第*回学習会報告 白石和太郎洋館に見る職人の技 岡崎 直司
町並み通信3号より  
 白石和太郎邸洋館というより、今だにドレメと呼ぶ方が通りがよいこの建物は、ある種 保内のシンボル的な建物かも知れない。
 保内の町並みの全体を見渡して県下全般の中での特異性を一つ上げるとすれば、それは洋風にアレンジされた雰囲気が色濃く残る町、ということになろうか。中世あるいは江戸期から集落形成された宿場町卯之町(宇和町)や城下町としての大洲市などと比べて格段に"洋"的である。それは、"和"を基調としながらも、明治期の殖産興業という追い風に支えられ発展してきたこの町の性格を如実に物語っている。紡績、鉱山、蚕種など、何れも西洋の技術と深く関わっている。
 その意味で、この建物は、保内という町のそうした個性を判り易く表現してくれている。見た目のらしさを仔細に見てみよう。
 正面に佇んで眺めてみる。まず入り口ポーチにある花崗岩の門柱が洋的演出に一役買っている。このアプローチは右隣の旧宇都宮壮十郎邸(二宮医院)と同じである。当時、今治沖の大島辺りから船で運ばれたものであろうか。面白いのは、少し右に振れて玄関に向けて弧を描き敷かれている石畳の有りよう。この手法は、和そのもの。西洋建築であれば正面から真っ直ぐに敷かれ、迷わず左右対称にすべきところ。例えばベルサイユ宮殿他の見事にシンメトリーにデザインされたアプローチなどを思い描いて欲しい。我が日本では、通常そうした画一性は嫌われる。
 建物のファサード(正面外観)を眺めよう。見事な対称形、これぞ西洋である。玄関上部の小屋根に三角ぺディメントを配し、二階部分が同じ形の縦長窓を三個並べているのに較べ、一階の窓は半円アーチのペディメントにし、柔らかく変化をつけている。心憎いデザイン感覚。しかもそれぞれのペディメント内にあしらわれた唐草紋様風のキメ細かな西洋レリーフは観ていて飽きない。何れにしても左官職人の腕の良さが想像出来る鏝細工である。単に見よう見真似の擬洋風建築というには、センスの光る細工となっている。
 また入り口の庇、三角破風の上縁には洗い出しの波飾りまで施される入念さ、恐らくは防火のおまじないをしたものだろう。
 さて、内開きのドアを開けて中へ入ろう。玄関ホールである。中の部屋とカウンター状の仕切りで分けられている。住宅というより事務所的な間取りである。ここにも見所がいくつか。まず正面のカウンター中央に柱があるが、その柱頭飾り(キャピタル)が変わっている。何か草花をあしらった漆喰レリーフが乗っかっていて、ギリシャ・ローマ時代からのオーダー(古典的な西洋建築の正統様式)として見ると、滑稽なほどの自由さにあふれている。また、天井には知る人ゾ知る世界地図までもが描かれている。この天井飾りは、以前、陸と海が色分けして塗られていたそうな。そして中央から天使のランプ掛け金具がぶらさがっていたらしい。現在の球状電気シェードは後付けで、その際、白ペンキで一色に塗られて、海陸の見分けがつかなくなった。今なら ナンデ?! と思う勿体無い話。でも近付いて見れば、今でもヨーロッパや日本の形がハッキリ確認できる。建築年が定かでないが、白石和太郎が明治末期のある時、何を考えて世界地図を玄関ホールに描こうとしたのか、思いを馳せてみるのも楽しい。
 今は新建材でつぶされてしまっているが、かつては左側の壁面にももう一つ縦長窓が開けられていたという。
 上へ上がってみよう。ドレメ時代には教室だった所。ここにはペチカがある。本格的な洋館の形式である。地方の片田舎では相当にモダンな雰囲気である。他に保内でペチカを探せば、隣家旧宇都宮壮十郎邸(二宮医院)と雨井のおやけ(分家)位のものである。目を玄関ホールとの仕切りの方に転ずれば、先程のキャピタルとは違うデザインだ。同じ柱の表裏で柱頭飾りを変えてある。こちらはイオニア式と呼ばれる形。遊んでくれちゃってます。
 二階へ上がってみよう。階段部分の微妙なカーブも美しい。目立たない所にセンスの良さを感じる。部屋が三室に分かれ納戸も設けられている。二階の特徴は、各室の天井飾りがそれぞれ部屋ごとに違えてあること。特に果物籠らしきデザインは大胆で意表を突いている。惜しいのは玄関ホールと同じく、ここも後付けの電気シェードによって破損が見られること。元は何か果物らしきものがあったと思われる跡が確認できる。
 さて、川之石ドレスメーカー専門学校を経営されていた故亀井さんのお話によると、各部屋の壁は五度塗りだと伝わっていて、最も小さな部屋は貴賓室と呼ばれていた。どういう貴賓がこの部屋を訪れていたのだろう。
 一方、屋根裏の構造であるが、洋館らしく木造トラスである。私の知る限り、保内では、隣りの宇都宮壮十郎邸(現二宮医院)、解体された白石事務所(宇都宮写真館)、旧日進館(現 愛媛蚕種)など。これも貴重な文明開化の証である。
 白石和太郎については、世襲名の為、二代にわたり同一名の人物が居るが、町誌に見られる記述以外あまり多くのことが判っていない。中でも建物との関連においてそれを裏付ける資料が現段階では出て来ていないことは残念だ。しかも平成六年に町で購入され、保存されていること自体は素晴らしい事ながら、この建物に関してのパンフレットは今だに存在していないのは如何なものか。少なくとも、何年にどういう目的で建てられたものか、それすらも解明されてはいないということをもっと真剣に考えないといけない。そうしたソフト面での環境整備も急がれるところ。町民に残したことの価値が浸透し、皆に親しまれて初めて税金が活きる。現状では、保内大学や女性塾によって時々利用されてはいるものの、まだ閉められているケースが多い。利活用の面での担当責任を明確にし、行政と住民でうまく連携が取れるよう、今後の進展が望まれる。

< 語 句 解 説 > 岩波書店「広辞苑」(1991年)から
ペディメント(pediment) 古代建築の三角形の切妻壁  *研究社 新英和中辞典1979年
レリーフ(relief) 浮き彫り
柱頭       A西洋建築の柱の頂上の特殊な刳(くり)型で彫刻のある部分。 建築年代と様式とを明瞭に表す。
オーダー(order) Cギリシア・ローマの建築様式。円柱・柱頭と水平材の示す特徴から、ギリシアのドリス・イオニア・ コリント式、ローマのトスカナ・コンポジット(イオニアとコリントの結合)式に大別する。
川之石ドレスメーカー専門学校 1950(昭和25)年1月14日創設 1989(平成元)年3月31日閉校。*保内町誌p.1050より

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