地 質 と 地 形 2
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三 波 川 帯
 最北部にはぼ東西に走るのは結晶片岩(緑泥片岩・禰雲母片岩・紅簾片岩・その他)で、四国の中央脊梁山脈を構成し、三波川帯といって、わが国で最も古い地層とされている。その構造から以前は外国のよく似た岩質と対比して、古生代よりさらに古い6億年以上も昔の先カンブリア紀のものと考えられていた。しかし、現在ではだいたい古生代の石炭紀より古いが化石がないため(昭和十三年藤本治義博士は的東山地で、この三波川帯から放散虫の化石を見つけ、これをジュラ紀のものと主張した。また北海道の結晶片岩からも放散虫の化石が見つかった)、時代の確定されていない古生層と考えられている。この地層は側圧によって動力変成をうけ、あい前後して地下の岩漿の分化による熱水液が上昇してきて、別子系統の含銅黄鉄鉱鉱床が胚胎し、この種の鉱山で土佐の代表的なものは白滝鉱山である。結晶片岩そのものはほとんど利用されていなかったが、本山町付近の珪質の紅簾片岩が建築石材として、昭和三十二年完工した土電会館に利用され、好評をうけている。

御 荷 鉾 帯

三波川帯の南に細く帯状に連なる御荷鉾帯も、従来、だいたい下部古生層と考えられ、その南縁は御荷鉾線で秩父累帯と境しているとされていたが、これは三波川帯と秩父累帯とにはさまれる一種の破砕帯で弱線をなし、いたるところで火成岩が迸入し、変成をあたえている。長岡郡大豊村の南小川にそう、地帯はなかでも規模が大である。大豊村の迸入岩中には海底噴出をしたと思われるめずらしい枕状熔岩が筆者の調査で見つかった。また含銅硫化鉱をともなうこともある。岩石の種類は珪岩・緑泥千枚岩・千枚岩・緑色変成岩などが主なものである。

 秩 父 累 帯
 秩父累帯は、北縁を御荷鉾構造線、南縁を仏像構造線とするもので、珪岩・粘板岩・頁岩・砂岩・輝緑凝灰岩・石灰岩などからなり、石灰岩中には紡錘虫・海ユリ・サンゴその他、粘板岩・頁岩・砂岩には軟体動物その他、珪岩中には放散虫などの化石が豊富にふくまれ、時代がはっきりしている。時代の範囲はひろく、古生代シルリア紀から中生代白亜紀におよぶ。古生界では二畳石炭系を主とする秩父古生層があり、これはわが国でも基盤としてひろく分布している。中生界には三畳系の蔵法院統、ジュラ系の烏ノ層群、白亜系の領石・物部川統その他多くの有名層があって、それぞれ化石によって時代が確認されている。また、従来、古生界と中生界にまたがる特殊層として扱われてきた三宝山層がある。
 本累帯は従来、層序構造未詳の点が少なくなかったが、しだいにその研究がすすみ、黒瀬川構造帯の調査によって、本累帯の中部に点点として、三波川帯の結晶片岩類よりもはるかに変成度の高い変成岩類や、シルリアおよび酸性火成岩類が分布していることがわかった。シルリア系を裏づける佐川盆地西北方の横倉山に産する鎖ンゴ・蜂ノ巣サンゴは、全国でもめずらしいみごとなものである。酸性火成岩類は、横倉山および徳島県勝浦川盆地のものがきっかけとなり、終戦後この方面の研究は急に進んだ。

古生界―秩父古生層が主体であるが、北帯・中帯および南帯の三帯にわけられる。黒瀬川構造帯で北帯と中帯、魚成・神原谷衝上線で中帯と南帯との境とする。
北帯は土佐山田町の休場礫岩で知られる上部二畳系の、休場層群の存在が特徴である。中帯は中部二畳系の野村層群(愛媛県)の存在が特徴とされ、高知公園北側のすべり山わきの礫質石灰岩はこれに属する。南帯は三宝山帯であって、有名な竜河洞は本帯の石灰岩中に生じた石灰洞である。先にのべたシルリア系は黒瀬内にかぎられ、一般秩父古生層とは層序関係を確かめることのできない存在である。これらの地層中の石灰岩は上質のものとして昔から知られ、その埋蔵量は数十億トンに達する。盛んに採掘も行われ、佐川町大平山の土佐石灰工業のように、全国でも屈指の大規模採掘を行なっている。高知市東部で採掘されている稲生の石灰岩や、日本セメントが吉良ガ峰から採掘している石灰岩もそうである。また、土佐でいたるところに産出するマンガン鉱は、主としてこの地層中の珪岩中に胚胎するものである。後免町の天坪以西付近では、古くから採掘された穴内鉱床があり、鉄マンガン鉱としては、土佐郡鏡村の国見山鉱山の鏡鉱体は、日本一の大規模のものである。

