青い日記ちゃんPart 1

下から上に読んでくださいませ。
Part 2(完結編)は、こちら。


1994年11月10日
中国人のSは、勉強が終われば国に帰ると言う。
アメリカで学んだ自分が国に帰らなければ、母国はいつまでも よくならないという。彼女は、自分の国を愛している。
自分にはそれだけの愛国心がなく、少し悲しい。

1994年11月5日
テストで悪い点を取ってしまった、とルームメートに言うと、
「忘れなさい。もう終わったんでしょ。」との事。
前向きだな、、、素晴しい。。。

1994年11月1日
「いつまでアメリカにいるのか。永住権を取る気なのか。」とアメリカ人に聞かれる。
よそ者に住み着かれて、仕事を奪われるかもしれないのを恐れているのだろうか。
それとも、アメリカという「素晴しい国」に、誰もが住みたいはずだと思って聞くのだろうか。

1994年10月26日
忙しかった。テスト、エッセイ、宿題。
エレンにベリーダンサーの衣装を借りた。アラビアンになるハロウィーン。
AEC(ESL)の先生に、「英語、よくなってるよ。来学期はでれるよ。」と言われる。
ガンバロー。ガンバレバ イイノダ。

1994年10月15日
アメリカ人のシーラ(18才位)に、
「日本人でも、青い目の人はいるの?」と聞かれる。
・・・こいつ、本気か?

1994年10月11日
母から便りがくる。
「冬休み、帰ってきてください。」って。
まだ帰らない。まだ帰らない。

1994年10月1日
寮では、フロアミーティングがしょっちゅうある。「トイレが汚い。」と誰かが言うと、 「いい考えがあるわ。」とはりきっている人がいて、なんだろうと思ったら、 「みんなできれいに使ったらいいと思う。」って。
こっちの人は、当り前の事を 大袈裟に言う。

1994年9月27日
なんとびっくり!英語で寝言を言ってたんだって。夜中に急に起き上がって、 "My email does not work!"と叫んで、また寝たらしい。
嬉しいような、気味が悪いような。

1994年9月24日
多くの日本人に「ナタオ(あだ名)がルームメートでよかったね。喧嘩したり、 苦労している人もいるのに。」と言われる。確かについているかもしれないが、 私がいい奴でナタオもいい奴だからうまくいってるのだ。言いたい事、変えて ほしい事は、お互い話している。誰と出会っても、そこから学べる何かはあるはずだ。 ここでいろんな人に出会えて、感謝している。たくさんの人生の断片をシェアしている。
日本出発前、さんざん多くの人に「留学?大変だね。頑張って。」と言われ、 「好きで行くのに、何故大変なのだ?」と頭を抱えた。
地平線に沈む夕日を見て、「幸せだ。」と体中で感じる。

1994年9月22日
社会学の初テスト。辞書持ち込み可にも関わらず、問題の意味がわからないモノあり。 エッセイもエッセイにならなかった。でもDじゃないと思う。この際、Cでも嬉しい。 Bなら万歳だ!
こういう気持ちを味わいたくて、私、ずっと留学したかったね。夢は叶うね。

1994年9月18日
アメリカにいて、中国やアラブのカルチャーショックを感じる。本を読んできたので、 アメリカ人から受けるカルチャーショックについては、見当がついていたが、 他の国の事までは想像していなかった。
アラブ人は、授業中に他の人が指されても答えてしまうの、先生が困っています。

1994年9月16日
寮で、アメリカ人のカラオケを聞いたがひどかった。黒人といえども歌がうまいとはかぎらない。(当り前だ。)

1994年9月15日
アメリカ人クラスメートに「ノートを貸して。」と頼まれる。 借りたいのは、私だ。

1994年9月1日
もう9月。人の英語と比べて、落ち込む。「仕方ない、頑張るより他にない。」と 思いつつ、やはり人をうらやんでしまう。「とことん落ち込んでみようか。」とか 「誰かに話して慰めてもらおうか。」と思ったけれど、落ち込むのも同情して もらうのも面倒だなと気付く。 誰と比べるのではなく、私は私でいいのだ。

1994年8月25日
昨日、母からの手紙が来る。実に泣ける。何度読んでも泣ける。これが故郷を持つと 味わえる想いだろうか。
日本人が多く、つい一緒に食事をとってしまう度に、「これでよいのか。」と考える。 自分から変らなければいけない。日本語の勉強に来たのではないのだ。

1994年8月22日
誰からも手紙がなく、ちょっぴり悲しい。もうすぐLawrenceに来て2週間。
ずっと前からいたような、昨日来たばかりのような。今朝起きて、アメリカ人の ルームメートを見て驚く。そうか、アメリカにいたんだ。
「クラゲさんは、社会学が勉強したくて、そのためにアメリカに来たのですか。」と 若い日本人に聞かれる。
私はただアメリカに来たかった。大陸に住んでみたかった。寮で暮らしたかった。 ルームメートを持つことに憧れていた。外国で授業を受けたかった。少し、親から 離れたかった。日本から出たかった。
夢が叶って、本当は何がしたいのかわからなくなる。恋をしたいような気もする。 本当に修士号が欲しいのかな。日本に帰ってもいいような気もするけど、 戻ってやりたいこともない。それよりなによりこの英語、なんとかしたいよね。
Lawrence にいても、そんなに遠い所にいるような気がしない。いつでも日本に帰れる気がする。 いつでも皆に会えると思う。
「もう1年経ってしまったのか。」と、来年、思うだろう。

1994年7月20日
カンザスへ直接行かず、まずはNYで見物。日本に電話したら、父が
「おまえ、今、どこにいるんだよ!」と強い調子で聞いてきた。
「NYだよ。」と答えようとした時に、寂しそうな声で
「アメリカだよな。そうだよな、アメリカだよな。」ってひとり言のようにつぶやいていた。
「アメリカだよな。そうだよな、アメリカだよな。」


青い日記ちゃん パート2
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