山の上の穴をのぞくと、プーとブライアンがまるく踊っていた。I'll follow you wherever you may go!
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てく&てく歩いた、世界☆ ビルマ VS ミャンマー
Around the Burma in my Life

▼久保元宏の行きたいトコ
アイルランド (更新日;2006年12月18日)
だらけチベット (更新日;2008年3月26日)
ジンバブエ (更新日;2008年6月24日)

2010年11月14日 日曜日 午前3時10分その小説は、主人公が、ヒロインと、図書館で(正しくは図書館の前のベンチで)出逢う・・・というものでした。気温3.2℃←■ミャンマー軍事政権は20年ぶりの総選挙が終わってから、アウン・サン・スー・チーを解放。20年後、彼女は85歳だぜ。
2008年5月21日 水曜日 午前11時51分←■昨夜のNHKにも、ビルマ問題の根本さん出演。そろ&そろ、具体策の提案、国連への働きかけをしましょうよ。
2008年5月12日 月曜日 午前10時59分←■中国にとって、超大災害被害中のミャンマーへの民主化介入は最大&最後(?)のすげーいいタイミングだと思うんだけど。
ビルマ VS ミャンマー 2007
「知る」という戦いの方法。

うぇ〜ん!久保AB-ST元宏が持っているビルマ≠ミャンマー本。
The books for Burma.★久保AB-ST元宏が持っているビルマ≠ミャンマー本。
左から、出版された順。
パラパラ・・・三上義一『アウン・サン・スー・チー 囚われの孔雀』 (1991.12.10 講談社)
パラパラ・・・根本敬『アウン・サン 封印された独立ビルマの夢』 (1996.7.29 岩波書店)
パラパラ・・・寺井融「ミャンマー百楽旅荘 庶民の生活探訪記』 (1996.9.30 三一書房)
パラパラ・・・西原理恵子、鴨志田譲『アジアパー伝』 (2000.4.20 講談社)
パラパラ・・・田辺寿夫、根本敬『ビルマ軍事政権とアウンサンスーチー』 (2003.5.10 角川書店)

右の私の「読書感想文」(がくっ。)は、古本の購入時に書いたもの→
それ&ぞれの古本は、「さがした」とゆーよりは、
古本屋に行ったら、目の前に「あった」から、買って&読んだ。
特にシンパシーを感じた著者、根本敬さんとはEメールでの交流が、すぐに始まった
ただし、私が根本さんの顔と声を初めて知ったのは、
2007年9月26日のミャンマー軍政のデモ弾圧のテレビ・ニュースでだった。

