ピンクのクマのプールで、さっちゃんと。I'll follow you wherever you may go!
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moto_kubo@hotmail.com
17
March
is
A
St.
Patrick's
Day
!
★The Real St. Patrick, Bishop of Ireland♪
The Real St. Patrick,
Bishop of Ireland
セント・パトリックス・デーとは?
3月17日は、ケルト文化の国、アイルランドの守護聖人、聖パトリックの命日。
彼は4世紀末にウェールズ(スコットランドという説もある)の裕福な家庭に生まれたが、
16歳のときに盗賊一味にさらわれて奴隷としてアイルランドに売られ、羊飼になり働いていた。
やがて脱走してアイルランドを離れるが、聖職者となった彼はアイルランドへの布教を決意し、
48歳で再びこの地へ渡り、アイルランドにキリスト教を広めた。
現在アイルランド共和国の9割の国民がカトリック教を信仰しているのも、聖パトリックのおかげ

セント・パトリックス・デーには、ダブリンやニューヨーク、ボストン、サンフランシスコなど
世界各国の大都市で、アイルランド人やアイルランド系移民が集って、
歌や踊りに彩 られたパレードで行進したり、
典型的なアイルランド料理「Corned Beef & Cabbage」を食べたりして、
故郷アイルランドとその守護聖人の命日を祝う。

この日ばかりは、アイルランド出身でない人も国籍を越えて、
緑色の何かを身につけて出社したり登校したりするのが一般的。
この習慣の徹底ぶりは、名物の黒ビールすら緑に変えて飲む。クッキーや砂糖も当然、緑色!
アメリカのシカゴは川の水の色まで緑色に染めてしまうほど。

どーして、アイルランドの色は緑なの?
アイルランドの国花は、三つ葉のクローバーに似た緑色のシャムロック
バスや郵便局、飛行機などアイルランドでは、どこでも緑色がデザインに使われている。
アイルランドと緑色は切っても切れない縁で結ばれているのだ。
アイルランド人は緑がお好き♪Dance!
■聖パトリックがカトリックを布教
したために、アイルランド人は
アメリカに移住すると
プロテスタントから迫害を受けた。
映画『ギャンブ・オブ・ニューヨーク』は
そんな二つの宗教の対立がテーマ。
キリストは血が好きなのね。
★キャプテン・ブッシュさまの登場♪←おっす!おいら、ブッシュくん。
みんな、ちゃぁ〜んと緑色を着ているかな?
3月17日は、グリーン・ベレーだゼ!Yeah!
でも、おいら、プロテスタントなのよ。
アメリカの民主党のカトリック野郎どもは
戦争反対らしーが、初代カトリック大統領の
J・F・ケネディ大統領だって
ベトナム戦争を始めたのさ!
なぬ?国家予算は危機的な大赤字?
気持ちは赤信号より、グリーン・ライトさ!
ブッシュBushって雑草&森林っー意味だし。
■ブッシュ大統領はアル中から抜け出した後、再洗礼を受けた敬虔なプロテスタントだ。
政策は宗教右派の強い影響下にある。宗教右派は、キリスト教にも関わらず、
なぜかイスラエルを強く支持し、パレスティナ問題への強硬策を支持しているが、
ユダヤ人に言わせると、宗教右派の狙いはイスラエル支持というよりは、
中東で紛争を起こさせ、ユダヤ教とイスラム教の両方を叩くことらしい。
ブッシュ政権内では、アフリカ系黒人女性のコンドリーザ・ライス大統領補佐官
(国家安全保障担当)がこの集団の影響を受けているとされている。
coltrane、好き!Icon緑色の歌といえば「♪グリーン・スリーブス」
■ イングランドの最も古い民謡。エリザベス朝時代によく歌われ、シェイクスピアの劇 の中でも2回ほど言及されている。
「グリーンスリーブス」とはヘンリー8世の愛人の名前であり、独身男性が既婚の女性を慕っている「宮廷恋愛歌」とゆー説がある。
 「Greensleeves」、つまり「緑の袖」とは、緑という色には、元来、「不倫」という意味があり、
例えば、緑が不倫を意味するならば、青は純愛を意味しており、黄色なら敵意を示す等といった意味を持つとされている。
■ 『グリーンスリーブス』の別名は「ボーダーライン・バラッド」。ボーダーラインつまり国境とは、イングランドとスコットランドの国境。
最も古い資料の記述、「A New Northern Ditty of Lady Green Sleeves」は、北部国境地帯で歌われていた事を意味している。
ここで言う「北部」とは、イングランドの北部という事で、16世紀においてはまだイギリスは、イングランド王国とスコットランド王国に分離しており、
地理的には特にウェールズ地方に位置しており、ケルトの血の流れをもつこの地では、非常に美しく印象的な名曲を多く産み出している。
エリザベス朝においては、この地方は危険地帯とされており、住む人間は野蛮で粗野で荒々しく、イングランドの法も及ばぬ無法地帯であった。
■しかし、この「無法地帯」で生まれ育った曲が素朴で悲しく美しい「グリーン・スリーブス」である事実が、歴史記述を疑わせるのに充分だ。
ジョン・コルトレーンは1961年インパルス初録音の名盤『アフリカ・ブラス』で「グリーン・スリーブス」を録音。
その後、コルトレーンは脳味噌も溶けるフリー・ジャズに突入するが、それでも「グリーン・スリーブス」は演奏し続ける。まるで平静を保つための指標のようだ。
Icon2003年のアカデミー賞は、アイルランド移民=カトリックをめぐる作品が目白押し!
◇◇◇ 2003年アカデミー候補 ◇◇◇
2003年2月11日、5候補が発表。『シカゴ』が最多12部門(13候補)にノミネート。授賞式は2003年3月23日
最優秀映画候補
・The Pianist (『戦場のピアニスト』)
・Gangs of New York
・Chicago
・The Hours ←[GoldenGlobe受賞]
・The Lord of the Rings: The Two Towers
助演男優賞
・ポール・ニューマン (『ロード・トゥ・パーディション』)
・クリス・クーパー (Adaptation) ←[GoldenGlobe受賞]
・クリストファー・ウォルケン(『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』)
・エド・ハリス (The Hours)
・ジョン・C・ライリー (Chicago)

