だれもいないプールから届く手紙。I'll follow you wherever you may go!
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moto_kubo@hotmail.com
ドイツの森よ、大学のジャングルよ。柴田 翔
れど共犯の日々是好日
Bookという旅行。Sho Shibata
柴田 翔 (しばた・しょう、1935年1月19日生まれ)
★読書は、脳味噌の共犯行為。
(更新日;2010年8月3日)

うぇ〜ん!久保AB-ST元宏と、ローラに屑麦を!ミカキチとの間で、
2008年6月3日 6:02Amから、2008年6月21日 11:58Amまでに行われた公開往復書簡。

edit by うぇ〜ん!久保AB-ST元宏 (2008年11月7日 金曜日 4:32Am)
★日付をクリックすると、♪好きな時代に行けるわっ♪あん♪アン♪歴史から飛び出せ!
たとえば→1月19日の歴史

彼女たちも、一般とは違う地平とルールを抱えて、でも、一般常識が「善」と解釈されてしまう人たちの中でお金を稼いでいるから 私の抱えてることが一発でわかるんだと思った。

Happy Birthday to
Mr. パラパラ・・・Sho Shibata !

うぇ〜ん!たとえ、ぼくの精子がやつらに犯されようとも、
ぼくは、ぼくからはみだすことは1mmたりともできない。

パラパラ・・・柴田 翔 『されどわれらが日々―』 105ページ

「そうだ。その時、その警官を前にして、ぼくが何をしたか、君は判るかい。
そうだった。ぼくはね、その警官のことを、蹴っとばしたんだ。
そいつの太股を蹴っとばしたんだ。
その太股のゴムのように弾力のある、その癖硬い感触が、
まだ、ぼくの右足に甦ってくるようだ――。
何故そんなことをしたのか、それは判らない。今でも判らない。
ぼくをその場に連れて行っていた自分の思想と、その行為が、
どこでどうつながっていたのか判らない。
ぼくはそれが判らないことを恥じて、ひそかに判ろうと努力した。
だけど、それが判る事柄だろうか。
それは、そうした事実以上には説明できないんだ。
それ以上説明しようとすると、嘘になってしまうんだ、そうした体験ってものは」

うぇ〜ん!はみださないままで出逢うことができるのが人生の不思議。
「喪失感を伴う人との別れ」についてと、柴田翔『されどわれらが日々―』を手に入れた。「続き」も、ほしい。
1963年発表。翌年に第51回芥川賞を受賞。

山の上から、はみだしてゆくあの、フランス人の3回で。
大ベストセラーになったから、ブックオフでは105円で買える。
ローラに花束を!はみ出さないでいるから(自分でいるから)出逢えるのではないのかな。
 そこに「居る」人としか、出逢うことは出来ないよね。
 殴り合える相手としか、抱きしめあうことは出来ないんだよね。

柴田翔『されどわれらが日々ー』
 上記の記述は
私の手持ちの文庫『読書でラララ』ゲストインでの特集!ではp94。
 私が下線を引いてるのは、「事実以上に」から「嘘になってしまうんだ」まで。

 その2ページ前にて下線を引いた部分は
佐野がみていた現実は、桃色の幻想か、黒い壁かのどちらかで、
それはどちらも、ぼくらの前にある真の現実、ぼくらの意思通りに
動くことは決してないが、また、ぼくらの行為を全く無反響に
吸収してしまうことも決してできない現実、とは、何の関係もない
ものだったんだ

 の中の「真の現実」から「決してできない現実」まで。

うぇ〜ん!殴り合っていても、出逢えていない・場合も・ある・し、
抱きしめあっていても、出逢えていない・場合も・ある・と、
大昔に出逢った占い師が
言ってたよーな気がする(がくっ。←か、この場合?)。

私が持っている単行本P105で線を引いたのは、

警官のことを、蹴っとばした

自分の思想と、その行為が、
どこでどうつながっていたのか判らない。

それ以上説明しようとすると、嘘になってしまう

■で、その前のP104で線を引いたのは、

信じるということには、
いつも、どこか醜さがあるとしか思えなかった。

■私が「その2ページ前にて下線を引いた部分は」

神経性のこぶに過ぎなかった

現実を変化させようと努力する苦しみは知らなかった。

無意味な死


■「神経性のこぶ」、って、すごいなぁ。

■実はその前のページの「本棚」の描写、好きだな。→
「本棚」の描写は、砂丘の描写。はみだしてゆくが、本棚の内側でのさざなみを見つめていた。ずっと。
「本棚」の描写。まるで時の砂丘の描写のよう。

十本の指のすきまの書物から、はみだしてゆくあの3回で。
政治運動に身を投じる学生時代を送った若者達の
思想的な挫折がベースになった青春小説。

ローラにとくべつを!ここで、掌を当てて読み取ろうと思うことは、
「殴りあったり」「抱きしめあったり」することで
実は「出逢えてない」ということから目を逸らそうとしてる心の動き
についてなんだと思う。

そして、その底に、やっぱりひとすじ流れているであろう
「出逢いたい」という気持ちの息遣いを、感じたいと思うことなんだろうと思う。

「出逢う」ことを知ってる人と、
そこから永遠に目を逸らすことだけを考える人の間に
「殴り殴られる」危険を冒しても「抱きしめあう」可能性に向かう一歩への
背中を押して欲しいと思ってる人が、きっといるんだと思うんだよね。
 この前の久保兄の日記の「教育」って、その部分のことなのだと思うのだった。
うぇ〜ん!確かに、あの時、すげー私はイラだったんだよねぇ。
この温和な、わ・た・し、が(笑)。
そのコトの裏でうごめく「借り物の(自分のものでない)言葉を使うことによって、
そこで語られることの責任の主体(もしくは本当の意図)を曖昧にしようという
心の動き」に吐き気がしたのかもにゃぁ。
2008年6月4日 1:05Am

うぇ〜ん!なんだか、感性の格差社会、っーか、

今朝(=う〜、昨日の今朝、ね・笑。)の朝日新聞の家庭欄で坂本龍一の娘が、
「父が”私の98パーセントは10歳代の時に身につけた”と私が19歳の時に言って、
もっと早く言ってよー・笑、でしたが、あわてて、父が感動したというゴダールや、
黒澤明なんかを集中的に観たり聴いたりしたんです。」と、語っておりました。
革命に「教育」が必要であれば、こりゃ、オルグか洗脳か文化大革命か、
それともゆがんだ啓蒙主義か?
で、そこらへんを避ける技術の伝達も「教育」に含んじゃえ(笑)!
2008年6月4日 2:33Am

