IconI'll follow you wherever you may go!
top page⇒うぇ〜ん!『共 犯新聞』Artとは、ニューヨークのホイットニー美術館から、大阪の乙画廊まで、どこでもドアの奥で、今夜、パーティが2時から開かれる!美術★Art ♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To DieROCK★ロック パラパラ・・・偏愛書物★Book Oh ! うめぇ〜♪ジューシーな豚肉ソティ!好 物★Gourmet やっぱ、映画館で観たい♪映 画★Movie
moto_kubo@hotmail.com
モンパルナス
Artとは、ニューヨークのホイットニー美術館から、大阪の乙画廊まで、どこでもドアの奥で、今夜、パーティが2時から開かれる!藤田 嗣治 (1886年〜1968年)
Leonard Foujita
パー ティの孤独な中心。もしくは、たった一人での共犯。




text by.うぇ〜ん!久 保AB-ST元宏 (更新日;2008年7月18日 3:10Am)
2008年の北海道美術、最大のイヴェントは『藤田嗣治展』だろう。
もちろん、晩年に「日本に捨てられた」とまで考えていた「世界の フジタ」が没後38年を経て、よーやく日本との和解をしたかの よーだった、
2006 年の東京国立近代美術館での『生誕120年 藤田嗣治展』ほどの「事件性」は無いが、それでも、このタイミングで、このボリュー ムは、うれしい。
Artとは、1920年代のパリで、どこでもドアの奥で、今夜、パーティが2時から開かれる! それと言うのも、フジタ・ツグハルとゆー存在は、
「グローバリズム」とか、「普遍性」とか、はたまた
「孤独」とか「自立」なんてゆー問題そのものだ。
さらに、「戦争と個人」とか、「国家と役割」なんて
ゆーテーマもたっぷり、ふくんでいる。
もっとイジワルく、「過剰なるエゴイズム」とか、
「ゆがんだナルシズム」と、刻印もできる。
それらぜんぶをひっくるめて、「愛」、と
うそぶいてみるのですら、フジタには似合う。

意地悪と我儘と甘えと、愛。

つまり、フジタとは今日的課題そのものなのだ。
Artとは、大阪の奥で、今夜、パーティが2時から開かれる!
うぇ〜ん!私 にとってのフジタとの「出逢い」は、1990年代初頭だ。
もちろん、日本が生んだ偉大なるエコール・ド・パリ(=パリ派)の巨匠、レオナール藤田の名前も作品もいくつか知っていた。
しかし、「知っていた」ことと、「出逢い」は、また別のものだ。
それは、1990年か、せーぜーその翌年ぐらいの年、私は旭川市のデパートの中にある小さな画廊に行った。
それは目的もなく、単に、そこに画廊があったから入っただけで、
その画廊そのものも、テーマもなく、バラバラの画家のバラバラの絵(→実際、薔薇の絵が多かった・笑。)が、
いかにも「新築祝いに最適ですよ♪」みたいな顔で売られている、だけであった。
その無駄にゴージャスな薔薇の絵や、銀行のカレンダーのよーな風景画が、「絵」よりも「値段」を売っているような営業努力を展開していた。
そんな中に、ぽつんと、B5のわら半紙にエンピツで無愛想に描かれたスケッチが売られていた。陰影も無く、少ない線で丸い顔のみが描かれてい た。
むせかえる「営業努力」の中にあって、まるで屋上のサボタージュのような絵。いや、絵、とゆーよりは、そこだけ絵が飾られていない壁だけのよ うな透明性すらあった。
驚いた。なんだ、これは。そして、欲しい、と思った。
画家の名前は・・・・・・、なんと、藤田嗣治。もう一度、驚いた。
こーゆー、画家は大きな美術館でしか観ることができないのではないのか?気軽に「金」で手に入れて良いものなのか?とゆー甘い犯罪の匂いまで してきた。
それと同時に、自分が今まで藤田嗣治の絵をきちんと観てこなかったことに気がついた。
それも&そのはず、後で知ることになるのだが、「日本に捨てられた」国際画家フジタは、日本では冷遇され、体系的な回顧展や画集すら存在して こなかったのだ。
そして値段を見た私は、3度目の驚きを体感する。もう忘れたが、それは、3万円とか、30万円とか、とにかく自分で買えそうな値段だったので ある。
当時、結婚したての私は、自分の結婚記念に・と、まるで都合のいい理由をインスタントにでっち上げて、フジタのこの絵を買おうと思った。
しかし、買わなかった。
まぁ、ゲップが出るほど絵を観るようになった今ですら絵を積極的に買わない私だが(がくっ。)、
なんだかその時は、その恵まれすぎた偶然の、その絵との「出逢い」が怖くなったのだ。