The books for Burma.★根本教授!
2007年9月26日(水曜日) 11Pm TBSテレビ『ニュース23』に出演した根本教授。
知性こそが、テレビに必要。
根本教授はこの番組以後、各局や新聞などに何度も登場することになる。
パラパラ・・・三上義一『アウン・サン・スー・チー
囚われの孔雀』
(1991.12.10初版 講談社)
カバー写真;Sandro Tucci/Blackstar
定価\1500→古本\105
うぇ〜ん!購入日
2005年3月6日 Bookoff 札幌南1条店
アウン・サン・スー・チーは、この本が
出版される2ヶ月前の1991年10月14日
にノーベル平和賞を受賞している。その
せいかこの本はハード・カバーで、表紙
の写真も美人をアピールしていて豪華
な雰囲気プンプンである。さぞや当時の
店頭では平積みされて多くの人が立ち
読みをしたのだろう。ただし、あれから14
年、日本人がミャンマーの現状を理解し
たとか、興味を持っているとは到底思え
ない。それはこの本が古本屋で105円
で売られていることが証明しているのか
もしれないのだが。さらに、私にとっての
ビルマのマイ・ブームのきっかけになっ
た本、田辺寿夫&根本敬『ビルマ軍事
政権とアウンサンスーチー』の出版は、
2003年5月だが、この『囚われの孔雀』
の出版の1991年12月までのビルマでは
激しい民主運動弾圧、特にスー・チー
が書記長だったNLD(国民民主連盟)
への弾圧がひどかったようだが、ここまで
政治が揺れ動いたのに、この12年間を
はさむ二冊の本の主張がほぼ同じなの
には驚かされる。書中の各章の分け方
も「アウン・サン・スー・チー伝」、「日本
とビルマ」、「民主化運動」などほぼ同じ
である。これは12年後の方の本が怠惰
であったからではなく、問題が進展して
いないということであり、むしろ国際的に
問題を放置していた世界の責任である
と解釈すべきである。ここまで問題が純
化しているのも、キー・パーソンとしての
アウン・サン・スー・チーの存在のお陰
である。しかし同時にビルマ・ミャンマー
の政治情報と言えばスー・チーの監禁
情報しか報道しない世界中のマスコミの
怠惰さを見ていると、彼女の存在のみが
全てであるかのような巨大な存在が本人
の意図とは別に、流動的で複雑な問題
を単純化しようとする巨大マスコミの嗜好
が隠蔽してしまう巨大なゴミ箱のフタのよ
うな広告塔に彼女がなってしまっている
というヒニクを感じてしまう。もしも彼女が
この世からいなくなってしまったらビルマ
報道は無くなるのだろうか?まさか。が、
彼女が存在しているうちにこそ、行動を
しておかなければならないことは沢山あ
るのだ。それはビルマ人だけの課題で
はなく他国の我々の課題でもあるのだ。
パラパラ・・・根本敬『アウン・サン
封印された独立ビルマの夢』
(1996.7.29初版 岩波書店)
定価\2427→古本\1300
うぇ〜ん!購入日
2007年7月29日 Bookoff 旭川旭町店
著者、39歳にしての初の著書の主題
を、あえてスー・チーではなく、その父に
してビルマ独立の英雄アウン・サンに選
んだことは、その後の著者の行動の伴う
執筆活動の象徴のようである。この本が
出版された当時の日本は、軍事政権を
認め、ビジネスマンが著者に「今ビルマ
に行ったら儲かりますか?」と、質問する
時期であった。その時に、日本軍とともに
イギリス軍を破ったアウン・サンを書くこと
の意義は大きかったはず。まさに定本。
パラパラ・・・寺井融
『ミャンマー百楽旅荘(パラダイスホテル)
庶民の生活探訪記』
(1996.9.30 初版 三一書房)
定価\1600→古本\680
うぇ〜ん!購入日
2004年12月18日 Bookoff 札幌南1条店
三一書房と言えば左翼出版社である
と思っていたが元民社党職員の旅行記
を出しているんだなぁ。意外とノンポリ。
パラパラ・・・西原理恵子 鴨志田穣
『アジアパー伝』
装画;西原理恵子
装丁;安彦勝博
(2000.4.20 初版 講談社)
定価\1470→古本\425
うぇ〜ん!購入日
2004年12月4日 ブックバーゲン深川店
外観からしてイカガワシイ本。ハード・
カバーなのに、チープな絵とレタリング・
デザイン。こりゃ、マイナー出版社かよ、
と思いきや、天下の超メジャー講談社。
超メジャーであるならば、何か「考え」が
あるのでは?と、貧しい勘繰りをしてしま
う私であったが、やはり確信犯的に雑な
本造りをしている。25年前ならばパンク
製本と呼ばれたかもしれない(笑)。私
は、沼田図書館でミャンマーを調べた時
に参考にしたのだが、実際に現代のミャ
ンマーを記録している本が少ないから、
こーゆー選択にならざるをえなかったの
だが、ポル・ポト軍に捕まったり、今年、
殺されたハシダさんも同行者として出て
くるのだから、実はかなり本格派なのか
もしれない。うさんくさいイラストも、実は
無頼夫婦を表現するのに最適なのか。
いずれにせよこうして未整理(?)のまま
さらけ出さなければならない表現もある
のだし、それを実行させてくれたのが、
超メジャー講談社ならではの懐の深さ、
なのかもしれない。実際この後シリーズ
化されたわけだし、ユーザーもこの生々
しさを求めていたのでだ。新方法論か。
パラパラ・・・田辺寿夫、根本敬
『ビルマ軍事政権とアウンサンスーチー』
(2003.5.10角川書店)
初版 定価\800→古本\300
うぇ〜ん!購入日
2004年3月13日 Book Market 野幌店
今、日本でミャンマーを語るのに最も
ふさわしい二人による「ビルマ民主化」。
アウンサンスーチーの情報しか入らない
日本では必要で貴重な意義有る文献。
せっかくだから、もっとこなれた文章で
書いて欲しかった。ちょっと悪文かもね。

Whose are military forces?
軍隊って、誰のもの?
★ビルマ国の青春の純情♪
1947年のアウン・サン
(1915年2月13日〜
1947年7月19日、享年32歳)
1938年10月 アウン・サン、イギリスからの独立運動組織「われらビルマ人連盟」(タキン党)に入る。

