神 功 皇 后 と 玉 島
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浦戸湾の横浜沖に玉島があるが、これを俗に巣山という。


 
 
 



神功皇后が御巡国の当時、御船が浦戸湾に仮泊し皇后は玉島にて御休息、そこで鶏卵のような白石を得られた。御掌におとりになると忽ち光明日出した。これ海神の賜るところで白真珠であった。よって玉島と名づけたと云う。 

これは本朝紹運録に、二年七月皇后於豊浦津得如意珠於海中云々とあるのを玉島に附会したものと思う。皇后が土佐に御来臨になったことは他の書には見えない。


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(参考一) 釈日本紀 

土佐佐風土記曰、吾川部玉島。或説曰。神功皇后、巡観之時。御船泊之。皇后下島休息。磯際得一白石。団如鶏卵。皇后安干御掌。光明日出。皇后大喜。釈左右曰。是海神所賜白真珠也。故以為島名。


(参考二) 神功皇后 

(摂政期間、二〇一〜二六九年)

十四代仲哀天皇の后。天皇と共に熊襲を平定するために、同行されたが、天皇が崩御されるや、天皇に代わって新羅を制圧した。