元海外雇われポスドクの毎日


日常風景


5月24日
出張翌日

出張中、webにつながれなかったこともあり、大量の業務。
Websiteの改訂が遅いというお叱りを某所から受けたので、そちらの調整。便利なツールでニュースを改訂できるが、これを使用するとwebsiteが改訂前の過去のバージョンに戻されてしまうことも発覚。
それを修正しようとすると、ウェブサーバーにアクセスできる唯一のPC、御年10歳がダウン。6度目のフリーズで、今日の作業を断念。

Micro Heat ratioセンサーの量産化。熱電対を捻るのが、地味に時間を食う。明日は朝から箱崎キャンパスなので、今日中に終えてしまいたかったが。
週末は我が家の南天君でテストラン。トマトは、発熱量が高くて死んだら困るからね。九州に来て以来、秋までトマトが生きていたためしがない。根腐れしたりキャビテーションしたりアブラムシの集中砲火で実をつけなかったり。これでもれっきとした、農学博士。私の場合、脳が空?
「”空”とは何もないという意味ではない。見えなくとも感じなくとも、重要なものがある」とはダライラマの言葉。色即是空。じゃぁ、脳がダークマター博士?やめよう。

生放送か分からないけど、明日TNCのももち浜ストアという番組で、農学研究院が撮影されるとのこと。保全緑地の立ち入り申請は?
と言っても、つまり外部がそうした情報を見つけられなかったと言う事実は、発信に責任を持つキャンパス計画室の失態、なんだろうな。すみません。

九大のwebsiteの地図が新しくなりました(by九大の広報)。今まで空き地だったイーストゾーン(人文社会学系)や農学部のある五号館も地図に登場しました。


5月23日
出張から帰る

1週間に及ぶ八甲田の出張。3年目の調査となる樹液流計測サイトのケーブルなどの整理で、滞在期間をガッツリと食いつぶしてしまった。おかげで、今後のトラブルは未然に防がれるだろうし、質の高い計測が保証されるようになりました。

しかしまぁ、色々ありました。
初日のうららかな天気は、二日目には大雨の低温に激変、三日目には5月下旬にして雪、しかも道路に積もり始める。標高1000mでスタッドレスじゃないレンタカーを運転する中、体も心も芯から氷点下。幸い事故にはなりませんでした。

その後は天気に恵まれて、のどかに計測とサイトの整理。故障センサー、配電問題を起こしているケーブルの取り替えなど、掃除に似たような作業を延々と実施。これで秋まで順調に測れることでしょう。

あるサイトのミズナラの木、樹液流センサーを覆う断熱材の中でヤマネが越冬中。かわいい。これならケーブルかじられても、許してしまうかもしれない。
とはいえ不具合を起こすセンサーの取り替えは必要なので、追い払って作業。追い払われたヤマネは、反対側に設置したセンサーを覆う断熱材に逃げ込む。やっぱり、かわいい。


八甲田の高標高では未だに融雪中。湯k痔桶水が道路を怒濤のように流れる。この時期に発生した湿地には水芭蕉が咲き誇る。


5月17日
出張

また青森。雪解け直後の作業は終わったので、今日からは今年度からの調査拡張、細かい不具合の解消など。生理特性を測るには、やや時間足りず。
カメラ忘れた。

この数日、以前実施した阿蘇の研究の情報提供の要望があったので、そちらに対応。ややトラウマ(黒歴史ほどじゃない)となってしまった阿蘇の研究、後継プロジェクトの役に立つなら、本望。
あの頃に今の技術があれば、こんな苦労することもなかったろうに。研究終了から既に3年。3年とは、長い。


青森行きのフライト、大阪乗り継ぎ。伊丹からの便は満席。新緑の奥入瀬、白神か。いいなぁ。
調査地はその奥入瀬への入り口付近と、死の行軍で多数の死者を出した場所からわずかの場所。


5月16日
会議、また会議

出張に間に合わせるように、業務が襲いかかる。今日は会議。昨日も会議。そして今日は会議前に講義。
急遽、キャンパス移転で実施された環境監視活動の予算の内情まで調べなければならない事態に。その他、これまでの取り組みについて、理解していない箇所がチラホラと。
同じことを、近々キャンパス内の緑地の維持管理でもしなきゃいかん。農場の移転に関する資料も目を通さなきゃならん。有害鳥獣対策(イノシシとアライグマ)もこれまでの取り組みをしっかりとおさらいしないといかん。

九大のwebsiteの地図の改訂もしなきゃならん。今の地図、農学部(五号館)も人文社会系(イーストゾーン)も、載ってないぞ。青森から帰ったら、やらなきゃ。


そんな中、論文はわずかに進行。今月中には片付けたい、と昨年から言っていた気がする。この書けなさは、もはや未知の領域。
よく知る研究者の論文はほぼ一発受理だとか。そういう研究をできる、論文を書ける人になりたい。


5月14日
出張前

今年は出張が、本当に多い。全く多い。
朝は箱崎で知っている研究者が話をすると言うことで出かける。午後、余裕があればオフィスに出かけ、仕事をするでもなく、センサー作り。


バラの季節、近所の公園。久留米は福岡の一地方都市と思えないほど文化的に充実しています。


5月8日
Micro heat ratio methodセンサー

つまりClearwater et al. (2009, Plant Cell Environ)を作り始めました。最難関は、小さいチップ(1.6mm×0.8mm)の両端への半田付け。意外に簡単だが、強度が心配です。また試行錯誤を繰り返すことで、ものにしていくのでしょう。
あとの作業は、これまで作った全センサーの中で、格段に簡単。難易度は小学1年生の夏休みの課題研究未満。

センサーを設置すれば、樹液流速度が測れます。スケールアップを怠らなければ、個体レベルや群落レベルの蒸散も測れるでしょう。
では蒸散速度を成功裏に測れたとして、次に何をする?樹液流計測は樹木の脈採りと同じ。脈を取るだけでは医者になれないし、どんな病だって治すことはできない。
結局、議論はそこに戻ってきます。技術が開く未来はある。未来が思考で用意されている限り。思考のないところには、どんな技術だろうと未来を呼び込むことはできない。

Micro heat ratio methodセンサーについては、近々正式版をアップします。使いたい人は、作ってみて下さい。


ハワイで地震。調査地すぐ近く。ニュースに「地震頻発もホテルのキャンセルわずか」。キャンセルも何も、Hiloの街のホテルで賑わってるのって、想像できない。


5月7日
連休明け

連休が明けました。いつも通りの仕事。そして、いつも通りに時間が過ぎて、何もできずにオフィスを去る時間。
月曜日は矢原研のセミナー。実験デザインが洗練されている。発表を聞くだけで、どのような統計解析をするのか、手に取るように分かる。それが修士課程の学生のレベル。末恐ろしい。


5月1日
出張帰り

八甲田に行き長野に行き、という無茶な出張から帰りました。また論文書き(進まず)、センサー作り(センサーは論文も申請書類も書いてくれない)、所属の業務(これが一番はかどる現状に泣ける)、データ解析、と、いつもの日々が始まります。


縞枯山遠望。北、中央、南アルプスを一望。
東大の種子田さんに京大の河合さんにと、日本を先導する水分生理学者から薫陶を受けてきました。
計測自体は、マルチプレクサが死亡したり大変でしたが、その応急処置を含め、最低限を確保することができました。


同じ縞枯山。巨大霜柱。高さ20cm。これが溶けたあと、林道の表面はそのまま、踏めば沈んでぬかるむトラップ地獄と化す。


そして縞枯山。縞がきれい。対岸の茶臼山から。


4月16日
出張前

センサーが足りない。シリコン注入が間に合わない。そもそも論文3ヶ月放置。共著論文のrevise稿読む時間を作れていない。何でこんなに、時間が無い?

保全緑地の利用申請が次々と。先週の取り組みについてお礼や返事がまだ終わっていない。講義の教科書問題で改訂だ、アナウンスだ、なんだかんだ。
出張は明後日午前。間に合うか?


4月13日
保全緑地

午前中、演習林の大槻先生と、糸島市の地域振興課の人たちと保全緑地の散策。
糸島市民にこのキャンパスをどう利活用してもらうか、思いつくままに語ってもらうための場。大槻先生、完全にボランティア。ありがとうございます。

今までキャンパス計画や移転は、移転とそれに伴う問題の解決や防止で手一杯でした。ようやく、今後どうするかを見据えた取り組みを始められるようになりました。
しかし、時は既に遅し。大学内外では、今年10月の移転完了を機に、キャンパス計画は忘れ去られていくのでしょう。

でもこの保全緑地、総計100haをどうするのか、具体的な将来像はありません。貴重な動植物に史跡、そしてその保全は、予算もなければ取り組み予定もない。希望はあっても、誰がやるのか、どの財源でやるのか、大学や構成員の責務や努力の期待など、不明瞭なことばかり。

午後はたまたま、そうした内容の会議。進む大学整備と新たな取り組み、取り残されるキャンパス移転にまつわる様々な宿題。さて、どうしたもんかね


4月12日
シリコン

樹液流計測ではヒーターを使います。熱が樹液流に運ばれることで、ヒーター近くの温度計の数値が変わる。その変化パターンを調べることで、樹液流速度を計算します。

今作っているHeat ratio method sensorでは、猛烈な熱を短時間発します。10秒空気中で電気を通したら、間違いなく焼き切れる。だから短時間(3-5秒)だけ加熱し、さらに熱が籠もらないよう、ヒーターになるニクロム線コイルを熱伝導性の高いシリコンですっぽり覆う。

このシリコンをヒーター部に注入する作業が、大変。注射器で、ほっそいチューブにシリコンを注入する。指が、痛い。今度の八甲田行きには間に合わないから、出張先で注射器と格闘。
なおこの熱伝導式シリコン、体に良くないです。発がん性、有ります。しかも石けんで洗っても、なかなか落ちません。怖いです。


4月11日
安心と安全

日本にある核の傘信仰。
他国がもしも核攻撃をしたら、某国が日本の代わりに核で反撃してくれる。だから日本は戦争に巻き込まれなかったし、これからも巻き込まれないだろう。

その信頼(?)が実際には、いかにたやすく破られることか。
化学兵器を使い合うシリア政府軍と反政府軍。露骨な国際協定違反のこうした行為に対しては「正義の鉄槌」が即座に打ち下ろされるはず。だから使われなかったはず。

やはり、信仰。信じたい人が、そうした仕組みを、そうした仕組みに守られてきた体制を維持したい人が、かくあれ(アーメン)と信じる、信仰。
都合の悪いことは見えない聞こえない考えない。都合の良いことを考え、それに立脚して未来を描く。

核兵器と化学兵器は別物だ、だから核の傘は有効だ。なのかもしれません。そうあって欲しいです。できれば核も化学兵器も同じであって、どちらも使われないで欲しいです。そう信じます。信仰します。
それと同じくらい、今九大が実施している様々な活動もうまく行って欲しいです、継続されて欲しいです、予算も配分されて欲しいです。
そんな甘い将来構想に両足突っ込んで思考停止する気にはなれないけど。


