ピンクのクマのプールで、さっちゃんと。I'll follow you wherever you may go!
top page⇒うぇ〜ん!『共犯新聞』♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To DieROCK★ロック パラパラ・・・偏愛書物★Book Oh ! うめぇ〜♪ジューシーな豚肉ソティ!好物★Gourmet やっぱ、映画館で観たい♪映画★Movie Artとは、ニューヨークのホイットニー美術館から、大阪の乙画廊まで、どこでもドアの奥で、今夜、パーティが2時から開かれる!美術★Art
moto_kubo@hotmail.com
ドクター!健康のためなら、んでもいい
Health ! Everybody needs healthy body !
肉体は偉大なるひとつの共犯である。
うぇ〜ん!久保AB-ST元宏の体重は?
★注目される青春!しかし、結末もすぐだ。★Oh!甲子園……指導?教育?勝負?しつけ♪★点数を入れなければ、勝てない!★ふれ!ふれ!★ふれ!ふれ!は、応援だけど、雨は、降るなっ!最近食べた美味いもの!ゴクリ!

メール (2006年6月25日 日曜日)

井内さん、おすすめサイト!
さあ、このアルミ出会い系サイトでライトメタルな癒しを体験して下さい!アルミニウムマニア僕の得意先の人で、若林さんの知人の個人サイト。
名前は明かせませんが、彼のコラム(落書きと彼は言ってますが)、読ませます。
1度覗いて見てください。

右上の、糸切り歯が、ぐらぐらしてんだけどーぉ。

が、抜けた!

ここから、うどん食べてみたいー!

2010年4月6日 火曜日 午前1時47分午前4時、座禅、終了!気温-1.3℃←■サルトルとゲーリー・クーパーが5人。こっそり上品に伝える明日。
2009年12月28日 月曜日 午後10時53分森ガ〜ルの脳味噌チップよ、やっほー♪気温0.2℃←■2日連続、夜10時過ぎに、カップめん+オホーツク生ビール。・・・・・・メタボ・リバウンド、助走かっ。
2009年10月19日 月曜日 午後10時31分山羊も大好き、おはぎ♪気温11.7℃←■新型インフルエンザ休校&外出禁止って、合法的「ひきこもり」、っぽ。
ドクター!Achilles Last Stand
今夜は寿司かっ!?がくっ。
2008年5月23日(金)
だれだ!? →こたえ;上の写真を、クリック♪
ドクター!Achilles Last Stand
「あした、ギブス、はずします。」
今夜は燦で、コーイチくんと(がくっ。)。
2008年6月9日(月) 6:30Pm
だれだ!? →こたえ;上の写真を、クリック♪

★The Beatles' hit "Help!" I love how Paul and George keep looking over John's shoulder trying to be seen! So cute!
♪Hey, クリックして、見よっ!Health ! I need healthy body !
Health ! not just any body !
Health ! you know I need healthy body ! Health !

text by うぇ〜ん!久保AB-ST元宏 (2008年2月5日 11:57Am)

公共の使命を果たさねばならない、この聖なる『共犯新聞』において、またしても私個人のメタボ報告を申し上げる無礼を再度、お許し願いたい。
公共メディアとしての『共犯新聞』が、個人の報告に貴重な紙面を犯させることを不快に思う賢明なる読者の皆様には、重ねてお詫び申し上げる。
さて、昨年の8月17日に、健康診断で下された結果、ブードゥー・ドクター!「あなたは、メタボリック・シンドロ〜ムよ〜♪お〜ほほほほほほ〜♪」、であった。
「少なくとも体重を2〜5kg以上、減らさないと、許しませんからねっ!来年の2月に久保さんをもう一度、呼び出して、その結果を聞きますからねっ!」
で、その2月がやってきた。そんで、呼び出されて、調べたのよねん。

★2008年も、まだまだ、メタボっ?ほらね♪
★メタボの原因!?ほらね♪
うぇ〜ん!2008年2月2日(土曜日)
メタボ再診断の直前なのに、
ノー天気に&いつもどーりな、私。
まずは、栄養士さんから、体重とウェストを量られた。
ん?栄養士さん?これって、肉の計量ってコトか?
ええよ〜!わぁ♪久保さん、体重、減ってますよ〜♪がんばりましたねぇ〜!
うぇ〜ん!え?・・・あ、はい。ええ、がんばりました・から、たぶん。(←まったく、がんばっていない。)
ええよ〜!・・・あら、う〜ん。どーしてかしら?ウェストは増えているわっ!
うぇ〜ん!そ、それって、筋肉が落ちて、ハラ周りだけが増えた、ってコト!?最悪じゃん。
ええよ〜!(ノーコメント)にこにこ♪

つづいて、保健婦さんから医学的な分析の説明。
ナース!やはり、お酒、いまだにたくさん呑んでいるんですか?
うぇ〜ん!いやぁー。最近ではビールなんか、もーカラダが受け付けなくなりましたよ。
ナース!そうですか♪では、ビールの量が減ったんですね♪
うぇ〜ん!はい、はい。そーですよ♪もー大ジョッキ、5杯も飲んだら、もう焼酎かウィスキーですね。
ナース!・・・・・・。あ、そう。
うぇ〜ん!夏は「夜高あんどん」、秋は「米かつぎ」、冬は「除雪」してますからね〜♪
ナース!除雪は、いい運動になりますものね♪
うぇ〜ん!でも、よく考えたら「除雪」も、除雪用リフトに乗って座っているダケなんすよー。わっはっは。
ナース!・・・。また春に呼び出しますね。

うぇ〜ん!こりゃ、「考え方」が、メタボかっ!?がくっ。これが本当の、国体っ!