 つまり、この3連作の日記は、全部、続いているんでした。

信じるということには、
いつも、どこか醜さがあるとしか思えなかった。

↑ここは、私も下線引いてるなり〜
 ろーら、19歳のころ。

*「神経性のこぶ」って、まあ想像妊娠みたいなものですよね。

*「本棚の描写」私も好き。
 で、やっぱ、映画館で観たい♪映画『ラスト、コーション』を見た時に、
ちょっと思い出した。

*そして、私の本p95 にて私が線を引いたのは

「感性って、おそろしいものだね・・・。
でも、ぼくが彼女を好きになったのも、一つの現実さ。
そして、現実って奴は
受け入れて行くほかは、ないからね」

なのだった。
監督から「わき毛の処理をしないように」と言われました。・・・やっぱ、映画館で観たい♪

「でも、パテの料理方法をメモに書いて店に置いておいたら、みんな料理方法をおぼえて、だれも内臓をくれなくなったの(笑)。」・・・うぇ〜ん! うぇ〜ん!>掌

拳を
「当てて読み取ろうと思うことは、」
『あしたのジャンケン』。
ジョーと葉子は、
「殴りあった」、か。
ジョーと力石は、
「抱きしめあった」、か。
そして、
葉子と力石は、「出逢えた」、か。


>目を逸らそうとしてる心の動き。

そうか。
「目を逸らそうとしてる心の動き。」は、
「見つめたい」のネガでもあり、
実は、より、「見つめたい」そのもの
、なのですにゃ。

>つまり、この3連作の日記は、全部、続いているんでした。

あ、ほんとだ(笑)。
つまり、『革命三部作』、なり(←うそ。)。

>現実って奴

感性と現実を比較するってのは、やや、昭和っぽい・かな。
私は、122P(単行本)の、

恋にとてもよく似ていた


に、ゼブラのラインマーカー(ピンク色)を引き、
その上に、鉛筆で、

恋にとてもよく似ていた恋

と、書き込んだ。
どーだ、21世紀っぽいだろ(笑)?
文豪ろーらの、次々回作のタイトルに使ってくれ!
苺畑から、はみだしてゆくあの3回で。
この小説はよく、「全共闘」の小説と勘違いされるが、
舞台はそれよりも10年前の、1950年代後半。
つまり、60年安保すら始まる前。
姫岡玲治(=青木昌彦)青木昌彦さんが東大でブントを作る直前だ。
1952年の思想とは、暴力なのか。血のメーデー事件で
デモに参加し、警官とぶつかったとき、

思わず逃げてしまい、それ以来自分を「裏切り者」としてしか
みることができなかった青年の自殺。
さらに、「女であるとは何か」と長い遺書をのこした女の子の自殺。
それらの死をただ傍観するしかない主人公の青年と、その婚約者。
重い内容だが、不思議なすがすがしさがあるのは、
死や政治を「青春」の枠の中で考察できた時代だから、か。

星野智幸も、文学は、その時代とよりコミットした上で出てくるものであり、その時代への無力感を突き抜けて生じてくるものだ、というようなことを言っていました。
「戦い」ではなく、「生き方」。
1956年5月26日、『全日本学生総決起集会』(日比谷野外音楽堂)
ローラに花束を!>ジョーと葉子は、「殴りあった」、か。
 ジョーと力石は、「抱きしめあった」、か。
 そして、
 葉子と力石は、「出逢えた」、か。

→なるほど。
 透明な壁の周りを、窓を探して泣きじゃくりながらくるくる巡っていたのが、
 つまり昭和の迷いと純情だったのだね。

 21世紀の私たちは、
 透明な壁越しに、掌を合わせて、見詰め合うことを知ったわけだけれど、
 そうしてそれから、一体どこへ向かうべきなのか?
 どこへ私たちは行けるのか??
 ということが、これからの問いなのだろうか。

> つまり、『革命三部作』、なり(←うそ。)。

→もしくは、『ロックンロール三部作』(←笑)

>恋にとてもよく似ていた

>に、ゼブラのラインマーカー(ピンク色)を引き、
>その上に、鉛筆で、

>恋にとてもよく似ていた恋

>と、書き込んだ。

→私がここで下線を引いたのは

恋にとてもよく似ていたと思う。あるいは、恋そのものだったかも知れない

の、全部。

>文豪ろーらの、次々回作のタイトルに使ってくれ!

→パクるかも(笑)。

うぇ〜ん!>21世紀の私たちは、
>透明な壁越しに、掌を合わせて、見詰め合うことを知った

しかし、21世紀に昭和の恋をしてみるのも、いいかもしれない。
それに、そも&そも、
「手を合わせて見つめるだけで愛し合える 話もできる」
(阿久悠・作詞) というのは、
昭和の共犯音楽祭★Music〜音という抽象芸術♪ピンクレディーの『UFO』だし。がくっ。

>そうしてそれから、一体どこへ向かうべきなのか?

経験不足の私には役に立つアドヴァイスはできないが、
とりあえず、ストロベリー・フィールズに行ってみてはいかがだろうか?

>どこへ私たちは行けるのか??

共犯音楽祭★Music〜音という抽象芸術♪ジャックとか、やっぱ、映画館で観たい♪蠍座なのかもしれないしー。

>ということが、これからの問いなのだろうか。

もう&すでに、「行き先は、ここ。」なのかもしれないしー。


後半、第六章の「節子の手紙」は、
この小説の中ではやや弱い部分もあるけれど、
それは小説の弱さではなくて、
節子の弱さなのであれば、許されるのか(笑)?
そんな中で私がゼブラのラインマーカー(ピンク色)を引いたのは、
単行本P188の、

優しい正確さ

しかし、本当はその前の行の、

優しく

正確で

に、二つに分けて線を引くほうが、
より「正確」だったのかもしれない。
しかし、それをひとまとめにして引いちまったのは、
私の内部に棲む「コスト・パフォーマンス欲」のなせるわざなのだろう。
それにしても、ここで「正確」という言葉を持ち出すところは
柴田翔の(=節子の)非凡なところだ。

さらにページはやや進み、P195の

そんな誠実さより、


の「誠実さ」とは、先の「正確さ」と呼応しているのだろうか?
文学を考える文学。
高橋和巳編『文学のすすめ』(1968年10月30日、初版、筑摩書房)に書かれた、
柴田翔「研究と感動」。