■『戦場のピアニスト』は、ナチスによるユダヤ人虐殺の映画。ユダヤ人国家=イスラエル擁護よりは、戦争が作る日常の狂気を描いた映画と思いたい。
■『ギャング・オブ・ニューヨーク』は、アメリカ建国以来のアイルランド移民と、WASP(ワスプ=白人・アングロサクソン・プロテスタント)の殺し合いの歴史。
■『ロード・トゥ・パーディション』は、『ギャング・オブ・ニューヨーク』よりやや現代に近い過去のアメリカのアイルランド系ギャングの一族の物語。
■『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』は、『ギャング・オブ・ニューヨーク』と『ロード・トゥ・パーディション』で主役のアイルランド移民を演じた主役2人の競演。
■最多ノミネートの『シカゴ』の舞台のシカゴは、アメリカで最もアイルランド移民が多い街。
↑まるで、ブッシュ大統領=プロテスタント VS アイルランド移民=カトリックのよーじゃないか?
★The Real St. Patrick, Bishop of Ireland♪St.Patrick's Cathedralニューヨークのド真ん中、5番街に堂々と立っている、セント・パトリック大聖堂。NY911テロ事件後、毎日、花束で彩られています。



2013年11月6日 水曜日 午後11時48 分知らないところで。気温10.7℃ ←■日本経済新聞で、地味〜に(?)井村君江・明星大学名誉教授「英国の妖精画・十選」、連載中なの気付いてるかな。


Celtic.ケルト ケルト語 

a Celt.ケルト人

the Celts. ケルト民族


★日付をクリックすると、♪好きな時代に行けるわっ♪あん♪アン♪歴史から飛び出せ!
たとえば→1月30日の歴史
わたしのうえで。銃をとって叫べ!
繰り返す言葉と歴史と愚かさと、賢さ。 sunday
bloody
sunday
死者は語る。永遠に。おしゃべりな死体は、生きているお前の行動を見つめている。
忘れない、という闘い方。

★日付をクリックすると、♪好きな時代に行けるわっ♪あん♪アン♪歴史から飛び出せ!
★たとえば→12月6日の歴史★
♪自由の夢を
イギリスがアイルランドを自治領と認め
アイルランド自由国が成立。
ただし、
北部アルスター地方の6州(北アイルランド)は
イギリスに留まる。

★キャプテン・ブッシュ♪
元々1766年にアメリカ軍に仕えていたアイルランド人が、アイルランドの守護聖人パトリックのために始めたのがニューヨークでのパレードの起こ りというだけあって、行進するグループに軍服姿が目立つ。と言っても、お祭りなのでみんなリラックスしていて明るい。歩道の両サイドに置かれたバリケード 越しにお母さんが行進している軍人の息子に声援を送り、一緒に見に来ていた友人だか親戚の人に、"Um〜, he dose good." とご満悦の押し売りをしてたりするのを見るにつけ、親バカは世界共通で、盛大なパレードとはいうものの、結構身内の愛の結集なんだと感慨深く思ったりす る。
The St. Patrick
You Never Knew

He didn't chase the snakes out of Ireland and he may never have plucked a shamrock to teach the mystery of the Trinity. Yet St. Patrick well deserves to be honored by the people of Ireland?and by downtrodden and excluded people everywhere.

By Anita McSorley

★The Real St. Patrick, Bishop of Ireland♪St.Patrick's Cathedral
 5番街の中、ロックフェーラーセンター近くに堂々と立っている、セント・パトリック大聖堂。テロ事件後、ここは毎日のように花束で彩られています。
John Mayer
JOHN MAYER
この男、本当に23歳の若者なのだろうか?これが私が彼の音楽に対して抱いた第一印象であった。なにせ、各楽曲の成熟っぷりに目を見張る。どこぞのベテラ ンミュージシャンかと思うほど。。特質すべきは彼の声!少ししわがれた、それでいて柔らかに聴く者を包み込むような包容力満点のあの声には、渋声好きの私 にはたまらない。そこへブルースギタリスト特有の指さばきが奏でるアコースティックギターの芳しい感触が加えられ、John Mayerの世界は唯一無二の色を放つのである。心の漣をゆっくりとゆっくりと掻き立てるようなメロディー、アメリカに住む、普通の若者が送る日常の一場 面を切り抜くリリック、そして(しつこいようだが、)あの声。だからそう感じたのである。この男、本当に23歳の若者なのだろうか?と。