2008年2月5日 火曜日 午前1時48分←■メタボリックの再々検査、体重は減った!が、ウェストが増えた?えーーっ!?どーゆーことぉ〜?←自分に聞けっ!
2007年9月29日 土曜日 午前3時24分←■メタボ3ヶ月目で、血液チェック。「食事と運動」と、医者に言われる。・・・・・・。


差出人 : サカタ@カナダ
送信日時 : 2007年9月4日 5:45Pm
宛先 : 久保AB-ST元宏

 8月中ずっと日本におり、サカタ父がガンで亡くなるのを看取りました。
その間のセンチメンタルな日記が、↓こちらに書いてあります。

★just imagine...♪アートだ!あん♪アン♪日記「涙の帰国 (日本滞在記)」
サカタの2007年、夏。★見たもの。感じたこと。

サカタの2007年、夏。★見たもの。感じたこと。

サカタの2007年、夏。★最後の花火。
 カナダに戻り
新学期も始まり、
私は元通り
主夫と
翻訳業
(と、冬に大雨で浸水した家の修理)に
励んでおります。
それではまた。
サカタの2007年、夏。★カナダで生きる。
「人生のおまけ」としての、三回忌
text by うぇ〜ん!久保AB-ST元宏 (2008年1月15日 3:55Am)

母の弟が死んでから、まる2年。1月12日に、その三回忌の法事があり、
私の住む沼田町より北へ約100kmの町へ、すげえ吹雪の中、行ってきた。
Wow! ★吹雪で、白い冬。
ちょうど2年前、叔父の死体が、愛車ベンツの中で発見されたのは、右の路肩。

Wow! ★左が久保。
1Pm 法事の後、温泉ホテルで食事。親戚と、叔父の建設会社の方々。
食事をしている最中、
私の母の姉が酒をつぎに来た。
「おひさしぶりやねぇ。」

伯母は結婚して神戸に住んでいる。
伯母の夫は、『日本イヌワシ研究会』の会長で
その父は大学の教授で牧野富太郎の弟子、
兄弟も大学教授がズラリ、とゆー学者一家。
伯母も中高生を相手に数学の個人塾をしている。

「そーいや、息子、今年、高校受験やったね。」
「はぁ、おばさん、息子に教えてくださいよ〜。」
と、私が酒の席での冗談を言ったが、通じず
遊びに来たつもりの息子は、
この直後、ホテルの部屋にカンヅメになり、
休憩無しで、2〜7Pm、びっちり、
因数分解の特訓をさせられた(笑)。

親としては、ラッキー(笑)♪
おばさんだから、授業料は無料だし(笑)。
それにしても伯母は、74歳。
45歳の私でも分らん数学をよく教えてるやねぇ。
因数分解っす。
温泉に遊びにきた
つもりが・・・(笑)。

で、私は暗くなったら、イトコと一緒に呑み屋街の探索へ♪
Wow! ★吹雪でも、アリスで乾杯?
すげー、吹雪き。よーやく、呑み屋街の明かりが、ひとつ♪
イトコの友人が、その母親と一緒にやっているスナックに行った。
その「友人」は、札幌でロカビリー・バンドをやっていたという。
彼の担当は、ギター&ボーカル&作詞&作曲。
なんと、あの伝説の「札幌駅裏8号倉庫」にも出演していたそうだ。
ストレイ・キャッツが好きで、オリジナル中心に活躍していたという。
が、3年ほど前に、札幌からはるか北のこの町へ帰省したそーだ。
んが、やっぱ、まだロックンロールの魂がうずいているそうで、
なにやら母親の目を盗んで(=って言っても、40歳♪)、
また&また、札幌で、いいベーシストとドラマーを見つけたようだ。
ふふふん♪い〜んじゃない?再開すれば、ライブ、行くよ♪
これは、イトコの友人の友人のジミーさんっす。


♪これもどうかと・・・。▲これは、ヘビー・メタル。
これは、ヘビー・メタル。
♪親しき仲にも・・・「さん」あり!
Wow! ガーン!40歳〜74歳までの男性の2人に1人、女性の5人に1人がメタボリックシンドロームの疑いがあるといわれています。♪
これは、ヘビー・メタボリック。
がくっ。

クリック!Ballad of A Fat Man
text by 久保AB-ST元宏 (2007年8月17日 4:52Pm)

私が7月に受診した『総合健康診断』の結果が通知されてきた。
「8月17日(金) 10:30までにお越しください」
・・・との、こと。
私の全ての知人には、
「あなたは異常ありませんでした。」とゆー通知だけで、「お越しください」とは言われていないよーだから、
おい&おい、あはは、私の肉体、やばい?ってな感ぁ〜んじぃ?なのである。

まぁ、もちろん、過去にも私は5年前の40歳の時に、同じ『総合健康診断』で、★My Deep ART Diary!「大腸がんの可能性あり。」と、診断されたことがあったけど、
まぁ、アレは、セーフだった♪
しかし、それからも、どー考えても、1.極端な寝不足(=1日4時間)、2.極端な酒(がくっ。)、3.運動不足など&など、もー何かあっても、驚かない準備だけはしてきた(?)。

