンド、全てが完壁。
この時代アメリカに生きていたら、是非ビレッジヴァンガードでこの名演奏を聴きたかった。
エルビン・ジョーンズのドラムス、レジー・ワークマンのべ一ス、マッコイ・タイナーのピアノに
天才マルチ・プレイヤーのエリック・ドルフィ、このメンバーを聞いただけで感激しちゃうよね。

まず第1曲目「スピリチュアル」エルビンの蛸足ドラムスとレジーのベース、見事なマッコイの指がこんがらがった様なピアノ、いいね…。
コルトレーンのサックスが快調にとぱす。
続いて突然エリックのバス・クラが馬のいななきみたいに続いて、もうびっくり…。
でもこのアド・リヴはいつもの彼のパターンだけど、やっぱり良いものは良い。
おもわず、一緒にゆられて、踊り出したくなっちゃう…。やっぱり最高!。

続くは神経質な感じのマッコイのピアノ。何か独り言をぶつぶつ言っている様な感じでいいね…。
この頃のマッコイのアドリヴはシンプル&メロディアスでしびれます。

そして最後にコルトレーンが呻く、語りかける、祈る、もがく、追求する。
一体ジャズ・クラブまで来て彼は客と何をコミュニケートしようとしたのかな?
そして、テーマのメロディを再現してこの名演奏が終わります。
一体僕はこの演奏を何度聴いた事か、実際何度聴いても良いね…。

そして第2曲目「朝日のようにさわやかに」もうこの曲はマッコイの独壇場です。
もちろんエルビンのブラシ・ワークも最高にエモーショナルに盛り上げています。
嬉しくなって踊り狂っていると、もう黙っていられないと言う感じでコルトレーンが侵入して来ます。
ハラホロヒレハレ風のアドリヴがガンガン鳴り響いてもうクライマックスのエクスタシーです、
セックスと同じで、もうひと押し、もう少しで確実に行ける、もう少し、もう少し、でもなかなか行かせてくれないんですよね。
そんな事を想いながら聴いているとコルトレーンが独りでいっちゃうんだよね。

なんか参ったな、なんて想っていると第3曲目が突然始まるんです。
よし今度は絶対気持ち良くなるぞ…。
とかなんとか考えてると、なんだかエレクトしてるペニスが哲学し始めて、
昔の女の子の事や、自分の過去や明日のスケジュールなんかが脳裏に浮かんで来て、もう混乱してしまうんです。
でももうどうでもいいや、
コルトレーンと一緒にこの貴重な時間と空間を共有できるだけで最高な気分になれるんだから。
僕は突然行きそうになってペニスを思いっきり掴んだんけど、駄目だった。遂に昇天してしまった。でも、男性と一緒に昇天はしたくないな…。
自分の部屋で独りでコルトトレーンを聴けるなんて最高の幸福ですよね…。
それでは、今日もパワフルに!

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■ 『オランダ・ハーグより』 春 具             
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「コルトレーン! コルトレーン!」

アムステルダムのヘレン運河とかカイザー運河沿いに、カナルハウスとよばれる建物
が続いています。カナルハウスとは文字どおりカナル(運河)沿いに建ったタウンハ
ウスで、17世紀ごろこのあたりにオランダ東インド会社の貿易などで一山当てた商
人や資産家、権力者たちが住んでいたのだという。外から見ると、どうということの
ないタウンハウスであるが、建物の中や奥に回ってみると、中庭が凄い。いったいに
都会に住むヨーロッパのブルジョアたちは、パリでもミラノでもマドリードでもロン
ドンでも、一様にひっそりとした表向きの建物の中にひっそりと住み、だが中庭にま
わってみるとどの館も見事なばかりの庭園を持っている。ヨーロッパのブルジョアは
園芸に凝る趣味があるのですが、カナルハウスに住んだアムステルダムの資産家たち
は、どこが質素なプロテスタントなんだと思うくらいに、それぞれ贅を凝らした庭園
を造っておりました。

20世紀の初頭にガートルード・ジキルという伝説的な園芸家がおりましたが、彼女
の作庭は庭をキャンバスに見立て、色を塗っていくように花を植えていく絵画的な手
法であった。カナルハウスの中庭も季節ごとの花々が咲き乱れ、いまは盛りの槿(む
くげ)、赤く色づき始めた椛(もみじ)、迷路のように刈り込んだ柘植(つげ)の生
垣、蔓のからんだ藤棚、東屋、ちいさな噴水、流れる水……文字通り絵に描いたよう
な庭である。

そういうカナルハウスは3世紀を経た現在、多くが私設美術館やギャラリーになって
いて、いろいろな展示を見物しながら、同時にジキル風の庭園でお茶や簡単な食事を
楽しめる仕組みになっております。

