大阪渡来地名マップ

古代の大阪は渡来の町!


地名由来は、下記の本から抜粋・引用しております。

書名 大阪難読地名がわかる本
著者 創元社編集部編
定価(5%税込) 1,470円
ISBN 4-422-25029-9
判型 四六
I頁数 292
伊勢物語

参考までにこちらもご覧ください。

東区史古地図

堀江 四天王寺周辺 仁徳天皇大宮跡 石山(現・大阪城)周辺 宅美 御津の里

地図上の赤い部分をクリックすると、説明文にジャンプします。

この「大阪難読地名がわかる本」に、渡来文化に由来する地名が紹介されていました。ご購入をおすすめいたします。

しかし、渡来文化はこの他にも無数に存在します。堺市などには、たくさんの渡来文化の軌跡が記された史跡や地名が残存しております。

これを機会に、大阪の渡来文化の由来などを追加していきたい考えております。

 

 

※1:王仁博士の関連史跡(応神天皇の招請によって、百済から渡来し、『論語』と『千字文』を日本に伝え、飛鳥文化を創造するのに大いに寄与したとされる人物であり、日本文化の恩人とされる評されている。)

<灘波古代史の概略>
 現在の大阪市域にあたる地域は、古代律令制の行政区分の下では、攝津国「江南四郡」(『日本紀略』天長二年三月癸西条)すなわち住吉、百済、西成、東成の各郡によってその大部分が構成されていた。また、この地域は古代の政権にとって政治や経済の枢要の地でもあって、「灘波津」や「灘波宮」のような国家的機能と密接に関わりをもち、特に大陸外交の玄関であった。

 まず、各郡の名称について考察をしてみる。
 東成・西成については、「大阪難読地名がわかる本」(創元社編集部)という本では、西成区の項で「大正十四年施行。旧
名は古代の郡名西成郡にちなむ。かつては大部分が大阪湾であったが、しだいに陸地化がすすんだ。江戸時代は、木津川ぞいに盛んに新田が開かれたので、このあたり一帯は近郊農村となった。米ができないので畑作ものが中心だった。明治以降、木津川ぞいに一大工業地帯が形成されたが、今は宅地化が進んでいる。明治十八年に南海電車が走るようになり、近代化が始まった。また飛田新地は歓楽街化した。なお、古代の西成郡は、神崎川以南、大阪市西部を含むかなり広い地域をさしていた。
古代、この地域は内海であった。東西が分れる前はたんにナリといったと考えられている。ナリはナルの転訛で朝鮮語で太陽の意味である。大阪の凡称難波(日の出る処)と関連がありそうだ。またナリには川という意味もあるという」と記されている。
 百済郡は、古代の朝鮮半島に実在した古代国名に因んでいることからも、古代の大阪と百済の間で深いゆかりがあったことが推察される。また、660年の亡国にあたって、王族をはじめ多くの人々が大阪の地に亡命してきている。
 住吉郡については、「大阪難読地名がわかる本」の住吉区の項に、「大正十四年施行。大阪市の南端に位置している。旧名は住吉大社よりとられた。住吉大社は摂津国一の宮で、古代よりの大社。航海守護神であり歌の神でもある。」と記されている。区名の由来はともかく住吉社が古代より大社として存在していたこと。「住之江」の項では住吉大社が海人族の神をまつっていると記している。ところで住吉大社の境内には、明治時代の廃仏毀釈・神仏分離令によって、明治6年(1873年)2月に取り壊されるまでは、758年に建立されて以来、1115年間にわたって新羅寺(住吉社神宮寺)が実存し、民衆の信仰の対象となっていた。