John Mayer、彼はアメリカ、アトランタ出身のシンガーソングライター。13歳でブルースギターに没入し、その2年後にはすでに地元のブルースバーのステー ジに立っていたという。19歳、それまではブルースギタリストとしての道を歩んでいたのだが、ここで彼は難しいギターテクニックを駆使して他人が弾けない ような曲をプレイすることよりも、たくさんの人々が聴きやすい音楽を生み出すことが自分にとって重要であることを認識し、ソングライティングの勉強のた め、ボストンの音楽学校に入学するも早々に退学(John Mayer曰く「音楽は勉強するものじゃなくってプレイするものだってことが分かっただけでもメッケモノだったよ。」)。1999年、デビュー作” Inside Wants Out”をリリース。地元のプレスからはこのころからすでに注目されていた。そしてメジャーデビュー第一弾アルバム”Room For Squares"が2001年にリリース。Sting、Jakob Dylan(Wallflowers)、Dave Matthews(Dave Matthews Band)などを引き合いに出されるJohn Mayerの圧倒的なボーカルとブルースギター特有の芳しさをポップの土壌に導き出す彼の才能が、ここに結実し、キャリアが、ここから始まった。


彼の才能はとにかくずば抜けている。ギターテクニックはもちろんのこと、ボーカル、ソングライティングの完成度といったら本当に去年メジャーデビューした ばかりの新人ミュージシャンとは思えないはずだ。しかし、ここまで私が惚れてしまったのはやはりどの曲も聴きやすいから。そう、それが一番。 (by Leo) John Mayerのオフィシャルサイト
www.johnmayer.com
John Mayer関連のニュース
・MOM's Pick Up Artist [ File.1 ]


John Mayerの所属レーベル
・Aware

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ディスコグラフィー
Room For Squares
01年にリリースされたメジャーデビューアルバムがこれ。一曲目の”No Such Thing”冒頭で刻まれるギターの音を聴いただけでビビビビッと来ましたね、私。アコースティックギターを中心線として、抑え気味なのに情感たっぷりの ベースがサウンドを支え、プロデューサーのJohn Alagiaの繊細なアレンジが各曲の目鼻立ちを整える。そして極めつけが全てを包み込むようなボーカル。まさに職人達のカーニバル!2曲目”Why Georgia”前半のギターが表現する、まさに清流の流れのような流麗さ、3曲目、涙を誘うサビ、4曲目、薄霧の向こうから聞こえてくるようなボーカ ル、5曲目、ネオン街の官能の匂いを振りまくアコギのリフ、、、etc,etc。とにかく一聴してたもれ!そして彼のメジャーデビューを一緒に祝いましょ うゾ!! (by Leo)

St. Patrick's Day

Here, comes the cold.
Break out the winter clothes
And find a love to call your own.
You...enter you.
Your cheeks a shade of pink
And the rest of you in powder blue.

Who knows, what will be?
But I'll make you this guarantee...

No way November will see our goodbyes
When it comes to December it's obvious why
No one wants to be alone at Christmas time

In the dark, on the phone,
You tell me the names of your brothers
And your favorite colors...I'm learning you.

And when, it snows again
We'll take a walk outside
And search the sky, like children do (I'll say to you..)

No way November will see our goodbyes
When it comes to December it's obvious why.
No one wants to be alone at Chrismas time.
Come January, we're frozen inside.
Making new resolutions a hundred times
February won't you be my valentine?
And we'll both be safe till St. Patrick's day.

We should take a ride tonight around the town
And look around at all the beautiful houses.
Something in the way the blue light's on the black night
Can make you feel more

Everybody it seems to be,
Just wants to be, just like you and me

No one wants to be alone at Christmas time
Come January we're frozen inside
Making new resolutions a hundred times.
February won't you be my valentine?

And if our always is all that we gave
And we someday, take that away
I'll be alright...if it was just till St. Patrick's Day.


★The Real St. Patrick, Bishop of Ireland♪
The Real St. Patrick, Bishop of Ireland

Background material by Fr. Kristopher and Matushka Elizabeth Dowling
(Miscellaneous nonsense in parenthesis and extensive editing by Steve O'Wozniak)

St. Patrick was born in the late Fourth Century. At sixteen years of age, St. Patrick and many others were kidnapped from the family estate by the seven vengeful exiled sons of a king of the Britons.16 歳で、 St. Patrick 、及び、多くの他のものは、英国人の王の 7 人の執念深い追放された息子によってファミリー地所から誘拐された。
This happened after Rome required that all Briton soldiers under Roman authority go to Rome to defend that city from barbarians, leaving Britain without an army or police force. Many acts of violence and greed were recorded at that time in Britain (although no mention was ever made whether or not the local pubs remained open!).

Soon after St. Patrick's father was killed and his sister mysteriously disappeared, St. Patrick was sold into slavery in Ireland. His life immediately changed from youthful simplicity into an inspirational journey.

St. Patrick's escape from slavery was accomplished with miracles. He was visited in a dream by an angel in the form of a bird, Victor the Conqueror, who arranged a miraculous escape. Patrick said that he needed his master's permission to go home. His master required a ransom of gold as large as his head. The angel told Patrick to follow a boar (not to be confused with a "bore" as in "Rusch Limbaugh"). The boar began digging for roots in the ground and found (a pot of???) gold!

The angel then took him to the seacoast sixty miles away to meet a ship. Unfortunately, the lord of the port sold Patrick to others (no "Luck of the Irish" here!). Then the fee, a set of brazen cauldrons, tormented the betrayer and his family. When they were admiring the cauldrons, their hands stuck to the metal (similar to a child sticking his tongue on a frozen fire hydrant during winter!). The lord of the port repented and was forgiven by Patrick. He converted to the will of God, ransomed Patrick from the slavers, and sent Patrick home. Later, he was baptized by Patrick when St. Patrick returned.