先日、わたくしどももそのようなカナルハウス・ギャラリーの催しを観に行ってまいりました。

わたくしどもが行ったのは「文明の対話」と題した展示で、18世紀に日本や中国で
造られた陶器の展示であった。

そのどこが「文明の対話」なのかといいますと、デルフト焼きというのがありますね。
いつかもJMMに書いたことがありますが、デルフト焼きはオランダ東会社の貿易の
おかげで東洋の焼き物、とくに伊万里の影響を受けております。ところが、そのデル
フト焼きの意匠がものすごい人気となり、したがって値段がどんどんあがってしまっ
てデルフト伊万里は庶民の手が届かなくなってしまった。そこで利にさといオランダ
東インド会社がですね、中国とか台湾に注文を出し、デルフト焼きの模造品を作った
のです。そういうアジア製の安価な模造デルフト焼きが、いまや骨董的な価値をもち、
好事家の収集の的となっている。そういうお皿の展示であった。

伊万里の影響を受けたデルフト焼きの、そのまた写しを、というと聞こえがいいが要
するに模造品を、中国や台湾に造らせたということは、ずいぶん混乱した話でありま
すね。本物の伊万里があって、それを模したデルフト焼きがあって、そのまた模造品
がアジアで作られた……それらを目の前に並べられたら、あなた、区別ができますか。
それほどまでに骨董というのは、なにがなんだかわからない魑魅魍魎の世界というこ
とになるが、オランダ注文のアジア製デルフト焼きを収集するというのは、文明が対
話しているかどうかは別にして、なかなかおもしろいテーマであるなと思ったもので
した。

ところで、今回はデルフト焼きについて書こうとしているのでは実はなく、ジョン・
コルトレーンについて書こうと思ったのですが、話の糸口としてカナルハウスのこと
を書き始めたら覚えず長くなってしまった。

カナルハウスのどこが糸口なのかといいますと、今年のヨーロッパはご存知のように
凄まじい暑さで、オランダは樺太と同じ緯度に位置するというのにまるで地中海に住
んでいるみたいである。そのような茹だる暑さの中で、「話を聞かない男、地図の読
めない女」であるわたくしども夫婦は、めざすカナルハウスが見つからず、ひどい思
いをした。だが、汗だくになって歩きながら、ああ、そういえばコルトレーンが死ん
だ時、おれは暑い中、こうやって街を歩き回ったなと思い出したのです。モダンジャ
ズのファンならみなさんそうだと思うが、わたくしもジョン・コルトレーンには特別
の思い入れがあるのであります。

1978年7月17日、すなわち35年前の夏、ジョン・コルトレーンは肝臓癌でこ
の世を去った。わたくしはそのニュースを聞いたとき、東京中のジャズ喫茶を歩き回った。
なにかカミュの「異邦人」の主人公のような無意味な行為であったとも思うが、
ほんとうに暑い夏で、わたくしはアムステルダムを歩き回ったように、東京砂漠を徘徊したのでした。

ジャズ喫茶といっても今の若い読者はご存知ないかもしれませんが、むかしは都会に
ジャズレコードを専門に聴かせる喫茶店があり、そこへいくと最新輸入版のジャズレ
コードがコーヒー一杯で聴けたのです。わたくしども1960年代のヒップスターた
ちは、大学の授業がない時などは(授業があっても、だが)ジャズ喫茶にしけこんで
最新版のジャズレコードを聴きながら、両切りのキャメルなんぞを吸い、ジャック・
ケラワックとかアレン・ギンズバーグ、サルトル、大江健三郎、安部公房なんぞを読
みふけったのである。そういうビートニックな文化があったのであります。

そのようにジャズ喫茶をまわってコルトレーンのレコードをリクエストして聴きまわっ
たのですが、最後に行った新宿の「ディグ」(ジャズ喫茶の老舗。いまは「ダグ」と
して残っていますね)でアイスコーヒーを頼んだら、キャラメルがついてきたのを覚
えています。晩年のコルトレーンは酒と麻薬をやめ、すっかり甘党になってキャラメ
ルとバナナが好物だったということで、それで飲み物にキャラメルをつけたという
「ディグ」ならではの弔意であった。

ジョン・コルトレーンについてはジャズ・ファンの読者ならばご存知のことでありま
しうが、簡単に履歴を書きますと、彼は1926年、ノース・キャロライナの生まれ。
ジャズマンとしてのキャリアはフィラデルフィアから始めました。はじめはアルトサ
クスを吹いていたが後年テナーに移行。晩年にはソプラノ・サクス、ソプラニーノな
んかも吹いておりました。