1941年12月27日 アウン・サンらが中心となり、「ビルマ独立義勇軍」が結成される。

1942年 「ビルマ独立義勇軍」、♪クリックして、見よっ!大東亜戦争として侵攻中の日本軍と組み、イギリス軍との戦争を開始。

1942年3月 当時のビルマの首都、ラングーンを陥落。

1942年6月4日 ビルマからイギリス軍を駆逐することに成功。イギリスに代わって、日本軍がビルマを統治することになる。

1942年7月 ビルマ独立義勇軍を、「ビルマ防衛軍」に改組。

1943年3月 アウン・サンは日本に招かれ、わずか28歳の若きリーダーと称えられ旭日章を受章。「面田」という日本名を名乗る。

1943年8月1日 ビルマ、独立。アウン・サンは、国防相に。
しかし、実際には日本軍の支配下であり、アウン・サンらの不満が増えだす。

1943年11月 アウン・サン、イギリス軍に「寝返りを考えている」と信書を送る。

1944年8月1日 アウン・サン、独立一周年の演説で、「ビルマの独立はまやかしだ!」と発言。


1944年8月後半 共産党、人民革命党と提携して
「反ファシスト人民自由連盟」(パサパラ)
軍事的リーダーとなり、ひそかに組織を広げる。

1945年3月上旬 北部でビルマ国軍の一部が日本軍に対し、決起。

1945年3月中旬 アウン・サンは「反乱軍に対抗するため」との名目で、
ビルマ国軍をラングーンに集めた。

1945年3月27日 しかし、アウン・サンは日本軍に向って攻撃を開始
ついに、パサパラがビルマ国民を主導して、全国一斉に、反日運動を蜂起。

1945年5月 イギリス軍が、この混乱に便乗して、首都ラングーンを奪還。

1945年6月19日 アウン・サン・スーチー、生れる。

1945年6月 ビルマ国軍、愛国ビルマ軍と名称を変える。

1945年8月15日 日本、敗戦。
★ビルマ国の青春家族の純情♪
1946年のアウン・サン一家。
アウン・サンの左の娘が、スー・チーちゃん♪

★ビルマ純情♪
演説するアウン・サン。
1947年7月19日 アウン・サン、政敵に暗殺される。わずか32歳で没した。
父が殺された時、スー・チーは2歳だった。

1948年1月4日 ビルマ、独立。

1962年3月2日 ビルマ国軍、クーデター。ネ・ウィン将軍の独裁が始まる。

1962年3月31日 うぇ〜ん!久保元宏、生れる。

1988年 ネ・ウィン退陣と民主化を求める大衆運動が高揚。

1988年7月23日 ネ・ウィン、退陣。

1988年8月26日 アウン・サン・スー・チー、ビルマ国民の前で初めての演説。民主化の希望が盛り上がる。

1988年9月18日 国軍がクーデターを起こし、軍事政権が誕生した。
民主化運動は徹底的に弾圧され、軍隊は数千人の非武装の国民を殺した
この時、デモ隊がかかげたメッセージは、
「国軍は、我らの軍隊!」で、あった。
つまり、「国軍は、軍隊を作ったアウン・サンの遺志を思い起こして、
真の国民の軍隊に戻ってくれ。」というメッセージであったのだ。
★1988年、ビルマ純情♪

★ビルマ、あうんの呼吸♪
1989年2月 日本、ビルマの軍事政権を認める

1989年6月 軍事政権、国名をビルマから、
「ミャンマー」に変更すると一方的に宣言。

1989年7月20日 軍事政権、アウン・サン・スー・チーを自宅軟禁。

1990年5月 総選挙で、
アウン・サン・スー・チーの国民民主連盟(NLD)が、圧勝。
しかし、軍事政権は選挙結果を、無視。

1991年 アウン・サン・スー・チー、ノーベル賞を授与。

2007年8月15日 軍事政権が、予告無しにガソリンなど燃料価格を2〜5倍に値上げ。

2007年8月22日 燃料価格引き上げに反発する市民デモ。僧侶が合流。

2007年9月18日 抗議デモは何千もの仏教の僧侶によって連日、行なわれる。

2007年9月25日 ヤンゴンでの僧侶らの反軍事政権デモは日々、増えて、14万人に。
欧米から、ミャンマー軍政への批判が相次ぐ。
しかし、日本の町村信孝官房長官は、
「いたずらに欧米の国と一緒になって”たたき”に回るのがいい外交なのか?」と、
他国とは一線を画し、批判をせずに事態の推移を見守る姿勢を表明。

2007年9月26日 ついに、♪クリックして、見よっ!軍隊が僧侶のデモに向って発砲
★ビルマのモメゴト♪

2007年9月27日 旧首都ヤンゴンで、
♪クリックして、見よっ!ミャンマー軍が、非武装の日本人を至近距離で殺す
★ビルマの銃弾。

1945年3月27日 アウン・サンが率いるビルマ軍が、日本人に向って発砲した。
あれから62年ぶりに、
再び、ビルマ軍が、日本人に向って発砲した。
しかし、今度は殺された日本人は、アウン・サンの娘、スー・チーを応援していた。
ビルマ軍は、ビルマ人を守らず、何を守るために存在しているのだろう?

Whose are military forces?