んで、今日、診断の結果を聞きに行ってきました〜。

★メタボっ?ほらね♪
うぇ〜ん!2007年8月17日にもらった、これが私の内申書!
特にモンダイなのは、
LDLコレステロールが急に増えた点、らしい。
LDLコレステロールの値が高いと、
狭心症や心筋こうそくなどの虚血性心疾患や
脳こうそくなどの脳血管障害、
大動脈りゅうや末しょう動脈硬化症などに
なりやすいんだそーだ。
まずは、呼び出された3人づつ、男性の医者から同時に説明を聞く。
ドクター!今年から、メタボリックの検査が加わりまして、その対象者に来てもらいました。
うぇ〜ん!ってコトは、癌とかの危険性で呼ばれたんじゃぁーナイんですね?
ドクター!ええ。ウェストが男性は85cm以上、女性は90cm以上で来てもらいました。

まぁ、直接に「癌です!」とかじゃナクって良かったんだけどー、
中年オヤジは別にいいけど、一緒に説明を聞いている女性は、
「私、ウェスト90cm以上あります。」と、プラカードを持たされているよーで、少し、かわいそー。

つづいて個別に、保健婦と栄養士から説明を聞くんだけど、
これが皆さん、細くて、長身で、なか&なか、かわいい♪
こーゆー人種を見せつけられると、医者の言葉よりも、我がメタボリックを、実感(がくっ)。

まず、保健婦さんから医学的な分析の説明。
ナース!久保さんは急に体重とウェストが増えてきているので、自宅で測定する習慣をつけてください。
うぇ〜ん!自分の体重とウェストの数値を常に知っておく、ということですね。
ナース!そうです。そのためには、有酸素運動を取り入れてください。スポーツは何をしていますか?
うぇ〜ん!えーと、登山・・・です。
ナース!それは良いですね〜♪年に何回ですか?
うぇ〜ん!・・・1回。
ナース!だめじゃん。

次に栄養士さんから、食事のアドヴァイス。
ええよ〜!久保さんは甘いものとか、しょっぱいものは好きですか?また、タバコは吸いますか?
うぇ〜ん!お菓子も食べないし、刺身以外には正油は使わないし、タバコは吸いません。
ええよ〜!あら、どーしてかしら?お酒は毎日、呑みますか?
うぇ〜ん!夜、自宅にいる時は特に呑みません。たま〜に、ジンとかウィスキーを1杯ぐらいかな。
ええよ〜!・・・・・・。では、外出されると呑みますか?
うぇ〜ん!あ、はい。だいたい、夜の6時から朝の4時ぐらいまで。年に約20回は、そんな感じです。
ええよ〜!・・・それが原因です。

で、具体的なアドヴァイスをいただいた♪
ナース!久保さんは、2日に1回、15分以上、ジョギングをしてください。それで、体重を、2〜5kgは落してください。
ええよ〜!久保さんは、パーティのお酒を減らしてください。だいたい、一人でワインを3本以上呑むなんて、おかしーです。できるだけ、水を飲んでください。
で、来年の2月ころに電話をかけてきて、アドヴァイスが守れたかどーか、確認するんだそーだ。だいじょーぶか!?オレうぇ〜ん!!?

2007年1月12日 金曜日 午前1時39分←■夜が明けたら、去年、死んだ叔父の一周忌法事へ、日本海側の道路を北上する。


タテワキさんの、お布団で R共犯音楽祭★TERAのROCK名盤100枚!★Music〜音という抽象芸術♪CK 除去。

差出人 : タテワキ
送信日時 : 2006年7月4日(火) 9:15Am
宛先 : 久保AB-ST元宏
件名 : お久しぶり。

おはようございます、久保さん、タテワキです。

私事ですが6月19日〜7月3日まで、胆石除去のため入院手術をしてきました。
♪胆石は旅である?
今の医療はスゴイですよ。
今回は、内視鏡手術だったので回復は早 いでしたが。
縫合は糸でなくホッチキスで留めています。
傷口もきれいだし、誰がやっても同じだし。材質はチタンだそうです。

では、また。そのうち一杯やりますか。
送信日時 : 2006年7月4日(火) 4:17Pm
宛先 : 久保AB-ST元宏
件名 : こんなん出ましたけど〜

HP『共犯新聞』見てビックリ 載せちゃったのぉ〜(泣・笑)。
図を見て、やっと理解できました。(驚)
ちょっとキモチわるいですが、石の写真も載せてください。
♪人生は、胆石である?
術後間もないヤツと、抜糸後のヤツもあります。
後者はあとで見せに行きます。

大きさ2.3cm 材質はコレステロール らしいです。
取り出したばかりのは、もっと鮮やかなグリーンでした。
約9年前には2mm程だったのが、長年のストレスと暴飲暴食により
大きく育ってしまったわけです。

ドクターに、MRIの写真をちょうだいと言ったら・・・
「そんな事はできないし、そういうことを言う人もいない。」
とあっさりと言われがっかりしました。

では、あとで見せ(店)に伺います。
忌野清志郎(55歳)が、
喉頭癌で入院!
ライブは全てキャンセル!

2006年7月18日(火) 9Pm〜10:54Pm
日本テレビ
『ドラマ・コンプレックス
出演;清志郎、市原悦子、羽田美智子
ブルースとしての癌。

ブルース・メッセージ。

2006年4月26日 水曜日 午前1時9分←■幼馴染が、筋肉が痩せる奇病にかかり、長い闘病生活の末に、ついに死んだ。子供の頃から大きな目が印象的だったが、目は痩せなかった。

人生の おまけ



12日の夜、8時50分に初めて聞いた。
私の母の弟が吹雪の中、自分の自動車の車中で、死体で発見されたのだ。
「夜が明けたら、私も行かねばならない。」と、すぐに想い、その通りに出かけた。