50年60年代にマイルス・デヴィスとセロニアス・モンクのバンドをいったりきた
りして頭角をあらわしたのですが、この時期のコルトレーンは、ま、当時は多くのジャ
ズメンがそうでしたが、深酒と麻薬とにどっぷりと漬かっていた。

ファイブ・スポットにモンクのグループのテナーとして出たときなど、Well, you
needn't のテーマを吹き終わったらその場に寝込んでしまった。モンクがピアノの席
から「コルトレーン! コルトレーン!」と大声で叫んではっと目を覚まし、あわてて
ソロをしたというエピソードがあります(このときの録音は存在しないとされている
が、わたくしはこのあいだ「モンク・アット・ファイブ・スポット」というCDを見
つけた。これは妻のアリス・コルトレーンがテープレコーダーで録ったものというこ
とで音はすさまじく悪いが、これが存在するのならモンクの叫びのはいった Well,
you needn't が録音されていたテープだってあるのではないか。今後の研究と発掘に
期待したい。ちなみに今回の題は、モンクのその叫びです)。

コルトレーンは、音楽的にはマイルス・デヴィスに大きな影響を受けました。当時の
マイルスは、それまでのコード進行による音楽の作り方から「モード」という中世ヨー
ロッパの教会音楽の音階を使った新しい演奏方法を実験していました。「Milestones」
と「Kind of Blue」というアルバムがその成果であったが、モードによってモダンジャ
ズは新しい地平線を開いたのでありました。

コルトレーンはこのモード・ジャズの影響をもろに受けた。ただし、ふたりは同じモー
ドの方法を使いながらも、マイルスが吹く音を減らしていき、簡明な表現を目指した
のに対し、コルトレーンは音階のもつ色彩を極限まで表現すべく、一小節に詰めこめ
るかぎりの音を詰め込んだ。そして「Giant steps」や「My favourite things」でコ
ルトレーン風にモードを完成させたあと、コルトレーンはモード奏法を拡大して、フ
リージャズへと挑戦していった。

フリーといっても完全に自由になることは難しい。そもそもフリーというものはフリー
セックスだろうがフリーキックだろうがフリーランスであろうが、制約から完全に自
由になるということはありえないのであります。

これは本邦のフリージャズの大御所でもある山下洋輔さんがどこかで言ったか書いた
かしていたことですが、たとえば、猫にピアノを弾かせてフリー・ジャズをやらせて
みようか。すなわち猫をピアノの上に置いて自由に歩きまわさせるのですが、猫です
からコードからもスケールからもハーモニーからも自由、なんの制約もないまま自由
自在に鍵盤の上を歩き回るわけですが、しばらくするとその自由奔放な表現にパター
ンが見えてきてしまうのであります。すなわち、4本の足の間隔や跳ね方、そういっ
た物理的な枠が行動のパターンを作ってしまう。そしてフリーな行動もその繰り返し
によって自由でなくなるのである。つまり猫が自由に歩き回ろうと決めた時、すでに
猫の音楽はフリーでなくなっているのです。

コルトレーンのフリージャズは、猫と同様にフリーになりきれずに果てたように思え
ます。晩年の演奏はゴリゴリ演っているが、どれを聴いてもまたかというマンネリの
印象を免れない。そしてフリージャズの流行もほどなくして霧散したのでした。

けれどもコルトレーンの実験の影響力はいまでも計り知れない。現役のサクス奏者で
コルトレーンをコルトレーンの影響を受けていないひとはいないだろうし、本人たち
もほとんどがみんなそう言っているのです。評論家のナット・ヘントフは白水社から
でている「ジャズ・イズ」という本で、キース・ジャレットがコルトレーンの死につ
いて、「だれもが突然に大きな空所ができてしまったのを感じた。しかし彼はそんな
空所を残しておこうと意図したんじゃない。彼は全ての人が、自分たちがやるべきこ
とをやるような空間を、もっと作ろうと意図したのだ」と言ったと書いています。

コルトレーンがこれからジャズがやるべきことの空間を作って逝ったのだというのなら、まだまだジャズはおもしろくなるべきだったのでありましょう。

でもね、わたくしども(つまり女房とわたくしとわたくしの同世代のジャズ狂たち)
は、モダンジャズはバブルの時期に流行った口当たりの良いフュージョン・ジャズに
よって魂を抜かれたと思っております。その後、マルサラス兄弟たちがでてきた時に、
これでダンモも復活するかと若干の期待をしたのですが、ねずみ花火みたいにしぼん
でしまった。すなわち、わたくしをして灼熱の都会を引きずりまわしたような、そん
なエネルギーのあるジャズはでてこないものか。そういう意味でコルトレーンの後継者たちは怠慢のそしりを免れない、といえるのであります。