私が右にマーキングした部分は、
実作者による「説明」は可能か?または必要か?という
東出隆センパイと吉本隆明の批評論について意見交換した部分への回答にも
なっていると思う。

左でマーキングした部分で私が感じたのは、
絶対的自由=「孤独」
ということ。

文学を考える手紙、姫野カオルコの『終業式』だったりすると思うんですの。
Yeah, 文学を考える手紙、姫野カオルコの『終業式』だったりすると思うんですの。
ローラに花束を!>「優しい正確さ」・「優しく」・「正確で」

→という単語を目にしただけで、手紙文のどこのどの部分で
何について語っている処かが
ただちに判ってしまう私が、自分ですごいって、思うなり〜

 確かに、作中頻繁に登場する数々の手紙はどれも、
あやうーい処で指摘されるような「弱さ」を逃げ切れてるけれど、
節子の手紙だけはやや冗長
 でも、もしかしたらここに、柴田翔が「書きたかった」こと、
というより、
「彼にしか書けなかったものが書けた理由」があるのかも知れない、
とも思うなり。

 それをそのまま
 「優しい」「正確さ」と共に、
 彼の他の作品群にもくり返しこのモチーフがテーマとして
登場してくる処にも感じる、
彼の熱烈読者であったろーらの分析です。


 久保兄がひとまとめにして線を引いてしまったってのは、
結構久保兄らしいと思うなり。
 それは「コストパフォーマンス欲」の表れではなく、
そうして、微妙に「正確さ」を外してみせる事によって、
相手に踏み込ませる
or
そうした投げかけをされた場合の相手の出方で
次の打ち返しの繰り出し方を決めていく
 というのが、まあ、久保兄的「誠実さ」なんではないかな。
 と、感じるからです。
(つまり、自分の「コミュニケーション欲」の強さと、
その自分の欲求への責任感=誠実さと、
それら全てにおいて率直であろうとすることが、
相手に選択権を与えて様子をみる、
という技を生み出したってこと)

 その事とも、先に書いたこととも繋がって、

>そんな誠実さより、
>の「誠実さ」とは、先の「正確さ」と呼応しているのだろうか?

 というのは、たぶん、当たってる。
 私のローラに花束を!感想文 内の
「 あの、近づこうとするほど遠のく感じ。
受け入れようとすればするほど
相手を見ないようにすることに似てきてしまって
優しくしようと思うと嘘をつくことになるようで
どうしたら誠実でいることになるのか
大切にするってどういうことなのか
そもそも、いったい何を守ろうとしていたのか。
全てが不確かになっていって、
そのことを自分は誰にも訊けないんだってことに
まるで初めてのように気付いて
打ちのめされる感じ。」

の部分であり、
この作品(および柴田翔)のテーマはここにあり。

「関係」を求めることへの焦れと恐れ。
すなわち、「純情さ」
だったりして(笑)

この辺の「何かを大事にしようと思う」あまり、
「正確に」自分を常に掴んでい続けることで「誠実であろう」として、
結局は最も大事なものを抱きしめることが出来ないでいる・・・・
 ということを現代において書いてるのの一つが、
←姫野カオルコのパラパラ・・・『終業式』だったりすると思うんですの。

BGM はみてみて。東京ローカルホンク「遠い願い」
歌詞はここ

ローラに花束を!静かに燃えて
2007年8月2日 0:41Am

 実はこのところずっと、薄く落ち込んでいる。
 でも、その「うすく落ち込んでいる」感じが好きでもあるんだけれど。

 なんだか、懐かしい感じがするからかなあ。

 若い頃はそのことに罪悪感を持っていた。
 「裏切り行為」のような気がしていたから。
 今はそんな風には思わない。
 自由になったんだな・・・・


 私はいつも動き続けていて、いくつもの事を同時進行させているから
「うまくいかない」とか「失敗した」という風に思うことがなくって(途中でやめないし)、
 基本的に自分はそのままで、これからもそんなでやっていくのだと思うけれど
 私が所属したり共有したりしたいろんな場所や人やできごとには、
終わりの来る時があって
 「終わる」ことは素晴らしいことで、素晴らしいことはいつもなんだか切ない。

 全ては夢だった、と思わされるから?
 
 でも、現実って『共有された夢』だから、仕方ない。

 遠い 遠い
 ぼくの願いが
 少しずつ 近づいていけば
 それだけでなぜ
 君を 泣かせるのか
 泣かせるのか

 遠い 遠い
 声を聞こうと
 少しずつ 近づいていけば
 それだけでなぜ
 君は 悲しむのか
 悲しむのか

 心を導く 星たちの暮らす
 やさしい闇が ぼくらに降りる
 それさえもなぜ
 それさえも 

 君は こわがるのか
 ぼくにはわからない
 なぜ君は こわがるのか
 こわがるのか

     −共犯音楽祭★Music〜音という抽象芸術♪東京ローカル・ホンク 「遠い願い」

ローラに花束を!ラブストーリー
2007年4月2日 1:56Am
 姫野カオルコは、デビュー作を読んだ頃からのファンで、
当時から凄いヤツ。と思っていた。
 大学生のころ、友人に「何かいい本紹介して」と言われると、
河合隼雄と姫野カオルコを紹介していた(当然ながらどっちも絶賛だった)

 しかし、姫野カオルコがその十数年後、
こんなにも凄い書き手になるとは思いもよらなかった。
 こんな小説がいつか読めると想像できなかった、
と言い換えてもいいのだが(すごい褒め方だなー)

「終業式」は全篇が書簡のカタチで進む小説で、高校時代の同級生同士が、
さまざまな遍歴(愛?と人生の)を経て大体30くらいになって
まあ大団円におさまるまでのストーリーなんだけれど、
投函されなかった手紙や破って捨てた手紙も収録(って言うのか)されてるので、
つまりは内面描写がはっきりと誰かに向かって表現された形で書かれている。
そこがすごい。
 かなりの数の人物が登場するけれど、
どの人も(ほんの脇役すらも)類型であっても
夫々「いるなあ、知ってるこの人」という位に描ききられている。
 
 でも、私が一番この作品ですごいと感じたのは、
映画「ある愛の歌」の名台詞の名解釈が載ってるからだ。
 その解釈に、ものすごく共感&同感&目ウロコだったからだ。

 その台詞とはもちろん
 「愛とは、決して後悔しないこと」である。
 "Love is not saying sorry." である。

 この台詞について、主人公が書く。
 別れた妻が再婚したことを知り、5歳になる息子宛てに、
投函されなかった手紙に。

 なんていうのかな、わがままを言ってくれなきゃ対応できないんだよ、他人は。
わがままを、ありったけのわがままをぶつけることが、
それが他人を好きになるということなんだ。
好きな人にはわがままを言われなければ意味がないんだ。
 こんなことを言ったら相手に悪いとか、こんなことをしたら相手に悪いとか、
そういうことを考えることがもう、冷たいことなんだ。
好きになるっていうことは、そうだな、別の言い方をすると、
好きになるっていうことはとりみだしてしまうってこと、
理屈がなくなってしまうってことなんだ。
 すみません、とか、もうしわけありません、とか、
こういうことを思わないことが、愛だということなんだよ。

 Love is not saying sorry.

