元海外雇われポスドクの毎日


日常風景


11月17日
Heat ratio sensor

朝から、九大の環境監視活動について、今後の予定などに関する施設部との打ち合わせ。いつも話題に挙がるのが、ちゃんとした報告書の策定の重要性。

さて現在、某所で計測した樹液流データの解析を急ピッチで行っています。
このような図が得られます。縦軸が熱伝導速度(Heat pulse velocity, cm/h)で、これに定数をかけると樹液流速になります。横軸が2016年のDay of year。

かなりうまく測れた例です。八甲田のブナはこのクオリティだけど、ハワイのサイトとかではもっとノイズが大きい。
JPEGにすると、画像が粗い。

さて、深さ3cm、2cm、1cmの樹液流速度が、赤色、黒色、緑色で記載されています。割と奥の方まで樹液が流れるものですね。ゼロ値は緑の点線で描いてあります。

この数値を得るまでに、ゼロ補正という作業が必要になります。Heat ratio methodのセンサーでは、温度センサーが、Heaterを挟んで等間隔(6mm)に設置される必要があります。
しかし微小なズレは必ず起こります。その場合、樹液流速がゼロなのに、ゼロではないという出力を得てしまいます。

この操作をすることで、いつ樹液流速がゼロになったかを知ることが出来ます。実は、ゼロ値をしっかりと測れる・特定できるセンサーというのは決して多くありません。
最も利用者数が多い(と昨年、中国人研究者が書いた論文に書いてあった)Thermal dissipation probe、別名Granier式では、これができません。


さて、図を見ると驚くのが、ここに出した40日の間、何日も夜間に樹液流速がゼロにならない日があることです。なお調査地の降水量は年間5000mm。豪雨地帯です。
206日の朝に一度樹液流速がゼロになった後、再び流速がゼロになるのは210日の深夜です。この後(もしかすると210日の夜から)大雨があり、それで樹液流が止まったのでしょう。
215日なんて、夜間の樹液流が日中の最大値の約半分。たぶん逆転層がかなり低標高まで来ていたのでしょうね。

これが東南アジアの乾季だったりしたら、ゼロフローの日はもっと長いし、もっと頻繁でしょう。上述のGranier式センサーは、毎日、長くても数日に一度はゼロフローの日があるという前提で計算をします<−−このあたりをマテメソに詳細に書く研究者は、かなり少ない。Oishi et al. (2008, Agric For Meteorol)は有効と言われるが、「あんな条件満たす日なんてそんなにあるものか。使えないよ」(FC Meinzer談)

そんなこともあり、最近はGranierを使った研究が査読で回ると、どうしてもチクリと夜間蒸散の扱いについてコメントをしてしまいます。

省エネだし、HRMすごいじゃん、と思われるかも知れません。
しかしHRMは、結構ノイズを拾います。日射の影響も強く受けます。近年の研究では、高い流速を計測できないことが問題にもなっています。

このゼロフローも、悩ましい。実はゼロフロー補正では、材の幹密度や含水量が必要になります。これらはベイズ式逆算モデルを使ってデータから算出することが可能なのですが、季節変動します。

仮にちゃんとゼロ補正に必要な数値を得たとしても、問題は山積み。
別の個体では、5日くらい連続で、逆流が観測されました。葉での雨水の吸収とその樹体内への流入。そんなの、あるの?いや、たぶんノイズ。
本格的にHRMにのめり込むには、まだ乗り越えないといけないステップが残っています。

別に私、樹液流の研究者ではないのですけれど。


11月16日
米国とクリスマス

今日はボジョレーの解禁日だとか。ヌーボーは好きですが、あの価格で買えるほどリッチではありません。

日本ではボジョレーの傍らで、クリスマスの飾りがスーパーを賑わすようになりました。お正月のおせちの販売も聞きます。
キリスト教徒が多く、クリスマス商戦も盛んな米国では、こうしたことはありません。

クリスマス商戦のスタートは感謝祭ことThanks Giving dayのあとから始まります。その日が年間で最も大安売りの日、Black Fridayです。よくBlack Mondayと間違える人がいます。ご注意。


話題を変えて。
そのクリスマスの呼称、米国ではメリークリスマスを聞きません。そしてそのことは、昨年の大統領選にも強く影響をしたと言われています(一因、程度ですが)。