4月10日
調査過密

年度が替わり調査関係も一斉スタート。まずは日程。雪解けまでに対処したい案件が二つ。
雪解け前と言うから、当然アクセスは悪い。年度が替わってからの出張手続きを考えると、時間はほとんど無く、安い航空券もない。挙げ句の果てに、ゴールデンウィークという、年中仕事の研究者(マジ?)にとっては呪わしいシーズンも到来し、青天井の移動費。

その段取りで共同研究者を振り回し、年度初め早々から迷惑かけ通し。すみません。
他にも山陰に一つ、南国に一つ研究で行かねばならない。いずれも立ち上げであり、早急に取りかかりたいが、無理。5月以降。そうして過密スケジュールは来月に持ち越される。

新入生歓迎、学内Wifiダウンしまくり


少し遅れましたが、学会で行った高知の桂浜


4月9日
通勤電車

講義が始まったのか、新入生とおぼしき大学生の若者達が電車で天神に向かうのと乗り合わせました。会話から、S学院の学生らしい。
頭に化学ぞうきん(ダスキン)を載せたようなカラフルな出で立ちで、やれ誰はどれだけ酒を飲んだとか、どんなバイトがあるとか、シャコウ(車校、自動車学校と思われる)の善し悪しだとか。典型的な新入生というか、18才トーク。
おっと、お酒は二十歳から。
近くの明善か久留米高校かの同窓生なんでしょうね。初々しいというか、ちょっと騒々しいけど、自身にも思い当たる節があるので、黙ってました。

大学は新たな旅立ち。かつての人との付き合いが薄れる中、新しい人と出会い、人生の師に会い、生涯の伴侶と出会い、一生を決めるような経験をする。
狙って得られるものでもなく、そもそも狙いすら見通せない中での門出。そうやって翻弄されて、20年後に振り返る。もう22年も過ぎてた。


4月7日
九州国立博物館

王羲之展。書聖だが、その直筆は唐の高宗と共に地中深く。その先に、昔行った中国黄土高原の試験地があります。
国立博物館は開館から10年を超えました。京都国立博物館は1度しか行ったことがないけど(致命的に貧乏だった)、九州ではもう何度行ったことか。

九大の考古学でも博物館が欲しいねぇ。一度、九州全域からみて、伊都キャンパスの考古学的価値ってのを外部評価して欲しい。どうしても研究者は材料の評価を盛るからね。生物多様性しかり、伊都の考古学的価値しかり、アジアの玄関としての九州の重要性しかり。盛らないと資金獲れないんだから、仕方ない。


4月6日
論文書き

結局、仕組みとは得られた植物の振る舞いを理解するものであって、植物の振る舞いを議論しなければ論文として体を為さない。仕組みだけでは、論文にはならない。
修論生でも気づきそうなことに気づかず、2週間を棒に振ったダメ助教。

科研の結果も大体分かったし、今年の研究計画。4-5月が殺人的な日程になりそう。各サイトで使うセンサー数が、控えめに見て、足りない。昨年買ったWire stripperが優秀で、多分、間に合う。


4月5日
筑肥線

九州大学の鉄路の生命線、それが筑肥線。地下鉄空港線が姪浜駅で筑肥線に切り替わりますが、その存在に気づかない人も多いのでは。
おっと、それは所属先から通勤手当が出る定期持ちだけ。この駅を境に、電車賃が一気に跳ね上がる。

筑肥線は風が吹けば遅延欠航でも有名。今日は、人身事故。Twitterは即座に情報が載る。内容を読むと、背筋が凍ります。ガッツリ遅れて、西鉄天神からの特急を逃すことに。


4月 4日
センサーづくり

急遽必要数のセンサーを作らないといけなくなり、机の上を細い銅線だらけに。
樹液流センサーの製作に関係していくらか物品が必要に。節約型の研究とは言え、お金もかかる。
また外部資金に応募しようかな


4月 2日
新年度スタート

喉が痛いまま、やや遅い電車で通勤。ハワイから九大に掬ってもらってようやく1年です。今年から、研究も業務も本格始動。
電車には新採と思われる初々しい若者も同乗。春です。サクラ満開です。

キャンパス計画室にとって今年は特別な一年になります。長い期間かけて取り組まれた、伊都キャンパスへの移転がこの10月に完了を迎えます。それと共に役割を終えるのか、新たな役割につけられるのか。それはこれから決まること。
研究も大変だ。まずは科研費次第、だけれど。その発表が今日のはず。怖い。無難な路線で行ったはずだけど、勝負に確実はない。まして、これまで国外ばかりで研究をしてきて、継続的に取り組んできた国内研究試験地を持たない身としては、なおさら。


4月 1日
環境ビジネス

だいぶ前に録画したNスペ。
環境ビジネスが、ビジネスとして定着している実態を特集した番組。巨額の資金が環境ビジネスに投じられ、それを受ける海外の大企業が環境ビジネスにしのぎを削り、また提携先にも同水準の環境保全の取り組みを要求する現実。

太陽光発電の買い取りを九電が拒否したことに始まる、日本の再生可能エネルギー産業への逆噴射が進む中、世界は変わりつつある。
風力や太陽光の取り組みが採算取れていない実態を嘲笑うような記事も目につく。ついこの前も冬の大雪に関連づけて、安定供給できないから再生エネルギーはダメだとする記事がありました。だがそれは、裸の王様。沈むタイタニックで慌ててボートに駆け込む人々を特等客室から嘲笑する金持ち。
そういやITバブルがはじけた際にも、「ITなんかで金儲けしようとするから失敗するんだ」とITに手を出していない日本の旧式産業のお偉いさんが話しているのをテレビで見て、違和感を覚えました。そうした産業のいくつが今日、GAFA(AGFAなど、順不同:AppleやGoogleなど)と無縁で稼げているのでしょうか。

中学時代、世界の工場から没落し、這い上がれていないイギリスの実態を地理で学びました。現在(1991年)でも煉瓦造りの工場が建ち並ぶ旧式な風景を写す写真から、過去の成功体験に囚われ続けているイギリスが日本に勝つ術はない、と教えられました。時はバブルがはじけた直後、まだ日本の先行きを案じるような声は聞かれていませんでした。
成功体験をふりほどくこと、そして改革の難しさを見せつけたあの風景は、今の日本そっくり。中国も韓国もいなかった当時よりも、現在の這い上がりは一層厳しいでしょうね。


3月30日
サクラ満開

風邪に倒れた。ダウン


3月29日
話し合い多い日

朝から打ち合わせや会議が複数件。大変だ。
九大が進める2,3のプロジェクトについて話を聞く。九大、怖い。


3月28日
施設部送別会

いつもお世話になっている、というかキャンパス計画室の母体の施設部の、退職者、異動者の送別会。高知から慌てて戻って参加しました。
お世話になった方々が別の部や大学に移動されることになりました。会ではいろんなお話も聞けました。来年度、私が担当する職務について大きなメンバー変更はない(担当する課がなくなった割には)ので、一安心。

忙しくなりそう。


3月27日
森林学会III

今日は面白い発表が目白押し。いろいろ聞きました。懐かしい人々にも多数会いました。研究者になって以降、懐かしいと言えるほどの時間が経ったのだと、時の流れの速さと、自らの歩みの遅さに気が遠くなります。

夜は某セッションの打ち上げに乱入することに。ご迷惑をおかけしましたが、とても貴重なお話を多数聞くことが出来ました。キャンパスの緑地や環境のデータ管理・公開に関連して、以前からお話を聞きたいと思っていた方にもお会いできて、様々なことを教えて頂きました。


3月26日
森林学会II

森林学会の研究者は皆、桂浜には行くらしい。桂浜水族館、おいしそうな魚がいっぱいです。


3月25日
森林学会

今日から森林学会で高知に行ってきます。福岡はサクラ。高知もサクラ。


3月23日
キャンパス計画室会議

いろんな会議および打ち合わせが殺到。年度末にこんなに増えるのは、事務では当たり前なのだろうか?


3月22日
保全緑地

今日は保全緑地での観測活動で共同研究をしようとしている民間企業の人たちと視察。


3月19日
通勤電車2

地下鉄から筑肥線へ。筑肥線は強風のために遅れ。
筑肥線に切り替わってから、隣の席に乗り込んでくる年配の女性。猛烈な勢いでタブレットを指弾。視界の隅のスマホ百裂拳は気が散るので、離れた席に移動。
通勤電車、いろんな人が乗り合わせます。西鉄の同じ線には、下りるまで50分、ひたすらガムでも噛むかのように、クッチャクッチャと口を動かし続ける年配の男性とか。
もっとも、日本人の「変わっている(「奇」という意味で)」なんて、米国の街角に比べりゃ、かわいいものですけどね

今日は卒業式。袴姿が眩しいです。


3月19日
通勤電車

眠い。隣のおじさんの頭がしなだれかかってくる。うれしくない。
手元の本は「貧困女子」。ますます陰鬱な気分になる。乗り合わせている人は、無縁なのでしょう。早朝の福岡中心部への西鉄通勤電車は、サラリーマンで満席。


3月17日
東大と京大

基本的に入るのに必要な偏差値が同じこの二つの大学。何が違う?
東大に入るのは、最高のアウトプットを出せる環境を、万難を排して目指す人々。東京の密集や高い生活費などの不都合より、その後の成功、そこへの最短距離を目指す人々が入る大学。
圧倒的なアウトプットの差を目にしながら、その差を覆しうる自身の力を信じて(過信?)、あえて不利な道を選ぶ人の受け皿となる、それが京都大学。校風や比較的マシな生活環境、京都という独特な街並みと風情を優先し、現実を直視しない京大生。

京大生が求めるべきは、そんな自信満々(実際に能力が高い)自分を圧倒的に凌駕する師匠。確かに、今の森林科学の教員の面々、ちょっとやそっとじゃ凌駕できない。素晴らしい環境なのだなぁ、と思います。
ちょっと、うらやましい。でも、教員としては、身を置く・置ける・置きたい環境じゃぁないとも、思う。

もしも今、学生としてどちらかの大学を選べるとしたら?考えてみる価値は、あるかもしれませんね。


帰りの機内から八甲田山と岩木山、その間の弘前。科研、当たっているといいんだけれどねぇ


3月16日

ひたすら、雪。歩くのが大変。寒い。夜は凍死。
懐かしい人々に会い、会話。ほとんどの人がこの学会で会うくらいの付き合い。
新しい研究の話が次々と。日本の若者も、素晴らしい。そして一つの原稿で、グラフができながら3ヶ月も執筆が滞る現状に、自己嫌悪。鏡に映る自分が嫌いですか、好きですか。


雪。ひたすら雪。前の地震の日もこんな雪だった。


3月15日
北の大地

札幌は冬。雪が積もっている。寒い。夕食を探しに外出した昨夜、凍死すると思った。
ホテル前にスープカレー屋の看板があったので行ってみったら、開店は24:00。ホテルの所在地はすすきのといいます。