淳はなんでも食べて大きくなれよ。パパも大きくなるから。
またいっしょにテレビを見ような。バイバイ

 「決して後悔しないこと」ってイマイチピンと来なかったの。
 そう、相手に「悪い」って思わないよね。好きだとね。
 感謝はするけどね。

 だから、謝り始めるのは、別れ話の時だよね(笑)
 
 そして、歳をとると、出会ったときから謝ることになる未来が見えて、
黙って酒呑むしかなくなるのである(ホントか?!)

うぇ〜ん!関係」を求めることへの焦れと恐れ。

私がゼブラのラインマーカー(ピンク色)が手元にあったのに、
それを使わずに、ユニ・ボールのシグノ(水性の赤ペン、極細)で囲ったのは、
単行本P206の、

怠惰な願い


これは、ダメなことか?

だから、「山の上の生活」か?

さらに、その次のページの最終行、
単行本P207の、

自分の仕事だと思える仕事を探したい


人工的ではない「お見合い」など無いが、
より人工的(→「作為的」?)な「お見合い」ゲームの果ての、
山の上の”節子”、か。

そう。
私は、この部分を読んで、「山の上の”節子”」という言葉が浮かんだんですの。

すると&なんと、
さらに、その次のページ、
単行本P208には、

山村工作隊員


と。
そうなのだ、この小説には最初っから「山村工作」という裏側の世界が
ピアノの左手パートのように、ずっと低く響いていたのだ。

山の上の生活とは、孤高のピアニストのようなものか。

……山村フランソワ
なんちゃって。がくっ。
ぱくられちゃうけど、山村工作したい?!文学を考える山の上、戦いのためのヒキコモリだったりすると思うんですの。
山村工作隊(さんそんこうさくたい)は、
1950年代、
「日本共産党臨時中央指導部」が指揮した
武装闘争を志向した非公然組織。
毛沢東の中国共産党が
農村を拠点としているのによった。

山村工作隊を切り捨てろ!文学を考える山の上、戦いのためのヒキコモリだったりすると思うんですの。
日本共産党 第6回全国協議会は、
1955年7月、日本共産党がそれまでの
中国革命に影響を受けた
「農村から都市を包囲する」式の
武装闘争(=その代表が、山村工作隊)
方針の放棄を決議した会議である。
「六全協」(ろくぜんきょう)と略して呼ばれる。
小説『されどわれらが日々―』は、まさに
この時代が舞台であり、
共産党の指導で行っていた武装闘争が
共産党の命令で完全否定された。
まるで、敗戦直後の思想転換のように。
そのジレンマから真面目な学生が自殺した
という流れが小説では思想として描かれている。

切手のないおくりものは、コミットメントから、はみだしてゆくあの3回で。
柴田翔は、1963年の『されどわれらが日々―』からちょうど10年後、
『われら戦友たち』(1973年11月25日、初版、文藝春秋)を発表する。
当時、私が中学生から高校生にかけて本屋にこの本が並んでいて、
書棚に並ぶ、背表紙の女性のヌードがなまめかしく(笑)、
そればかりが記憶にある(がくっ。)。
その印象が私の中でこの本を、なぜか手をとってはいけない、
危険な本のような印象に昇華されていた。
そして、40歳をはるかに過ぎてから読んだら、
やはり、「危険な本」、だった。
ローラに花束を!>これは、ダメなことか?

→いい悪いとか、駄目、っていうのは、絶対的な判断としてのことではなく、
主体が「何を求めているか」に寄って決定される価値だよね。
 だから、節子は、自分が最も欲しいと感じてるものを手に入れる為には、
そういうことでは駄目だ。と判断したってことだよね。

>だから、「山の上の生活」か?

→「山の上の生活」の選択に、上記の内容や、節子の選択意図と同じものは、
 まあ多分、含まれるのかも知れないが
 全く同じではないよね、きっと。
 求めてるものが、たぶん、違った(当初は)し。
 主体の資質も、違うし(ぜんぜん、違う)。

>自分の仕事だと思える仕事を探したい

→おそらくここが、節子や、一般にみられる「自分探し系」迷い道なヒトたちと、
 山の上生活を選択するヒトとの違いであり、山の上生活に求めるものが、
 一般に解釈されてることと全くベクトルが違う方向である、
 ってことを顕著に炙り出してるよーな、気がする。
 山の上生活を選択してるヒトは、自分の仕事を、捜さなくても、既にもっているんだよ。

>「お見合い」ゲームの果ての

→「お見合い」がゲームなら、「恋愛」もゲームだよね。
 たぶん「結婚」もゲームだな。

 ただ、節子が、文夫相手に散々ジタバタした挙句、諦めて旅立った。
ということを考えると、確かに「果ての、山の上の生活」では、あるなー。

>山村工作隊員

→そう、確かに。この言葉からかもし出される霧雨の色合いが、
 この小説を甘ったれなくそ真面目さではなく
 不器用なロマンチズムとして支えてくれてるんだと思う。
 ほんでぇ、私は、カナダのサカタさんの元職場、調布関東村の景色とかもすんごく好き
 ああいうところで暮らしてみたい

>山の上の生活とは、孤高のピアニストのようなものか。

→ちょっと違うと思うなー。
 山の上は、孤高では、ないよ。
 孤高でありながら、演奏しようとするヒトは、山の上にいようとはしないのではないかな?