こちらで使うのは、Happy holidays。クリスマスと言う言葉は、ありませんね。
特に学校や市役所など、公的な場所では、特定の宗教を優先するような表示はしてはならない、という決まりがあるそうです。ですから公に使う会話でも、Happy Holidaysとして、あからさまなクリスマス(キリスト教)への言及を避けるのだそうです。

これが、一部トランプ大統領の支持者に火を付けた。
アメリカ人が、アメリカのシンボルとも言えるクリスマスに対して、なぜメリークリスマスと言うことを控えねばならんのだ、なぜ学校にツリーを飾れないのか、誰のためのアメリカだ、という不満が爆発したと聞きます。

彼らに言わせれば、新参者の他宗教者に配慮するあまりに本来のアメリカらしさを失った、誤った・行き過ぎた公平、ということのようです。だからMake America Great Again、なのでしょう。
あまりに普通に使われていたから、全く気づかなかったよ。

なおホノルルでは、市を挙げてクリスマスの盛大な祝いをします。普段は治安が悪くて近寄りがたいダウンタウンに巨大なサンタ夫婦(結婚してた?)が登場し、Holidaysの間、周辺が賑わいます。
初日はHonolulu City Lightsと言って、盛大なパレードが催されます。これって、いいのかな?


honolulu Haleのサンタ夫妻像。夜はライトアップされ足下の噴水があがります。
なおこの夜、近くまで自転車で行ってパレードを見たのですが、帰りまでにタイヤに穴を空けられていた。さすが、ホノルル。


そうそう、HappyなんとかはHolidaysに限りません。他、Happy Fourth July。独立記念日ですね。

興味深いのが、July Fourthでないこと。月-->日、がアメリカの暦の読み方ですが、7/4についてはイギリス(欧州)式の4/7。
呼び方は英式だった独立当初に根付き、そのまま今に至っているのでしょうか。Nativeに聞いても、理由は知らないとのこと。


11月15日
伊都のデータ解析

このwebsiteだけを読むと、朝から晩までキャンパス計画室の環境保全活動ばかりしているように読めますね。ざっと最近書いたものを読んでみました。
実際には科研も申請していますし、樹液流やフラックスの計算もしています。論文も、遅々として進みませんが、書いています。

とはいえ、最近は本業が忙しいのは事実。
昨日は、とある井戸の観測がうまく行かない、中が壊れた、という案件が来ました。他の井戸で代替が利くなら、この資金難の中、修復する必要はありません。そのためにはデータをじっくり解析する必要がある。

大学院時代の恩師が、日本の森林科学の研究者はデータ解析や論文執筆がおそろかだ、と批判しているのを聞いたことがあります(マレーシア、ボルネオの高地で)。
曰く、野外調査というのは狩猟採集本能に基づく行為なので、何もプレッシャーをかけなくても研究者は自発的に実施する。一方、それをまとめて成果とするのは農耕牧畜的な活動であり、本能に基づいていない。だからどうしても疎かになるのだ、と。

この論の正否は分かりませんが、キャンパス移転の環境監視・保全活動については、ここまでその遂行に手一杯であったのは事実です。環境保全に、新たにイノシシ問題が登場したり、想定しもしなかった(したくなかっただけ?)資金難問題が登場したり。
今、「活動の成果の全貌を見せてみろ」と言われても、論文で言うならMaterials and MethodsとResultsしかない年次報告書しか出せない、というのが実態です。

来年度からキャンパス計画室で実施中の講義「伊都キャンパスを科学する」で使用する教科書において、私の担当でこうした実情を書きました。
このテキストは二年ほどの学内での試用期間を経て、学内外向けに出版される予定です。それまでには、ここで述べた活動について「これまでの活動の全貌が明らかになった」と書けるようにしたいなぁ、と思っています。


伊都キャンパス遠望。一番左が、来年秋に移転完了する農学部キャンパス。
秋の実って頭を垂れる稲穂をイメージした色。芸工院の先生がデザインしたというこの色について、やや強すぎるという異論も聞きますが、稲穂の時期にはきれいに映えます。


11月 6日
伊都の気象環境

日本の大学の中で最も広大な敷地をもつ九大伊都キャンパス。そこは生活の場であると同時に、研究教育の場でもあります。
自然科学の研究教育をするには、そこの環境条件をよりよく知ることが必要になります。またキャンパスの移転に当たり、その前後で環境が劇的に変わっていないかを知ることは、移転主である九州大学の責務でもあります。