2007年9月28日 日本人ジャーナリストが殺されたというショッキングなニュースが世界をかけめぐる中、
その翌日も、反政府デモなどが行われた。
あいかわらずミャンマー軍は非武装のデモ参加者へ威嚇発砲をし、警棒で殴打した。
 デモの主役だった僧侶の多くが前日に拘束されるなどしたため、僧侶は前日までの10万人以上から、20人前後へと激減。
この日は市民ら3千人以上がデモに参加し、ミャンマー軍をなじったり、投石したりした。
参加した学生リーダーは「僧侶たちはよくやってくれた。今度はわれわれが続けなければならない」と話した。
このほか、別のグループ約500人が国歌を歌いながら行進し、沿道の市民が拍手を送った。
 この日も当局による僧院への襲撃、僧侶の拘束が続いた。
もはやミャンマー軍政には、仏教へのタブーは無くなったようだ。
★清潔なビルマの銃弾。
さらに、ミャンマーでは、インターネット接続ができなくなった。通信会社関係者は海底ケーブルの損傷が原因と説明しているが、
軍事政権がデモ武力弾圧を伝える映像や情報が流れるのを防ぐため遮断したらしい。
しかし、インターネットによる情報は、今も瞬時に世界に流れ続けている。
そこが、1988年にミャンマー軍が数千人の国民を殺した時との、大きな違いである。

恵まれた書斎で、一人のうのうとインターネットを観ることが、ビルマ市民を一人救うのかもしれない。
そして、その時、インターネットの「目」として前衛に立っていた男、
長井健司★清潔なビルマの死。(享年50歳)を想い出すべきなのだろう。

2007年9月28日 金曜日 午前0時34分←■あのフセインの銅像が倒れる瞬間を伝えた男が、ミャンマーの軍政に殺された。
2007年9月27日 木曜日 午前0時44分←■TBSニュースに、『共犯新聞』ミャンマー問題顧問(?)の根本さんが出ていましたね。彼の発言にもっと耳を傾けるべき。
ビルマ(ミャンマー)では、2007年8月15日の軍政によるガソリン&灯油の大幅値上げに対し、各地でデモや抗議行動が続いている。
ビルマの竪琴
★ビルマ犯罪大通りの純情♪
映画 『ビルマの竪琴』
監督;市川崑(1985年/日本)
原作;竹山道雄
主演;石坂浩二、中井貴一

1956年にも、同じ市川崑が監督をして
三國連太郎が主演で映画化している。
ビルマのモメゴト
★ビルマ僧の純情♪
ミャンマー(旧・ビルマ)の僧侶による反政府デモは2007年9月25日も続き、
最大都市ヤンゴンでは連日となる約10万人が参加した。
発端は、9月5日にデモに参加した僧侶を軍政が暴行したことから。
僧侶のデモは9月18日から8日連続となるが、
いつもはすぐにデモを武力で弾圧する軍政も、
仏教徒が約95%のミャンマーで僧侶は国民から絶対的に尊敬されており、
手を出せずにいる。

ところで、今、話題の♪クリックして、見よっ!『テロ特措法』だけど、
無知な私は分らないので、ダレか教えて欲しいんですが、
最初、私は、この法律によって、日本の自衛隊が米英艦船などへ「給油」している、と思っていた。
で、よーく考えると、
  1. デリバリーだけ。=それぞれの国が用意した「油」を、A地点から、B地点まで運び、給油する。
  2. 販売=「油」は、日本が、それぞれの他国に売る。
  3. タダ=「油」を、湯水のごとく(笑)、無償で、それぞれの国にあげちゃう。
の、どれ?
安倍首相の逃げ出しドタバタ最中の2007年9月18日、国連「感謝」決議(笑)でテロ特措法のお墨付き?なんでしょーが、
これ、もし、上記の「3」なら、
「感謝」されて、あったりまえ〜(笑)♪
これ、もし、上記の「3」であって、
それが原因で、この国のガソリンや灯油が値上げしているのなら、おい&おい、これ、どうよ?で、ございます。

燃料の値上げは日本国内では、「中国の北京オリンピックなどの需要の急成長」、「欧米の投機筋」と説明されていますが、
まずは、これが「3」であれば、その費用と、日本国民の生活燃料の負担増の相関関係を説明していただきたい。
もちろん、カンケー無いなら、無いでも、いい♪
でさ、もしも、もしもですが、この「油」販売で利益を上げている石油会社がいたら、イヤだなぁ〜♪
だってさ、この法律が施行されてからの6年間で700回、約220億円相当の給油活動が、行なわれたってーんだから。
もちろん、国民の緊急の要望は、コレがアフガンの安定、再建にどう役立ったかの検証であり、それを判断するための情報開示、だよね。
で、どうなの?
★サラリーマンの純情♪
そうそう、今度の新しい、ソーリダイジン、元・石油会社の社員だってゆーじゃナイですか♪
しかも、課長まで勤めたんだから、さすが!
んなら、そこんとこ、説明していただくには、ピッタリ!かも。