St. Patrick had been a slave for six years. During that time, he had a dream that he must preach the Gospel to the Irish. Victor (the bird angel... er... angel bird???), told him to seek an education first. He was taught by St. Germanus of Auxerre who lived close to the Mediterranean Sea.

The town of St. Patrice in France claims that it was once visited by St. Patrick during a particularly harsh winter. One evening, St. Patrick was tired and cold, and he slept under a frost-covered thorn tree. Suddenly the tree burst into soft, heated blooms above him that kept him warm. For the rest of the life of the tree, the "Flowers of St. Patrick" bloomed during December. French archaeological and agriculture societies have researched the truth of this phenomenon. (They may also be responsible for bestowing sainthood to Jerry Lewis?).

St. Germanus took his destined-for-fame pupil to Britain to save that country from the "Error of Pelagius". (As you probably already know being the worldly person that you are), the "Error of Pelagius" was the belief that we may attain salvation through our own efforts without God's help, as if the image of God in us were completely separated from the help of the Holy Spirit. This heresy is seen today in mistaking the Holy Spirit for the whims or emotions of the mob (and perhaps was a precursor to the "National Enquirer"?).

St. Fiacc records the work of St. Patrick in Britain under St. Germanus to show the development of his saintly leadership. In his "Confessio", St. Patrick does not mention this perhaps because the focus of his life's work was in Ireland. St. Germanus, with a group of priests that included St. Patrick, traveled through Britain convincing people to turn to God, and throwing out the false priests of Pelagius known as snakes (you just knew that "snakes" would have to appear somewhere in this essay didn't you?). St. Bede records in his "Ecclesiastical History of the English People" that this was accomplished by great miracles of healing. St. Patrick suggested fasting to turn one city from their heresy. Unfortunately, the residents refused and three days later the earth swallowed the entire area (no appeals to a higher court were allowed during this era!).

A few years later, St. Patrick went to the island of Alanensis in the Mediterranean Sea to pray. During this visit, he was given what was believed to have been Jesus Christ's own staff (a stick, not his 12 disciples) on Mount Arnum to hold him up. An engraved stone on the side of the main monastery of the island records that St. Patrick, Apostle of Ireland, came there to study the sacred sciences in preparation for his mission to Ireland. Much later, the staff (still the stick) of Jesus Christ was publicly burned in Dublin in 1538 during the reign of King Henry VIII of England.

At the age of sixty, St. Patrick went back to St. Germanus in 432 to tell him of the vision and the staff. He was then sent to visit the Pope, and was consecrated. At the moment of Patrick's consecration, the Pope heard the voices of the children calling, "Come St. Patrick and make us saved." Later, when St. Patrick baptized the children they said to God out of their mother's womb, "All of Ireland cries unto you."

Also in 432, Easter coincided with the Druid (pagan guys similar to the people involved in the never-ending/nobody cares Washington scandal investigations) festival. No fire was supposed to be lit except the new lighting of the pagan fire. However, St. Patrick lit the Easter fire first. The tradition warned King Laoghaire that if that fire were not stamped out immediately, it would never be extinguished. Fearful of this, the king invited St. Patrick to Tara the next day. While St. Patrick was reciting his prayers on Easter Sunday, King Laoghaire stationed soldiers along the road hoping to ambush St. Patrick. St. Patrick went with eight young clerics whom he gave his blessing before they began their journey. A cloak of darkness then went over them making them invisible. The enemy waiting to ambush the travelers instead saw only deer. (Scully and Mulder, where are you?).

St. Patrick was called by the Lord and sent to Ireland. He taught that the Trinity is ever with us to sustain us, even when all is misery. He knew this from firsthand experience. He taught that God loves everyone, despite the buffetings of the world (even El Nino!).

St. Patrick was diligent until the day he died. He dispelled iniquity, preached, baptized, prayed, and constantly praised God with Psalms. It has been recorded that he sang one hundred Psalms every night. It has also been written that he slept on bare flagstone with a wet quilt about him, and that his pillow was a pillar stone (obviously he must have slept alone quite often!).

The people of Ireland used to worship "si-de"... spirits. They did not believe the true Godhead of the true Trinity. But when St. Patrick was finished, all of Ireland believed in the Holy Trinity, believed in Jesus Christ, did not follow nature spirits, and the court at Tara was replaced by the court of Christ at Armagh. In the Confessio, St. Patrick said that he was God's debtor for the great grace of baptism given to so many thousands, for the people reborn in God, and for the clerics ordained for them everywhere.

Even though St. Patrick had a very challenging life he only gave brief recognition to his problems in his writings regarding persecution, dangers to his life, and numerous plots against him. One example of this was when St. Odran was warned of danger and then pretended to be tired. St. Patrick accepted the reigns and Odran, sitting in the place of honor, was mistakenly killed with a lance that was meant for St. Patrick.

When St. Patrick became deathly ill, he decided to go to Armagh. He was met by an angel who took him to see Victor (remember... the bird angel???). Speaking to St. Patrick out of a rushing fire, Victor said, "Unto heaven thou shalt go soon. Thy prayers have been granted. The hymn thou hast chosen in thy lifetime shall be a protecting corslet to all. Those men of Ireland that are with thee on the day of doom shall go to judgment." One of the clergy remained with St. Patrick and gave him Communion. It was said that if the sun should stay still in the sky for the death of the wicked, how much more appropriate it should be for brightness to shine at the death of saints.