3月14日
学会

北海道に来ました。でもホテルに缶詰で教科書の編集作業。PDFにする際、どうしても画質が落ちる。Illustratorで画像を貼り付け、見てみると文字化け。あぁ

さて、九大の緑地管理とか環境監視活動。移転先の樹木を根こそぎ掘り出して、別の場所に植え替えるという力業な光景。
筑波で15年前、この学会で矢原さんが発表したのを見て度肝を抜かれた気がする。それに関わることになろうとは

こうした活動、潤沢な学内資金があってものでした。当然いつまでも予算が付くわけではない。予算は勝ち取らねばならない。採れなきゃ、廃止だ。予算は冷酷
こうした実情、関係者のどれほどが実感を持っているのでしょうね。


3月13日
学会前

明日から生態学会です。
地球環境、正確にはいろんな土地での植物の生き方の理解や、それがその地域の環境に及ぼす影響に関する研究をしています。

「そんなの、意味あんの?」「面白いかもしれないけど、膨大な研究費をつぎ込んでまでやることなの?」と言われると、返事に窮す。別の研究だが、某書類の予算欄、総額を見て思う。九大が誇る有機ELの基礎研究のプロジェクトとも比する、ことはないが、比べものにはなる額。
都市計画とか社会インフラの整備、新素材の開発や医療と比べ、生態学とか関連の学問って、インパクトは弱い。今編集している教科書の内容がそんなのばっかりだから、なおさら感じる。

役に立たない学問には意味がある。でも多大な資金を投じてまでやる価値があるかといわれると、苦しい。
植物の振る舞いなんて、野菜とか作物に転用できなきゃ需要はないし、地球環境を調べると言っても、所詮見てるだけでそれを変えられるわけじゃないしね。そう言われると、無責任に納得してしまう。

学会に行き、考えを同じくする人たちとの議論に没頭するのも心地よいけど、こうしたことの思考停止でもあるんだよね。
こういう考え方をする人間が農学部に行き、そうじゃないのが理学部に行く、と昔、師匠から言われたことがあります。むべなるかな。
理学部と工学ににも応用できそう。何を勉強しても、その人の中で変わることなく残り続ける真髄。


人は畑に麦を踏む弥生。左でテカる農学部。


3月12日
九大学園通

明らかに学生と思えないスーツ姿の男性が沿道に何人も立っている。その脇を、受験生くらいの若者が歩いて過ぎていく。
ああ、入学手続きか。高い為替(小切手)片手に京都に出向いた記憶がある。

校内に入ると、建物入り口と目の前のトイレとの間に「受験生以外立ち入り禁止」の三角コーン。後期試験だった。
予想外の障害の登場に、5階トイレまで身をよじらせて駆け込むことに。


3月8日
合格発表の日

裁きの日か、祝福の瞬間か。

22年前の今日、京都にいました。JR大垣駅で元クラスメイトと合流。ある意味、一番会いたくない人物と発表を見に行くことに。
天才の名をほしいままにする彼は、猛者ばかりの母校の校内試験ではついに常勝、京大模試も全体の2位と噂される人物。大阪日本橋にPCを買いに行くついでと語る彼の発表板がある理学部の先に、私の行く農学部がある。

結局どちらも受かったが、ああいうのは心臓に悪いです。受かる確信が唯一揺らいだ一瞬でした。帰りの京都駅までのバスでのたわいない会話は、今でも少し覚えています。

彼は京大の数理研への進学を蹴り(!)、カリtechに進学、そこで学位を取得して、多分今でも米国の素粒子学で活躍中。学位論文は超ひも理論。
修士の入学式、せっかくだからと見に来ていた彼とデザートを食べに入った生協でそうしたことを話して以来、会っていません。目標のノーベル賞には近づいたのだろうか。
性格的に苦手だったのであまり話したことがありませんでしたが、意外にも私のその後のいろんな決断が、彼の考えに大なり小なり影響されていたみたいです。


3月6日
春の嵐

風が強いです。東から吹く風は、いつもは陰鬱な伊都キャンパスの坂上り、そこを走る自転車の背中を押してくれます。

東風ふかば匂いおこせよ梅の花。太宰府を擁する福岡の人は、東風とかいてちゃんと読める人が多い。
この詩は小学校の頃から知っていたけど、太宰府天満宮の入り口にあるその歌碑を執筆した書家、その一族に加わることになるとは思わなかった。私の字は、一族一、汚い。

暴風にもかかわらず回らない伊都キャンパスの大風力レンズ。
昨日の会議は、その伊都キャンパスにおける植樹でのサクラの選定でした。寄付で植えられる記念植樹では、サクラが人気(なのだと思う)。だが生物多様性保全を重視する九州大学では、在来種との交雑が懸念される。伊都キャンパスにはヤマザクラも自生しているからね。さぁ、どうするか。

会議後、育種の渡辺先生とその件についてボソボソと。そもそも、伊都キャンパスの自生のサクラ個体が、既に交雑種である可能性も高い。交雑して種子ができたとして、それが自生種を駆逐する可能性は?可能性があるとして、それに要する期間は?などなど・・・・
交雑の可能性のある種は植栽禁止、とすると、思考停止に陥っちゃうんだよね。そうしたルールはそのまま固持されて不都合を未来に残すか、あるいはいっそのこと放棄されてしまうか。どちらも、望ましくないです。


3月5日
大雨

春の嵐。朝から雷が鳴っていました。
起きてから年始に録画した欲望の資本主義を見ていました。

芸術家は多くない。なぜなら芸術家になりたい人がいないから。彼らは常に創造性を求められ、作品の出来で所得が決まるその生活は安定せず、精神的に追い詰められる。
に似たようなコメントがありました。引用されていたのはフロイト。

大学の先生は、かつてはどこかの学会に所属し、その学会に関わる業界の代弁者であり相談役、という立場にあったのでしょう。
学生の疑問にも答え、学術世界と教育の狭間に生きていた人も多かったのだと思います。それが主な仕事だったのでしょう。また大学とはそれを支援する資金を提供する組織、だったのでしょう。

しかし今、毎年のように海外の査読付き雑誌への投稿を強要され、研究費は外部獲得資金を期待され、そこではやはり学術誌での掲載論文が審査の対象となる。
つい先日も査読(される方)を経験したばかりですが、やれ最新の知見がない、やれ技術が稚拙だ、やれインパクトが低い、とボロっカスに言われます。

昔、そんな経験をしてこなかった、またそんな経験を必要とされない時に採用された先生方にとって、これは苦痛だろうなぁと思います。話が違うよ、と。
そうしたことが日常的なときに学位を取った私がそれを言っちゃ、タダの言い訳ですけどね。

ドラえもんの中で、ネタが浮かばずに土管の後ろに隠れ、編集から逃げていたフニャ子フニャ夫先生。私たち研究者には、その姿がぴったり。
給与が9ヶ月分しか出ない米国では、残り3ヶ月、外部資金を使って自分を雇うしかない。その構図はまさしく、売れない画家と売れる画家の違い。
「お金が欲しければ、独創性を見せてください。」
いや、より露骨に「この程度の研究では、夏の給与は払えませんね」「あなたには独創性がないからお金が獲れないんですよ」か
その脇で、あふれ出んばかりの外部資金を調達し、夏の間にびっくりな収入を確保するPI達。

折しも就活が始まったところ。一昔前は芸術家だけしか求められなかった創造性と独創性が求められる、今の就活生。その行き着く先はフニャ子フニャ夫、なんだろう。
画家志望と言ったら親に止められるけど、親がもてはやす安定職ってものの中味、今やその仕事は画家並みに高要求かつ不安定なんだよね


3月4日
ハワイ大の招待講演

昨年はGreg、今年はChris Fieldだとか。4年前はDennis Baldocchi先生だった。いいなぁ、やっぱ米国だよなぁ。


3月3日
卒業式II

昨日は大学の卒業式だったようです。袴のお姉さんが天神にたくさんいました
卒業式。学部は、生態学会だったので、参加できませんでした。


3月2日
卒業式

昨日は高校の卒業式でもあった模様。花束片手の高校生。もはやいつの出来事か。
Heat pulseのヒーターを作る。下の階の理学部工場。便利。
キャンパス計画室の教科書づくりも佳境。あと少しで終了。


3月1日
就活解禁

真新しいフレッシュマンスーツで西鉄の特急に乗り込むうら若い女性達。ああ、今日からか。

箱崎での話し合いに先立ち、森林計画の吉田先生の部屋に押しかける。森林の研究者は変だ、との結論。人望の厚い吉田先生にそれを言われたら、人望も何もない私はどうなる。

話し合いを終えて、伊都キャンパスへ。風が強いです。いつも7速の自転車が、向かい風では4速でした。春の嵐。


2月27日
休日

代休。髪を切りたい。
さっぱりして自転車を走らせつつ、少し前の関係者との話を思い出す。

新キャンパスへの移転なんかしたくなかった、こっちは被害者だ、と言う話。この職ではちょくちょく、そこここから耳にします。
この手の話題、この手の枕詞、しない/つけないようにしています。

移転に伴う不便は事実。移転に前向きだった人ばかりじゃなかったことも事実。
それに対して、大学当局の一員として(キャンパス計画室は施設部付き)申し訳なく思うし、生じた負担は可能な限り軽減したいし、その措置もしたいと思っている。そう思って今の仕事に取り組んでいます。

それを言ったら予算をくれる部署がボーナス配分してくれるわけでもありません。心象は悪くなるでしょう。未来を見据えて今を受け入れ、現状を変えようとするところに予算は配分されるでしょう。
キャンパス計画室は、決して泣き言は言いません。言いたいことだらけけど、言っても未来はむしろ遠ざかる。未来志向です。

移転完了まで、あと8ヶ月。昼食は、アクアパッツァ。午後は耳鼻科で花粉症の検診。待合室にドリンクバーがあるのが特徴。


2月27日
壮行会

キャンパス計画室こと九州大学に来て、まもなく一年になります。本当に色々あった年で、というには、もっと色々あった年もあるのですが。
今回計画室を去る二名には大変お世話になりました。彼らなくしては、ここでの仕事も、またその仕事の傍ら(と言うにはあまりに時間と労力を使っているが)に実施する研究活動も、不可能だったでしょう。新天地での活躍を祈るばかりです。


2月23日
大学入試

2次試験もあとわずか。受験生時代のことは今でも鮮明に覚えています。
あそこでしくじったら人生が変わる、とすら思った当時ですが、しくじったらしくじった別の人生があったのでしょう。たぶん今よりも収入はあったのでは?
教育も研究も仕事も、どの道に行っても得られたでしょうが、それでは巡り会えなかったであろう人々は、私が持つ数少ない、貴重な財産です。


2月14日
酒蔵開き

筑後地方、城島の酒造開きフェスタがありました。西鉄などの広告が功を奏したらしく、猛烈な人出。

ご近所の私は、個々の蔵の細々としたイベントを狙い撃ちした方がよいと思いました。土産は花の露の生原酒。
純米吟醸と大吟醸の生原酒もありましたが、一番臭い通常のものを選びました。いろいろあって、自宅まで歩いて帰ることに。歩数は2万歩強。近い。