そー言えば、ブッシュ大統領も、ビン・ラディン師も、石油会社の役員だし。
こりゃ、3者で会談したら、きっとハナシが早いでしょう♪
★Oh my lovely bush ! Kiss ! Kiss ! Kiss ! I LOVE キャプテン・ブッシュさま♪ ★大義が生む不幸♪そして、歴史は夜作られる。
やったー♪


さて、日本の僧侶(=たとえば、創価学会のみなさん?)も、この件でデモをしてみて、
この機会に、国民からの尊敬の度合いをリサーチされてはいかがでしょーか?
★自衛官の純情♪
text by うぇ〜ん!久保AB-ST元宏 (2007年9月26日 2:44Am)

今日の一句

石焼藷(いしやきいも)くるまれている世界地図
(久保元宏 1999.11)

☆石焼藷(いしやきいも)くるまれている世界地図

★日付をクリックすると、♪好きな時代に行けるわっ♪あん♪アン♪歴史から飛び出せ!
★たとえば→8月26日の歴史★
★ビルマ犯罪大通りの純情♪
ミャンマー反政府活動家13人を拘束

 ミャンマーでは2007年8月15日、事前の通告なしにガソリンや軽油など
燃料価格が2−5倍引き上げられ、バス運賃が2倍、タクシーが1.5倍になった。

 これに対し、元学生運動家たちが中心になり、19日に数百人のデモを組織した。

 ミャンマー治安当局は8月21日夜、デモを主導したとして、
元全ビルマ学生連盟議長のミン・コー・ナイン氏ら活動家13人を拘束した。

 拘束されたのは1988年に発生した民主化デモを主導した
「88年組」と呼ばれる元学生リーダーら。
彼らの逮捕後の22日も最大都市ヤンゴンで、数百人規模の反対デモが繰り広げられた。
ガソリンと交通運賃の値上げは、上昇が続く食料品などの物価水準にも大きな影響が出、
市民の怒りは収まらず、デモには現役の大学生らも多数参加、反発が強まっている。

 軍事政権の下でデモが続くのは異例で、政府は親政府組織の動員体勢を整えている。
★ビルマ犯罪大通りの純情♪
今回、拘束された反政府活動家たち。写真はミン・コー・ナインの自宅。
左がピョン・チョウ(Pyone Cho)、中央がコー・コー・ジー(Ko Ko Gyi)。
右がリーダーのミン・コー・ナイン (Min Ko Naing、44歳、1962年10月18日生れ)。
久保と同じ1962年生まれ。
彼は1988年の反体制学生デモを指導した理由でビルマ=ミャンマー軍事政権により
16年間、拘束され、2004年11月18日に解放されたばかり。

★日付をクリックすると、♪好きな時代に行けるわっ♪あん♪アン♪歴史から飛び出せ!
★たとえば→6月19日の歴史★
Daw Aung San Suu Kyi
Happy Birthday to
Ms. Daw Aung San Suu Kyi !
ミャンマー軍政学生運動の元指導者を16年ぶり釈放
♪◇ビルマの風 民主化の指導者〜ミン・コ・ナイン氏(MIN KO NAING、42歳、1962年10月18日生れ)
▲久保元宏と同じ1962年生まれ。
 2004年11月18日、ビルマ=ミャンマー軍事政権が、
1988年の反体制学生デモを指導した
ミン・コウ・ナイン
(MIN KO NAING、42歳、1962年10月18日生れ)を
16年ぶりに釈放した。
軍政が釈放を決めた3937人のひとりで、
現指導部の民主派勢力に対する
柔軟姿勢を強調する狙いとみられる。

 同氏は1988年に、当時の最高実力者ネ・ウィン氏による
社会主義体制に反対する学生デモを組織、
ネ・ウィン氏引退の引き金を引いた。
同年、クーデターを起こした現在の軍政による武力鎮圧後に
逮捕、同国西部の刑務所に収監されていた。
アウン・サン・スー・チー氏と並ぶ
同国民主化の指導者とされている。

Eメール ◎ 2004年11月23日(火曜日) 11:39Am

久保元宏さま

 根本です。そちらのホームページへ私の名前と解説を載せるのはご自由です。
ただし、過日の文章は睡眠不足のなかをあわてて書いたものですので、次のように修正させてください。
また、掲載される際は、全文をお願いします。短縮されたり、要約のみを載せる場合は、事前にその文章をお知らせ下さい。
下記の修正文を通じて、久保さんの追加質問への回答も兼ねさせていただきます。
また、この文章は、私が運営委員を務めているビルマ市民フォーラムの
★クリックすると、♪ビルマ!機関誌『アリンヤウン』(次号)にも、
ほぼ同じ形で掲載いたしますので、どうかご了承ください。