 山の上は・・・・
 そうだな。自分で自分を産む、子宮みたいなものなのかな。
 ちょっと今、思っただけだけど

うぇ〜ん!>違うし(ぜんぜん、違う)。

「惚れるってこと」の定義は、
単行本P214に、
自分とは違った望みを持っている奴がいて、
そいつと自分が関わり合ってしまっているってことを、認めること

と、(登場人物の中では最も「強い」人間として描かれている)曾根のセリフを利用して綴られているけれど、
つまりここでも、「違い」よりも「関係」が重視されている・わけで。
終わりに近づいたこの小説は、
単行本P216で、
私たちの世代を抜け出る

とゆー言い回し(=レトリック)で、
パルタイ(=党・・・ここでは、たぶん、日本共産党。)を超え、ブントを踏み台にする「新世代」(=ビートルズ世代であり、実は、全共闘世代。がくっ。)を匂わせ、
終わりにふさわしいパズルのピースを取り出す。
文庫本のことは知らんが、
単行本には続いて掌編「ロクタル管の話」が掲載されている。
この掌編の
単行本P226で、
透明な正確さ

とゆーレトリックが出てくることを私は見逃すことができない。
ここでの「正確さ」はポジティヴな使用法であり、
P188のネガティヴな使用方法と比較してしまうのである。

単行本P229にも、
三角定規みたいに正確な

とゆー使われ方がされている。
この掌編の舞台は1950年の朝鮮戦争が時代背景であり、
書かれたのは1960年、60年安保締結直前に発表された。
今日、6月19日は1960年に安保条約が自然成立した日。
1950年に朝鮮戦争が始まったのも、6月だった。
(嗚呼、6月!
『されどわれらが日々―』を語るのにもっともふさわしい月!)
長編「されどわれらが日々―」が書かれ&発表されたのは、1963年。
明らかに安保闘争の経験が作者=柴田翔に
「正確」という言葉の意味を変容させたのだと私は思う。
それまでの数学的な「正確」さの美しさに憧れる象徴としての
少年(≒純情な中学生?)から、
「正確」が「正確」であるという理由だけで、
なにかつらいものになってしまう安保後の純情

しかし一方で、
単行本P234の、
純粋な怒り
ああその勇気!
その誠実!
本当の炎
一瞬自分らの不純さをまざまざと照らし出された

を読んで、連合赤軍に入った女子大生も
数多くいたのではないか・とゆー「罪深さ」も感じちゃう・の。

>孤高でありながら、演奏しようとするヒトは、
>山の上にいようとはしないのではないかな?

もちろん、あさま山荘も「山の上」にあったんだけど、
演奏しようとする人は観客がいる or いない・は、
二次的なもの・なのかもしれないよ。
17歳から、はみだしてゆくあの3回で。
『われら戦友たち』の表紙カバーの折り返しに書かれた
登場人物たちのセリフからの引用。
三木一生のセリフなんぞ、まるでポール・ニザン『アデン・アラビア』の出だしを思い出させる。

『われら戦友たち』は、『されどわれらが日々―』同様にタイトルに「われら」が含まれているし、
同じように政治運動に挫折する若者たちの小説だ。
しかし、1963年と1973年の10年の時間差は大きかった。

『されどわれらが日々―』はまるでジャズ・コンボのようだし、
『されどわれらが日々―』はレッド・ツェッペリンのようなきらめきがある。
しかし、「新しい」と「知的」は、また違うもので、
『されどわれらが日々―』には何物にも代えがたい不器用な永遠の「知的」さがある。

後ろの穴から、はみだしてゆくあの3回で。
『われら戦友たち』の裏表紙に書かれた
小説からの引用。
ローラに花束を! 自分とは違った望みを持っている奴がいて、
そいつと自分が関わり合ってしまっているってことを、認めること

人は、自分の世代から抜け出ようと試みることさえ出来るのだから


どちらも、19歳のろーらは下線引きまくり。

1960年後期・第44回の芥川賞候補作でもあった『ロクタル管の話』は、
文庫本にも収録されてます(因みにこの時の受賞作は三浦哲郎の『忍ぶ川』)

「正確」という言葉における、社会背景を切り口にした考察はおおー。と思いますが、でも
「ポジティブ」・「ネガティブ」な捉え方(つまり修辞)は
結局は、自分の側が求めてる限界上に存在してるものだ・・・
という描写を、きっちり行ってるところが、作家が作家である所以。ともまた、思う処でありんす。

単行本P234の描写は、文庫ではp207なんですが、
その4ページ後、

そういうエピソードのうちに、ぼくらは時々見慣れないものに
ぶつかり、おどろかされ、ふっと戸惑うことはあったのだけれど

ということが、くり返し差し込まれていることに。

そして、引用の単行本p234に対応する部分として、ラストの

浮々と自己欺瞞に身をゆだねた僕だったのだろうか

汗もぬぐわず、まわりも見ず、ただ激しい感情に耐えながら

何ものへとも知れぬ怒りのためにわなわなとふるえ、遂にはそれを道路に叩きつけた

 が、あるのではないかな。

 と思うのです。
 そう、きっとこの部分が、左手伴走の部分?
 通低音として響いている、ドローン??

 そして、『されどー』以降の作品を読み進むと、彼がベースに弾かせようとしてるものが、
彼をもっと「作家としては」危険な方へ。読者としては魅力的な方へ
果敢にも運ばれていってることが、読み取れたりする・・・
 のは、やっぱ、私が熱烈読者だから

>もちろん、あさま山荘も「山の上」にあったんだけど、
演奏しようとする人は観客がいる or いない・は、二次的なもの・なのかもしれないよ。

 →「演奏」と「観客」、もしくは「山の上」と「勘客の在・不在」が関連事項として挙がってくる、
という思考回路そのものを持たなくなってしまってる、
というのが、すなわち「山の上」で暮らす弊害なんだなきっと(笑)
 つまり、社会的連想に無防備になりすぎってこと?