一本道。 日本海を左手に北に昇る国道は、青い空と青い海が、山の曲線を浮かび上がらせ、
美しい海岸線を演出してくれている。車のアクセルを踏み込むほどに、その美しさは増す。
初めて今日、この道路を走るモノは、
昨夜、この同じ道路が上下左右前後、車道も歩道も、雪山も平地も、空も地面も分からない、
真っ白の猛吹雪であったことを信じるコトはできないであろう。
しかし、それが北海道の美しさであり、残酷さなのだ。

この一本道を40数年前、私の母は逆に南下し、私の父に嫁いだ。
それから私も何度もこの一本道を往復している。
最初の十数年は、国鉄の汽車に揺られて往復したものだ。
私が叔父の家に遊びに行けるのは、お盆か正月であり、
そんな時は札幌から続いている特急列車であり、
私の町から汽車に乗る時にはもう満員であるのがアタリマエであった。
そう。ちょうど、叔父の家のある北の町と、南の札幌の中間地点が私の住む町なのだ。
その位置関係は変わっていない。
しかし、今はもう線路は無くなった。
満員の汽車の、板張りで造られた泥臭い床に新聞紙を引いて座り、
退屈な数時間を、自分が座っている新聞記事を何度も読み返すことで過ごしたのが、少年時代の私だ。

今でも、その時の新聞記事をいくつか憶えている。たとえば、手塚治虫の原作テレビ『マグマ大使』の主人公が着グルミを脱いで顔を出して、
「私がマグマ大使の中に入っています。」という記事などは子供心にも衝撃的で、その記事に自分が座れた偶然が、
なにか自分だけに大きな秘密が明かされたかのように何度もその新聞記事を読み返したものだ。
手塚先生、アトムに原発の責任は無いのですか!?
そして、線路と平行に走っていた国道は、舗装された。若い父親が運転するボロい車が、長時間の砂利道を走るたびに、
小学校に入学する前の私は酔ってしまい嘔吐を繰り返した。そのたびに私の若い母は、「やっぱり、汽車ね。」と言ったものだ。
さらに、長時間であった国道を利用する自動車旅行も、大きく蛇行する海岸線にいくつもの長いトンネルをブチ抜くことにより、短時間で叔父の家に着くことになった。
国道の舗装と、多くの長いトンネルの完成と、私の父の運転技術の向上により、私は自動車酔いをしなくなり、
小学校の高学年になるともう汽車で叔父の家に行くことなど考えもしなくなった。

まさか私のように自動車酔いで激しい嘔吐をするひ弱な少年ばかりが
あの汽車に乗っていたわけではないのだが、
舗装とトンネルは国鉄の客を減らし、たまに乗る汽車がお正月やお盆でも楽に座れるようになった。
ふと、気がつくと、かつてはたくさんいた大きな箱を背中にしょったオジサンやオバサンを見なくなった。
彼らは漁村から魚を担いで、汽車に乗り都会に売りに歩いていた「かつぎや」と呼ばれる人たちだった。
時々、彼らは子供たちに美味しい魚の珍味をくれて、私もそれが楽しみだったのだが、
中学生になった時に、その珍味の匂いが恥ずかしくて
「かつぎや」のオバサンが好意でくれた珍味を断ったことがあった。
それ以降、私は彼らと会話したことがないような気がする。

あの「かつぎや」のオバサンやオジサンたちは、今は大型冷凍トレーラーに変わっているのだろう。
あのトレーラーは20トンの魚を瞬時に運ぶことはできても、
汽車の床でしゃがんで新聞記事を何度も読み返しているだけの少年たちに
美味しい珍味をあげることはできない。
あの「かつぎや」のオバサンやオジサンたちは、今は大型冷凍トレーラーに変わっているのだろう。

国鉄は無くなり、そもそも留萌から稚内につながっていた線路そのものも無くなった。
それからだって、もうかなりの歳月が流れている。


叔父は布団に寝ており、もうすでに耳の周囲が青紫色に変色してきていた。

「死」はいつも、モノ(=物)である前にコト(=事)のような気がしているが、こうして死体を見せられると、モノである事実に言葉が落ちてこなくなる。

もしくは。
肉体がコトから、モノに変わることを「死」と呼ぶのか。


叔父の家は、かつてこの町にあった国鉄駅のすぐ前に建てられている。かなり大きい。知らない人が見たら、この町の公民館ではないかと思うかもしれない。
つまり、叔父は大金持ちなのだ。

だから、葬儀委員長は当然のように町長だ。
私が叔父の家に着いてからも、同業者の社長連中、管内の議員、名士、銀行の支店長などなどが叔父の死体の前で行列をしていた。
叔父の顔の上に乗せられた白いハンカチが何度も、上げ下げをそのたびに繰り返していた。
きっと、明日の葬儀も大きなものになるに違いない。

それでも、世の中の全ての美人が幸せな結婚ができるわけでもないように、世の中のお金持ちが全て幸福なわけではない。
叔父の正月も、同級生を誘ってのマージャンの日々であったという。孫のいる同級生の中には、いやいや参加したモノもいたコトだろう。

もちろん、邪推はしたくはない。
私が言いたいことは、こういうことだ。

人生には「幸福」という尺度は一つだけではない。
もっと重要なことは、「幸福」かどうかを決めるチャンスは一度だけではない。何度、「幸福」かどうかを再検討してみても良いのであるし、そうすべきなのだ。
そして、もちろん、それは「死」んでからでもいいのだ。


叔父は「不良」だった。
彼が高校生の時、自分の部屋をバーに改造したという部屋が私の少年時代の遊び場だった。
1938年9月23日生れの叔父だから、もちろん私の少年時代は新婚時代であり、美人の美容師を妻にし、親と離れて暮らしていた。
祖父の家に泊まりに来た少年の私の遊び場がたまたま、叔父のかつてのバーだったのだ。