根本 敬


ミンコウナイン氏の釈放 その意味と今後の展望
★クリックすると、♪ビルマ!根本 敬(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所助教授、ビルマ市民フォーラム運営委員)

 ミンコウナイン氏は、★クリックすると、♪ビルマ!1988年から89年にかけてビルマの学生運動の 世界で活躍したカリスマ的指導者で、その人気は当時、少なくともヤンゴンではアウンサンスーチーに匹敵するものでした。1989年に逮捕され、長期懲役刑 を受けて投獄されていました。その後「恩赦」で刑期を短縮され、2000年に 「刑期」を終えていましたが、彼の人気を恐れた軍政が、理由を明示しないまま、釈放を引き延ばしてきた経緯ががあります。もともと典型的な良心の囚人 (政治犯)であるため、国際人権団体から長年にわたって釈放を要求されてきた活動家ですが、「刑期」終了後も釈放されないため、ビルマの人権問題に関心 を有する人々からとりわけ強く早期の釈放が望まれてきました。
 
 今回、その彼が釈放されたことは歓迎すべきことです。しかし、その政治的意味については冷静に考えてみる必要があります。軍政は、国家情報局のトップを兼任していた★クリックすると、♪ビルマ!キンニュン前首相を徹底的に悪役にす るべく、「4000人弱の釈放者」の中にミンコウナイン氏のような良心の囚人(いわゆる政治犯)を少 しだけ混ぜて、全体としては「国家情報局が誤って逮捕、拘置、投獄した者」を「解放した」と説明しているに過ぎません。もちろん、ビルマの対外的イメー ジの改善を図る意味合いもあるでしょう。しかし、今回釈放された(ないしは釈放されつつある)人々の大半は一般犯罪者で、良心の囚人は数十人もしくは十 数人に過ぎないと言われているので、これがどれだけ軍政の対外イメージの改善につながるのかは不明です。ASEAN首脳会議の開催に合わせた軍政のパフォーマンスと見たほうが賢明かもしれません。
 
 キンニュン前首相は軍政内にあって「柔軟派」の人物であったと一般に言われています。しかし、彼はそれを演じていただけであって、「柔軟派」役を担う ことによって軍政内での自分の役割を確立し、自己の権力維持を図ってきたといえます。一般のマスコミ報道は、この肝心な部分をよく理解していないように 見受けられます。彼自身の本質は、他の軍政関係者と同じように民主化や人権の確立に対して不熱心な保守強硬派で、それを裏付ける彼の発言や行動は多数あ ります。だからこそタンシュエ議長から見ても、キンニュンの使い勝手は良く、2003年5月30日の★クリックすると、♪ビルマ!ディベーイン事件(ア ウンサンスーチー一行襲撃事件)の後始末をさせるべく、「柔軟派」として対外受けの良い彼を事件後に首相に任命し、ASEAN各国と折衝させる方法を選ん だのです。ASEANはそ のやり方に見事に(?)だまされ、ディベーイン事件の真相追究や、アウンサンスーチーの即時解放といった強い主張を降ろしてしまい、事件後に軍政が提案 した「民主主義への7つの道標」路線を受け入れ、ビルマへの批判をやめてしまいました。
 
 一方で、タンシュエ議長が情報局を牛耳るキンニュンを昔からずっと気に入っていなかったということも事実です。これはマウンエイ副議長も、そして他の 多くの軍政関係者にも共通することです。キンニュンが権力を維持できた大きな理由のひとつは、対外向けに使い勝手の良い「柔軟派」の役割を担ってきたとい うことのほかに、なんといっても情報局をあやつり、軍政幹部の「たたけばホコリが出る部分」をしっかり押さえ、事実上、無言の圧力をすべての軍政関係者に かけることができたというところにあります。また、2002年12月に死んだネィウィンの庇護を受けていたという事実も重要な要素でした。それら は、他の軍政関係者から見れば、「いつかはみんなで一致してキンニュンを失脚させなければ自分達が危なくなる」という思いを抱かせるに十分であったとい えます。
 