Yeah! ★面白い、おフランスおじさま♪
うぇ〜ん!それからの私はなぜか、
集中的にパリに関わる絵、小説、哲学、歴史書、映画などをむさぼった。
NHK教育テレビ『フランス語会話』を、
毎月のテキストまで買って独学までした。
まぁ、もちろん(?)フランス語はまったく身につかなかった(がくっ。)が、
この番組は「語学」だけではなく、
哲学者のレジス・ドゥブレやフィリップ・スーポーなどが毎回、登場しては、
「アポリネールとブルトン」とか、「ドワノーとプレヴェール」などに
ついてフランス語で(!)講義をしてくれて、そっちにハマっちゃった。

そーこーしているうちに、1993年から刊行が始まったばかりの
ヴァルター・ベンヤミンのパラパラ・・・『パ サージュ論』(全5巻、岩波書店、
訳;今村仁司、三島憲一)が、となり街の深川市の古本屋で
3冊も売っていて、飛びついて&買って、読み終えるころには、
「もう、私はパリに行かなくてはならない。」と、
決意していたんでした〜(笑)。

ちょうどその頃、10年ぶりに生まれた街=沼田町に
再び住みついて数年たったタイミングで、役場が主催する
若者の町おこしグループ(笑)への参加に誘われ、入った。
そこの会報の創刊号に私が自己紹介インタビューをされ、
そこで私は、インタビュアーの「やりたいことは?」との質問に、
「ベンヤミンの『パサージュ論』を読んで、パリに行きたい。」と、
ふつーに答えているんだけど(笑)、イヤなヤツだなぁー(今も)♪

Yeah! ★面白い、パサージュ論♪ Yeah! ★面白い、パサージュ論♪ Yeah! ★面白い、パサージュ論♪
刊行直後に古本屋で手に入れて、読んだ、3冊。
これ以外に、第2巻「ボードレールのパリ」と、
第5巻「ブルジョワジーの夢」もあるが、読んでいない。
そっちもタイトルだけで、よだれ出るよな。

迷いこませてやる。
「パサージュ」とは、パリの地下の迷路のような商店街の こと。
うぇ〜ん!で、沼田町にいながらにしてパ リを想うことは、
なぜか、パリが一番輝いていた1920〜30年代に
パリで一番輝いていた日本人、フジタの「孤独」を想うことに
いつのまにかつながっていたのだ。

私がパリへ行くことを決めた時、東京の共犯音楽祭★TERAのROCK名盤100枚!★Music〜音という抽象芸術♪テラダヤから届いた1枚 のハガキ。
たぶん、テラダヤが生涯で書いた文章で最高傑作だろう(笑)。
テラダヤがこの中で書いている「犯罪大通り」の歌詞は、♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To Die「こ こ」を探せば、ある(笑)。
こんどテラダヤが札幌に来たら、お食事とお酒&カフェ!ガンゲット・ダイマ
連れて行ってあげようかな♪

Yeah! ★テラダヤからの葉書(笑)♪
Yeah! ★テラダヤからの葉書と、飛行機チケット(笑)♪

パリ行きの飛行機チケット。

そうだ。Yeah! 「寝室の裸婦キキ」1922
「寝室の裸婦キキ」(1922年)
”モンパルナスの女王”と呼ばれたキキがモデル。この新鮮な画風により、パリでのフジタの人気が決定的となった。
うぇ〜ん!ついに私が1996年にパリに行く 頃には
もう頭の中にパリ市内の地図が叩き込まれ、
パリのどこを歩いても、もう何度も来た街のようになっていた。

そんなパリだから、行きたいところばっかだったんだけど、
ここ、モ ンパルナスの
「カフェ・ル・ドーム」も、かかせない場所だった。
1913年、初めてパリに着いたフジタは時代に巻き込まれ、 寵児となり、
毎晩、「カフェ・ル・ドーム」でモディリアニやキキたちとパーティを続ける。
おかっぱ頭と丸メガネのフジタは道化のように時代のスターとなったのだ。
カフェ・ル・ドーム内に今も飾ってある写真。藤田嗣治も写っています。Yeah! ★ここが、パリの遊び場♪
「カフェ・ル・ドーム」内に今 も飾ってある写真。
もちろん、藤田嗣治も写っている。
Yeah! ★こんなに、ル・ドームで喰う(笑)♪
1996 年4月16日、私が「カフェ・ル・ドーム」で食べた領収書。
「カフェ・ル・ドーム」には、予約はしないで、ふらり・と入ったんだけど、フラン ス語のメニューとギャルソンとの会話から、こんなものを選んで食べた♪
ワインは、ソムリエと相談してグラーヴにしたんだけど、めっちゃ美味かった♪ やっぱ、ワインは産地で飲むべき?そりゃ、スノッブすぎー。

Yeah! ★まず、喰う(笑)♪Yeah! ★久保も、喰う(笑)♪
Yeah! ★ギャルソーン(笑)♪Yeah! ★にこにこ、喰う(笑)♪

この食事の最中、誕生日から2日前の3歳児の長男、なにげにクツを脱ぎ、クツシタを脱ぎ、なにをするかと思え ば・・・・・・、
なんと、足の指と指の間にはさまっていた砂を手の指でこすって取り出しはじめた!
実は、数時間前にパリ北部の公園「ラ・ヴィレット」で長いすべり台に乗った時に、最後に降りた砂場の砂がクツの中に 入っていて、気になっていたらしい・・・・・・。
しかし、あの「カフェ・ル・ドーム」で足の指の砂そうじをしたのは、こいつぐらいじゃねーのか?
と、当時はアキレたが、今、考えると、フジタもやったかもね(笑)。っーか、やりそーだなぁ。