Ireland's clerics came to wake St. Patrick from every road. The sound of the chanting of angels prostrated them. It was recorded that the area was overrun with singing birds (including our friend, Victor).

St. Patrick's soul separated from his body after much suffering. God's angels on the first night were waiting upon it without ceasing. When he departed, he went to the other St. Patrick... of Glastonbury... called "Old Patrick" and commemorated on August 24th, because St. Patrick had promised Old Patrick that they should go to heaven together. It is said that from the eighteenth of March to the twenty-third of August, St. Patrick was with angels awaiting Old Patrick. Together they rose to meet Jesus in heaven.


Epilogue
FYI: Back in the fifth century, St. Brigid approached St. Patrick with a problem. In those days, nuns and priests were allowed to marry, and the girls in St. Brigid痴 nunnery were upset because they were not allowed to pop the question. So, St. Patrick, in his wisdom, decided to allow ladies the right to propose marriage during the longest of every four years... leap year. St. Brigid was so happy to hear this that she immediately proposed to St. Patrick! Being celibate, St. Patrick declined and instead gave her a chaste kiss and a silk dress. This led to a long-standing tradition of leap year proposals in Scotland and England that continued as late as the 1800s... a man who declined such a proposal was expected to at least offer a silk dress to the wishful lady. It also eventually led to February 29 being declared Sadie Hawkins Day.

More FYI: St. Patrick was not born in Ireland, but was Welsh. He popularized the three-leafed shamrock that he said represented the Holy Trinity. The first "St. Patrick's Day" parade was not held in Ireland, but in Manhattan (New York) in 1762.

Even More FYI: Ever wonder why many Irish names start with the letter "O"? It reflects a practice found in many cultures called "patronymic". Last names originated in the Middle Ages when men, who embodied the continuity of the family, started to be identified by their relationship to their immediate ancestors. The son of David, for example, might take the name "Davidson". The Scots used "Mac" which meant "the son of". The same applied with the Irish and the "O" which originally meant "the grandson of". One of the first to use it was Teigue, grandson of Brian, High-King of the Irish in the 11th century, started to call himself Ua Briain (Gaelic for O'Brian) after his famous grandfather.

Erin-go-Bragh-less (Ireland Forever, No Bras Allowed)!
FRANK ZAPPA / St.PATRICK'S DAY / 2CD / \5500
1988.3.17 ニューヨーク公演をサウンドボードにて完全収録。



セント・パトリックス・デーとは

マンハッタンの5番街にある聖パトリック大聖堂
3月17日は、アイルランドの守護聖人、聖パトリックの命日。言い伝えによると、彼は4世紀末にウェールズ(スコットランドという説もある)の裕福な家庭 に生まれたが、16歳のときに盗賊一味にさらわれて奴隷としてアイルランドに売られ、羊飼いとして働いていた。やがて脱走してアイルランドを離れるが、聖 職者となった彼はアイルランドへの布教を決意し、48歳で再びこの地へ渡り、アイルランドにキリスト教を広めたのだという。現在アイルランド共和国の9割 の国民がカトリック教を信仰しているのも、聖パトリックのおかげということになる。

聖パトリックにまつわる伝説には、死人を蘇らせたとか、キリスト教で罪や誘惑の象徴である「蛇」をアイルランドから追い払ったとか、三つ葉のクローバーに似た植物のシャムロックを使ってキリスト教の「三位一体」の教えを説いた、などというものがある。

セント・パトリックス・デーには、ダブリンやニューヨーク、ボストン、サンフランシスコなど世界各国の大都市で、アイルランド人やアイルランド系移民が 集って、歌や踊りに彩 られたパレードで行進したり、典型的なアイルランド料理「Corned Beef & Cabbage」を食べたりして、故郷アイルランドとその守護聖人の命日を祝う。


アイルランドと緑色の関係


アイルランドの国花で、三つ葉のクローバーに似たシャムロック
アイルランドは、1年を通じて温暖な気候に恵まれ雨も多い。そのため牧草地や芝生が多く、冬でも緑が溢れていて別名「Emerald Island」と呼ばれるほど。アイルランド国花のシャムロックも緑色なら、バスや郵便局、飛行機などアイルランドではさまざまなところで緑色がデザイン に取り入れられている。アイルランドと緑色は切っても切れない縁で結ばれているのだ。

この日ばかりは、アイルランド出身でない人も国籍を越えて、緑色の何かを身につけて出社したり登校したりするのが一般的。この習慣の徹底ぶりは、クッキー やビール、コーヒーシュガーを緑色にするのはもちろんのこと、果ては川の水の色まで緑色に染めてしまう街(アメリカ/シカゴ)もあるほどだとか。