 「孤高」と「山の上」を並列対比させての言及、の方に主眼があったの。
 もちろん、「演奏」は、ステージとは無関係になされることだよね。

うぇ〜ん!>1960年後期・第44回の芥川賞候補作でもあった『ロクタル管の話』

ああ、そうだった。
しかし、まるで芥川龍之介の短編のように精密な和菓子(?)のような作品が書かれ、
しかも、それをちゃんと評価(=たとえ「候補」まで・であったとしても。)する立場が
あった時代は、
(いろ&いろあろーが、)「良き時代」であったと無責任に憧れたい気もしちゃうのだめ。

>その4ページ後

私は「その4ページ後」の1ページ前、
言葉が、ぼくらの心にたどりつくと

に、ピンクのライン・マーカーを引いたわけで。
これも&また、作者の「その4ページ後」の文章、
そのままを引用しちゃえば、やはり、美しさと言うことだったのだ。なのだ。


>「作家としては」危険な方へ。読者としては魅力的な方へ

ふと、思い立って中野翠『生意気時代』
(1992年3月20日、これも!文藝春秋、初版)収録の、
「『ノルウエイの森』と『されどわれらが日々―』」
(初出は、『諸君!』1988年11月号)を読み返したけれど、
つまらん・かった。
もっと深い考察があったよーに記憶しているけれど、
実際の『されど〜』を読了した=体験した私には、がくっ。

むしろ、翠がミドリを(がくっ。)引用している『ノルウエイの森』の主人公たちの
会話(=当時の翠はこれを、「オシャレ」なセリフと呼んでいる・が・笑。)、

「すごく可愛いよ、ミドリ」
「すごくってどれくらい?」
「山が崩れて海が干上がるくらい可愛い」

とか、

「君が大好きだよ、ミドリ」
「どれくらい好き?」
「春の久保だよ〜ん♪熊くらい好きだよ」

ってーのは、21世紀の今日でも、山の上で屋根裏の詩人が言っていそうなセリフだ。

そして、「観客」ではなく、

勘客

であるのは、演奏=ライブの主と客が、
限りなくフラットになってゆく「現場」に君が立っているからだ。

と、ここでコメントを切り上げるのが最もクールだけど、

やっぱ、(ダサいが)超蛇足で言えば、

「観る」のも演奏に劣らない「表現」だから。
中野翠『生意気時代』から、はみだしてゆくあの3回で。
中野翠『生意気時代』に書かれた
「『ノルウエイの森』と『されどわれらが日々―』」のページ。

ルートはやんちゃで、うちに来てくれた時も、絶好調に廊下でずっと踊ってたのに・・・

感触から、はみだしてゆくあの3回で。
2004年6月6日(日曜日)に北海道新聞に掲載された柴田翔のインタビュー。
ローラに花束を!>しかも、それをちゃんと
>評価(=たとえ「候補」まで・であったとしても。)する立場があった時代は、
>(いろ&いろあろーが、)「良き時代」であったと
>無責任に憧れたい気もしちゃうのだめ。

→それは、私もこの本読んで、賞候補にのぼったと知った際に思いました。
 でも、現在のよーな?芥川&直木賞の時折「???」な選考&受賞状況が、
 高橋源一郎の文芸時評や、豊崎由美&大森望『文学賞メッタ斬り』、
 豊崎&岡野宏文『百年の誤読』のよーな、
 愛溢るる高度な遊び&芸を提出して貰える土台と土壌にもなったんだろうな。
 と、思うと、全然オッケーかも。
 って、思ったりも、するのです。
言葉が、ぼくらの心にたどりつくと

やはり、美しさと言うことだったのだ。

これが、この作品の、テーマ旋律なんですよね。実は。
 冒頭の、「キミは、ロクタル管を知っているかい?」という、
 耳元で遠くから囁かれるような、声。
 そして、「左のポッケにゃロクタルカーン」という、リフレイン。
 どちらも、「透明な」夕焼けの向こうの、ただ、美しいだけの、残照

>もっと深い考察があったよーに記憶しているけれど、
>実際の『されど〜』を読了した=体験した私には、がくっ

→中野翠は、「照れ」という東京っ子の感性が切り口のコラムニストだから〜。
 つまり、その「時代」において、「ダサい」ものを摘み上げるのが仕事。。。
 そういった仕事は、「時代」にやがて裏切られていくし、
 そうされることが又、誉にもなるって自覚と覚悟の元に、
 同世代?の村上春樹を恥ずかしがっていたんだと思う。

 で、「ダサさ」を抜け出ようとするものは、時代と共に心中する運命にある一方で、
 「ダサさ」の追求と、「ダサさ」にあるものを抱きしめようとする意志(勇気?)は、
 文学としての普遍を産むんだなー。
 と、この久保さまのミドリ抜書きを読んで改めて思ったなり。
 太宰が読み継がれてる、理由とか。
 宮崎駿が、大家になれた、理由とか。
 
>と、ここでコメントを切り上げるのが最もクールだけど、
>やっぱ、(ダサいが)超蛇足で言えば

→で、上記ともやや関連する内容ですが
 (そして、この次の日記の内容とも関連しての連想だったりもするんですが)、
 個人としての、「ダサい」人間関係(恋愛とかね)や、
 自分の自意識(まさに、ダサさの源!!)と、ちゃんと向き合って初めて、
 社会的に「クール」に振舞うことが出来るんだろうな。
 と、思うのです。

 自分の「ダサさ」を隠し通したい、というのが、
 「いじめ」や「差別」や「見ない振り」や「暴力」や
 「思考停止」の温床なんだろうな〜
 って、感じることが、いっぱいある。

うぇ〜ん!>愛溢るる高度な遊び&芸を提出して貰える土台と土壌

まぁ、でも&それは、
天才、筆を選ばず。(……弘法筆を選ばず。)
だな。

>冒頭の、「キミは、ロクタル管を知っているかい?」という、
>耳元で遠くから囁かれるような、声。

CCRの曲みてみて。「Have You Ever Seen The Rain」に、
「雨を見たかい」っー邦題をつけたセンスは、
そこに準備されていたような気が強くしちゃうな。

昨日、妻の葬儀が終わった川本三郎は、
かつて雑誌『朝日ジャーナル』の記者だった頃に、
赤衛軍事件(陸上自衛隊朝霞基地で、
武器奪取を目的に自衛官1人が殺害された)を取材し、
当時、日大生の犯人と接触する。
初対面の犯人は、宮沢賢治が好きだと言い、
ギターでCCRのみてみて。「雨を見たかい?」を弾き、英語で歌った。

川本は、この2つで彼を信用してしまい、
後に逮捕され、朝日新聞を解雇されることになる。
「共犯」の甘い罠♪は、
「考え」抜いた人には、「考え」ていない状態にでも、
すすすすすっと入ってくるんだね。
それは、夜盗のように(Run like a thief.)。恋のように。

>ただ、美しいだけの、残照。

うさぎの耳は、頭の上に2本、屹立したロクタル管7N7、か。

>その「時代」において、「ダサい」ものを摘み上げるのが仕事。。。

そーゆー意味じゃ、中野翠は優秀な「芸」人だな。
文による「芸」だから、文藝・か。
枡野浩一などの登場(=需要)も、「芸」から・だろう。
で、「芸」の井戸の底に「本質」が・(ある場合も)ある。

>「ダサさ」にあるものを抱きしめようとする意志(勇気?)