さて、様々な観測が行われており、それを扱うキャンパス計画室にはいくつかのデータがあります。先生方のご尽力や業者の活動により、精度の高い観測が行われてきた・・・・

はずなのですが、手元のデータ、これは何だ?
10分間隔で計測し、記録した場合、年間の観測数は52,560件(覚えてしまった)。閏年はこれにさらに144加わります。

しかし手元のデータは、500,000行。Excelでは開けない(開けるかも知れないが、開きたくない)。時々バグとおぼしき記号が登場し、FORTRANの読み込みを止めてくれる。
某経路で入手したのだけれど、これを送った人、仲介した人は、中味を見たのだろうか?皆が皆、やる気満々で監視活動をしたとは思わないし、それを強要することなんてできないけど、これはひどいんじゃないですか?と思ってしまった一コマでした。


今朝の筑後地方は濃霧。幻想的ですが、電車は遅れまくり。


11月 6日
緑地視察

施設部が企画した、総長理事および各部部長の方々との、九大伊都キャンパスの保全緑地の視察。
先週「別に行っても大丈夫っすよ」と言ってしまったためか、いつの間にか車内案内要因としてカウントされていることが、木曜発のメールで発覚。
ご無沙汰していた矢原研のゼミに行きたかったのに・・・・

懸念されていた天気も晴れました。午前中に仕事を片付け、午後は緑地を散策です。
そして午後が終わりました。視察も無事終わりました。


11月 2日
科研申請

一ヶ月以上すぎてしまった。この間、ハワイから帰り、後期が始まり、縞枯山に調査に行き、キャンパスの環境調査のBig data解析が始まり、論文の改訂を再投稿し、科研の申請をしました。

今年は科研の申請資格を4年ぶりに獲得して、応募しました。うまく行くことを祈ります。
分担数件。どれも興味深いものばかりに誘って頂きました。


先日、所属組織の関係で会議に出てきました。偉い先生も臨席される、大変な会議。
九大の植栽木が枯れている、あるいは元気がないことが議題。九大は山を切り開いて作られたキャンパスを持ちます。表面を覆う土の多くが、もともと地下深くにあった岩を砕いただけのもの。水持ちが悪く養分も少ない。
植栽木の将来なんて、建設当時には頭になかった(あったとしても、そのための金はなかった)。

植物の成長は土次第。元気のなさそうなシラカシや先っぽの枯れた常緑樹を見るに、何かしなきゃいけないことはよく分かるのですが、何をするにもお金がかかる。残念ながら、九大にはそんなにお金がない。
さて、どうしたものか。

九大キャンパスは生物多様性保全の場としても売り出しています。お手頃な価格の木を造園業者から買って植えればいいじゃない、とはいきません。
同じ種とは言え、元々いた樹木と、全く違う場所から持ち込まれた樹木との交雑個体ができるのは望ましくない、という不文律もあります。なので植木の選定から大変だ。
個人的には、福岡県内だったらいいんじゃないの?と思ってしまいますが。

交雑が起きなければいい、と、全く違う地域の樹木を植えるのも望ましくない(らしい)。
アカシアユーカリハンノキ・・・劣悪土壌でも逞しく根を張る樹木なら、いくらでも心当たりあるけど、景観を損ねそう。
あまりに成長旺盛なものを植えてしまうと、10年後には今度は駆除で予算を枯渇させる危険もある。周辺自治体に、九大から外来種がやってきた、と糾弾されるのも、避けたい。

森林生態学とか生理生態学って、理論は語れるけど、何かするってなると弱いなぁ、としみじみ思いました。
樹木の成長を測って、その原因特定するための研究予算があれば(くれれば)、やるんですけどね。たぶん、予算は外部から獲ってこい、と言われるでしょうね。来年、P&P応募しようかな。


9月17日
伊都キャンパス

文書を全部消してしまった。痛いことだらけの、ここまでのハワイ出張。
さて、今の職場、伊都キャンパス。九州のちょっとおしゃれな田園、として評価されているらしいこの地域。実は歴史にも登場したことのある地域でもあります。
詳しいことは、九大総合博物館の岩永先生が、近くキャンパス計画室関係の教科書で執筆されると思いますので、そちらの出版をお待ちください。

以下はその聞きかじり。
伊都キャンパスの名の由来は、昔の伊都国です。魏志倭人伝に登場する三つの国の一つ。それがここではないかと言われています。
確定ではありません。なにせ1700年も昔のことで、中国と盛んに交易していたわけじゃないだろうし、日本にはまだ文字がなかったし、決定的な史料が出てきたわけじゃない。