緑色は、アイルランドが独立国家となる以前の旧国旗の色、また希望と自然を象徴する色ともいわれる。貧困やたび重なる飢饉を理由に、新天地を求めて世界中 に散らばったアイルランド系移民たちは、貧しさや人種差別と戦いながらこの色を見て、希望を失わず故国の美しい自然を思い出したのだろう。

http://www.ne.jp/asahi/radical/1998/greensleeves2.htm

イングランドの最も古い民謡で、エリザベス朝時代によく歌われ、シェイクスピアの劇 の中でも2回ほど言及されている。
現在においてもイギリスでは親しみのあるメロディー で、イギリスの作曲家ヴォーン・ウィリアムスはこの曲を編曲し、
「グリーンスリーブス による幻想曲」として発表、更に有名にした。
 オックスフォード大学が出版している音楽辞典(THE OXFORD BOOK OF MUSIC)においても、
だいたい同じ様な内容で "GREENSLEEVES" の項目を設けている。また、他の音楽辞典、あ るいは名曲解説などの著作にも、これ以上の事は触れておらず、簡略に紹介している程度 である。
 エリザベス朝、つまりエリザベスT世が在位していたのは1558年〜1603年の約 45年間で、通常その時期をエリザベス期と呼ぶが、日本で言えば、戦国時代から江戸幕 府成立の時期にあたる。織田信長が桶狭間の戦いで勝利したのが1560年、それから太 閤が全国統一をし、関ヶ原の合戦後、家康が征夷大将軍となったのが1603年、そうい う時期にグリーンスリーブスは歌われていた事になる。
《グリーン(緑)の象徴》

 そもそも「グリーンスリーブス」という夫人の名前は、偽名と言うか、ある種のシンボライズであるが、ヘンリー8世の恋愛スキャンダルと絡ませて、そう銘打たれているという説がある。
 「Greensleeves」、つまり「緑の袖」とは、本来、具体的な名前を持ってしかるべきなのだが、現代でいうプライバシーの問題、あるいは王室の問題でもある以上、「緑の袖」と象徴的にする事によって、猥褻な俗調とは一線を引くという意味もあって、こういう題名になったとも考えられる。
 ただ何故「緑の袖」になったかと言えば、緑という色には、元来、「不倫」と いう意味があり、「緑の袖」と言うその事だけで、「不倫の愛」を表している。通常、中世・ルネサンス期においては、色それぞれに、それ固有の意味があり、 それについてはホイジンガの名著、「中世の秋」に詳しい。例えば、緑が不倫を意味するならば、青は純愛を意味しており、黄色なら敵意を示す等といった、各 々固有の意味を持つとされている。特に青と緑は、恋愛がらみの象徴を帯びており、緑は恋わずらいを、青は貞操を表すとされている。
しかし、時代によって、場所によって、当然、意味合いは異なり、青は姦通女を意味したり、女房を寝取られた男の愚鈍さを意味する事もある。緑についても、 「イメージ・シンボル辞典(アト・ド・フリース著)」によれば、「不倫」「恋愛」だけに限らず、例えば、「妖精」の色でイタズラを意味したり、猫・ライオ ン・虎の目が緑である為、「嫉妬」を意味していたりもする。
 ともかく、『グリーンスリーブス』でいう「緑」とは、「不倫」という事を意味しており、独身男性が既婚の女性を慕っているという典型的な「宮廷恋愛歌」を装っている。
《北部辺境地帯》

 『グリーンスリーブス』はまた、「ボーダーライン・バラッド」とも呼ばれている。
最も古い資料として先にあげた記述、「A New Northern Ditty of Lady Green Sleeves」は、北部国境地帯で歌われていた事を意味している。
ここで言う「北部」とは、イングランドの北部という事で、16世紀においてはまだイギリスは、イングランド王国とスコットランド王国に分離しており、
ボーダーラインつまり国境とは、イングランドとスコットランドの国境を示し、そこで歌われていたバラッドを「ボーダーライン・バラッド」あるいは「スコッチ・ボーダー」と呼んでいる。
 地理的には特にウェールズ地方に位置しており、ケルトの血の流れをもつこの地では、非常に美しく印象的な名曲を多く産み出している。
エリザベス朝においては、この地方は危険地帯とされており、そこに住む人間は野蛮で粗野で荒々しい気質で、イングランドの法も及ばぬ無法地帯であったと、当時の記録が語っている。
 スコットランドと言えば、すぐに我々はタータンチェックにバグパイプを連想するのだが、決してそれだけのものではなく、
もっと叙情的で、「スコッチ・ボーダー」「スコティッシュ」という名が残るが如く、独特で、我々を魅了して止まない詩歌をヨーロッパの片隅で育んできたのである。
記述された歴史の上では、さみしい存在のスコットランドだが、
18世紀に入って、スコットランド人、ロバート・バーンズ(1759〜1796)によって、スコットランドの伝統・伝承文芸がを採集され、今日我々は作品として伺い見る事ができる。
 またこの地方は当時、鉱業が盛んであったのだが、一説によると『グリーンスリーブス』は、金鉱探しの人々の間で歌われていたのが発祥であるとも言われている。
地理的にも、北部地方は鉱業の地という事で、当説に符合するが、どういう論拠があるのか、また出典も入手できた資料上では定かではない。
 この無法な炭坑地帯で、荒々しい男たちが、人生の苦を忘れんが如く猥褻歌を歌い、踊る、そして騒ぐ、そんな姿を想像してみても差し支えないだろう。
長い労働時間、当然そんな時代に日曜日という休暇はない。家に帰っても、ろくな食事はなく、人生の楽しみと言えば、酒と女。
ちょっとでも金が入ったら、男は酒場へ行き、調子のいい猥褻歌を女給や売春婦と歌い、はしゃぐ・・・・あるいは、ちょっとした村祭りでもいいだろう、
いくら貧しいといっても、年に何度かは祭りがあり、女・子供も交えて、ドンちゃん騒ぎ。
テンポ・アップしたノリの良い「グリーンスリーブス」で、男と女が怪し気なムードでダンスしている光景。