2月14日

雪景色になりました。自転車が怖いです。ここ数日、西鉄または地下鉄は運行乱れています。みんな、大変です。


1月31日
カンボジアと格差

最終日。ホテルを出て、どこで時間を潰しつつ仕事をしようか、と川に向かって歩く。そこには、ややムサい日本人集団が、タマリンドの木を写真に撮っている。
やれやれ、これだから日本人は訳分からんものを撮る、と偉そうに一瞥すると、見たことのある顔。森林計画学の太田さん登場。九州大学の決断科学チームご一行でした。
海外で日本人知人と偶然出会うのは、12年ぶり二度目。

結局、図々しく昼食までご一緒させてもらい、その後はAEON Mallに行き、ベトナム風オムレツ一食だけで椅子に4時間粘って仕事。
ホテルに戻り、Uberデビュー。のつもりが、本人認証で携帯に送られたメッセージ、私の携帯はカンボジアでは使えない。
ホテル前で待機していたトゥクトゥクに切り替え。Uberと同じ片道8ドルだが、運転手が$10札へのおつりを持っていないので、空港の売店で0.5ドルでコーラを買って小銭にして、代金とコーラを払って、空港内へ。


カンボジア旅行もこれで終わりです。空港内で夕食を採り、ビールをあおっています。

3年ぶりのガッツリなカンボジア。変わりゆく街に、変わらない風景。そんな一瞬の光景に胸が押しつぶされそうになります。
宿泊するホテルの前、ゴミ溜めには、朝からゴミ集めの人達が出入りします。幼子を連れ、小柄な女性があまりに大きなビニール袋に入ったゴミを抱え、リアカーに積んでいく。前も今も、よく見た風景。
その脇で、3歳になるからならないかの幼子が、うち捨てられたオレオの包み紙の中身を無心に探って食べている。

隣の小学校の脇には、その塀を壁面とし、汚いキャンバスを屋根にした掘っ立て小屋があり、そこに、その学校に通うであろう女の子を含む一家が生活している。夜、食事に出かけて横を通るとき、裸電球に照らされた家族が粗末な夕食を食べる姿が丸見えになる。

GDP成長率が年8%だとか、外資が入りハイアットやマリオットカートヤードが進出、と賑わしいカンボジア、プノンペンの現状です。
貧困はそこここにあります。街の北部、子供病院には、地方から子供を連れてやってきた親が炎天下の中、長い行列を作ります。さっき脇を通り抜けた黄色のフェラーリを乗る人と同じ、この国の人です。

この国の格差も貧困も、10年前からずっとあり続けます。国は有効な手段を打ち出せない。一方で好景気に推され、こうした人達に支援をするはずだったNGOなどの活動は、目に見えて低下しています。資金獲得のアピールもあるから、訴求性の落ちたカンボジアからの撤退とは、自身の組織維持に重きを置くNGOにとって合理的な判断なのでしょう。
豊かになったのだから政府が彼らの面倒を見るべきだろう、というDonorへの説明責任もあるでしょう。ですが残念ながら、現実はそこまで合理的ではありません。
支援の手からこぼれ落ちた彼らのことを思うと涙が出てしまう私には、そんな合理的な斬り捨てはできない。そういう仕事に向いていないのでしょう。

プノンペンで買い物に行くと、お金持ちそうなきれいなお母さん、まだよちよち歩きの幼子と、彼らの面倒を見る女の子をよく見かけます。
その女の子は、年の離れた姉ではなく、その家庭のメイド。よく見ると、足下や服装が子供や母親と比べるべくもなく粗末で、この国の格差を目の当たりにさせる。
いわゆる児童労働。無職よりマシだろ、という人もいるかもしれない(レミゼラブル)。
だが学業の時間を労働に割いた、彼女らが良い職に就き、その子供達が学業のみに専念できる、そんな次世代は来るのだろうか。


彼らは、私たちに感動を売る商品ではありません。尊厳を持ち、今を生きている人間です。一時の気まぐれな哀れみから払う寄付金$1の価値の存在ではない。
それは感動でも慈悲でもなく、ちっぽけな自己満足と、必死に生き延びようとする彼らの存在の愚弄でしかない。結局、ほんの少し居合わせただけの私にできることなど、ない。

支援が届いて笑顔になった人々を映す、ユニセフのパンフレット。それとは比べものにならなく、カンボジアの街角で見る現実は残酷で、救いようがない。
日本国内、暖房やクーラーの効いた瀟洒な室内で見るそうした感動ポルノの方が、どれほど気楽なことか。

そういいつつ、空港に着くやいなやシャワーを浴びてさっぱりし、目の前の食事を平らげる。貧しい人々に寄り添うようなきれい事言っても、やっぱこういう生活は止められないのよね。
自分の俗っぽい欲求と偽善が露骨に現れ、それを見せつけられる街。精神衛生上、良くない。そんなプノンペン出張でした。フライトまで、あと1時間。


1月30日
カンボジアの生活

カンボジア滞在四日目。明日夜出発。次々に仕事をこなす。

いちいち$2払ってトゥクトゥクに乗るのもイヤだし、かといってバスが使いやすいわけでもなく、炎天下で毎回遅れるバスを待ちたくないこともあり、近いところは歩いて行きます。だからこそ、この街の変貌をとても強く感じることができます。
下にも書いたように、カンボジアは大きく変わっています。ドアのないレストラン(オープンカフェ、ではない)や原チャリつないだリアカーに果物を載せて売るおばちゃん、おしゃれ着のパジャマとサンダルで道路を闊歩するお姉さん、旧式の原チャに家族5人を載せるおじさん。
こうした古き良きカンボジアは大きく姿を消しました。毎回わずかな滞在しかしない身のくせに、郷愁と、それがなくなることの寂寥感を感じます。


昔の風景。荷台車を原チャで牽くトゥクトゥク(タイのタイプも最近見るようになった)、リヤカーに食材を入れたバケツを乗せて売り歩く移動屋台と、それを手伝う子供(学校は通常半日)、後ろに客を乗せて走るバイクタクシー(事故が多い)、どこかのプロモーションでもらったらしきビーチパラソル(レッドブルやイオン、携帯会社が多い)
写真左端は、実は地元向けの高速バスの発着所。夜、寝台バスが泊まっていました。満員の車内は、寝台と言うよりは三・四段の人間網棚。

そんなのは、外国からぶらりとやってきて、気ままに過ごす旅行客の勝手なイメージの押しつけでしかない。
そこに住む人にとってあこがれとは、イオンでありCoffee Bean and Tea Leafであり、ピザカンパニーであり、最新のiPhoneだったりする。小銭しか落とさない外国人の勝手な郷愁に付き合う必要などない、のでしょう。


街のクリーニング。店で洗って、道路脇で干す。今滞在しているホテルを利用した際、よくお世話になっていました。

さながら、幼少期のイメージを捨てきれず、娘が連れてきた男に、またそんな男を連れてきた娘の今の姿に納得がいかないお父さん(レ・ミゼラブル)。
私には娘の父親ってのは、たぶんダメだわ。世の娘を持つ(持った)お父さんは、偉大だ。

かつて、この街、国について書かれた冊子や本、websiteも、だいたい同じような郷愁感たっぷりなことを書いています。
娘のお父さんになりきれない人達は、思った以上に多いのかもしれません。それとも、娘を持つことで人は成長するものなのでしょうかね。

そうこう書きつつ、カンボジアに対する投資や日本の国際協力関係の文書にも、同じようなにおいを感じてしまいます。かつてこの国の民主化を支え、つい最近まではODAの大半を占め、首相も親日(だった)・・・・的な。とてもwetでnaiveな。
そういう側面が全てなくなったとは言いませんが、そればかり見つめていたら、今のカンボジアを見てショックを受けちゃうんじゃないでしょうかね。


雨後の竹の子を老舗デパートの6階から見る。草創期の高層ビルは確かヒュンダイ資本だが、その名も消えてしまった(中の日本の宅配会社を訪ねたことがある)。たぶん、今でもテナント埋まってないんだろう。
2011年から建築停止の不良債権のビルも遠くに見えます。一等地に建つものの、親会社の韓国の企業が経営難になり、建設中止から7年。先日前を通ったら、赤色の垂れ幕がかかっていたから、中国系が買い取って開発を続けるのかもしれません。


1月29日
カンボジアの金と生活

今日は朝大雨。
昼、雨も上がったし、仕事も一段落ついたので、買い物がてら、3年前に開店したというAEON Mallに出かけました。


イオン。どこからどう見ても、イオン。超イオン。
ここが糸島と言われたら、九大学研都市駅前と言ってしまいそうなほどに、イオン。

日本のイオンではあり得ない、ブランド品を扱う店や、各国の料理を楽しめるフードコートなど、多分本国のよりも充実した内容でした。


糸島と何ら変わらない、グローバルスタンダードな店内。

さて、平日の昼にイオンに買い物に来ているカンボジア人がいたのも驚きですが、ここ数年、カンボジア経済の流れは急速になっているようです。

多分10年前の段階でも、相応にカンボジアには資金は落ちていたと思いますが、市場には出回っていなかったのではないかと思います。
それがこの二、三年でまるでバブルが日本に到来したときのように(<−−伝え聞き)、資金が街を駆け巡るようになった気がします。

かつての激濃コーヒーの底に沈殿する激甘コンデンスミルクは、街角では見られません。代わりに米国的なカフェが軒を連ねます。密度は福岡市中心部を遙かに凌駕する。
バイクも、いつ作られたのか想像もできないような旧式だったのが、日本でも見かけるようなものに変わりつつある。車も日本車欧米車が普通に走る。
大きな通りが、外資系のファッションブティックが出す派手な広告で埋まり、一昔前なら広場のブルーシート屋根の下の市場に行っていたような人達が冷房の効いたスーパーで買い物をする。

そして、雨後の竹の子のようにそびえる、建設済み、あるいは建設中の高層ビル群。
内部留保ではありませんが、これまでこの国に入り、街に出ることがなかった資金が一気に消費や投資という形であふれ出た、そんな感じがします。


街の真ん中にこんなものをこれだけ立てられるほどの場所が残っていた、と言うことにもびっくりしますがね。左は昨夜テカっていたナーガホテル。微妙に色が変わるから、昼もLEDが全開の模様。
昨日の写真(独立記念塔)でも、背景に建設中の建物が多数写っていました。

急激な資金の流れは、中国の存在なしには語れないでしょう。経済そして政治の世界でもカンボジアでの存在感が絶大に大きくなる中国。国内市場の急成長に限界が露呈し、国内でまかないきれなくなった人的資材や資金をこれら国々に拡げ、経済的成長を維持しようする。
そのためには資金が使われ、進出した企業が自活できなければならない。そうした目的を持つ中国の投資は道路工事から首相官邸の建設(!)まで多岐にわたりますが、それは善意ではなく、金を使いばらまくことを前提とした色合いを持つものになっていると思います。

さながら、大国である中国自身の生き残りをかけたバブルがここで膨らんでいます。その図は、80年代の米国が日本に仕掛けたバブルと酷似しています。

テナントもまともに埋まらないのに次々と立てられる高層ビル。あれは将来の不良債権か、あるいは中国の鬼城がこの地に現れたものなのか。


その背後で変わるのが、10年くらい前から着実に根を張り、人々の間に広まり支持を拡大してきた、旧来の店やレストラン。
地元資本でチェーンを組めるくらいの勢いと支持層を持っていたスーパーが客や店舗を減らした。
厳選した食材を丁寧に調理し、安価で提供してくれていた、当時でも安心して食べに入れたレストランの多くが店を閉じていました。

こんな構図、生態学では明らかですけどね。生存競争で地道に生き抜いた種がその地に定着するのではない。突発的な撹乱をものにした種が、そこを優占する。
10年前に来たとき、次第に勢いをつけ始め、プノンペンの次の10年を担うと思われてきた店は、今押し寄せてきた中国という巨大な撹乱に乗った店により駆逐されようとしているのかもしれません。

当時の私や、この街で今でも広く読まれているであろうフリーペーパーの執筆者。そしてこの国で活躍していた、当時はまだ数の少なかった日本人。
彼ら、そして私が当時抱いていた考えは、大きく間違っていたのでしょう。
あの頃の未来に、僕らは立っていない。


寂れ気味のボンケンコン地区。レストランが開いては、閉じる。ホテルも少し寂しそうで、バーの盛り上がりもいまいち。
そんな廃れ感を尻目に、高層ビルが次々と。一体誰が買う?投機筋?じゃぁ、投げ売りされたあとは??