おそらく、彼の人生は基本的には変わってはいなかったのだと思う。
バブル最盛期、「モト、オジサンはな、60歳になったら引退するぞ。引退して、オーストラリアに住むんじゃ。
そしたら、ゴルフと酒三昧だぞ!がっはっはっは!」と、よく私に言っていた。
当時の私は、「なんでまた、オーストラリア?」とも疑問に思っていたのだが、60年間も雪山にイジメられながら仕事をしてきた叔父にとっては、
雪の降らない常夏のオーストラリアは、なにか人生への復讐みたいなものであったような気がしないでもない。
引退して、オーストラリアに住むんじゃ。

しかし、結局、67歳で死ぬまで現役であり、オーストラリア移住どころか全ての兄弟が町を去って都会に行ってしまっても、この町だけに67年間、住み続けた。
そして何よりも、「引退」どころか、おそらく叔父の同業者たちと比べれば、はるかに働きすぎであった。


叔父は土建会社を経営していた。
その父、つまり私の祖父が白糠町で炭焼き職人として創業した。
今の場所に引越しをしてから炭焼きの仕事が、じょじょに木材の切り出し業となり、数百人の人力と共に熊の出る山にこもる仕事へと変わる。
1987年の会社創立30周年の記念パーティに私も参加させてもらったが、叔父が高校を卒業した当時でさえ、
地下足袋をはいて雪山を歩いて現場に出勤し、食事はバケツに入った味噌汁だったということを聞かされて驚いた記憶がある。
当時、祖父は「おやじさん」と呼ばれ、1m80cm近い身長と200kg近い体重の巨漢で、いつも職員を怒鳴り散らしていたという。
私にとっては、いつも親戚中で一番たくさんお年玉をくれる優しいおじいちゃんだったから、その事実も私は慣れないネクタイをしながら聞いて驚いたものだ。

まもなく田中角栄の登場を準備したかのように、木材切り出し業は「土建業」に変わる。
その頃から、祖父の時代が叔父の時代に変わったのだろうか。
若い叔父は、誰よりも先にゴルフを始め、オールド・パーを飲み、役人のふところに入ってゆき、大きな仕事を次から次へととってゆく。

甥っ子の私が砂利道でゲロを吐いていたのを、舗装とトンネルで解消してくれたのは、叔父の仕事だ。

その内、かつて熊と戦いながら木材を切り開いていた山道までも舗装し、トンネルを掘っていった。
叔父の会社は、どんな大手土建会社よりも、山道を切り開きトンネルや橋をかけながら舗装道路を伸ばす技術に優れていたようだ。
なにしろ、まだまだバケツに入った味噌汁を食事に、足袋を履いて雪山をこいで木を切り出していた世代が山道を知り尽くしていたのだから。
景気が悪く成りだす、との予言が的中し始めたころ、叔父の会社が同業他社と比べ成長を止めなかった秘密が、そこにもあるのかもしれない。
その時期が叔父の息子、つまり私の従兄弟が大学を出て手伝いだした頃だ。
従兄弟がコンピュータで設計し、経費や見積書を作り上げ、叔父が営業し、二人で現場を見て回っていた。
作られた山道は芸術的ではあったが、都会のモノが見ると、「なぜ、熊が歩くために道路を作っているのだ!?」と、言いたくなる路線もあったことだろう。
叔父が一生懸命に作っている道路が、かつての材木切り出し業の時代のライバルであった熊のためのモノであるとするならば、なんという因果であろうか。
「北海道開発」という役所の名称が、なにか趣味の悪い冗談のように聞こえてきた時代になってしまっていたのだ。
もうその頃になると、土木工事も飽和状態になってきていたのだろう。
管内の土建会社は倒産したり、合併したりし始めた。
しかし、叔父の会社は苦しいながらも、常に銀行から優良企業として役員として迎えられたりしていた。
もちろん、それは叔父の過労が背負っていたのだと誰もが知っていた。
叔父の会社も一時期は役人OBを採用したりして、努力とは違った「営業」も試していたようだと思う。
しかし、もう談合の時代は去り、さらに厳しい談合すらできない時代になってしまっている。
その時に求められるのは、トップの「仕事」に他ならないのだ。

叔父は新年の挨拶回りを繰り返し、この日も留萌で役所回りをしていた。
「さびしさ」という単語が出たので、どうしたらいいか判らなくなったのでした。
猛吹雪だから、留萌に宿泊することも恥ずかしいことではないのだが、
翌日の地元信用金庫の新年会に合わせた準備と仕事の片づけがあり、暗くなってから留萌を自分の運転で出た。
日本海側から山に向かって叩きつける細かい雪の嵐は、そこに後からやってきた人間を試すかのように必要以上に厳しい。
留萌から長時間、猛吹雪の中、走り慣れた一本道を慎重に北上し、
もうすぐ自宅だ、という三叉路を曲がり、150m走ったところで、叔父の車は雪山に刺さっていた。
エア・バックは出ていなかったので、車が止まった時にはまだ意識はあったのかもしれない。
そんな状況だから、警察は死体の解剖を求めた。