つまり、「ダサさ」なんぞ、たかが瞬間のモードにしかすぎない。
その瞬間に「ダサい」存在になる理由は、
その直前の「紋切り型」であったから、だろーし、
「紋切り型」を「ダサい」と処理しよーとする時代意志は、
ある種の優しい集団ヒステリーとしての「本能」なんだろう。
そしてそれは、

>自分の「ダサさ」を隠し通したい、というのが、
>「いじめ」や「差別」や「見ない振り」や「暴力」や
>「思考停止」の温床なんだろうな〜

にも抵触する。まちがいなく。
だから、我々、21世紀型インテリゲンチャン(がくっ。)は、
「ダサい」を笑いとばし、
同時に井戸の底で「本質」を汲み出し、
山の上で恋人を抱きしめて、
「かっこいい」と、耳元で遠くから囁かさせるために、
今夜も真夜中のバスを走らせるのだ。
訃報 川本 恵子 (かわもと・けいこ、ファッション評論家)

2008年6月17日、食道がんで死去、57歳。
喪主は、夫で評論家の川本三郎(さぶろう)。

80年代からライター、評論家として活躍。
著書に、『ファッション主義』『魅惑という名の衣裳』など。
わぁ!恵子さんだ。



イルクーツクから、はみだしてゆくあの午前4時の3回で。
2006年7月23日(日曜日)に日本経済新聞に掲載された柴田翔のエッセイ。

メディアの宿命としての共犯
I went down to
the media crossroads,
fell down on devil's knees !
text by うぇ〜ん!久保AB-ST元宏 (2008年11月9日 日曜日 3:42Am)
オバマ後、麻生最中(がくっ。)に。
2008年11月7日、筑紫哲也の死を報道する『筑紫哲也NEWS23』

うぇ〜ん!もちろん、今も昔もミーハーな私が筑紫哲也を知ったのは、
1978年4月2日からテレビ朝日で放送開始された
報道番組『日曜夕刊!こちらデスク』だった。

当時の私は高校2年生で、新聞会とゆーやつに入っていたので、
新聞記者がテレビのキャスターになるというクロスぶりに仰天した。
朝日新聞が筑紫の追悼評伝の冒頭から書いているように、
「この国で、メディア間の人材移動の壁は意外に厚い。」からだ。
しかも、新聞とテレビでは当時はまったく異質で交流すら無かった。

もっと驚いたのは、それが面白かったことだ。ニュースが面白いなんて、
なんだか「悪いこと」のような気がした時代だった。
その面白ぶりは、なんとこの後継番組が『タモリ倶楽部』だとゆーぐらい。
『日曜夕刊!こちらデスク』の放映期間中1981年10月〜1982年9月に
パロディとして、「夕刊」とゆー漢字がカタカナの「タモリ」に似てる
ゆーぐらいのシャレで始まった(のだと、私は思ってる・笑。)のが、
タモリ司会による『夕刊タモリ!こちらデス』だ。
いろいろあって(笑)、なんとパロディ番組のほうだけが残った(がくっ。)。
それが1982年10月から、『タモリ倶楽部』として深夜枠に移行して、
現在も続いているのだ。
1980年。どこからでも、始めることができると思っていた。
1980年8月の私の写真アルバム。
8月27日の、筑紫哲也と立花隆との公開対談を聴きに私は行ってる。
テーマは、田中角栄をモチーフとした「権力は必ず腐敗する」情況を、
ジャーナリズムが報道する義務と手法について。

当時の私は、札幌で浪人生活をしていたのだが、
ごらんのように、遊んでばかりいたよーだ(がくっ。)。

ちなみに一緒に写っている共犯音楽祭★Music〜音という抽象芸術♪『第4回 ツー・アウト・フルベース・コンサート』とは、
札幌のアマチュア・バンドが集まって自主企画し、
東京から気に入ったプロをゲストに呼んで、
合同で行った3日間のライブ・イヴェントのこと。
■頭脳警察の1972年3月に発禁処分にあったファースト・アルバム『頭脳警察1』★いいわけなんて、いらねぇよ。PANTA & HALらが東京から来た。

映画やっぱ、映画館で観たい♪『狂い咲きサンダーロード』は、
石井聰亙(1957年生まれ、当時23歳。)の日本大学芸術学部の卒業制作。

それらを観ながら、私は早く東京に行きたくて、うず&うずしていた(笑)。
そしてこの年の12月8日、ジョン・レノンニューヨークで射殺される。
私は新聞と音楽と映画の中から、音楽を(とりあえず)選ぶことになる。

うぇ〜ん!もともと知ってはいたことだけど、
死亡記事によって、あらためて筑紫の高齢ぶりに驚いた。
私の中では、なんとなく、「兄貴」的ポジションだったのだが、
1935年6月23日生まれというから、むしろ私の「親」の世代だった。

『朝日新聞』の死亡記事などは、
「数少なくなった戦争を知るジャーナリスト世代」と、
まるで戦中派のようなーじじい扱い(?)。
確かに、敗戦時の彼は10歳だし、
筑紫が1989年に朝日新聞を退社してから19年も経っているのだから、
現役の朝日新聞の記者で記者・筑紫を知らない世代も多いのだろう。

つまり、驚くべきは私自身の高齢ぶりにも、か。がくっ。

で、今さらながらに気がついたのは、
筑紫と小説家のパラパラ・・・柴田翔は同じ1935年生まれ、だとゆーこと。
ここ数日、柴田翔のことを考えていた私には、符合、だった。
『メディア ―それは何だったのか』から、はみだしてゆくあの午前4時の3回で。

いつまでたっても読み始めの、『ゲーテは何だったのか』から、はみだしてゆくあの午前4時の3回で。
1995年4月5日 『朝日新聞』
柴田翔の「ゲーテを追って迷い込んだ世界」と題したエッセイの一部。
柴田は同年3月に東大教授を退官し、4月から共立女子大教授になった。
柴田の長い東大生活の「総括」のような文章。
引用の最後に書かれている「さまざまな事件」とは、
同年1月17日の「阪神・淡路大震災」や、3月20日の「地下鉄サリン事件」などのこと。
うぇ〜ん!柴田は1月19日生まれなので
6月23日生まれの筑紫よりは1学年先輩だが、
東大在学中に工学部から
文転(=理系から文系に鞍替えすること。)して独文科を卒業し、
1960年、同大学院独文科修士課程修了、助手となる。

