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吉 田  茂
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昭和期の外交官・政治家(一八七八〜一九六七年)。土佐自由党名士・竹内綱の子息。外務省に入り、中国・英国等各地に勤務。昭和十四年の退官後は、日米開戦回避工作に関わり、終戦直前、近衛文麿への和平上奏により憲兵隊に逮捕された。同二十一年、自由党総裁に推されて組閣、日本国憲法制定、農地改革を実施。翌年、労働運動高揚の影響を受けて辞職するが、民主自由党を結成して総裁に就任、第二次・第三次内閣を組織。同二十六年、サンフランシスコ講和合議に首席全権を勤め、条約に調印。二十八年、第四次内閣の時、国政史上類のない首相懲罰動議が可決され、いわゆる≪バカヤロー解散≫という事態を招き、また二十九年、第五次内閣の際は、造船疑獄における指揮権発動などで国民の批判を受け、総辞職した後、政界を退いた。ユーモアのある癇癪玉の爆発は、いかにも土佐の「イゴッソウ」を彷彿とさせる。


清 水 崑 画



以下の随筆は、文藝評論家・小林秀雄(一九〇二〜一九八三年)による。一九六七年に文化勲章受賞。

吉田茂がやめた時、息子の健一君が、「文藝春秋」に書いていた。親父は、あんまり評判が悪くてやめたが、あれだけ面倒な時局を、あれだけの間、大過なく担当できたということが、親父が非凡な政治家であったことを証して余りがある、と。当り前な話である。断って置くが、健一君は文士である。政治批評の専門家は、決してこんな当り前な発言はしない。私は、政治問題に関しては、極く当り前の話ししか尊重しないのである。 

鳩山内閣ができた時、私は、旅先の宿屋にいたが、来訪した新聞記者から、新内閣について、感想を求められた。別に感想も浮ばぬから、感想はない、と言った。「君の前だがね、近ごろの政治ジャアナリズムは、まるでヒステリイ状態ではないか。私の政治知識は、もっぱら新聞雑誌を通じたものだから、人並にチンプンカンプンだ。それで感想があったらバカだね」。だが、記者は強硬であった。ちょうど、その日の新聞に、鳩山内閣の組閣第一声と言ったあんばいで、役人のゴルフ、マージャンを禁ずるという記事が、デカデカと出ていた。

「吉田という人は、こんな陳腐な退屈な寝言を言う暇があったら、写真班に水をぶっかけたり、演壇でバカ野郎と言ったりしてたな。その方がずっとおもしろいや。感想を書くなら、そう書いといてくれ」と言った。無論、そんな低級な感想は載せてくれなかった。私の意見は低級ではあろうが、ヒステリイ的ではない。 

吉田茂が、大磯の投票場で、土足のままで投票したということで大変評判を悪くしたことがあった。ある高名な批評家が、こんな高慢無礼な人間に、民主主義政治を任しては置けぬと息巻いているのを読んで、私は不思議な気がした。私は、事態を、もっと文学的に想像してみていたからである。恐らく、投票場に乗りつけた吉田茂は、この民主主義的投票場が下足番付きであるのを見て、あきれ返ったであろう。葬式に行ったって、ゴザぐらい敷いてある。どうせせっかちな人だから、あきれ返っているうちに、もう投票箱のそばまで歩いていたのであろう。そんなことだったにきまっている。漫画にして描けば済んだことだ。息巻く必要なぞどこにあったか。バカバカしい。私の感想は、想像的ではあるが、空想的ではない。 

先日、必要あってドーミエ(注、フランス風刺版画家・油彩画家、一八〇九〜一八七九年)の伝記をしらべていて、日本で、政治漫画が成功しない所以が、実にはっきりしたように思った。ドーミエ一派の漫画家たちが、七月革命後、言論の自由を標榜したルイ・フィリップ(注、追放されたフランス王、一七七三〜一八五〇年)に対して華々しい漫画戦を展開したことはよく知られている。この情容赦のない攻撃に対して、ルイ・フィリップは、弾圧を以て応ずるより他はなかった。当時の新聞雑誌に対する起訴件数、責任者の入獄延日数、罰金の総計額などは、まことに驚くべき数字に上るのであるが、そんなものにいくら驚いたって、実情は少しも解りはしない。弾圧をくわぬような新聞雑誌は、売れもしなかったし、獄中は静かで漫画の仕事もはかどったのである。政府も自ら行う弾圧の有名無実を是認せざるを得なかった。要するに、大事な真相は、この政治戦が、笑いのうちに行われたということである。漫画はパリの市民を哄笑させたが、政府役人たちも、漫画に描かれれば、いまいましいが笑ったのである。ドーミエ一派には、鉢巻をしめた英雄など一人もいなかった。ルイ・フィリップの顔は、西洋ナシによく似ていた。何かと言えば、漫画には西洋ナシが現れた。雑誌の表紙は、西洋ナシの縁取りで刷られた。そうなっては、ルイ・フィリップ当人も、悪口雑言で、何んとなく得意になるというおかしなことになる。彼は、そういう人間的弱点を少しも隠しはしなかった。西洋ナシ漫画で裁判になった時、ドーミエの仲間の一人が法廷で、漫画を描いて果して王様は西洋ナシに似ているか、それとも西洋ナシが王様に似ているか、という大弁論をやり、満場を抱腹絶倒させたという。今から百二十三年も前の話である。 


ソ ラ 豆 に 似 た 宰 相 、
西 洋 ナ シ に 似 た 王 様
横 山 泰 三 画



民主主義政治という大芝居には、政治家という役者と国民という見物人が要る。比喩的な言辞ではない。実際に、政治家は見物のこわいことを知っている名優でなければならず、見物は金を払って来た見巧者でなければならない。政治的関心などというとぼけた言葉なぞ要りはしない。 

吉田という人は、会って見ると、大変ユーモアを好む人である。漫才はいくらでもいるが、ユーモリストはまれである。政治家の間には、ことに少ないであろう。漫才は才であり、一種の雄弁術に属するから、練習や習慣によってだれでも漫才になれるが、人間からユーモアが現れるのはもっと違ったことだろう。無欲と教養と判断の正確さとが、ユーモアを生む根本の条件かも知れない。それほどユーモリストと漫才とは違う。人を笑わす漫才の方は、ユーモリストには無用の長物である。 

吉田茂はユーモリストの原理に則り、大真面目で写真班に水をぶっかけたり、演壇からバカと言ってみたりしたと考えても差支えない様に思われるが、残念なことにはだれも笑わなかった。近代的な合理性というものをよく身につけ、政治は真面目なビジネスであることを、はっきり知って、大臣級の人物なぞという古風な言葉に全く無頓着であった、この新しい型の名優は、われ知らず名演したのだが、見物人がいなかった。 

吉田茂ブーム? 冗談言うなよ。西洋ナシを想えば、まだ三十年は先きである。寿命が持たない。                             

(初出)昭和三十一年                             

(底本)「新訂小林秀雄全集第九巻」