死因;急性心筋梗塞
死亡時間;午後8時30分。

第一発見者は、非番の消防職員だった。車のナンバーを確認に町に電話すると、すぐに叔父の身元が分かった。
車のナンバーだけで多くの町民が誰か分かる男、だったのだ。


午後8時50分。
私の家に叔父の息子から電話が来た。
「パパが死んだ。警察が遺体を解剖するそうだ。原因は、わがんね。」


翌朝、能天気な青空に笑われているかのように私はスムーズに叔父の家に着く。
「沼田の久保です。みなさん、お世話になります。」と、茶の間に並ぶ人々に、土下座をする。
「おお、久しぶりだじゃ。」叔父の会社のベテラン社員か。
少し遅れて、私の母が玄関でコートを脱いでから入ってくる。すると、すすっと白髪の男が近寄ってきて、両手を握り、
「ねぇさん。すまん。」と言って絶句。
叔父の同級生だ。もちろん、彼の責任でも無い。母は彼の「ねぇさん」でもない。しかし、そう彼に言わせる人生を叔父が作ってきたのだ。
叔父の、社葬の案内。
私は多くの人に会った。
死の直後だ。誰も悪口は言わない。それがアタリマエだ。
しかし、私には分かる。
完璧な「幸福」が存在しないように、完璧な「不幸」は存在しない。
彼らが口にしないことも、私が知らないこともたくさんあるだろう。これからも、ずっと。
それでも、ここ、この冷たくなった叔父が横たわる部屋にいる人たちは、全員、今、叔父のことを考えている。
おそらくは、この小さな日本の北の町の町民のかなり多くの人も、今日ばかりは確実に叔父のことを考えている。それは間違いではない。
そして叔父が死んだ今、それが褒め言葉でも悪口でももう関係ない。

もし私が叔父の姉の子供でなかったら、包み隠さずに、叔父の口から直接聞けた面白い「不良」話も無数にあったことだろう。
もしかしたら、もう10年後、叔父が本当に「引退」した後、少しづつ減った親戚を集めて叔父がゆっくり語るはずだった時間で、
叔父の楽しい「告白」が聞けたかもしれなかった、とも思う。
兄弟の中では珍しい口下手の叔父だからこそ、いつかじっくりとオールド・パーを飲みながら語り明かす時が来るものだ、とも思っていた。
しかし、その相手として私自身はまだまだ役不足であると尻込んでいたのも、もう一方の事実である。

ああ、そうだ。
叔父は「兄弟の中では珍しい口下手」であったのは事実だが、よく考えてみれば、上2人、下2人の女4人に囲まれた男は彼だけの姉妹だったのだ。
別に男が「家系」を背負う義務も理由も無いが、他人には分からぬ責任感が寡黙な叔父にはあったのだろう。きっと。
叔父が最後に戻ろうとしたあの一本道を、私の母が片道切符で南下した40数年前以降、叔父の姉妹は順番に皆、南下して行った。
姉妹の誰もが一本道を南下する時に片道切符だったのに、叔父はちゃんと最後まで往復切符であった事実が、私には偶然ではないような気がする。
そして叔父の町には、叔父だけが残ったのだ。
おしゃべりな姉妹の横でいつも静かであった叔父が、姉妹のいない町では、どんな話っぷりであったのだろうか。

生き残った人たちの叔父への思いを、これから私は聞いてゆくことだろう。
そして、そこでまた私は叔父に再会する。

それが、人生の おまけ なのだ。


叔父の身長は185cmだという。
従兄弟に、「お前は何cmだ?」と聞くと、「おれか?181cmだ。」「ふーん。結局、最後までお前はオヤジを抜けなかったってわけか。」「……。あはは。」

「まいったでや、モトちゃん。イナカ町だから、185cmの人が入るサイズの棺おけが無いでや!」

今、北国のイナカ町では、町中の最高の大工を集めて、叔父が入る棺おけが夜通し徹夜で造られている。
葬式は夜明け後だ。
最高のカンオケを造れ。
金に糸目は、つけねぇ。

★クリックすると、♪言葉のインタラクティヴ!田原書店 2006年1月14日 3:32Pm

 14日、朝。なにげなく、いつもの習慣で、ミクシイを覗く。
 マイミク「AB-ST」さんの「人生の おまけ」に、強い印象を受ける。

 「日本海を左手に北に昇る国道」とは、国道232号線のことか。
 なら、ついこないだ、2005年12月30日・2006年1月5日、走ったばかりだ。
この季節・この冬には珍しく、行き帰りとも好天・路面状況もよく、快適なドライブだった。

 「AB-ST」さんの文章には、北海道の地方で見られた・見られる社会風景が、見事に描かれている。
 
 自分は、この百年の北海道は、村落部で新しい身分制度が固定化された時期だと思っている。
 「AB-ST」さんの文章中の、
不幸にも雪中の車中に亡くなられた人は、その身分制度の上に立つ大立者。
その手の人が地域に貢献し、
その人のおかげでその地域で暮らしていける人間が存在することは間違いない。
 一方で、その地域の生活が固定化されると同時に、その地域は閉じる。
隠然と存在する身分制度に耐えられない・組み込まれない人間は、都市(北海道だと札幌圏)に移住し、
その地域の過疎化がまた進む。過疎化とともに大立者の役割はさらに大きくなり、
結果、過疎化のスパイラル現象の一助となってしまう。
手を合わせる意味。視線は残った、か?
 地域は「文化的」に活性化されるべき、だとは誰もがいう。
 でも、それじゃ「食えない」んだよね、とも誰もがいう。

 利尻、もそうだ。
 江別、も一見都市の顔をしているが、そうだ。
 札幌だって、もしかしたら・・・?