うぇ〜ん!そ んな5日間のパリ旅行から、4年後。
私は、『パリ日本館における藤田嗣治の絵画の修復作業への寄付募集』を 知った。
何のためらいもなく、寄付した。
後で知ったが、我が「株式会社 久保商店」以外は、超大企業ばかりの寄付だったようだ(笑)。
修復された作品は2つあり、
それぞれ1929年頃の作品だ。
藤田の優れた技術と完成度を示す作品として価値が高く、
観光客の人気スポットでもある。
修復は、日仏共同プロジェクトとして大がかりに進められた。
修復では、画面のクリーニング、剥落止め、裏面コーティング、
充填補彩、金の調子合わせ、ニスの塗布等が行われた。



そして、
寄付のお礼が、
世界の平山郁夫画伯から
平山先生!平山郁夫さま!
届いた。
Yeah! ★シルクロードおじさん(笑)♪

Yeah! ★えらい評論家(笑)♪ あの天下の美術評論家、
高階秀爾!
高階秀爾大先生からも、届いた。
そんなワケで、
株式会社 久保商店の
おかげ(?)で、
パリ日本館にある
Yeah! 「欧人日本へ渡来の図」と「馬の図」 の名がついた藤田嗣治作の大きな素晴らしい油絵★パリ日本人の財産(笑)♪
「欧人日本へ渡来の図」(縦300cm 横600cm)
と、 Yeah! 「馬の図」 の名がついた藤田嗣治作の大きな素晴らしい油絵★パリ日本人の財産(笑)♪
「馬の図」(縦 235cm 横462cm)
は、
今でも
美しい姿で
観ることができるのだ。

うぇ〜ん!あー、いつかそれを確かめに、またパリに行きたいな。フジタが再びパリにもどったように。
この2つの巨大な壁画を完成させてフジタは1929年9月、17年ぶりに日本へ帰国する。
それは栄光の「凱旋」であったが、フジタの後を追うかのように戦争も日本へ上陸し、フジタはまたしても時代に巻き込まれてゆく。ただし、今度 は不幸な時代に。
そうだ。Yeah! 「アッツ島玉砕」(1943年)
「アッツ島玉砕」(1943年)
戦争中に、「戦争画」を描いたと、戦後になってから非難されたフジタは、ついに1949年3月、日本を 捨てる。・・・いや、日本がフジタを捨てたのだ。

ねじれた砂糖菓子のような日本列島から吐き出されたツバのように、フジタはニューヨークへ向かい、やがてフランスに落ち着く。
フジタが日本での最後の言葉として、羽田空港で語った
「絵描きは絵に誠実に、絵 だけを描いてください。
仲間喧嘩をしないで下さい。
一日も早く日本の画壇も、国際水準に達することを祈る。」は、 有名だ。
その後、フジタが日本の土を踏むことは無かった。

もうすでに、あのすてきだったモンパルナスは見る影もなく、1953年、キキの葬儀に参列した有名画家は、フジタ、ただ一人であった。
1955年、フジタはフランス国籍を取得し、日本国籍を抹消する。
1968年1月29日、癌でフランスにて死す。享年81歳。
北海道近代美術館での、没後40年の「和解」に立ち会おうか?
『没後40年 レオナール・フジタ展』  9:30Am〜5Pm(入場は4:30Pmまで)
会期中の金曜日は、夜間開館 9:30Am〜7:30Pm(入場は7Pmまで)
休館日;月曜日(7月21日を除く)、7月22日(火)
\1200
この展覧会は、北海道から始まり、全国5ヶ所を回る。

ペニス・ケースのようなアンティークの笛を買う。

ハーレムに
架かる虹にも
黒は無し
(久保元宏 2001年6月)

★日付をクリックすると、♪好きな時代に行けるわっ♪あん♪アン♪歴史から飛び出せ!
たとえば11月27日の歴史

対立させてしまったものだから、「叙情・具体・生活」を、レベルの低いオカルトや安いドラマのような受け皿でしか掬えなくなってしまった

Bon anniversaire,
Monsieur Artとは、ニューヨークのホイットニー美術館から、大阪の乙画廊まで、どこでもドアの奥の脳味噌で、今夜2時から、パーティが開かれる!Leonard Foujita !

2010年124日 日曜日 原始的なものの処理の仕方の洗練、というのが、きっととても大切なんだろうな。人間にとって。 8Amの気温;−4.8℃
長女がお琴の『弾き初め会』に出演中、私は初めて入ったブック・オフ滝川店に3時間半。がくっ。
→100日雛で1050円かな。あとは日割りで一日単位で値段が上がっていく。2009年表現者とは、世界への回路そのものなものたち。。 お買い物♪;2010年1月24日(日)