女帝の夢見た恒久平和〜法隆寺 天平古材 百万塔
7月の暑い日憧れの法隆寺を訪れた。
修学旅行できて以来の訪問である。
南大門をくぐると真っ青な空に中門その向こうに塔と金堂の屋根が聳えている。
近鉄奈良からバスで1時間。
冷房の壊れたバスはガタガタ揺れて田舎道を駆け抜ける。
暑い車内も激しい揺れもむしろ愛しく、胸の中でエイトビートを刻んだ。
「大宝蔵館」と命名された近代的な建物には百済観音がいらっしゃる。
焼けつく太陽から分離されたようにひんやりとした宝物館の中にその塔たちは整然と並んでいた。
「百万塔」
百万塔は天平宝字8年(764)におこった恵美押勝(えみのおしかつ)(藤原仲麻呂)の乱の後、動乱を鎮めるため称徳天皇によって発願された。
宝亀元年(770)に100万基の小さな塔が大安寺や東大寺など十大寺に10万基ずつ配布された。
称徳天皇は弓削の道鏡に皇位を譲ろうとしたことで知られている。
玄宗皇帝の女版のように言われているが、女帝は純粋に国家のことを憂いていたとの説もある。
出来上がったばかりの小さな塔たちには胡粉(白色の顔料)が塗られていたと言う。
開眼の儀で日の光を浴びながら白々と輝く塔たちに女帝は恒久平和の理想国家を見たのだろうか?
時代を経て枯れた木の質感は美しい。
ミニチュアの塔たちは胸を張って整然と並んでいた。
「法隆寺天平古材・百万塔」
インターネットのオークションで「百万塔」を見つけたときは心ときめいた。
写真に写った箱の上書きなどから推測すると「明治時代に法隆寺の修復が行われたときに出た端材で造った百万塔の複製」らしい。
大好きな法隆寺の端材で造られたこのミニチュアの塔をどうしても手に入れたくなった。
宅配便で送られてきた包みを開けると、斑鳩の暑い太陽の匂いが鼻をついた気がした。
机の上に置いてみる。
采女の袖吹き返す飛鳥風・・・
口をついて出た言葉は過去の栄華を惜しむいにしえの歌。
女帝が夢見た恒久平和は百万塔とともに散り散りになってしまったのかもしれない。