あと、そんな日本からやってきた人々が頼りにした、某ガイドブック。地元のものを使い、厚かましく前面に押し出そうとしない善意で動く、そんな人々を一押ししていたが、それも今は昔。
日本人の情緒に訴えるようなwetなnaiveな店は、この街で生き残れるとは限らない。生き残るのは、大都市ならばどこでもあるような世界的チェーン店であり、どこでも手に入りそうだけれど何となくおしゃれっぽいお店。
イオンが流行るわけだ。iphoneの最新機の売れ行きも好調らしいですしね(別に安いわけではない)。日本の田舎で起きたことと同じことが、ここプノンペンでも起きています。


今、日本はカンボジアに対して積極的に投資をしているようです。ANAの定期便も就航するようになりました。
しかしもし、こうした投資がこれまでここに根を下ろしてきた人達の、わずか数年前までの視点に基づくものであるならば、そしてもし、単にGDPの増加と言った数値だけを見て為されてきたものだとすると、危うさを感じてしまいます。

生態学と違うのは、そうした荒波はここを食い尽くしたあと、さっさとどこかへ去って行くこと。その後、この地には何が残されるのだろうか、と思ってしまいます。


減ったとは言え、国際NGOやUN関係もいないわけではありません。こちらは世界食糧計画ことWFP。日よけまで青と白だよ。
でも、何となく、プレゼンスは遙かに小さくなった気がします。なぜかって?いや、何となく。以前ほど車(ナンバープレート青色)を見ないし、この付近にいつもいた官庁公用車(同緑色)がめっきり減ったから。


1月28日
変わりゆくカンボジア10年

何とかデータを受け取ることができて、今回の出張の一番大事な仕事は終了。その他いくつか打ち合わせが残っています。

食事をとったり、ちょっとした休みで外に出かけることがあります。プノンペンの街の変貌とそのスピードには驚かされます。
初めてプノンペン入りしたのが2008年9月。もうすぐ10年になります。当時、街には信号機が三機しかなく、高層ビルは中心部近くに一軒(日本の8階建てくらい)しかありませんでした。
レストランの大半はカンボジアのクメール料理店と中華で、それに混じってタイ、インド、イタリアなどの店が細々とやっていた記憶があります。


時代は下り、2018年。写真はナーガホテル&カジノの夜景。巨大な建物に照らし出された、カンボジアの国旗。
ここ、ほんの二、三年前までクレーンが立っていました。建設中とアピールすることで、完成したら払わなければならなかった税金を逃れていたとのこと。それが撤去されたとは、いよいよ儲けが軌道に乗ったのか。あるいは、他のライバルとの競争が激しくなりすぎて、外観の悪さが致命的になりかけてきたのか。


色々思うことがありますが、人と、恐らく訪問者のお金の流れがこの10年間、正確にはこの二、三年間で大きく変わった気がします。そこには、カンボジアという国の社会の、表層では見えなかった底流の変化があると考えられます。

カンボジアへの旅行客が一息入れる場所は、一つは街を流れるメコンの大支流、トンレサップ川沿い、通称リバーサイド。
もう一つが、この街の象徴、独立記念塔の脇で、官庁にも近いパスツール通り沿いのボンケンコン地区。
後者の賑わいが、2014年以降、目に見えて衰えています。

ボンケンコンを賑わせたのは、政府との連携あるいはその許認可で官庁を訪れる必要の高い、国際NGOや政府系機関の関係者だと聞いたことがあります。実際、その近くのホテルは、そうした人々あるいはインターンが定宿とするホテルが何軒かあります。JICAの本部もボンケンコン近くです(今は知らん)。
プノンペン空港で、恐らく最も搭乗率の高いであろう夜のバンコク行きタイ航空のカウンターでは、しばしばくすんだ水色のUNパスポートを提示する搭乗客に出会いました。


独立記念塔、写真左奥がボンケンコン地区。大使館や国の庁舎に近い一角。欧米人が見られるのは、ここと、写真の後ろのリバーサイドだけだった。


それが今、ボンケンコンの脇を通るパスツール通りや他の地域に向かって、人が流れています。
国際協力的なカンボジアの地位が下がり、またその他の目的でこの街を訪れ、消費する人が増えたということでしょう。
前者について、日本では清貧や慈善性ばかりが語られ、期待される国際協力などのNGOですが、海外のNGOは利益を追求する、ともするとえげつないほどの資金獲得・管理団体だと言います。実際、正規職員は高級取りの安定職として認識されていますからね。
相応に豊かになったことから、その活動理念の方向性からカンボジアが外れたこと、また彼らがこの国を舞台にした経営や資金繰りの採算が合わなくなったと判断したことが、ボンケンコンの地位低下の背景にあったのでしょう。
やや揺れ動いてはいますが、隣のミャンマーの民主化や、アフリカの相対的重要性が上昇したことも無縁ではないでしょう。

さて、私は今、九州大学に所属して、研究活動を行っています。
九州大学の取り組みの多くに【アジア】というキーワードが見られます。近隣諸国であり、また日本が技術援助や人材育成などで貢献すべき相手、として語られることが多い気がします。
私の前職もそのようなことを謳った組織でした。

ただこのアジア、近年、ものすごいスピードで変わってきています。変わりゆく彼らにとって、欧米日先進国との距離も、それらに期待する「何か」も大きく変わっている気がします。
嗅覚の優れた国際NGOがいち早くそれを察知し、投資先を変えたのも、その一因でしょう。実際、その巨大組織のユニセフからは、東南アジアの案件が見られなくなっていますしね(Human rights watchなどでは、別件で取り上げられていましたが)。

それに気づかず、やれ人材育成だ、やれ研究成果の還元だ、とやっていたら、研究自体が成功するはずもなく、現地のカウンターパートからも相手にされなくなってしまうかもしれません。当然、そうした活動の資金である日本の研究資金も獲れなくなり、研究者として窮まってしまうでしょう。
言葉は悪いですが、学術による援助対象国として以外のカンボジア、そしてアジアの意義を見いだせない限り、こうした活動はじり貧になるのではないかと思います。

もっとも、その「それ以外の意義」というのを、現地の政府を含む人々がありがたがるかどうかは別の問題ですけれどね。私のカウンターパートにしても、論文がどこにどれだけ出るかに、ほとんど関心を持たないでしょうし。
そうした点で折り合いが付けられているところが、ランビルやパソーのように、研究拠点としてうまく行っているところなのでしょう。オセアニアになりますが、ハワイは米国の教育が行き届いていますし、現場の学術への理解も期待も大きいですからね。
さて、カンボジアは、果たしてどうなるのやら。それに寄与できるほどの地位も権力も人望も、そして資金も、私にはありません。眺めるしかできませんし、するつもりもありません。


1月27日
今度はカンボジア

ハワイから帰りました。
そして三日後(通勤は二日間)の今日、早速カンボジアに行ってきます。目的は、前回撤収し切れなかった機材の回収と、データの受け取り。
そう、フラックスデータの解析も進んでおり(やってたのは昨年の11月までだけど)、完全完璧なデータが必要な日が近づいています。受け取りに行くのは、今しかない。

まぁ、CounterpartのTivaさんのデータ管理状況次第で、1時間で終わるはずの作業が数日になりそうな気も、しないでもないですね。欲しいデータは1-4年前のデータ。
HDDをこちらのPCにつなげれれば、Shellでリストアップして一気に移動できる、でも、以前彼からもらったUSBにウィルス付けられていたから、あんましやりたくない。そもそもBackupをちゃんと外付けHDDに保存しているかどうかも、疑わしい。
それ以前に、果たして、彼がメールで言ったとおり、本当にBack upデータを持っていてくれているのか、ドキドキ。

早朝のフライトなので、自宅のある久留米で5時半発の高速バスを捕まえ、空港へ。早朝なのに、空港のcheck inカウンターは大混雑。それを尻目にさっさと搭乗口に移動。新規研究のためのProposal二件を何とか書き上げ、搭乗。
猛烈に寒く晴れ渡った日本列島を半分縦断し、朝日に照らされた潮岬と紀伊大島を上から眺め、まずは成田到着。

福岡東京便は、高いです。用あって繁忙期のフライトを昨日調べたのですが、片道1万8千円。これは、ない。無理。福岡という地理的な特徴を実感する。
まぁ、ハワイほどじゃないですけどね。一番近い、西海岸のサンフランシスコへの最安運賃が往復で$500台。

成田の駐機場。マレーシア航空の色が青一色に。災難だった2014年、その負のイメージの刷新か?
昔のヨーロッパ行きに何にと、色々世話になったから、是非がんばって欲しいです。見たのはA380。全席2階建ての巨大機。ハワイの帰りに間近で見たエミレーツのは、まるで巨大な建物だった。

A380、来年からハワイ路線投入されるんですよね。たぶん乗ることもあるんだろうなぁ。ちょっと楽しみ。でもハワイでの調査は、いつも過酷。


久々に言ったSorya supermarket。店内に、あの九州大学が頼んでも来てくれなかった、某カフェが入っていた。カンボジアの成長は、何とも言えない違和感をはらみつつも、めざましい。


1月23日
帰国

一日勘違いしていたので、明日帰国と思っていました。危ない危ない。
昨日は無事計測を終え、担当の院生さんには機械の使い方など、実感を持ってもらえた、かな?