 反語的な物言いになってしまうが、今一番「身分制度」から自由なのが、関西方面だろう。
 身分制度が「隠然」としていない分、
明らかに見える身分制度を無視するものは無視して自分の道を進めばいいし、
固定された身分の中にいる人間はその中で生活していける確立した「伝統」を足場に生きていけばいい。

 北海道の「隠然とした身分制度」をしっかり現実として直視・受けとめない限り、
北海道の経済の停滞は止まないし、コンテンツ系のベンチャー企業なんて育ちようもない。



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 「AB-ST」さんの「人生の おまけ」はまた、北海道の「雪」についての文章でもある

 実は、この冬、一番びっくりしたのは、利尻島への帰郷で、
上の国道232号線から道道(どうどう:北海道管理の道のことね)106号線あたりを
北に走っていたときのこと、なんと、オートバイや自転車でツーリングしている人間が多数いたことだ。

 特に、道道106は、天塩から稚内まで、日本海沿いの45キロほどの道路で、沿道に人家もなく、
天候次第では車両の通行も禁止される。自分も、海からの強風、吹雪の吹き溜まりが怖いので、
冬場は内陸の国道40号線(札幌圏に帰るには距離的・時間的に遠回りになる)を利用することが多い。
地元の人間は天気の悪いときはまず利用しない(遠距離定期バスが強風で横転、なんてこともあるのだ)。
 そこを、冬、暖房の効いた自動車以外で走るのは、自殺行為としか思えない。
死ぬのはまあそいつらの勝手だが、死の間際に携帯電話で救助を求める、なんてのも勘弁してほしい。
道半ばに、雪中の車中で亡くなる地元の人とはまったくわけが違う。

 その一方で、北海道でコンテンツ制作者・企業家として生活していこうとするのは、
冬の道道106を自転車で走るのと、大して変わらないのかな、とも思う。
 北海道の新しい「身分制度」をそれはそれとして受け入れている人には、
田原の行動は「道道106、冬の自転車乗り」に似て奇矯に映るかもしれない。

 田原が、「道道106、冬の自転車乗り」と多少なりとも違うとすれば、
田原には到着点がないこと(作れなくなったときが「到着点=死」のときだ)、
行為そのものの満足感だけではなくもしかしたら他人の心に残るかもしれない成果物を
形として残していけることぐらいだろう。
 もう一つ、道半ば「遭難」しても他人にあまり迷惑はかけないで済むということか。

 さらにその一方で、「隠然たる身分制度」には、ちゃんと立ち向かわなくてはならない、と思う。
 なかなか勝ち目はないけど、戦いは続けなくちゃ。
 
 どうなったら勝ちか?
 間違いのない作品を世に出すこと。
 それで食べれるようになること。
 田原が死んだ後も、企業体としてコンテンツ制作が続き、そのことで幸せになる人々が存在すること。



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 北海道の冬は悪くない。
 雪も、好きだ。

 そこで、ここで、生き延びなくちゃ。
差出人 : ♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To Diejimono

送信日時 : 2006年1月15日 0:03Am
宛先 : 久保AB-ST元宏


こんばんは。
jimonoです。

橋場さん、亡くなったんですね。
共犯一面見ました。
久保さんの記事を読んで
橋場さんとの思い出+そうだったのか
=改めて橋場さんのこと
思い起こしました。

早すぎますね。

青木さんとか菊池さんとか藤田さんとか
橋場さんとか
古丹別の元ヒッピー、
ミッドナイトランブラー社長さん達とは
11年間で
すっかりお世話になりました。
人口の少ない田舎でありながら
世界の首根っこを
ブン回しているような痛快な面ばかりが
飲んだ時の
彼らの口から出るわ出るわ。
その一方でのオーバーワークは
全然そんな素振りすら
感じられませんでした。
理解してませんでした。
う〜ん、なんというか...。

橋場さんのご冥福を祈ります。

おろろん街道の冬もごぶさたでした。
私は羽幌から古丹別まで
毎日通っていたので、
あのあたりの吹雪の運転の凄まじさを
久しぶりに思い出しました。
あの空間は本当に誰かに伝えたいと
高校生の時から思っていましたが。
稚拙ながら15年くらい歌っている
以下のような唄を
意味も無く披露します。


♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To Die『馬賊のダンス』

冬の
北の
ウミは
うごめくアスファルトのよう
イキカウ
人のココロを
ガチガチに凍らせちまう

ちぎれたクモが
ソラをすっとんでく

弱気なキミの一日を
クロく包み込む

カゼが
嵐をツれて 
フブキを巻き起こす
シロい
真昼のウネり 
クルマごと閉ざされちまう
ウズ巻く雪の
真ん中をスり抜け
海の向こうへイザナう
馬賊が見えるのだ

馬賊のダンス

アサも
ヒルも
ユキ降り
マチはすっかり下敷き

クラい
ヘヤで足踏み 
キミの便りもにじんでる

俺は
オレの 
シナリオを書き続ける
吹雪のヒルに彷徨う 
馬賊のマボロシ

馬賊のダンス


近いライブは2006年2月5日(日)、
akillerさんも出ていた
STVラジオのパーソナリティーの方の
主催されている『極太ライブ』です。
録音機材も共同購入し、
ザ・バンドのまねして
秋ごろまでに
自主制作版を出そうと計画しています。
それでは。

追伸:橋場さんの息子さん
消防士でしたよね。
元気かなぁ。



あ・けましてー・にゅーいやー。
そんな久保@43歳です。

■新年早々、HP『共犯新聞』1面に、
アラバマ娘の
エミリー嬢が書いてくれた
Medeski, Martin and Woodのライブ報告記事を掲載したんだけれど、
そのエミリーの記事が、某限定エリアで大盛り上がりしています。

