クルド人&クルディスタンとは

クルド人とは、トルコとイラク、イラン、シリアの国境地帯に跨って住む中東の先住民族で、人口は約3000万人と言われています。

クルド人の間では、紀元前8世紀にイラン高原でメディア王国を建国したインドーヨーロッパ語族のメディア人が、自分たちの祖先だと伝えられています。しかしメディア王国は紀元前6世紀の半ばに、ペルシャ人によって滅ぼされ、以後クルド人はペルシャ、アラブ、トルコ、モンゴル、ロシア、そしてイギリスやフランスによる分割支配を受けてきました。現在、クルド人は世界最大の「独立した祖国を持たない民族」だと言われています。

クルド人の宗教は、かつてはペルシャから伝わったゾロアスター教(拝火教)でしたが、7世紀にアラブ人によって征服されてからはイスラム化が進み、現在では75%がスンニ派、15%がシーア派だと言われています。このほか、キリスト教やユダヤ教、アレヴィー教(シーア派とゾロアスター教、トルコのシャーマン信仰との融合宗教)やイェズディー教(シーア派とキリスト教、ゾロアスター教、ユダヤ教の融合宗教)のクルド人たちもいます。

19世紀からクルド人たちは自治や独立を求める闘争を続けてきました。現在でもトルコやイラク、イランでクルド人の様々な政治組織が独立や自治を求める戦いを続けています。
 

クルディスタンとは

クルド人の住むクルディスタンは現在、国境線によって4つの地域に分割されています。

●北クルディスタン(トルコ領)
人口約1300万人。かつてオスマン・トルコ帝国の時代には、クルド人は伝統的に部族を支配する首長たちの下で一定の自治権を与えられていましたが、1920年のトルコ共和国の成立後は、強力な「同化政策」が行なわれました。クルド人の存在は否定されて(東部トルコ人とされた)、クルド語の使用は厳しく制限されてきたのです。

●南クルディスタン(イラク領)
人口約420万人。KDP(イラク・クルディタン民主党)とPUK(クルディスタン愛国者同盟)という武装組織があり、フセイン政権に対して自治権を要求して武装闘争を続けてきました。イラン・イラク戦争末期の1988年、北イラクのハラブジャという村でイラク軍によって毒ガスが使用され、5000人のクルド人が虐殺された事件は、「フセインの犯罪」として国際的にも知られるようになりました。

湾岸戦争の後、アメリカの介入でイラク北部にクルディスタン自治政府が設立されましたが、KDPとPUKとの間で武力抗争が続いています。

●東クルディスタン(イラン領)
人口約570万人。第2次世界大戦後のソ連軍の進駐の中で、1946年1月にクルディスタン人民共和国(通称、マハバド共和国)が設立されたことがありますが、同年12月にイラン軍の占領により崩壊しました。

パーレビ王朝の下で弾圧されたクルド人たちは、1979年のイラン革命で大きな役割を果たしましたが、その後のホメイニ政権もクルド人の自治運動を弾圧しています。現在、IKDP(イラン・クルディタン民主党)やKOMALA(イラン共産党クルディスタン支部)などの組織があり、イランのイスラム政府打倒と自治権要求を掲げています。

●西クルディスタン(シリア領)
人口100万人。

●この他、旧ソ連のアルメニア、アゼルバイジャン両国に40万人、ヨーロッパ各国に約70万人のクルド人が住んでいます。

日本にやってきたクルド人たち

90年代に入って日本へもクルド人難民がやって来ました。彼らの大部分はトルコ領内の出身です。

湾岸戦争の後、トルコ軍が大規模な「平定作戦」を行ない、先祖代々暮してきた町や村を追われたクルド人が難民となって海外へ脱出したのです。彼らは「トルコ国民」としてトルコ旅券を使って海外へ向かいましたが、その頃、西欧諸国ではトルコ移民排斥の動きが盛んとなり、そのあおりで西欧に入国しずらくなったクルド人が日本へも来るようになったのです。

現在、日本に定住するクルド人は300〜400人と見られており、埼玉県南部を中心にコミュニティを作っています。
 
 

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