中生界―代表的な地層について略述する。三畳系としては佐川町の近く、その他にもある。化石の産出も少なくなく、この時代の示準化石でホタテ貝の種類のエントモノチス貝は、佐川付近いたるところに産し、佐川町蔵法院のダオネラ貝も有名である。しかし土佐全体として見ると、その分布はあまりひろくない。
 鳥ノ巣統は上部ジュラ紀に属し、佐川町南部鳥ノ巣山に由来する著名な地層である。暗灰色瀝青質石灰岩をはさむのが特徴で、サンゴ・二枚貝その他多くの化石を含み、当時のサンゴ礁と思われる特殊層で、熱帯または亜熱帯性浅海となっていたと考えられ、東は阿武隈、西は九州南部まで太平洋沿岸に点々として庭石のように分布し、県内でも佐川のほか斗賀野・日下・佐古・大栃までその分布はひろい。一億三千万年の昔の日本列島の南岸を画していたことをしめす貴重な資料である。鳥ノ巣石灰岩にはしばしばアスファルトが付着し、ハンマーでたたくと瀝青臭がするところから、石油が出るかもしれないと第二次大戦前、佐川の猿丸峠でボーリングをしたことがあるが、失敗に終った。
 領石統・物部川統は下部白亜紀に属する。領石統は、横山又次郎博士が明治時代に長岡郡領石付近で研究し、ここを標式的な露出地として命名した地層で、豊富な植物化石を産する。羊歯類・蘇鉄類・松柏類など四十種余りもある。領石をはじめ、同郡上倉村八京、土佐山田町新改の入野、高知市北山山麓、佐川盆地、梼原村越知面などにも分布している。日本における下部白亜紀の代表的地層である。物部川統は嶺石統の上に重なる地で、江原真伍博士が物部川盆地を標式として命名した。領石統は海岸の入江に堆積した植物化石が多いが、物部川統はまったく海洋性の地層で三角貝・蜆貝・アンモナイトなどが主である。これは領石統が堆積したあと、次第に沈下して、その上に海洋性の物部川統が堆積したもので、この現象は各国の下部白亜層に見られ、地史学上有名なセノマニアン海浸がこれである。

四 万 十 帯 

仏像構造線は高知市南部をほぼ東西に走るが、この構造線以南が四万十帯であって、高知県の過半の面積を占める。たぶん上部ジュラ紀の深海堆積物であろうといわれていたが、ひろい面積を占めるにもかかわらず化石が非常に少なく、しかも示準化石がないために、確実な時代不明で構造上からもわからない点が多かった。時代未詳中生層群と呼ばれるわけである。だがここ数年来、高知大学甲藤次郎氏を中心とする研究グループの非常な努力で、少ないながら化石も見つかり地質時代の誤りも発見され、構造もしだいに解明されているので、近い将来、この地域の新しい地質図ができるはずである。岩石は砂岩・頁岩が主で、頁岩・石灰岩などもある。桂浜突端の頁岩には野田桝一郎氏の発見したぜん形動物のはった跡や、はいせつ物の化石など生痕がたくさん見られる。横波三里外側の海岸線付近の頁岩にも、同氏の発見した海ユリのみごとな化石がある。
 この四万十帯に、従来から時代のほぼはっきりしている地層がある。上部白亜〜第三紀層として四万十帯の地溝に堆積したといわれる東の奈半利層、西の田ノロ層・中村層がある。足摺半島の清水層もこれにあたるものとしてとり扱ったが確実でない。甲藤次郎氏は、中村層について白亜紀の有岡層と古第三紀の平田層にわけているが、この中筋地溝帯に属する宿毛市押ノ川の地層面に、めずらしい合併漣痕が橋田庫欣氏により発見され、昭和三十二年十月に高知県天然記然物に指定された。方向のややちがった波の、水流作用の複合により生じた複合漣痕と、水流の方向と並行な細流痕との合併痕である。

 第 三 紀 層
 第三紀層の分布ははなほだせまく、下部第三系として室戸町四十寺山および佐喜浜付近の四十寺山層・宿毛市東部の平田層・同市小筑紫の竜ガ迫層・土佐清水市三崎町の松崎層・三崎層などがあげられる。三崎層には有名な竜串があり、砂岩と頁岩の互層部の頁岩が海蝕で流失し、クシ状の奇観をあらわすにいたった。また竜串から千尋岬を中心に化石漣痕が発達し、特に朴のものは日本一の壮観で、文部省の天然記念物に指定された(写真参照)。上部第三系としては安芸郡沿岸の奈半利・安田・唐ノ浜・伊尾木・穴内などの小区域に分布し、これに豊富な海樟貝類その他の化石を産する。唐ノ浜では筆者は鯨の下ガク骨を発見したことがある。奈半利では亜炭を産する。

洪 積 層

室戸半島・足摺半島を中心として発達する海岸段丘面に粘土・砂・礫の堆積として本層の発達を見るほか、吉野川・物部川・安芸川などの沿岸の段丘や、高知市西南朝倉方面その他に分布する。