 最終的に、キンニュンの「柔軟派」役としての「使い勝手の良さ」よりも、彼のことをみんなが「危険に思っていること」のほうを優先させ、今回のタンシュ エ議長とマウンエイ副議長による失脚劇の上演に至ったと言えます。この背景にはまた、「民主主義への7つの道標」に関して、キンニュンがタンシュエ議長と マウンエイ副議長を押しのけ、ASEAN各国から絶大な信頼を受けている自分のペースでそれをすすめようとして、議長の怒りを買ったということも想像され ます。もちろんこのほかに、軍政関係者の大半が多かれ少なかれ関わっている各種利権絡みの汚職や、縄張り争いも、今回のキンニュン追放劇の背景のひとつで あったことでしょう。今回の4000人弱の「釈放」は他方で、キンニュン失脚後、タンシュエとマウンエイとで「強硬派」と「柔軟派」の両方を演じ分けなけ ればならなくなったために実施した側面もあります。キンニュン前首相を徹底的に悪役にさせ、タンシュエとマウンエイ両名も「柔軟派」の側面 を有するのだなのだということを、国内外に対して演じようとしたとも言えるのです。
 
 今後の展望ですが、ミンコウナイン氏については、健康を回復するために数カ月休養をとったあとは、海外に出国して、外国で活動を続けるのではないかと思われます。どこの国かはわかりませんが、まずはタイに出て、そのあと、オーストラリア、米国、北欧諸国、英国、日本のうちのいずれか、移動しやすい国 を選ぶも のと想像されます。ビルマ国内に残って活動を再開する可能性もありますが、その場合、再逮捕・投獄される危険性が高いでしょう。タンシュエとマ ウンエイがいかに「柔軟派」を一時的に演じようが、キンニュン前首相自身がそうであったように、彼らの本質は保守強硬派なので、ミンコウナインが活動を 再開することを黙って認めるとは考えられません。彼の場合、活動を再開しなくても、国内に留まる限り、再逮捕の危険と常に一緒に生活することになりま す。ミンコウナイン氏があえて国内残留の道を選ぶ可能性はあまり高くないのではないでしょうか。

Eメール ◎ 2004年11月23日(火曜日) 8:36Pm

根本 敬(PFB運営委員、東京外国語大学助教授)さま

 久保元宏です。突然のEメールでのお願いに、ていねいにお答えしていただき、重ねてお礼申し上げます。

さて、私も今年の3月14日まではビルマの情勢について無知な日本人の一人でした。
実はその日に根本さんと田辺寿夫さんの共著★クリックすると、♪ビルマ!『ビルマ軍事政権とアウンサンスーチー』(角川Oneテーマ21 2003年5月刊 800円)を購入して読んだのです。
実はその時に、知人が経営している札幌の★クリックすると、♪ビルマ!ギャラリー「エルエテ」で、『ミャンマー水彩画展』を企画展示していたのですが、
私は渡辺オーナーに頼まれてミャンマーから送られてきた画家の英文資料の翻訳をしていたのです。
このミャンマーの画家の展示は、日本ではほぼ初めてのことであり、資料不足の中、固有名詞の読み方など苦労して翻訳した記憶があります。
7名のミャンマー画家の経歴などを翻訳しましたが、彼ら全員に共通するのが、異口同音の下記の説明でした。
「かつてのビルマ連邦社会主義共和国時代、画家たちは自由な芸術活動ができなかった。
しかし、1988年に民主化されて国名がミャンマーに変わってから、画家たちは生き生きと芸術活動ができるようになった。
そして、こうして晴れて日本でもミャンマーの画家が紹介されるようになった。これも1988年の民主化運動のおかげであり、たいへんに喜ばしいことである。」
・・・・・・。
しかし、根本さんの本を読むとまったく反対であり、私はあわてて渡辺オーナーに根本さんへ連絡することをすすめたしだいです。
今回のミン・コウ・ナイン氏の釈放の小さな記事を、朝日新聞と日本経済新聞で見つけ、
しかも彼が私と同じ1962年生れであると知り、根本さんへの質問メールとなったわけです

まず、私自身の無知を反省いたしますが、事態は現在進行形で動いています。
知ることから始め、その次に何が必要かを再びご教授いただけると幸いです。
Eメール ◎ 2004年11月23日(火曜日) 11:14Pm

久保様

 根本です。ホームページへの拙文の掲載を確認いたしました。なかなか凝ったおもしろいサイトですね。
久保さんのビルマへの関心の動機についてもよくわかりました。
拙著『ビルマ軍事政権とアウンサンスーチー』がお役にたったようで何よりです。

>>ミンコウナイン氏があえて国内残留の道を選ぶ可能性はあまり高くないのではないでしょうか。
>↑
>■現在、国外にいる彼の同僚運動家はいるのでしょうか?
>シンパはいるでしょうが、これからの彼の指標となる同国人が国外で活動していれば、
>道案内にもなるかと思いますが。たとえば、日本にはいないのでしょうか?