ホノルル空港に来てチェックイン。いつになく混み合う空港。職員と話すと、昨日成田の滑走路が動かなかったので、その便の折り返しに乗る予定だった人が帰国できなかったとのこと。恐ろしや
そんな慌ただしい中でも色々と便宜を図ってもらいました。日系航空会社は、素晴らしい。

コーヒーを飲みながらふと外を見ると、滑走路に見慣れない機体が4機

確かF35シリーズのステルス爆撃機。なぜ空港に?隣の空軍基地が満杯?この前のミサイル誤報と関係?

そういえば大学に行く際、爆音が聞こえたので空を見上げたら、戦闘機の飛行訓練が見えた。機体の大きさと見え方から大体の距離は分かるけど、猛烈なスピードであり得ない角度で上昇し、雲の上に消え去りました。
燃費はリッター100mとも言われるジェットエンジン搭載の戦闘機。2年半の滞在中ほとんど目にすることのなかったそれらがホノルルの空を舞い、空港で離発着する。後味の悪さを感じた搭乗前でした。


ホノルル最後の夜。荷造りと部屋の片付けを終えたら遅くなってしまった。
写真はワイキキの夕暮れ。


1月20日
調査準備

昨日マウイから戻ったと思ったら、今度は同じオアフ島の別の試験地での計測があります。
それとは別に、マウイの別のサイトに設置された樹液流センサーの修復チームから、交換用のセンサーを要求されました。少し足りなかったので、手持ちの材料で作る。だいぶなくなった。前回、縞枯山でガッツリ修復した際、手持ちをかなり使ってしまった。

さて、今回の調査では、光合成の計測がメインとなっています。

風光明媚なところで、ハワイ固有のシダの光合成蒸散を計測します。さて、個葉で計測されたデータを、どうやって群落、かつ最低でも月スケールにしたものか。

このプロジェクトがうまく行った暁には(既に規定とも言われる)、単発での個葉計測ではなく、気象測器や樹液流計測などの連続観測を立ち上げるとも言われます。
シダの樹液流なんて、どうやって測るよ?そもそも樹液じゃないし?

そこは、ちゃんと技術があるんです。昔挫折した茎熱収支法ではありません。別の技術で、計測出来るんです。
帰国したら、そちらにも取り組まなきゃいけない。

来週はタワーに登って光合成の計測の予定。それが終わって一日過ごしたら(立て替え払いなどの手続きが待っている)、もう帰国。早いような、遅いような。


1月19日
ホノルルに戻りました

早速ハワイ大へ。
昼は、どうやら有名らしいカフェへ。前住んでいたシェアハウスに来た日本人の女の子によると、スタバの創業者の1人が始めたカフェで、彼女がずっと行きたかったところだそうな。彼女、滞在中に行けたのかな?

モッツァレラとトマトのベイクドサンドイッチで、お値段$10.5。コーヒーはこちらのオリジナルで、$3。ちょっと高いが(チップが$3)、おいしいです。人気があるのは、私のような違いの分からない男にも、分かる気がします。
考えてみると、前回の出張以来、ハワイでチップの要る店に自分で入ったのは、これが初めて。

マウイでよく使った高級スーパー、Whole Foodsも意識高い(あるいは〃系)な人達が多く出入りしていました。
日本より遙かに厳しい米国の農薬規制。そのさらに安全な有機栽培などを求める人でごった返すWhole Foodsの商品は、ちょっと高い。PBはそうでもないけど。
人々の健康への関心は、もしかすると日本よりも高いかもしれません。こちらの人が呑むミルクは、日本で言う低脂肪ではなく、スキムミルク。Low fatではなく、No fat。

でもWhole Foodsで値札を見ずに買えるための所得を得るには、相応の無理をしないといけない。商売や起業の才能があったとしても。ここ米国を本拠地とする外資系って、ブラックだからね。
それで健康を崩し、食べ物に気を遣う。自分で壊して、一方で過敏なほどに大事にして。

なんか、複雑だ。厄年になると、そういうことばかりに考えも目も行ってしまいます。


帰り道、キャンパス内を歩く。
元植物園のマノアのキャンパスにはいろんな木があります。

その名もキャノンボールツリー。弾丸の木。
昔プノンペンの王宮に入ったとき、同じような木を沙羅双樹として紹介していたような気も。花の形もそっくりだし。
でもこの木は南米原産。何かの間違いか、他人のそら似か

伊都キャンパスも、これと同じくらい元気に育ってくれればいいんですけどね、はぁ。

その一角。最近よく見かけるのが、電動自動車。写真はBMW製。


閑静な住宅街に広がるマノアキャンパスでは、自動車の駐車料金がとても高い。
そんな中、最近大学は、電気自動車については駐車料金をタダにするという政策を打ち出しました。州立大なので、再生可能エネルギーの活用を謳う州と足並みを揃えたのでしょう。
これ、九大でもやってみてはどうでしょうね?貴重な収入がぁっ!ということばかり言っていないで。ハイブリッドは、普及しすぎているから、除外でしょうね。


最後に、朝の光景。マノアキャンパス手前、高速道路の高架から。


最近、ホノルルの天気は悪いです。冬はこんなモノです。だから冬のハワイは安いのです。雨のホノルルは、本格的に何もすることがありません。日曜は大雨とか。

なお右上に延びる道路の先の建物、あれが名門プナホウ高校。そう、オバマ大統領の母校ですね。


1月18日
人種問題

に直面したというわけではありません。
マウイからホノルルに戻る空港で。直前にいた、テキサスから来ている女の子達(航空券が見えた)のうち、黒人の女の子がセキュリティで止められた。傍から見る限り、一緒にいた友達と比べて、素行が悪そうでも、身なりが悪そうでもない。
セキュリティは身分証明と荷物チェックの二つがあるが、前者で止められた人を見たのは初めて。

ハワイで黒人は珍しいです。滅多に見ません。観光客でも、あまり見ない。Majorityがいないというハワイで、他の有色人種への差別も、目立って感じたことがないのは、この社会にどっぷり浸かっていないから、でしょうか。

以前滞在したシェアハウスでは、参加した現地の釣りツアーで、日本人一向に露骨な嫌がらせがあったと聞きました。別の所でも、白人の集まりではそうした思いをさせられると言うことは聞いたことがあります。
ハワイは、確かに米国なのでしょう。
目立った差別がなくても、こうした些細なことがあったとき、つい体が強ばってしまう(某漫画の表現)。そういう社会。

日本でも最近、顔を黒く塗って、というパフォーマンスが非難されたと聞きます。日本ではほとんどの人が何も感じないことであっても、このふと感じる「強ばり」を米国で実感すると、「関係ないし、いいじゃん」という意見に素直に賛同できません。
襲撃事件前に全仏で年5万部も売れていなかった風刺新聞が、福島を風刺した時、日本が感じたのと同じようなモノでしょう。

最近、Webでも書籍でも、米国の人種差別の根っこについての話を読みました。建国の時代、入植した裕福な白人にとって、最大の脅威は先住民と、貧しい白人だったと言います。実際、両者が手を携えた歴史もあります。また南北戦争時代になりますが、特定の地域からやってきた貧困白人が街を荒らしたという話も残っています。
彼らと、同じ境遇にある国人が手を結ぶと、とんでもないことになる。
そこでまず、先住民に対しては20ドル紙幣のジャクソン大統領に代表される勢力により、徹底的に弾圧がなされました。

一方、白人については、黒人との露骨な待遇格差を与え、黒人を蔑む空気が作られたと言います。貧しい白人が、侮蔑対象となった黒人と手を結ぶことは、ついになかった。支配層の裕福な白人にとって、それが社会の安定、正確には体制の安定化だったのでしょう。
意図的に、特定の集団の利益のために作られた差別は、この社会に根強く残ります。「そういう黒人も態度悪いし治安を悪化させるよね」という自己責任的な声も聞きますが、劣悪な環境から立ち直り上り詰められる人は、どのような差別であれ、数少ない。
そうして上り詰めた人々が、そこでまた差別に直面した、という話は、オバマ大統領の頃によく聞きました。


さて現代。
白人の貧困層、特に南部のそうした人々の生活は上向きません。その不満が反知性、つまり知性で裏付けられた権威への反逆という形で、トランプ大統領に票を入れたとも言われます。

興味深いのが、彼らは同じように今でも報われない境遇にある黒人をさらに差別する形で、支配層の代弁者である現大統領に票を入れ、期待を寄せるという構図です。
皮肉にも、建国の父やその取り巻きが必死に撃ち込んだ、黒人と貧困白人、そして今ではヒスパニックなどの移民との連携へのくさびが、その貧困白人によって今でも着実に維持され、そして機能している。

この問題は、本当に根深い。マーティンルーサーキング牧師のような全米を震わす活動があっても、またその前後に起きた様々な暴動のようなことがあっても、簡単になくなりはしない。
差別や貧困など、日本の大学によるアジアなどの途上国での活動を良く見聞きします。そんなテーマの教育研究にとって、この超大国米国こそ最高の場なのではないでしょうか。


今週月曜日の祝日、ワイキキの目抜き通りのカラカウアであった、キング牧師の誕生日を記念した祝日のパレード。今年は暗殺から50年。事態は、良くなったのか?


1月17日
ハワイの翼

昨日のこと。マウイ島に行くため、滞在先でスーツケースにパッキング。いつものことながら、頭が痛いです。
海外調査では当然飛行機に乗ります。飛行機に乗ること自体が陰鬱ですが、しばしば地上でその陰鬱さが噴出することがあります。この辺り、日本の航空会社は素晴らしい。

これまで活動してきたアジアでは、アジアならではの面倒くささはあります。空港へのタクシーでのぼったくり、研究機材に因縁を付けられ、$100という、やけに区切れが良く、また根拠の曖昧な手続き料を要求する税関職員など。


それでも、ハワイがやっぱり、大変。
空港へのアクセスはバス、自家用車の他、空港シャトルしかありません。タクシーは除外。早朝のフライトをとるとなると(後述)、知人に乗せてもらうのは申し訳ないので、シャトルを使います。

ホノルル空港、最近名称が変わってダニエル井上空港は、ホノルルの観光地区ワイキキから、道が空いていれば10数分で到着できる、割と近くにある空港です。
この距離で、片道$16。プノンペンで出没するぼったくりタクシーですら、この額はない。サンフランシスコ空港は遙かに離れていたが、それでも$18だった。

しかも律儀に出発の2時間前に到着するようにしてくれるため(国際線は3時間)、6時フライトならば3時過ぎに迎えに来てくれる。事故などでの遅れによる乗り過ごしに対する賠償を避けるためだろうが、これはない。
それもこれも、空港へのアクセス線路など、信頼できて安価な他の交通手段がないことが大問題。近代都市とは言えない。

結局、6時のフライトに乗るためには、シャトルを4時に呼ぶことになる(遅めのフライトを伝えてある)。30分前には起きたいが、途中目を覚ましてしまうと、もう眠れない。結局、昨日の起床は2時半だった。私に限らず、共同研究者も同じことを言う。