因みに日本では中学の歴史で勉強する魏志倭人伝。猛烈な歴史勉強で有名な中国から来た留学生に訊くと、そもそも魏志自体が知られていないとのこと。直前には後漢書があり、直後には三国志もあります。
日本では特別格でも、中国では、王朝が入れ替わると毎回作られたたくさんの歴史書の一つでしかありません。


2-3世紀から6世紀へと時は下り、聖徳太子の時代。その弟の来目皇子は朝鮮出兵を企てます。その拠点が、ここ伊都キャンパスのある糸島(伊都島)地区、だそうです(酒の席で聞きました)。ただ来目皇子は九州で病没、出兵はなくなります。


8世紀にさらに時代を下り、大仏が出来た時代(752年頃)。時の最高権力者、藤原仲麻呂が、安史の乱で混乱を極める唐が睨みを利かす余裕を失った、その隙間を縫って、新羅を攻めようとします。その拠点も、ここ。
そのとき武器の製造に使われたと思われる、製鉄所の跡も見つかっています。それも、九大キャンパス内から。

この数十年前には、歴史で勉強した白村江の戦いにおいて、日本は唐・新羅連合軍に完敗します。その対処で太宰府が強化され、防人が動員されるなど、日本は大きなショックを受けたと考えられます。
仲麻呂としては、積年の恨みを返すチャンス到来、だったのでしょうね。当時、朝鮮半島からの海賊問題などもあったようで、それもきっかけだったかも。

しかしこちらも実現されることはありません。彼の権力基盤が揺らいでいく中、怪僧道鏡に入れ込んだ孝謙天皇(上皇だったか?)と対立することが多くなり、その結果仲麻呂は失脚してしまいます。


仲麻呂の失脚以降、朝鮮との窓口・攻め込み口として糸島が歴史の表舞台に出ることはあまりなくなります。元寇の防塁は作られていますけれどね。
なお先日、箱崎キャンパスの移転跡地(農学と文系は来年移転)からも防塁が出てきました。ますます跡地売却が遅れます。
16世紀の秀吉の朝鮮出兵では、もっと西の呼子近くの名護屋城が拠点となりました。糸島は忘れられ、九州の片田舎としてひっそりと時を過ごしていたのです。


20世紀、そして九大の移転が決定。当初、移転先は保全するような貴重な自然環境もなく、前方後円墳一つ以外に考古学的に重要な史跡もない、と考えられていました。
しかし、特に史跡は、出るわ出るわ。国宝級の象眼入り太刀が出土したり、貴重な建造物の跡地が見つかるなどした結果、優先順位の問題で、当初保全対象だったその前方後円墳が取り壊される事態に。

移転予定地275haの100haは史跡保全のために触れないなど、使える場所が限定されてしまった。
狭い箱崎から広大な伊都キャンパスへの移転、のはずが、多くの研究室では移転後の方がオフィス面積が狭くなってしまいました。単独キャンパスとしては日本一の広さを誇るのに、なぜ?


・・・・とここまで書いて。
なんで、こうしたことが、どこにも書かれていないんだろうか。そもそも教職員でこういうことを知っている人、キャンパス移転に関わった人以外では、どれほどいるんだろうか?
九大トップページには書いてない。新キャンパス移転のwebsiteには記述なし。そもそもキャンパス計画室のwebsiteが未だにない!

概要として航空写真へのリンクを貼ろうと思ったけれど、それも事務ネットワーク内からしか見られないのね。


と自分たちの首を絞めるのはやめにして;
北朝鮮から日本にミサイルが飛んでいるようですが(ハワイには届かんだろ)、こうしてみると日本の歴史というのは、逆に朝鮮半島に攻め入る歴史だったのだと思わされます。
来目皇子、白村江、仲麻呂、秀吉、西郷隆盛(?)、そして1911年韓国併合。他にも任那など日本と政治的にも軍事的にも関係していたし。
時代は前後するけれど、福岡県香椎にある綾杉だとか、筥崎宮などに伝説の伝わる神功皇后もまた攻め込んでいる(2世紀?)。朝鮮半島側は、室町時代の倭寇も含めろと言うでしょう。

韓国北朝鮮としては、「何を今更?」なのかもしれませんね。やった方は忘れても、やられた方は忘れない。
北朝鮮がミサイルを飛ばす先で思いつくのはグアムと日本くらいのものですが、意固地なほどに日本が狙われるのかは、歴史的な必然性なのかもしれません。

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