(回答)もちろん多数います。代表的な人物としてはモウティーズンという、
ミンコウナインと人気を争ったもう一人のカリスマ的学生運動指導者を挙げることができます。
彼は1989年以来タイに脱出して、世界中をまわって活動を続けています。
彼の兄も(弟ほどの活動家ではありませんが)日本人女性と結婚して東京に住んでいます。
ミンコウナインは、一歩海外に出れば、こうした「同志」たちによって歓迎されることは間違いありません。

根本 敬

ミャンマー:
キンニュン首相就任1年 ソフト外交、二つの顔
 ミャンマーのキンニュン首相が就任して1年。軍事政権としての民政移管案「ロードマップ」を発表し、周辺国との関係強化に努めるなど活発な外交を展開してきた。
首相を含む「トップ3」の役割分担を明確にし、国内的な締め付けと国際的な立場の強化を同時に図ろうとする軍政の戦略も鮮明になってきた。

 ◇民政移管案で批判回避−−外

 ◇民主化勢力は封じ込め−−内

 「中東で起きていることは、誤った決定が大量の流血と混乱をもたらす典型例だ。
我が国は同様の失敗を避けるため、民主化という目標に向け一歩ずつ進んでいる」。軍政が15日発表した声明だ。

 パウエル米国務長官が13日、最大野党「国民民主連盟」(NLD)のアウンサンスーチー書記長らの政治対話参加が実現するまで経済制裁は解除しないと表明したことに、真っ向から反論した。

 イラク情勢の悪化を逆手に取った声明には、国際社会での孤立回避に一定の成果を上げてきたとの軍政の自信がにじみ出ている。外交攻勢の立役者がキンニュン首相だ。

 昨年8月25日、国家元首であるタンシュエ国家平和発展評議会(SPDC)議長が兼任していた首相職をまかされたキンニュン氏は直後の同月30日、
軍政主導の民政移管の手続きを示した7段階の「ロードマップ」を発表した。
今年、中国や東南アジア諸国連合(ASEAN)各国を訪問してロードマップに理解を求め、周辺国との関係強化をアピールしている。

 タンシュエ議長は「会談でスーチーさんの名前が出るだけで不快そうな表情をあらわにした」(外交筋)といわれ、外交は不得手だった。
対照的にキンニュン首相はソフトなイメージを国際社会に売り込み、この1年ですっかり対外的な「顔」となった。

 軍人が支配する国権最高機関SPDCでは明確な序列がある。
トップはタンシュエ議長(上級大将)、2位はマウンエイ副議長(上級大将補)、3位がキンニュン首相(大将)。この3人が現在の最高実力者だ。
第1書記だったキンニュン氏の首相就任により、マウンエイ副議長=軍▽キンニュン首相=政治・外交▽タンシュエ議長=総括−−という3者の役割がより鮮明になった。

 キンニュン氏の首相就任後もトップ3人の力関係には大きな変化はない模様だ。
昨年8月の人事では、タンシュエ議長が最も信頼する忠誠派だといわれるトゥラシュエマン陸海空軍作戦調整官が中将から大将に昇進し序列4位に昇格した。
議長が依然として軍の人事権を握り、権力に陰りはないことが示されている。

 ◇国民会議、再開日程示さず

 ロードマップの一環として今年5月17日、新憲法草案策定のための国民会議が8年ぶりに再開された。
しかし、会議は7月9日に休会され、再開の日程は示されないままだ。
一方、NLDの党員に離党を迫り、軍政の翼賛組織である連邦団結発展協会(USDA)に加わるよう圧力をかける動きが広がっているという情報がある。

 そもそもロードマップは国際圧力をかわすためのアリバイ的なものという色彩が濃厚。
対外的には中国やインド、タイなど友好的な国との関係強化を図りながら、ロードマップを強調して欧米からの批判をかわし、
国内的にはスーチー書記長の自宅軟禁を継続してNLDの影響力低下、民主化勢力の封じ込めを狙っていくとみられる。

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 ■ことば

 ◇ロードマップ

 軍政が昨年8月に発表した民政移管プロセス案。
(1)国民会議再招集
(2)段階的プロセスの履行
(3)新憲法草案策定
(4)新憲法採択のための国民投票
(5)総選挙実施
(6)議会招集
(7)国家指導者選出と新政府樹立−−の7段階が示されている。

毎日新聞 2004年8月24日 東京朝刊





白人も黒人も、大統領もヤミ米屋も、誰もが公平に差別無く見ることができるもの。・・・それは、空。

鰯雲(いわしぐも)
うろこの数が
死者の数

(久保元宏 2001年10月)

★日付をクリックすると、♪好きな時代に行けるわっ♪あん♪アン♪歴史から飛び出せ!
たとえば→6月19日の歴史

「知る」、という闘い。

A Happy Birthday
to
Ms. Aung San Suu Kyi
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