三 輪 山 伝 説
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本邦の伝説中所伝が最も古く有名なのは三輪山伝説である。これは三千年の昔神代の頃、美しい活玉依姫のもとに夜な夜な通う男があったが、その素性を知りたいと一夜衣の裾に糸を刺して翌日これを頼りに尋ねて行くと、大和の国三輪神社に入った。そこでこの婿君は三輪の神様即大物主一名大国主神であることがわかった。これは古事記に記せられた所謂、三輪山伝説である。

この伝説は日本全国に広まり、後世に至って多少その趣向は変ったが、その眼目は少しも変りがなく伝えられた。源平の頃からその婿君が始めて蛇体となり山中に住むことになる、平家物語にある豊後緒方家の祖先の談にいう。




緒方家の先代に或る美人あり夜な夜な壮男通ふ誰人知らず一日母の教に従い男の狩衣の襟に針を刺し賤の緒巻(しづのおだまき)をつけ翌日之を慕ひ行くに日向豊後の国境祖母岳の岩屋に入る女声をかくるも男出でず無理に入り見れば大蛇なり針は大蛇の咽に立つ女がついて遂に男を生むこれ即ち緒方氏の祖先なり。(大意)

さて、蛇身と龍身とはもともと形容一体でともに岩窟水中に棲む。伝説古話では常に混用同視せられるようである。婿は蛇身となって山穴に棲む者、後には龍身にして深潭に住むものとし、後世に至って三輪山伝説の婿は某池に棲む蛇神または龍体となった。現在日本全図に伝わる三輪山伝説はその数幾十で枚挙にいとまがない、然して当国二三所にこれを伝えているのも面白いことだ。


志 和 槿 在 宮


  高岡郡東又村志和浦に昔、領主志和和泉守則重といふ武家があった。一女おまん御寮と呼ばれて花顔雪膚の美女であって則重夫婦も掌中の珠といつくしみ育て上げた。のち年頃となり隣村窪川村の西原紀伊守藤兵衛重介に嫁し、大変睦まじく時を送るうち、ある時妻女おまんの方が藤兵衛に私に恨めしい事があり、暇を給わりたいと云う。それは夜な夜な我が閏に通ってくる者があり、始めは断っていたが遂に随い、夜もすがら話し合い帰っていった時は夢が覚めたような感じだった。どのような化生の所為か浅ましい次第で御暇を給わりたいと声を上げて泣いた。藤兵衛も驚き不審は晴れなかった。そうこうする内に大永七年(一五二七)三月二十二日、おまんの方はふと庭木の下を平地を行くようにして歩いて屋外に走り出たので藤兵衛は驚き引留めようとしたが、幾尋の大蛇となって淵の底に入った。

おまんの父和泉守も心配をして下男次郎介に様子を探らした。或時次郎介草苅に出て鎌を失い草叢を探っている内にふと或る家を尋ねたが、そこの主婦を見ると紛うこともないおまん御寮であった。おまんも又次郎介を見てお前に逢いたさに鎌をここへ隠した。私は前世の宿業力及ばずわが夫はここからより二十町北にあびやらしの淵の主です。今そこへ行ったが留守で小供達は寝ていた、これを見よというので見れば皆小蛇である。次郎介は帰ってこのことを報告したが、自分も又物に狂い行方不明となった、おまん父和泉守深くこれを嘆いて志和天満社の傍に一小社を建て槿(むくげ)花の宮と称し、現存する。またその淵は鵜の巣の淵というてこれも又現存する。

この話は昔から名高く且つ古くから伝えられた伝説と見えて、天正中に長宗我部元親が国中巡視の時これを聞き、哀れと思われ其の遺跡を吊ふたということがある、然し全くは三輪山伝説の変じたものである。(土佐物語)         

大正十四年、私は親しく右の高岡郡志和村に遊び同一の古伝を父老より聞き又所謂、槿花宮に行ったが、卿社天満宮の後山にささやかな祠堂を営んでこれを祭ってある。


若 藤 池 の 怪 異


幡多郡後川村若藤に一古池がある傍に弁財天社がある。土人訛りでベライテン様という昔から絡まりた古い話がある。それは昔、ここに神官浦田某の娘に一人の美女があった。夜な夜な怪しい美男子が通って来ていたが、誰一人知るものがなかった。そこで娘は一夜、男の衣裾に長い糸を貫らぬいて翌日たどりながら行くと、その端が若藤池に至った。まもなく娘は妊娠して子が生れるや直ぐその子は電光のように速かに走り出て後川の深淵に身を投じて姿を消した、このことがあってから、弁財天池は土人の畏敬の中心となり殊にどんなことがあってもその池へ金属を入れてはいけないという伝説がある。あるとき一農夫が鎌をその池の水で洗ったところ、眼前に怪美人が現れ農夫は大熱を患うたといい、またある里人がその池を汚がしたため大洪水が起ったとか、いろいろ伝説が伝わったが、今は池には大鯉が数百尾棲んでいるが、神秘境として誰もこれを捕るものはないと云う。




近年ある時、拳川と窪津と両小学校の職員二人が迷信だとして金突一本、水中眼鏡を用意して水中に飛込み鯉の巣穴を狙ったが、不思議なことに今まで晴れ渡っていた天気が忽ち変じ雷が鳴り大雨も降り、池水泥土を漲らし黒白も分からぬこととなり、二人はほうほうの体で逃げかえり、益々池の奇怪さを裏書する事となり、土人は今でも鼻を高くして若藤池の神霊を誇りとしたものである。(拳川小学校長 森田千太郎氏報)


姉 妹 の 蛇 身


 昔高知城下に満々屋という豪商があった。貪欲無比の男で大小軽重の二枡二秤を用い、人を欺き世を欺き密かに儲けていたが、その報いか、家に姉妹の美女があったが蛇生にして常に水浴を好み夜毎川に通い、毎夕新たに下した草履は翌朝になると、その心体の縄(俗にいう引緒)だけになる。そこで姉妹は父母に暇を申しでたが許されなかった。身体は徐々に蛇体に変って来たので、今は一刻も猶予もなり難いと遂に望にまかせ各下男一人つれ姉は讃岐満多の池に行って水に入り、妹は安芸郡佐喜浜村の地カ谷と呼ぶ釜に行ったが気に入らず再び同郡安田川の奥にある逆瀬釜という所に籠り、遂に姿を変え水中に飛入ったという。当時の小唄に、

姉は讃岐の満多の池に妹は安田の逆瀬釜

これは直に三輪山伝説と云い難いが、女子が蛇身となり淵に入るというのは、やはりその傍系の伝説と見倣すことができる。

(土佐郷土民族譚より・昭和四年)