RudolfSteiner College (ルドルフ・シュタイナー・カレッジ

 子連れ留学体験記  その1 いざアメリカへ

 1989年(平成元年)9月10日、私はカレッジに入学した。 当時、小学校2年生だった正治を連れて、6月25日ロサンゼルス経由でサクラメントに着く。 シュタイナーのサクラメント・ワルドルフ・スクールへ彼を転入させるために前もって担任の先生との面接を受けさせるためだ。すでに、担任の先生とは連絡を取り合っていたので、小さなサクラメント空港で9月から2年生を受け持つことになっているMs.Caverlyの出迎えを受ける。 彼女は、すぐに私たちを見つけ、車へと案内してくれた。 車の中で自己紹介をする。正治にはGood morning.どころか、ABCさえ、教えていない。 彼は沈黙を続ける。 時折、「マクドナルドがあったよ」とか、見慣れたものを見つけては、歓声をあげている。 

 1級先輩になる、今はご主人の待つ東京に帰られているという志田さんのアパートの鍵を先生が渡してくれた。 志田さんの娘は正治と同い年。3歳のころよりアメリカにいるために英語しか話さなくなり、おばあちゃんとの会話ができなくなってしまったそうだ。 アメリカに娘たちに会いにやってきたお父さんまで、我が子に英語で話していたと聞き、母親は娘たちに何語で話しているのだろうと妙に気になった。 2年間、私たちはアメリカに住むことになる。 正治は英語は生活手段として自然に覚えることだろうし、家では日本語で通そうと、その時、強く思った。

 近くのスーパーに行き、お米、味噌、野菜、魚などの食料品を買う。 電気釜まで売ってある。 「キムチがあるよ」と正治が声を上げる。 食べ物の心配は要らなさそうだ。 「DAIKON RADISH」という名前で大根が売ってある。 

 食事を済ませてゆっくりしていると、ミス・キャバリーが娘さんを連れて遊びにみえた。 折り紙をたくさん持ってきていたので、一緒に折り紙をする。 正治は黙々と折りはじめる。 先生は正治に声を掛けながら、正治のする通りに折り紙を折っておられる。 正治は先生の方をちらっと見ながら、先生のペースに合わせて、ゆっくりと折り出した。 1つ、2つと作品ができあがる。 誉められているだろうことは正治にも伝わり、正治はとても嬉しそうにしている。 この事は、転入が許可され、約8ヶ月後の子供の日に、正治がクラス全員の前で 英語で説明しながら、かぶとやボートの折り方を指導することにつながっていく。

 翌々日の面接の日、ミス・キャバリーの運転する車に乗って、サクラメント・ワルドルフ・スクールに向かう。まず、先生は学校内を案内してくださった。1年生から12年生までの敷地と駐車場を隔てて、幼稚園と野外劇場が建っている。 建物は全て1階建て。 「運動場がぼくの小学校の4こ以上あるかも」 走り回りながら、正治が私に向かって叫ぶ。 「芝生だし、運動場じゃなくて大きなお庭みたいだね」彼は、続ける。

 ”Masaharu!”先生が正治を呼ぶ。 正治は黙って先生のところまで走っていく。 羊や牛、あひる、にわとり、などのいる校舎の先にある農場へと先生は正治を促す。 これも学校の一部だと聞いて、驚いている。側には、授業の一環で建てたという小屋や、休み時間に作ったという木の上のFort(陣地)を見つけ、正治はかなり興奮している。 次に、「時々授業中にも行くのよ」とアメリカで最初に金が発見され、ゴールドラッシュの引き金となったアメリカンリバーへと案内される。 運動場を横切ったところにその大きな川がある。 冬になって私たちは、そこで鮭が産卵のために上ってくるのを見ることになる。 「教室に行きましょうか?」先生が声を掛け、手を差し伸べてくださり、正治は先生と手をつないで、一緒に2年生の教室へと向かう。 木造の校舎である。 正治は、ここで面接を受けることになっているのである。   <続く>

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1997年1月7日