実は、そのバンド、Medeski, Martin and Woodっーのも、
けっこーマニアックなジャズ(?)バンドなんだけど、
このバンドを追っかけて全国を回っている
音楽業界関係者の集団(?=もしくは、音楽好きの遊び集団)があって、
彼らは実際、ライブの8時間前に
Medeski, Martin and Woodのメンバーと一緒に
定山渓温泉で2時間の露天風呂を(!)を同行したり、
それを音楽雑誌にレポートしたりしているんだけど。

で、バンド自体がちょっとマイナーなためか、
ネット検索をしたら、ひっかかったのが『共犯新聞』らしい。
しかも、その添付しているエミリー撮影の写真に偶然、
観客としてフロアで踊っている彼らが撮影されていた!
で、mixiとゆー会員制のHPで、大盛り上がりしているよーです。

■こーゆーのを、
「犬も歩けば棒にあたる」
っーんだろーか?
戌年だけに。


Every dog
has
New stick
!
GoD
IS
DoG

( If you want it )

久保元宏からの
2006年、新年の
メッセージ
犬という近親憎悪。
Which is the boss ?
pic by 竜馬
カードが降る。
Motohiro Kubo
2006年1月1日 43歳


平和

悪意

ロックンロール

■まぁ、インターネットの時代は人類が「棒にあたる」可能性を爆発的に広げた・と、言えよう。

■そー言やぁー、2005年1月5日、午後7時ごろ私の父が新年会の帰りに酔っ払って転んで、足を骨折した。
新年会の一次会が終わった直後だったので回りに人がいたおかげで、恥ずかしさ半分&便利さ半分で、親切な亀谷クンがケータイで救急車を呼んでくれた。
即、入院。
右足のスネの部分(=弁慶の泣き所・泣く〜)をポッキリ。

救急病棟の整形外科の三上先生から3枚のレントゲンを見せられながら説明を聞く。
私は正月休みに柳田邦男『脳治療革命の朝』脳低温療法を読んでいたので、
少々、病状説明言語に慣れていて、その”コトバ使い方法”を興味深く聞けてラッキー。
特に興味深かったのは、飲むの?出すの?「今夜一晩で牛乳パック1箱分の血が内出血します。」とゆー言い方。
まぁ、つまり、「1リッターの血」なんだけど、それを「牛乳パック1箱分」と自然に説明する技術を身に付けている点。
これを柳田邦男『脳治療革命の朝』を読んで知った生半可(がくっ)医学と照合すれば、私の脳味噌の中で、
「骨折よりも、一晩で1リッターの内出血による化膿のほうが恐ろしい。」とゆー理論。
おっ。んじゃぁ〜、冷やすんだねー!
で、ワク&ワクして病室に移動後に確認したら、やっぱ冷やしていた。
トイレに行くのがつらいねぇ〜。
翌日、つまり6日、再び見舞いに行くと、骨折した足がパン&パンに腫れていた。
おおー。この内側に「牛乳パック1箱分の血が内出血」してんだなぁー。
足がハデにハレたおかげで、もう父は昨夜の新年会前からはいていたステテコが脱げない状態になっていた。

不運にも翌日から成人の日を含む連休で、手術は来週の火曜日以降となった。
入院1〜1ヶ月半、全治3ヶ月、らしい。
問題はくるぶしに近い部分の細い骨のヒビだ。
かかと周辺の関節の骨に影響する損傷があれば、関節にボルトを入れることになりそうだ。
それがなくても手術の基本は、ヒザの下から切開して骨に近いサイズの棒を差し込み、骨を補強するという方法。
骨の完治後は、この棒を抜く。
■その説明を医者から聞きながら私は、
「あっ」と、思った。
父は1934年生まれ。戌年だ。
歩いていて、転んで、棒をもらうこととなった。
しかも、新年早々。

犬も歩けば棒あたる。
とは、このことか。


がくっ。って、骨折の音?
新年早々・・・。

■んで、1月11日午後2時30分〜6時30分、手術が無事終了。みなさま、新年早々、色々とご心配をおかけいたしますが、ご安心くださいませ。
久保元宏・作★スノッピ町内会
2006年1月31日発行の『スノッピ・カード新聞』第19号より。
まぁ、くだらんマンガですが、
登場人物が沼田町内の実在しているモノたちなので、
地元のヤツラには、そこそこ(?)うける。
まぁ、うちわウケっすが。
おかげさまで、
父も元気です(?)。

■2006年の正月早々、右足を骨折した私の父ですが、
なんとか手術も1月11日に無事に終わり、
今は松葉杖の練習中でございます。

トイレに行くのが、つらいねぇ〜。

■まぁ、『共犯新聞』愛読者の皆様には、
あまりカンケーない話題ですみません(がくっ)。
実は今日発行の新聞マンガのネタに使ったので、
報告まで。
このネタ、『共犯新聞』ご常連であればご存知の
「犬も歩けば棒”が”あたる」の私の父の骨折。
入稿したら、編集から
「いいんですかぁー?このオチ?」と聞かれたが、
いいんです。

■さらにカンケーないけど、今朝、灯油の配達中、
タンク・ローリーを運転しながら、
NHK−FMを聴いていたら湯浅学が出てきて、
フランク・ザッパの1Stアルバムの講釈をしていた。
ザッパもいーけど、ユアサも、いい。
これ、今週、毎日放送されるよーだ。
要チェック!かも。
でも私、家の中でラジオが聴けないのよ。とほほ。
灯油の配達は、ふつーは社員がやってくれるしね。
まぁ、流れにまかせましょ。がくっ。
あ、明日はストーンズの発売日だ!いよいよ。
こればっかは、きちんとせねば。
なんせ、成り行きオヤジなもんで。