地 質 と 地 形 1
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西南日本の太平洋側と日本海側とを、地質構造的に調べて見ると、いちじるしい違いがある。前者を外帯、後者を内帯という。外帯と内帯との境界線を中央構造線といい、四国では徳島・池田を経て四国脊梁山脈の北側を通っている。従って土佐は外帯に属し、わが国においても外帯の特徴がもっとも整然と典型的にあらわれているのは四国であり、その過半が土佐である。
 それだけでなく、その研究が一番進んでいるのも四国であり、土佐である。そのうちでも須崎・佐川方面から物部川流域にいたる地域の地質研究は日本の地帯構造を解く鍵ともいわれ、とくに佐川付近は地質のメッカという人もあるくらいで、春休み、夏休みともなれば各大学の地質学教室の学生が、教授に案内されてこの地を見学に訪れる。佐川の地を踏まないものは地質家ではないといったしだいである。明治八年(1875年)に日本へやってきたドイツのナウマン博士は、日本の地質学の父祖といわれ、東大の地質学科に教ベンもとったが、徳島県の勝浦川盆地から鏡石に出、佐川の地を調べ、当時の案内人であった外山矯氏に、土佐半紙に毛筆でつぎのような意味の詩を書いておくったことは有名である。
   緑なす山山国原は
   渦潮に沈み
   めずらしい動物は
   海底のいこいから
   ふたたびおしあげられて
   輝かしい日の光を浴び
   しかるのち人の世がはじまるj
   誰か知るこの詩の結末を? (桜井国隆氏訳)
 すなわち、人類のまだあらわれていなかった地質時代の陸地が、海底に沈み、ふたたび陸地となったときに、過去の生物が化石となって発見され、人類が定住するようになった。しかし未来のことは誰もわからないと結んでいる。かんたんな詩の中に、数十億年の地質時代の地史をたくみにおりこんだ名文句である。
 日本の層序単位としてひろく使用されている地層の名前に鳥ノ巣統・領石統・物部川統・蔵法院統・河内ガ谷統、その他安芸川統・四万十川統などいったものがある。これらはすべて土佐の地名が引用されているのであって、土佐が地質学上非常に重要な土地であることがうなずかれる。しかしながら土佐の地質は層序的・構造的・地史的な面はむろん、地形的、あるいは、応用的つまり地下資源などの問題についてもじゅうぶん解明ができたという段階にはいたらず、あらゆる分野の専門家によって研究の途上にある。


 四国における外帯の特異性は先にのべた中央構造線とほぼ並行の東北東−西南西方向の諸構造線で数帯にわかれ、地層の走向もこれらと並行しているということである。この帯状構造については小林貞一博士は御荷鉾(みかぶ)線・仏像線などの諸構造線によって長瀞帯・秩父帯・それ以南の四万十川層群・白亜層および中村層にわけ、江原真伍博士は北から三波川系・御荷鉾系(長瀞帯を上の二系にわける)・秩父古生層・中生層に大別して地質構造を概観しているが、いずれにせよこれらの構造線で境される地層が、北から南に行くほど新しい堆積からできているという一般的傾向がある。これらの構造線や、その他例えば秩父層群中には、これらとほぼ並行な数本の構造線があり、単に陸上だけでなく、土佐湾底にでもこれと同性質の構造線が、南海大地震後の海底測量によって発見され、筆者が南海スラスと命名した。これらはいずれも北傾斜の逆断層、いわゆるスラストをなし、これを境に北側の地層が南側の地層に衝きあげて、覆瓦状構造をしていることが四国外帯の最も大きい特徴であろう。覆瓦状構造の説明図は図版のAーB線縦断図でしめした。この縦断図は地質平面図より二倍強に拡大してある。


以上は、土佐が西南日本の地質構造の上にいかに重要な位置を占めるか、また土佐の地質がどのような特異性を持つかということのあらましをのべ、その地層を三波川帯・御荷鉾帯・秩父累帯・四万十帯に大別したが、つぎこれらを細別し、その土佐との関係特殊層が、地球の地殻ができてから現在までの、地質時代のどのような時代に積したかということをわかりやすくするために、表にしてあらわしてみた。付表は二十億五千万年の地質時代を時代わけにしたもので、地層の堆積の順序にならって下ほど古く、上ほど新しくなるようにしておいた。また付図はこれらの地層が占める地理的位置を明らかにしたものである。