
オランダの紋章
市庁舎の見学に行く時に、
オランダ語も英語もいまいちよくわからないわ、
という方の為に日本語訳を作りました。
ちょーっと見にくいかな?
ま、ないよりまし、だと思うので、読んでから行くか、
プリントアウトして持っていって、見ながら説明を受けると、
かなりよくわかると思います。なーんて親切!(笑)
市庁舎について
マーケット広場に建つ市庁舎は、1426年の大火災によって
一度消失しましたが1452年にマーケット広場の反対側に再建され始め、
正面は1458年に完成しました。
何世紀にも渡る建築によってついに今の状態になりました。
南オランダの建築家ファミリー、ケルダラマンスの中から
8人がこれを手がけました。
1940年5月17日にはドイツ軍の爆撃によってこれまでにない
大打撃を受けましたがしかし、その後の長い修復活動によって
再び市の中心に堂々と蘇りました。
玄関(入り口ホール)
市庁舎の入り口を入ったところ
市庁舎の玄関は、最高裁判所でした。
ここで判決が言い渡され、死刑になる事もありました。
これは市庁舎が行政と司法の両方を司っていた時代の事でした。
壁に光るタイルは17世紀の始めのものです。
パン棚と聖貝棚も同じ頃のものです。
棚の上野陶器はデルフト焼きです。
ハッティンガの地図はゼーランドが18世紀にはどのようだったかが見られます。
ショーケースの中には1650年型のミデルブルグの商船プリンスウィレム号です。
結婚式の間
この広間はしばしば結婚式に使用されます。
2枚の荘厳なブリュッセル製の17世紀の壁掛けは、
ヨットのある情景と動物が描写されています。
そして暖炉と銅製の教会のシャンデリア、オーク材の棚などがあります。
マントルピースの片側には1760年に描かれた
ヤコブ ファン デル マンデレ一家の肖像画があります。
修復中、ここの天井は気の柱で修理され、
その他の上の階はコンクリートで堅められました。
母柱の根本のコンソーレには「誕生」「青年」「壮年」「老年」を
表す彫刻が置かれています。
昔は結婚式の間は裁判所として使われており、
小さな権利の侵害について争われていました。
階段スペース
上階へ通じる階段のあるスペースでは、色々な絵画を見る事ができます。
数ある中でも、市庁舎は1839年には、w,ボウルセンによって描かれました。
上階の食器棚には、中国や日本、フランス製のものが置かれています。
会議室
MIDDELBURGの紋章。左下の写真はオランダ女王。
毎月ここでは市会議員による会議が行われています。
マホガニー製の家具は1950年のものです。
天井の梁は、鉄筋コンクリートの上に16世紀風にペンキが塗られました。
コンソーレには星座の彫刻が見られます。
正面の壁には1800年頃からある太陽を型取った時計とミデルブルグの紋章
これには双頭の鷲と皇帝の冠が見られます。
その隣には格言が大きく書かれています。
「誰からも文句が出ずに事をすます事はできない」
右の壁にはミデルブルグの村々
(アルネマウデン、シントローレンス、ニュー エン
シントヨースランド、クレイビスケルケ)
の紋章も並んでいます。
村の紋章。真ん中の赤いのがミデルブルグ
市長と助役の部屋
会議室の隣りには市長と助役の会議室があります。
多くの人がここは市庁舎の中でも一番美しい部屋だと言います。
特に、枕棚は17世紀末、木の壁もその頃のもので
これは本来、箱ベッドでした。
(昔、ベッドは箪笥のような物の中にあり、中に入って扉を閉めて寝ていました。)
入り口はその部分です。
ショーケースには、ゼーランドの硬貨とミデルブルグの銀細工が展示してあります。
マントルピースにはデルフト焼きのタイルで飾られ、
その中にはスキピオとハニバルが描かれています。
市民の間
この広間は昔、布の取り引きに使用されていましたが、
今では市民の間として代表団をお迎えしたり、
新しい市民の歓迎会が行われたり、新年会や小さな
コンサートが催されたりもします。
ここには17世紀の棚、昔のミデルブルグの統治者の絵画、
銅のシャンデリア、そして18世紀から伝わるアムステルダムの時計があります。
1650年にシントセバスチャンのギルドがケルン出身の
コルネリス ヨンソンに描かせたグループ絵もあります。
シントセバスチャンのギルドは今でもあり、
この絵はそこからの借り物です。
2枚のカーペットは1550年頃に制作さえたもので、
ギリシャ神話のアタランタとメレアガーの猟りの冒険について
語られています。