筑紫は1959年に早稲田大学政治経済学部経済学科を卒業して、
朝日新聞社の政治部に入社したのだから、やはり、
人生のスケジュールを前後させつつの同じ1935年生まれの人生だ。

この二人は敗戦後のインテリのパラレルな「生き方」の
モデルケースである、と私は思う。

柴田は、1961年に『親和力研究』でゲーテ賞を受賞、翌年ドイツ留学。
筑紫は政治部の後、返還前の琉球(沖縄)特派員、ワシントン特派員。
柴田のドイツと、筑紫のアメリカは、それぞれの思想形成に
それぞれの複雑な好悪の感情を含めて生きているのだと思う。

それは母国ニッポンとともに敗戦した世界の田舎としての、ドイツと、
母国に勝ち、政治のみならず文化のすみまで犯し続けているアメリカ。
どこまでもストイックに考え続ける冬の国としてのドイツと、
無邪気なまでにどこまでも開いてゆく夏の国アメリカ。

1935年世代の東大生には大江健三郎もいる。大江は大学在学中の
1958年、「飼育」により当時最年少の23歳で芥川賞を受賞。
テレビ演出家で、のちに小説家としても大成する久世光彦も、
1935年生まれで東京大学文学部美学美術史学科卒。
柴田も1964年に『されど われらが日々―』で第51回芥川賞を受賞。
1935年生まれ東大出身者の文学偏差値の高さに、ただ驚いてしまう。

特に『されど われらが日々―』は、約10年間に渡る
ロングセラーとなり、この時期の若者に熱狂的に指示される。

しかし、柴田は1975年の小説『ノンちゃんの冒険』以後、
ほとんど小説を書かなくなる。
ゲーテを研究するドイツ文学者として東大の教授職に専念するのだ。

うぇ〜ん!柴田が「表現」から手を引いた直後の1978年、
筑紫は外報部次長時代にテレビ番組『こちらデスク』に登場してくる。
まるで、舞台から役者が変わったかのようだ。

それは、オウム真理教「事件」に対して、
上記に添付したエッセイのように
どこまでも自分の内面の抽象化で本質に迫ろうとする柴田と、
現場としてのジャーナリズムのスタンスを律し続けた
優れたパフォーマーとしての筑紫の、
それぞれの本能的対応の差に現れていると思う。

もちろん、そのどちらが正しいか?では、ない。
その両方を持てた我らの時代の幸福を記憶しておきたいのだ。
ああ、そうだ、『オウム ―それは何だったのか』から、はみだしてゆくあの午前4時の3回で。
1996年3月26日 『北海道新聞 夕刊』
筑紫哲也が死んだ日、ジャーナリストの田原総一郎(74歳)は
朝日新聞の取材に対し、本件に対し、
「発言後も出演を続けるのはおかしいという批判もあったが、
出続けるのが彼のやり方だった。」と振り返り、
「頼りになる戦友を失った。」と語った。

うぇ〜ん!私が今夜、考えていることは、「まるで、舞台から役者が変わったかのよう」に、
閉じた柴田と、開いた筑紫が交差した1970年代中盤、という時代の思想的位置付け、だ。
苺畑から、はみだしてゆくあの3回で。 柴田の若きブレイク作であり、代表作である小説『されど われらが日々―』が売れまくった1964年から1974年の10年間とは
まさに、新左翼が公然と武装闘争を行うためにセクトが分裂しつつ生まれ、膨らみ、
その素性ゆえに内ゲバで消滅していった時代であった。

私は柴田の思想的破産がこの時期にあったのではないかと想像している。
それを準備したのが、柴田の代表作である1950年代のインテリを描いた小説『されど われらが日々―』と、
1970年代初頭の過激派を描いた小説『われら戦友たち』との間の時代、つまり1960年代だったと思う。

柴田が、まさに筑紫の前でその時代の総括をした瞬間が、下記に引用した対談だ。

パラパラ・・・『全共闘 ―それは何だったのか』
(1984年12月15日、初版、現代の理論社)

『全共闘 ―それは何だったのか』から、はみだしてゆくあの午前4時の3回で。読み始めの、『全共闘 ―それは何だったのか』から、はみだしてゆくあの午前4時の3回で。
筑紫哲也がホストになり、作家の柴田翔から話を聞きだしている。
ここで語られているのは、1960年代後半の日大闘争と東大闘争の違い。

2008年11月7日午後1時50分、東京・中央区の病院で肺がんのため亡くなった。73歳だった。 うぇ〜ん!研究室に閉じこもった柴田とのコントラストを強めるかのように、
筑紫は世界へと開いていった。

軽薄にも「越境」という言葉を使わせてもらえば、
筑紫はジャーナリズムからサブ・カルチャー側へと越境した。
同じことをしていたかのように見える『ニュース・ステーション』の
久米宏はサブ・カルチャーからジャーナリズム側へと越境していた。

それは、ジャーナリズムもサブ・カルチャーも多様化した1980年代を
迎えていたから、二人は時代に求められていたのだろう。

しかし、また問われるのは、ジャーナリズムとは何か?で、ある。
越境と、飲み込まれるは、まったく別のことだ。
筑紫哲也がぶれなかったのは、ジャーナリストだったからだ。

うぇ〜ん!ジャーナリズムとは、
常にリアルに世界に開いてゆく姿勢のことだと思う。
その時に求められる力は、「知識」、「研究」、「分析」、そして「表現」だ。
筑紫はそれらのバランスがとれていた。
そして彼は、テレビの前の我々には常に「表現」者として登場していた。
それが私が先ほど書いた「優れたパフォーマーとしての筑紫」、だ。

筑紫以前はニュース・キャスターが持論を語るのは禁じられていた。
同じ理由で、ニュースにBGMや過度な演出効果は避けられていた。
しかし、「伝えたいこと」があるならば、その努力は必然だ。

それが、それまでの「原稿読み」との決定的な差だ。
それまでのニュースは誰が原稿を読むかには匿名性が求められた。
新聞記事も無署名であることが、
あたかも記事の客観性を保証しているかのようだった。

しかし、客観的な報道など、幻想なのだ。

だから我々は、筑紫がニュースを伝える時間を待ったのだ。
それを「表現」と名づける時、
私は筑紫と同じ1935年生まれの表現者を想う。

今、私は柴田翔が研究室から出てきて、
ふたたび小説を書き出すのを待っている。
葬儀は近親者のみで行い、後日お別れの会を開く。喪主は妻の房子(ふさこ)さん。