 勝手な想像を差し挟んでしまったが、ともかく史的記述上は北部地方で歌われていたことは事実であるし、
当時その北部というのはスコットランドとの国境地帯を示しており、その地帯は鉱業の中心地で、人々は粗野で無法地帯と化していたと考えられていた。
そして、そこで育った流行り唄が、ロンドンまで流れてきて、1580年には一つのバラッドとして記録に残っている・・・という事が、資料から導きだされる一つの結論である。


《シェイクスピアの言及》

 『グリーンスリーブス』が猥褻な歌であるという事は、冒頭に述べたシェイクスピアによる言及からも伺わせてくれる。
シェイクスピアが実在し活躍していたのは、まさしくエリザベス期の後半で、つまり16世紀末〜17世紀初頭で、37本ある戯曲はほとんどエリザベスT世の在位中(1558〜1603)に執筆され、ロンドンで上演されている。
 劇中で『グリーンスリーブス』について2回言及されていると述べたが、言葉通り、台詞として「グリーンスリーブス」という言葉が2回出てくるだけで、実 際に舞台で歌われたり、演奏された訳ではない。ただ、シェイクスピア劇においては、多くの作品で、当時の様々な歌が歌われており、残念ながら『グリーンス リーブス』については、言及するだけに留まっている。
 では、その言及されている作品とは何かと言えば、シェイクスピアの創作期においては、後期に属する「ウィンザーの陽気な女房たち(THE MERRY WIVES OF WINDSOR)」で、推定では1597年に初演されている。
 劇の内容は、まさしく「不倫」を題材にした喜劇で、概要を述べておくと、自称、色男を気取る中年男フォールスタッフは、既婚の夫人を2人同時に手中に収 めようと、手腕を凝らすが、日頃から相い通じている夫人2人は、その手口を察し、フォールスタッフを逆に手玉に取ろうとたくらむ。2人がフォールスタッフ の愛の申し入れに対し、それぞれ信じ込んだ芝居を打ち、事情を知らぬ周りの人間、あるいは夫人の旦那までをも巻き込んで、ドタバタ事態は進展してゆく。結 幕としては、気取り屋フォールスタッフを、皆の前で恥をかかす場を設定し、その罠に見事引っかかたフォールスタッフの鼻を開かす事に、夫人2人は成功する という物語である。



♪Bloody Sunday映画評 投稿者:かねぼん  投稿日: 4月18日(金)10時57分01秒

このサイトでもご存知の方は多いと思うのですが、北アイルランド紛争勃発の引き金になった、1972年のBloody Sundayの事件が去年映画になりました。皆さんご存知ないと思いますが、「千と千尋〜」が去年、ベルリン映画祭で金熊賞を受賞しましたが、実は同時に この映画も同賞を受賞しているのです!そこで、「大分県アイルランド研究会」から御依頼があり、会報にておこがましくも私は映画評を書かせて頂きました。 これがアイルランド映画のサイトを持っている方の目にとまり、その方の「IRISH-ON-FILM」サイトで掲載されています。私のLinkページでも アップさせて頂きましたが、↓から「Bloody Sunday」に行って頂くと読めます。(本名で出ています、スミマセン(^^;)

よろしければ辛口でも結構ですから是非コメントを頂ければ、今後の参考&勉強とさせて頂きますので、私あてメールでも頂ければと思います。どうぞヨロシクお願いしま〜す m( _ _ )m