問題は5時台のフライトを選ばないといけないことなのだが、それは他の時間帯のフライトが法外に高いため。
しかも余計に早く着く必要もある。常時戦闘中国家、米国において、空港でのセキュリティに時間がかかるのは周知の事実。40分前に空港到着では、便を逃してしまう。
遅くなるのは空港職員の怠惰のせいだ、とは友人の私見だが、混雑する中、二つあるカウンターの一つしか空けていない様子を見ると、賛同してしまう。

話を戻して;ホノルル-マウイ間は180km。遙かに距離のある福岡大阪間でも、早めに予約すれば1万円程度で購入できる航空券だが、メイン路線でありながらこの区間の最安値は$80。しかも早朝のみ。しかも早期予約で。
ハワイの空はハワイアン航空の独占市場。競争相手のアロハエアーが破綻した後は、ハワイアンの言い値で運賃が決まる始末。
よく、「私たちハワイアンの航空会社だからみんな使って」という広告を見るけど、Localでハワイアン航空を一押ししている人には会ったことがない。

また預け手荷物、一つ目が$25、二つ目が$30と、まるで格安航空(重ねて言うが、運賃は非常に高い)。気軽に荷物を預けられないため、一つのスーツケースに荷物を無理に押し込め、光合成機械をキャリーケースにしまう。重い。不便。出発前から、疲れる。
なお空港の荷物かご(手押し車)は、一回使うごとに$5。もう、頭痛い・・・・

出張や旅行では、基本的にその土地のもの、つまりLocalを選ぶようにしてはいます。が、ハワイとカンボジアだけはその例外(プノンペンで買った真空パックのピーナッツに虫が湧いた、地元産豆乳を開けたらヨーグルトだった、などの例が相次いだため)。
同じようなクレームを、マウナケアで仕事をする天文学者のニュースでも見たことがあります。ハワイアン航空がホノルル便で大人気、とか、搭乗と同時にアロハの精神を感じてサイコー、などと聞くと、非常に複雑な気分になります。
他の選択肢がある中、日本からのフライトでハワイアンを選ぶことは、これまでも、そしてこれからも決してないでしょう。


"Final call"がかかって、その列の後ろから乗り込んだときの、ボーディングブリッジ内。列はブリッジの入り口まで延びる。ファイナルから搭乗まで、このあと5分近く待たされる。一体いくつファイナルがあるのか?ゲームか?


1月16日
マウイ島

今日から三日連続でフィールド調査です。外来種と在来種の蒸散の大まかな数値を調べ、駆除の効果を上げるにはどの種が良いか、などの政策に反映させるような話。
そんなの、葉量も重要だし環境にもよるし、いつどこでどんな葉を調べるかで結果が変わるんじゃない?という疑問にある程度答えられる結果を得ないといけない。

どうやら今、マウイ島は島内外の人々が休暇を取る時期らしく、レンタカーが高い。そのため、普段使わない会社を利用したところ、今回”Economy”で予約したレンタカーがこれ。

米国の往年の名車、Mustang。価格は$1上がるけどCompactにすれば良かった。調査地で底を擦るんじゃないかと、不安。赤はぶつけられやすいし。

なお見た目に反して、エンジンはそこまで強くない。ありがたいのか、ショボいのか。じゃぁ前の出っ張りってなんのため、と言いたくなるが、前方足下が見えづらくて不便だぞ。

計測を早めに切り上げて、今日は八甲田山の樹液流データの解析、投稿論文の仕上げとRevise版の修正、キャンパス計画室の講義で使う教科書の編集で、ホテルに缶詰。


1月14日
光合成計測の講習会

朝、あまり眠りが深くならず、目が覚めました。ハワイに来ると通勤時間が短くてすむ、と思いましたが、宿にしている部屋から大学まで、歩いて片道40分なので、恩恵少

こんな記事がありました。通勤時間が片道2時間の私の睡眠時間は、果たして何時間?
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180115-00010001-nknatiogeo-sctch.view-001


私が去ったとも、ハワイ大では様々な計測が進められています。
そのため、光合成の計測や樹液流計測など、今まで私が担当してきた計測のいくつかを、学生などにお願いしないといけない事態が増えてきました。
日本から私を呼びつけて滞在費まで出して、となると、一回につき30万以上かかっちゃうからね。金食い虫となりつつあります。私の負担も大きいし。

ということで、本日は光合成の講習会。午前中にセットアップから表示画面の見方などを紹介しました。午後は簡単な計測を交えます。
考えてみると、ちゃんとした計測をする上で必要な知識って、生理学よりも微気象学のモノの方が多い気がする。生理学の方があまりに身近すぎるので、意識しないだけ?


大学に向かう途中、モイリイリ緑地。奥に見える(見えにくい)遊具で遊ぶ子供、手前のベンチに座る男性の椅子の端にあるのは、ホームレスの荷物。
画面左のブルーシートはホームレスの小屋。ホノルルではテントもキャノピーも設置が禁止されています。しかしホームレスには雨を避けるところがなく、結局公園に構造物を築きます。
ホノルルの一面、いや、こちらの方が代表的・典型的でしょう。ワイキキという表層に住んでは今したが、こうした深層の光景を毎日見ていたので、ハワイ=楽園とは思えなくなってしまいました。ある意味、ちょっとしたアジアよりも、貧困を目の当たりにすることができる場所でしょう。


1月13日
ミサイルアラート

朝食を採っていたら、携帯が呻くような音を立てている。何かとみると、ミサイルアラート。
ああ、また撃ったのね。でもハワイにいるから関係ないや。そういや前もハワイにいたときに撃ったよなぁ、とそのまま朝食。

と思って放置していたが、大学でWebを見ると、どうやら誤報で、しかもこのアラートは日本ではなく、ハワイで発せられたモノと判明。
本土急襲なんて、77年ぶりの事態。これはさぞかし驚かれたことでしょう。街には特段変化は見られませんけれどね。


ホノルルではレンタル自転車が設置されるようになりました。以前自転車レーンが設置されたのですが、これに対して市民の評判はいまいちだったのですが、それでも着工にこぎ着けたようです。
もっとも、一回乗るのに$3.5、一日パスで$20は、市バスよりも高い。それにハワイの道路は凸凹の上、自動車の運転も荒い。かごもない。盗難も多い。正直、お勧めできません。


もう一枚。建設中のリッツカールトンマンション二号館(East tower)。
海外旅行と言えばハワイ、セレブが闊歩するワイキキ、と言われているようですが、実はワイキキ地区のホテルのグレードはあんまり高くない。東京都はもちろん、沖縄と比べてもかなり見劣りします。隣のmauiの方が上。
五つ星はロイヤルハワイアンと、ランキングによってはモアナとハレクラニが入ることも。これらはどちらかというと格式で入ったモノ。
設備やサービスで見ると、カハラ(ワイキキ外ですけど)とトランプタワー、そしてこのリッツカールトンだけとも言われます。

まぁ、日系航空会社でもファーストクラスないしね。もっとも、米国の本当の金持ちは、プライベートジェットで来ますけど。

続報と言うか、ミサイルの誤報はどうやらハワイ中にパニックを引き起こしたようです。ちょうど空港に行っていたTom先生は避難場所を探し始め(真珠湾は空港の西数キロにあり、隣は米空軍基地)、他の客はトイレに陣取ったり地下に潜ったりとのこと。
ハワイは北朝鮮のミサイルが狙う有力な候補地であり、そうした認識は強いようです。水爆だったら真珠湾から空港までが壊滅するでしょうからね。


1月12日
エルサレム

ハワイに来ました。暖かいです。何より、寒さでカサカサになった手が潤うのがうれしい。
当分、食事から野菜が減るだろうけど。

さて、羽田空港で見ていたテレビに、トランプ大統領の発言についてのニュースが流れていました。CNNだったと思う。大統領にフェイクニュース源と罵られているCNNだけあって、否定的な内容でした。

トランプ大統領というと、エルサレムの首都宣言でも賑わしていました。それに関連して先日面白い話を聞きました。
エルサレム問題の政治的側面(近現代史)については巷に情報があふれています。ではそれよりもさらに昔の時代、なぜエルサレムは重要な場所たり得たのか、については、あまり知られていません。

地図を見ると分かるのですが、古代の重要拠点であるエジプトとメソポタミアを結ぶのがカナンの回廊です。その東には高い山々や高原が、さらに東には海面下にある死海や砂漠が広がっています。回廊以外は、交易路としては危険が高すぎる。
そのため、古代からここは交通の要衝でした。ローマがここをほしがったのも、また出エジプト(エクソダス)で知られるエジプトの支配にも、そうした背景があるのでしょう。フェニキアのように地中海を交通路とした国家もありますが、それでも陸路を使うにはここが重要になります。

エルサレムは、この回廊に面した丘陵地帯にあります。見晴らしが良く、ともすると敵の急襲を受けやすい地域ばかりの中東。その中にあって、交通の要衝に面しながらも守りに適した場所として、古代から重要視されていたようです。
なお各国の大使館のあるテルアビブ、またレバノンの主要都市(首都?)ベイルートは回廊のまっただ中にあります。交易には適していますが、守りには弱い。
ダマスカスはエルサレムと同様の位置づけにある気がします(フェニキアの主要都市)。アレッポもかな?アレッポはユーフラテス川にも近く、バビロンことバグダッドへの通り道のような位置づけにあるのかもしれませんが、それは知りません。

この地域の紛争や勢力図を決める要素には、宗教的な意味合いも強いですが、その背景には古代の交通があったということですね。古代の交通や勢力争いに端を発したかつての国境や勢力図とは実は合理的なモノであり、今にも通用するという人もいます。
今の世界が19世紀の勢力図に近づいているという話も聞いたことがあります。急速に力を付けるトルコとがオスマン帝国、ロシアはロマノフ朝、ドイツは神聖ローマ帝国(大英帝国は独立)、他に中国、インド、米国・・・・・

20世紀初め、隆盛を極めたイギリスフランスによって決まった、今の国境など枠組みの制度疲労。それが最初に噴出したのが中東で、その押さえ込みに疲れ果てた米国が役目(?)を放棄する。いよいよ世界は19世紀、帝国主義時代に戻るのか、否か。

その時代に孤立主義を貫いていた米国は、今世紀、どう振る舞うのでしょうか。少し前の唯一の超大国として享受してきたメリットは、捨てるには惜しすぎる。しかしそのメリットに付随する経費は削減したい。
エルサレム問題に国内の移民問題。今の政権の矛盾したように見える一挙一動は、そうした流れに抗おうとする、米国の苦闘なのかもしれません。


1月11日
気象観測

伊都キャンパスでは気象観測を実施しています。これまでは農学部の先生にお願いをしてデータ採取をしてきました。
ただ、キャンパス計画室、またはその母体である施設部には、様々な問い合わせがやってきます。風、光、温度。データそのものが求められることもあります。

こうした件の一つ一つを担当する学内研究者にお願いするとなると、かなりの負担をかけることになってしまいます。これは、やはり避けたい。
ということで、キャンパス計画室、または施設部として、独自に気象観測をした方が良いのではないか、という話になっています。