____________________________________________________________________________
春(はる) 具(えれ)
1948年東京生まれ。国際基督教大学院、ニューヨーク大学ロースクール出身。行
政学修士、法学修士。1978年より国際連合事務局(ニューヨーク、ジュネーブ)
勤務。2000年1月より化学兵器禁止機関(OPCW)にて人事部長。現在オラン
ダのハーグに在住。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
JMM[JapanMailMedia]                  No.232 Friday Edition


前回のJMM232F「コルトレーン! コルトレーン!」につき、読者の方からコメントをいただきました。

コルトレーンの死去は1978年と書きましたが、これはご指摘のように67年が本当です。
1978年と書いてしまったのは単純にタイプミスで、67と打ったつもりがひとつずれて78となってしまった。チェックが甘かったです。

新宿の紀伊国屋裏のDUGはかつてのDIGとは別経営だとのご指摘もありましたが、
これは不覚にも知りませんでした。DIGは写真家でジャズ狂の中平穂積さんが経営
されていたジャズ喫茶でしたが、いつのまにか人手に移ってしまっていたのでしょう
か。

モンクのファイブスポットでの WELL, YOU NEEDN'T のライブ演奏が、「モンクス・
ミュージック」というアルバムに収録されているよというご連絡もいただいた。これ
はわたくしも書いたように幻のライブと呼ばれている演奏で、でもどこかにライブの
テープはあるだろうなあとは思っておりましたが、ほんとうにあったんだ。


Mr.Elvin Jones is gone.
1927.9.9 2004.5.18
coltrane、好き!エルヴィンの笑顔と、史上最も知的なドラミング♪ ■ジョン・コルトレーンの黄金期のドラマーであった、
エルヴィン・ジョーンズが死んだ。
享年76歳。
1960〜1966年3月までコルトレーンと組み、
数々の歴史的な演奏を行った。
奥さんは日本人で、来日公演も無数に行われた。
ジュネとブラック・パワー文学★ジュネの奥にいる黒人は、ジェームズ・ボールドウィン(James Baldwin、1924-87)。
ジュネの奥にいる黒人は、ジェームズ・ボールドウィン(James Baldwin、1924-87)。
植草甚一によれば「世界ではじめてジャズを言語化」することに成功した作家。

パラパラ・・・ボールドウィン『Another Country / もう一つの国』(1962年作)
訳;野崎 孝
■ニューヨークに住む黒人ジャズ・ドラマーの物語。
<抜粋>
初めて手にしたドラムのセット―父親が買ってくれたんだ―
初めて知ったマリワナの味、初めて飲んだヘロインの味。そうだ。
玄関先に”く”の字形に崩折れて、恍惚と陶酔している男たち、
ヤクの盛り過ぎから雪の日に屋上で死んだ男の子。それからあのビート。
父親はこう言ったものだ―ニグロは一生ビートに従って生きるんだ。
生きるもビート、死ぬもビート。ほいさ、やるのもビートだわな。
胎児のうちから、おふくろのアソコでビートに合わせて飛んだり跳ねたり、
9ヶ月たって出てくる時にはタンバリンそっくり。
ああ、ビート―手、足、タンバリン、ドラム、ピアノ、笑い声、悪態、カミソリの刃。
身を堅くして笑ったりわめいたり悦に入ったりしてる男たち、
しっとりと身をくねらせてささやいたり吐息をついたり泣いている女たち。
ああ、ビート―ハーレムでは、夏には、それが目に見えるくらい、
舗道の上や屋根でちらちらと震えている。
黒人悲歌
桶にぽっかり
籾殻浮き
by. 寺山修司 (1954年8月発表の俳句)

■1983年5月4日に寺山修司が死んでから、
5月は季節が持つ若々しさとは関係なく、
「死」をイメージさせる月になった。

■ただし、その「死」は凍りつく「終わり」のイメージではない。
そもそも、「書物」そのものが、ある意味、
「死」=「棺(ひつぎ)」である。

■レコードも同様だ。
その語源が「記録」であるレコードとは、
まさに「死」=「棺」である。

■無名者の「死」が凍りつく「終わり」であるとすれば、
表現者の「死」とは、
連鎖する「棺(=作品)」につらなる目盛りにしかすぎない
我々は、いつでも彼らの「棺」のフタを開けることができる。
つまり、いつでも死から呼び戻すことができるのだ。

■そしてまた、無名者の「死」も実は同様だ。
書物やレコードを、「思い出」と言い換えても良い。
全ての死者は、死んではいないのだ。
by. 久保元宏
(2004年5月20日、エルヴィンの死を知った朝に)