 次に灘波地域の居住氏族について 「大阪の歴史」53号(大阪市史編纂所)に掲載された「大阪市域居住氏族についての一考察」(狩野直敏著)という論文で、灘波地域周辺に居住していた八氏族について、考察している。
 @史戸安陪・赤万呂:灘波地域における史戸氏の居住領域については、西成郡を中心にしていたと記している。本論文では『(a)史戸という氏族名自体が文筆を業とするという「普通名詞」的なものであること、(b)このような職務には一般的に渡来系の人々が携わると考えられること、(c)朝鮮半島から渡来した人たちが大和朝廷によって河内国の高安郡や安宿郡に多く定着せしめられ、先駆的な編戸を施行せられた結果、「○○戸」と呼称される人々がこの地域を中心として分布することとなったと考えられることなどから、別々の出自を持つ渡来系の人々が、その職掌によって同じ氏族名を名乗ることとなった可能性を考慮する必要があるだろう。』と記すとともに、史戸を名乗る氏族は、河内、大和、近江地方にも分布がみられるが、いずれも渡来系であると記している。
 その他には、A飽田史真人、B利苅寸主家麻呂、C船連石立、D上道人数・波堤麻呂・百嶋、E阿刀物部、F弓削宿弥伯麻呂、G百済部若麻呂などの氏族の考察を試みているが、本書では各項目ごとの説明は省略し、結びの項に代えて紹介する。
 「大阪市域居住氏族についての一考察」の結びでは、総合的な結論を避けつつも、『第一に渡来系氏族が多くみられることである。氏戸、飽田史、利苅村主、王辰彌系氏族、百済部などがこれに該当する。古市村主、高向史、田辺史、馬史、秦、吉士系氏族、百済系氏族などが、従前「江南四郡」を中心とする、現在の大阪市域への居住を指摘されてきた氏族であるが、これらのうち、灘波津との密接な関係が認められる吉士系氏族と、百済滅亡前後の比較的新しい時期に渡来してきた百済郡居住の百済系氏族を除くと、すべてが河内地域への居住が知られるものであり、むしろその多くは河内地域に本拠を求めることができる。そして、このことは本稿で取り上げた渡来系氏族についても、百済郡居住の百済部を除けば、その全てに共通するのである。このような本稿で取り上げた渡来系氏族についても、百済郡を除けば、その全てに共通するのである。このような傾向が灘波周辺地域に居住する渡来系氏族に一般的な現象だということが確認できたように思う。もちろん、これら河内地域に本拠をもつ渡来系氏族が、灘波周辺地域に居住することとなった契機については、それぞれ個別に考えなければならない問題である。そして、このことは彼らを考えるうえで、「摂河泉地域という広い範囲の中での灘波地域の存在」という視点を重要視しなければならないということを再認識させるものなのである。』と記している。本考察からは、現大阪府以南地域の全域に渡来系氏族がかなりの規模で、居住していたことがうかがわれる。
 上述したように、灘波の古代の群像は、人・物・文化の大波が朝鮮半島を中心に大陸から押し寄せ、定着した文化圏だったと言えるのである。

番号

地名 ふりがな 所在地 路線 近隣駅 由来
1

 

 

兎我野町 とがのちょう 大阪市北区     曽根崎東側に位置。古代朝鮮の都祈野(ときの)と関連付ける説あり。都祈は都下(つげ)とも書かれ、都下と菟餓(とが)は同意で、古代新羅語で「日の出」を意味する。ツゲは呉音、トガは漢音である。そこで都祈野とは「日の出を祭る神廟の地」をあらわした。難波(浪速=なにわ)も日の出に関係するといわれている。
  ※1   大阪市淀川区本町 博士王仁の日本史跡

2004.6.23追記

  八坂神社
  ※1   大阪市淀川区本町 博士王仁の日本史跡

2004.6.23追記

  王仁神社
2

 

久太郎町 きゅうたろうまち 大阪市中央区     かつて南北久太郎町に分かれていたが、由来としては百済町と書いたのを後世伝え間違えたという説やその他あり。
3

 

 

高麗橋 こうらいばし 大阪市中央区 地下鉄堺筋線 北浜駅 東横堀にかかる高麗橋の東西の通り。朝鮮国使来朝のために架けたといわれる。橋の東端に難波高麗館があったとも。
4

 

 

 

難波 なにわ 大阪市中央区 近鉄、南海線 難波駅 駅周辺はかつて摂津国西成郡難波村とよんだ。浪速、浪花とも書く。朝鮮語で太陽を意味する「ナル」に門・口・窓などを意味する「ニワ」のついた「ナルニワ」がなまったものだという説もあり。「日の出」る聖なる場所という意味。太陽信仰を有する新羅系渡来人によってもたらされたのでは。古代大阪は中国大陸、朝鮮、九州などから東進してきた人々の到着地であった。
  心斎橋   大阪市中央区 新羅橋   心斎橋は昔、新羅橋だった。1576年の天正4年に製作された「織田信長軍、石山本願寺軍攻撃配置図(奥田所蔵)」に記されている。
5