が、気象測器は、高い。本当に、高い。一式(温湿度、日射、風速風向、雨量とデータロガー)を揃えると、簡単に60万円を超える。
まして日射を四成分(長短波×上下方向)にしたりすると、さらに高い。
そのくせ、しょっちゅうズレる。定期的なメンテが欠かせない。しかし、その重要性を認識してくれる管理者は、思いの外少ない(うちのように、施設管理の一環として設置されている場合は、特に)。

そういうこともあり、気象を専門としない野外研究者、特に生態学者の場合は、安価なセンサーとロガーにシフトしがち。
気象計測ならOnsetのHoboロガー。これなら一式20万円もしない(する?) し、阿蘇のプロジェクトではこちらにお世話になりました。
今は知りませんが、一昔前はKoitoの光量子センサーが人気でしたね。Li-corのものや、日射計と比べるとロガー付きでお手軽でした。日射フィルムも、先日林学会でお目にかかりました。懐かしかった。

しかし、それでもやっぱり、精度の高い気象データというのは重要です。
「数年間のうちに日射量が変化していると思ったら、大気環境の変化ではなく、センサーの劣化でした」
「この試験地は強い日射が射します、と思ったら、センサーの校正が悪かったようです」
「温暖化どころか寒冷化が進んでいる、と思ったら、やっぱりセンサーの劣化でした」。他にも大気が次第に乾燥するとか、風が弱まるとか。
・・・・・こんな事態、避けたいですよね。少なくとも、試験地を有し、その活用を謳うところがこれでは、問題がある。

先日九大に来られた東大演習林の後藤さんによると、東大演習林のデータで最も引用が多いのが(ダントツとも)気象データだそうな。
しかし現場でもその管理は軽く考えられており、維持は後藤さんの熱意に依存しているとのこと。

キャンパス計画室の限られた予算で気象測器を一通り揃えるのは、難しい。さて、どうするか。
関係する研究者の方々に一時的な借用を依頼してはいますが、うまくいくのか、無理なのか。先方の都合と善意次第ですからね。

ダメだったら、買うか。高いなぁ。他の科研で余ったモノを流用、って、これは資金利用の倫理に触れる可能性が高い、非常にヤバい道だ。
となると、伊都キャンパスを用いた研究課題を立ち上げ、その資金で購入するしかない。

大変だわ


1月10日
ハワイ論文

明後日からハワイに行きます。調査です。昨年残した仕事を片付けます。
それに先立ち、7年前にハワイで実施した仕事の論文を書いています。ダラダラしているうちに、世界の研究は大きく進み、集まってきた知見の非常に重要な一例を示せるんじゃないか、という研究に化けてくれました。
いや、化けたと言うのは、ちゃんと受理されてからにしましょうよ。気が急きすぎだよ。

同じ調査地で、私も属する別のチームも研究をしてきました。論文の原稿が送られてきました。
複雑な計器や計測を行うことで、試験地を囲んで実施されてきた狭い範囲のこれまでの研究と異なり、見渡す限りの広い地域の生態系を対象にその挙動を俯瞰的に調べようという研究です。樹液流あり、リモセンあり、地質あり、同位体ありの、日本人の大好きな(言葉だけを?)分野超越型の研究です。
私の二人後ろの共著者は総被引用数1万4千件というびっくりな人だったりで、一体何が起きているんだか。

が。
恐らく、主体的に書いているのは、First authorのブルース君だけれど、これは受理されないよ。ましてEcol Applじゃ、絶対無理。私が見ても、文章が稚拙過ぎる。
その旨コメント。ふぅ。投稿はもう少し後になりそう。Gregあたりがバッチリと手を入れるだろうから、どうせ通るんだろうけど。Ecol appl「程度」なら。私が出したって、絶対通らんだろうけど。この前のGCBもそうだったし。いいよなぁ


この一幕、米国の研究を如実に表しています。
米国では学生は給与をもらって大学院に来ます。ですので、日本のように学生がたくさんの研究室(特に九大理学部の某研究室)というのは、非常に稀です。
そうした中、優秀な研究者の研究の主体を担うのは、ポスドクです。学生より給与は高いが、リーダーは面倒見なくてもよいからね。研究現場ではポスドクの数は多く、また彼らが研究プロジェクトの多くを仕切っています。ポスドク大国米国。

とは言え、日本の学振のような客観的(?)な儀式がないので、ポスドクも玉石混淆です。誤解なきよう、ブルース君を石と言っているわけではありませんよ。なおブルース君は3年前にポスドクを卒業しています。
海外の著名ジャーナルにFirst authorでバシバシ書いているポスドク。実際に話をしてみると、研究の内容を全然分かっておらず、実はそのボス(PI)の指示の忠実な履行者だった、と言うことは、しょっちゅうです。

このサイトでも何度か書いていますが、米国には、絶大な実力と経験を持つPIが君臨し、その足下にポスドクがいる、という構図があります。
論文が出たとき、Corresponding authorがFirst authorでない時は当然、そうでなくとも、実験の着想やデザイン、論文執筆でPIが果たす役割は非常に大きい。
それほど米国のPIの実力は絶大です。逆に言うと、First authorで難易度の高いJournalにたくさん論文を書いたからと言って、そのポスドクがリーダーとしての研究の実力を持っているわけではない。
なお、米国はそのPI候補生のような、これまた絶大な実力を持つポスドクもいますので、誤解なきよう。ちょっと期待してしまった若手の日本人研究者の方、残念でした。

そのことが、研究職公募の就職試験でReference letter、つまり推薦状が強い意味を持つことと関係あります。論文のリストを送られても、果たしてどれがただの操り人形としての成果か、どれがそのポスドク自身が寄与した成果なのかが分からないからです。
そこで、そうした研究に責任を持つ研究者に、証明をしてもらうわけですね。
日本の場合、特定のケースを除いて、Reference letterの意義ってないとも言われますからね(コネ除く)。First authorならば、基本的に原稿は応募者自身が書き上げ、研究の隅々まで熟知しているだろう、と思われています。米国とは大違い。

米国では、いろんな意味で、研究とは個人の活動とは見なされません。集大成なのです。共著者なのに名前だけ、ありきたりのコメントだけ、資金提供はしたけど、ということはないのです(米国ではこれ、Honored authorと呼ばれ、非常に嫌われます)


確かに、米国の有名な研究者はよく勉強しています。全然知らないような、別分野のマイナーな雑誌だって読む(当然本人はマイナーなジャーナルには投稿しないが)。
NHKの夜のニュースの話題のように、その月の最新の研究、時には査読中の別の人の論文の話を(問題ない程度に)する。まるで研究者向けのNews 9かNews 7 daysがあって、北野武が最新の研究をおもしろおかしく紹介し、彼らはそれを毎晩観ているかみたいだ。

一年前の年末年始、どこかの大学の若手の大学教授が米国の経済学者と話しているとき、同じような事態に直面して言葉をなくしていたのを思い出す。毎週出版される膨大な数の関連研究にことごとく(本当に、ことごとく)目を通して、それを話題にするトップ研究者達。
世界との壁とは、現実的な、目をそらすことのできない、実力差。


1月 6日
いよいよ厄年

明けましておめでとうございます。末永く、ではありますが、まずは今年もよろしくお願いいたします。

昨年は大変な一年でした。一年前は、まだハワイに2017年度末まで滞在する予定でした。うまく行くかも知れない、と期待した公募に軒並み落ちて(今年も似たようなことを言っていましたから、見込みが甘いのでしょうね)、暗澹たる思いになっていました。
そんな中、九州大学に拾っていただいて、ハワイから離れ、組織の業務に研究にとかけずり回りました。

日本から海外へ、に限らず、海外から日本へ、と言う流れも含め、環境を変えることの意義は大きいです。離れることで、海外の研究者とのたわいない会話や、彼らの習慣を冷静に見ることができます。
それをなぞったためか、この一年間、文献引用用に作ったEndnoteのファイルを見ると、過去数年の登録論文の約4倍のペースで論文を読みました。本は週3-4冊。まぁ、通勤時間が片道二時間、うち大半が電車の座席ですからね。

修得という点では、昨年は実りある一年でした。今年はその発現。投稿中論文2編に満足せず、難易度の高いジャーナルにも挑戦する一年にしたいと思います。
科研も通るといいなぁ。


といいつつ、さぁ新年会だ、日頃の積み立て分を取り返せ、と気合いを入れて行こうとしたところで、食あたりのために欠席。翌日もダウン。何をしているんだか。さすが、厄年。

明治時代末期の人口統計を見ると、男子の平均年齢は42歳とあります。つまり死亡要因がこの年を周辺にやってくる、と言うことでしょう。医学が進歩して、それ以降の厄年も意味を持つようになりましたが(昔の61歳なんてダイヤモンド婚並みに現実味がなかったでしょう)、かつてなかった死亡要因も増えてきたことから、結局厄年は今でも機能するのでしょう。
この年の周辺に大病を患うというのは、今でも聞く話です。
生き延びられるのか、私?

それだけじゃない。
年末、高校時代の友人に会い、管理職になった人達にも出会いました。そう、大学で助教をさせてもらっていますが、同期は准教授、そして教授をしている人もいます。学生、組織、学会。様々なものを背負う彼らにとって、失敗は社会的にも命取り。
幸か不幸か、厄年は同時に、社会的な危機と隣り合わせ、という側面も持ちます。


さて、そんな同期の人達と話をしていて、挙げた話題。
Peterの法則。もともと、演習林時代、小松さんに教えてもらった気もする。

今の職務に対して優秀な人は、職位を上げる。つまり、職務<能力。上げ潮ですな。
年功序列が消えることなく居続ける日本でも、職位は上がり続ける。そのうち、職務=能力、となるときがやってくる。それは得意分野でも若手や時代に太刀打ちできなくなったため、かもしれませんし、地位上、得意出ない仕事もしないといけなくなるためかもしれません。

それでも職位の上昇は止まらない(特に日本)。そうすると、職務>能力、となってしまう。こうなると「あの上司、くっそ使えねぇよ」となる(格好付けて若者ぶってみました)。
以上、「使えない上司」が生まれる仕組みでした。この仕組みから逃れる術は、年功序列が染みついたor生み出した日本では、非常に難しいのでしょうね。その創始者である軍隊って、どうなんだろう?


厄年の私たち。それはまさしく、Peterの法則で言う、職務=能力、のまさにその時なのかもしれません。
最もコストパフォーマンスが高く、ともするとPeterの法則での「使えない上司」の入り口であり、その入り口を遠ざけられる最後の機会に立つ者達。

でもね、研究の世界を見回してみると、いつ職務=能力となるかは、この際ぎわまで来る前、既に決まっていると思います。
何を見て、何を感じて、何に取り組み、切迫感を覚え、誰と付き合い、持ちうるモノで何を為そうとしたか。
厄年になって、四十路になってから取り組んでも遅いのかもしれない。
もっとも、四十路になっても悪あがきする人間こそ、この職務>能力を超えられる、遅らせられる人なのかもしれない。

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