沖 積 層

最もひろい面積を占めるのは物部川沿岸の香長平野である。高知市付近や仁淀川沿岸がこれにつぎ、四万十川の下流中村市を中心とする地帯や、その他各河川沿岸に小区域の堆積を見るのが普通である。中村市の沖積層にはメタンガスを主成分とする天然ガスが小規模ながら埋蔵されている。


火 成 岩 類 

火成岩類の分布は非常に限られた地域にすぎない。主なものは足摺岬・大月町・沖ノ島方面の花崗岩類、平田層に迸入した石英斑岩・石英粗面岩、室戸岬の斑蛎岩、横倉火成岩体および領石・物部川統の白亜系を貫いて出る酸性・基性各種深成岩類、御荷鉾線のいたるところに迸入した玢岩−輝緑岩類などである。その他高知市付近を中心として、ほぼ秩父累帯の南縁に接して迸入している蛇紋岩や、県下随所に各種火成岩類の小規模な迸入が認められる。そしてこれら火成岩の迸入は県下の銅・マンガンその他の金属鉱床の胚胎と密接な関係を持ち、最近足摺岬の花崗岩にはウラン鉱が発見された。
 以上土佐の地質についてその概略をのべたが、なお残されている問題が少なくない。しかし、地質は純学術的立場だけでなく農・林・鉱・工業の諸産業や水力発電・各種土木事業、また地すべり・山崩れ、あるいは治山治水その他地盤対策など、われわれの社会生活の面に重大な関係があるので、それぞれの分野の専門家によって、熱心に調査研究が進められているのである。
 つぎに土佐の地形について概説する。すでにのべたように、四国の地質の特徴は、中央構造線とこれらに並行な諸構造線が東北東−西南西の方に走り、また各地層の走向もこれと並行で、傾斜が北であるのが原則であるため、本県での山脈地形は数本の並行な山脈がやはり東北東−西南西に走る大勢で、これが土佐における地形の第一の特徴である。しかも急峻で侵蝕の輪廻からいえば、概して幼、壮年期である。だから各河川の流路もこの地形にいちじるしく支配され、山脈を横断する流路は、断層谷、先天谷によるものが多い。大歩危・小歩危の奇勝を作る吉野川は、先天谷の代表的なものである。
 つぎに本県地形の第二の特徴は室戸岬を中心に発達する海岸段丘地形群と足摺岬を中心とする海岸段丘地形群の隆起海岸地形に対し、浦戸湾・横波三里・須崎・久礼・上ノ加江を中心とする一連の沈降海岸地形と、豊後水道に面する宿毛湾を中心とする沈降海岸地形が発達することである。
 以上の二大特徴はいずれも大陸側からと太平洋側からとの圧縮運動、いわゆる周日本海運動と、太平洋運動との結果できたもので、この運動方向北北西―南南東と直角な東北東―西南西の方向に山脈が連なることになり、また後の項目でのべるように、昭和の南海大地震の結果、野根−月灘線を一線としてその南は南上りに地盤が上り、北は一つの例外もなく沈下したが、その隆起地帯では海岸段丘の隆起地形がみごとに発達している。しかもその段丘の隆起汀線が安芸郡では室戸付近が最も高く、北あるいは西に進むにつれしだいに低くなっており、また地質の項でのべた新第三紀の地層の分布する高さが、室戸に近い方が最も高く、奈半利・安田・唐ノ浜・伊尾木・穴内という順序にしだいに低くなって、南海地震による隆起の傾向とまったく一致している。西部の下田付近から海岸沿いに下ノ加江、足摺岬を経て、三崎方面にまで発達する海岸段丘の隆起汀線の高さと、昭和の南海地震によるこの沿岸の隆起量との関係もまったく同じことがいえる。
 さらにまた地震で沈下した野根−月灘線以北の地帯が、現在沈降海岸地形の発達している地域であることも、なかなか興味のある現象である。われわれとなじみの深い宿戸湾とその周囲の地形を見ると、みごとなリアス式海岸地形を呈し、横波三里から野見湾付近は大沈降地形である。豊後水道に面する西海岸は、愛媛県の西海岸とともに大規模のリアス式海岸地形をみせる。結局土佐の地盤の動きと地形とが密接不可離の関係にあることをしめすのである。
 つぎに土佐におけるその他の特殊地形の主なものをひろってみる。まず石灰岩の溶蝕地形として、犬歯状突起をなすカーレンフェルド地形はいたるところに見られるが、佐川町猿丸峠東方の丘陵や、県境大野ガ原などは主なものである。また石灰洞へ上盤が落下して、地表にすりばち型の窪地のドリーネができ、これが散在する地形であるカルスト地形は、大野ガ原の石灰岩地帯にみごとに発達している。その他幡多郡布崎の隆起トンボロ地形・中村市付近の山なみに見られる傾動地塊の地形また仁淀川その他県下の河川沿岸に見られる嵌入蛇行地形・河岸段丘地形など興味あるものが少なくない。
 (四国山脈より・昭和三十四年、高知大学教授・理学博士 沢村武雄)