 

 

鶴見区 つるみく 大阪市鶴見区     ツルミとは朝鮮語で鶴のこと。古朝鮮語ではツル及びツルミとは山を表した。
6

 

東成区 ひがしなりく 大阪市東成区     ナルは朝鮮語で太陽の意味。
7

 

 

小橋町 おばせちょう 大阪市生野区 JR環状線 鶴橋駅 仁徳天皇時代に猪甘津(いかいのつ)に橋を渡して「小橋」と名づけた。藤原鎌足の遠祖、神功皇后の近臣雷大臣の子であった大小橋命の家が当地の西にあったとも。小橋氏というのは新羅系渡来人。
8

 

 

 

生野区 いくのく 大阪市生野区     大阪市東南部に位置。かつて舎利寺(しゃりじ)村に居住していた長者が、この地方を生野と表したのが由来といわれる。生野長者とは古代百済系渡来人とも言われている。
9

 

 

 

林寺 はやしじ 大阪市生野区     古代このあたりに百済系渡来人である林史(はやしのふみ)氏が居住しており、彼が立てた寺があったとも伝えられている。
10

 

 

 

喜連瓜破 きれうりわり 大阪市平野区 地下鉄御堂筋線 喜連瓜破駅 古代、この周辺を伎人郷(くれのごう)と呼ばれ、伎人とは呉人を意味。呉とは古代朝鮮の句麗(くれ、高は美称)からきたもの。呉人は高句麗系渡来人で伎楽に秀でていた。これが転訛して喜連になったという。瓜破は、道昭という僧が社殿を造営したことに由来。道昭は行基の師で、百済系渡来人の船氏族の出身。日本法曹界の祖。
11

 

杭全 くまた 大阪市平野区     杭全神社のあたりを古代、杭全郷とよんだ。中世このあたりは杭全荘とよばれ、坂上田村麻呂の子、広野麻呂の荘園だった。坂上家の祖は東漢(やまとのあや)坂上と称していた。東漢氏は百済系渡来人。
12

 

 

 

 

 

加美鞍作 かみくらつくり 大阪市平野区     河内国渋川郡賀美(加美)郡といい、鞍作氏はじめ百済系渡来人が栄えた場所。鞍作部とは鞍をはじめとする馬具などの武具を作っていた部族。法隆寺本尊である釈迦三尊像などを作った仏師、鞍作鳥(止利)輩出。
13

 

百済貨物 くだらかもつ 大阪市東住吉区 JR大和路線 百済貨物駅 生野区のあたりを古代、摂津国百済郡と呼び、百済系渡来人が多く住みついた。東住吉区には百済公園もある。
14

 

 

 

西成区 にしなりく 大阪市西成区     古代、西成郡であったが神崎川以南、大阪市西部を含む広範囲をあらわした。大阪市東部を東成郡ともいう。東西に分かれる前はたんにナリといったと考えられている。ナリはナルの転訛であり、朝鮮語で太陽の意味。難波とも関連あり。
15

 

 

岸里玉出 きしのさとたまで 大阪市西成区 南海線 岸里玉出駅 駅北側が岸里、駅南側が玉出という町名。古くは駅周辺を岸の里と呼んだ。古代新羅渡来系氏族の難波吉士(なにわのきし)の居住したところで、吉士が岸となる。吉士は新羅官等第14位の称号。吹田市にも岸部があるが、これも一族のいたところである。
16

 

 

 

 

我孫子町 あびこちょう 大阪市住吉区 JR阪和線 我孫子町 地名の由来は依羅吾彦(よさみあびこ)が居住していたからといわれる。「吾」の「あ」は「我」の朝鮮語アから出たもので、孫の子は隔子すなわち彦である。したがって吾孫子と書いて「あびこ」とよむ。依羅氏は、古代、丹比郡依羅郷に繁栄した百済系渡来人氏族で、のち住吉区庭井あたりに移住。移住地は大依羅郷と称された。庭井には大依羅神社があり、依羅吾彦はこの神社の祭人の子孫。
  住吉大社   大阪市住吉区 新羅寺   住吉大社の境内には明治の廃仏毀釈・神仏分離令によって、取り壊されるまで約1100年間にわたって、新羅寺があった。
17