http://www.boudicca.gr.jp/irish-on-film/index.html

Bloody Sunday
2002年 イギリス、アイルランド 107分 R
ポール・グリーングラス監督 ジェームズ・ネスビット アラン・ギルディ ジェラード・クロッサン メアリー・モウルズ カーメル・マッキャリオン ティ ム・ピゴット・スミス ニコラス・ファレル クリストファー・ヴィリアーズ ジェームズ・ヒューイット デクラン・ダッディ エデル・フレイザー ジョア ンヌ・リンゼイ
1972年1月30日、北アイルランドのデリーで「血の日曜日事件(Bloody Sunday)」が起きた。カトリック市民による差別撤廃を目的とした公民権運動のデモに英国軍が無差別に発砲し、多数の死傷者を出した事件である。北ア イルランド紛争を激化させたこの事件に関する映画が製作されているということは、デリーのBloody Sunday Trust(BST)で働く遺族から聞いていた。私がこのBSTを支援し始めてから約1年後のことだった。
2002年、事件からちょうど30年が経ち再調査が着々と進められてはいるものの、まだ先が見えにくい状態の最中、Bloody Sundayの犠牲者を支援する人たちは、この映画に対して大きな期待を寄せていた。しかし私は正直なところ、これは30周年記念のイベントの一環だろう としか思っていなかった。
2002年3月、デリーのBSTと私のBST支援活動を支えてくれている日本人支援者たちからいきなりメールが届いた。なんと、この映画『Bloody Sunday』がベルリン国際映画祭で最高賞の金熊賞を受賞したというのだ。日本の新聞では『千と千尋の神隠し』が同映画祭史上初のアニメ映画として金熊 賞を受賞したことばかり大きく取り上げられていて、一社の新聞社だけが『千と千尋〜』の記事の中で一言、“『Bloody Sunday』も受賞した”と書いてあっただけだった。
以前から思っていたが、日本の北アイルランド紛争に関する注目度はこんなものなのかとさらにがっくり肩を落としたものの、そんなことはもとより、とにかく 受賞に関する驚きは物凄く大きかった。まさか世界三大映画祭で『Bloody Sunday』が最高の栄誉に輝くなんて寝耳に水どころではなかった。大きな評価を得るだろうとは思ってはいたが、まさか金熊賞を受けるとは正直思ってい なかったのだ。
この物語はノンフィクションであり、真実をベースに作られているので、当時の様子が手に取るようにわかる。映画は事件の起こる前日、デモ行進を行うカト リック側の公民権協会の記者会見から始まる。この運動の先導者であるクーパー役を演じているジェームズ・ネズビッドは、『ウェイクアップ!ネッド』などに 出演し、北アイルランドではシリアスなものからコメディまで手がける著名俳優である。この記者会見でクーパーは「カトリック側は暴動や混乱を引き起こす気 は全くない。今まで行われてきた不正な差別を撤廃するための、平和に溢れたカーニバルのような行進なのでどうか理解してほしい。しかし正義は必ず勝つ」と 堂々と宣言し、公民権運動の象徴的な歌『We shall overcome』がにこやかに合唱された。
一方、英国軍側というと“抑制意欲満々”の記者会見。「少しでも騒ぎを起こすような者を見つけたら、直ちに我々は行動に出て、いかなる乱闘騒ぎも決して許さない」。このように強圧的な態度で臨もうとしていた。
映画はシネマ・ヴェリテ方式(ハンドカメラや街頭録音などによって現実をありのままに描く手法)を用いており、まるで映画を観ている者が現実にその場にい るような錯覚に陥る。この方法によって、場面はカトリックの公民権デモ側と英国軍側とを数分おきに交互に映し出されるが、公民権側ではデモに参加する一般 市民(のちに犠牲者となってしまう)の生活や彼らの周りの人間模様も随所に描かれており、自然と感情移入してしまう。
あくまでも平和・非暴力なカトリック公民権を主張するクーパーに賛同する人がほとんど。しかしこんな生易しいやり方では何も変わるわけがないと、何かを企 む“無鉄砲派”もいて、そんな彼らをクーパーは必死で食い止めようとする。英国軍はといえば、特定のグループにより初めから陰謀が企てられていた。しかし 中にはその陰謀にうっすらと気づき、何とか阻止しようとする者もいれば、狂った兵士たちを沈静化させようとする兵士もいた。
本当にこんな非人道的なことが実際になされたのか?この映画にはとても信じ難い場面が度々出てくる。これは架空の物語ではないはずだが?これは本当に人間が人間に対して行ったことなのか?同じ人間として哀しく思え、悲嘆にくれてしまう。
発砲が起こり、かなりの死傷者が出ている時点で、ある男が負傷者を助けようと周りの者を振り切り、英国軍に対してハンカチを振りながら、「もう止めてく れ」と懇願した。なのに顔面を撃たれ、即死する。その後、彼の遺体に公民権運動の青と白のバナー(横断幕)がかけられるのだが、バナーは赤い血でにじみ、 皮肉なことにユニオン・ジャック(英国旗)の色になってしまう。倒れてすでに死亡している市民に対して、近距離から数発発砲する兵士たち。その後引きあげ た英国兵士たちのお祭り気分。片や病院では死傷者でごったがえし、涙と悲しみに溢れる人々。1人1人を抱きしめ、慰めるクーパーの絶望感は言葉で尽くし難 い。
英国側の隠蔽工作は着々と進み、口裏合わせが行われる。カトリック市民側の計り知れない怒りと痛み。満員電車のように、すし詰め状態になった葬儀の会場で ある教会。そして英国側は事件を正当化するため、デモを行った人(死亡者たち)が最初に発砲したので、自己防衛でやむをえず応戦したとでまかせを言う。家 族の一員を殺害されたうえ、無実の罪をきせられた遺族の悔しさ…。
事件後、クーパーは記者会見を開き、こう言った。「27人が銃撃され、そのうち13人は死亡しました。これは無実の者に対する大量虐殺です。昨日の行為で 公民権運動は破壊され、IRA(アイルランド共和軍)を勝利に導きました。なぜなら、これをきっかけに全都市にいる若者がIRAへ参加してしまうからで す。」
映画『Bloody Sunday』が一番言いたかったことは何か。この記者会見で当時、公民権運動に力を注いだ、後の若手女性議員バーナデット・デブリン女史が怒りを込めて 締めくくった。「死亡者、遺族、負傷者、すべてを代表して言います。正義がなされない限り、私たちは決して、決して休まることはない、と。」
確かに哀しい映画である。が、北アイルランドで一体何が起こったのか、架空ではない真実の物語に目を向け、紛争を直視するには大変貴重な映画であることは 言うまでもない。歴史をしっかり押さえ熟視することは、未来への展望につながり、同時に私たち現代人に教訓を与えてくれる。その意味でこの映画は、いまだ 不透明さをはらませる北アイルランドの将来に何らかのインパクトを与え、個々がこの事件から何か貴重なことを学び得るにちがいない。【金子郁子】(大分県 アイルランド研究協会会報第12号(2002年発行)よりご本人の了解で転載)


俳句は、パンク。今日の一句
そのうしろをくぐって、私を抱きしめにきて。
秋やけさ
にゅるりと入る
内視鏡

(久保元宏 2002年9月)

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たとえば→1月30の歴史

Sunday Bloody Sunday !

俳句は、パンク。今日の一句
「君」 「なに?」 「水曜日の夜をおぼえているか」
月いづこ
魔王のレンズ
海の底

(久保元宏 2002年9月)

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誰がこの大地を汚したのかと。
The Easter Rising
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