 

 

 

池田市 いけだし 大阪府池田市     古来この地は伊居太の里とよばれた。伊居太神社があるが別名、穴織宮(あやはぐう)ともいう。織物の神様である穴織姫(あやはとりひめ)を祭る。古代高度な織物技術を持った渡来系の移住があったと考えられている。穴織の穴は、古代南部朝鮮にあった穴那からきている。ここは、渡来系秦一族の養蚕、機織などに従事した居住地でもある。伊居太神社は秦上社ともいう。
18

 

綾羽 あやは 大阪府池田市 阪急池田線 池田駅 伊居太神社の鎮座地である。
19

 

呉服町 くれはちょう 大阪府池田市 阪急池田線 池田駅 古来このあたりを呉服の里とよんだ。呉服神社があるが、呉織姫(呉服大明神)を祭る。機織の技能をもった高麗系渡来人の居住地。呉とは古代朝鮮で句麗(くれ=高句麗のこと)をあらわす。伊居太神社を秦上社と対象に、呉服神社を秦下社呼ぶ。
20

 

神田 こうだ 大阪府池田市 阪急池田線 池田駅 地元に素戔嗚尊(すさのおのみこと)神社(=元八坂神社)があった。
21

 

 

いな 大阪府箕面市 阪急箕面(みのう)線 牧落駅 『続日本紀』に「摂津国豊嶋郡人韓人稲村」に豊津造を贈られたとあり、稲村という渡来人がいたと思われる。
22

 

 

 

 

沢良宜 さわらぎ 大阪府茨木市 阪急京都線 茨木駅 いわれについては諸説あるが、古代朝鮮語説をとると、ソウルを同じ意味の「京」、すなわち首都をあらわす。古代朝鮮には歃良(そうら)という地名もあった。高槻の三島江あたりは、古代、朝鮮や北九州からの人々が住みついたところ。茨城にも東奈良遺跡という大きな村国のあったことを示すところあり。だとすると、首邑の意味を持つサワラに到来を示すキ・ギ(来)がついた地名が来ても不思議ではない。
23

 

 

宿久庄 しゅくのしょう 大阪府茨木市     古くは島下郡宿久郷(すくぐん)といった。スクはスキ、すなわち朝鮮語で村邑という意味。
24

 

 

唐崎 からさき 大阪府高槻市     三島江の東岸にあたる。地名の由来は渡来人の居住地との説もあり。三島江は河内に来た渡来人が最初に上陸したところのひとつといわれており、集住地であった。唐は古代朝鮮の通称カラをあらわしていると思われる。
25

 

 

枚方市 ひらかたし 大阪府枚方市     百済王氏はじめ渡来人も多く住みついた。
26

 

 

 

中振 なかぶり 大阪府枚方市 京阪線 光善寺駅 地名の由来は定かではないが、フリとはフレのことで古代朝鮮語では村の意味。
27

 

王仁公園 わにこうえん 大阪府枚方市 JR学研都市線 藤阪駅 藤阪東町に王仁博士之墓あり。百済から日本に初めて文字をもたらした人とされている。王仁(ワニ)とは、朝鮮語のワンニム(=王様)のことではないかとも言われている。
28

 

 

 

太秦 うずまさ 大阪府寝屋川市     寝屋川上流域に位置。古代、秦氏の居住地。
29

 

 

讃良東町 さんらひがしまち 大阪府寝屋川市     由来は不明。讃良は久良をくらと読むように、もとはサララギとよみ、その後サララキ⇒サラキになったとも。サラキとは新来(さらき)つまり今来(いまき)のことで、渡来人が新しく定着したことを表しているとも。当地は百済系渡来人の定住地。
30

 

 

 

 

はた 大阪府寝屋川市     寝屋川上流域。新羅系渡来人、秦氏の居住地。秦町北部に川勝町があるが、ここは秦川勝からとったもの。秦山には秦川勝の墓所あり。ハタは朝鮮語の海(パダ)から来たという説あり。また、機織部のハタという説もあり。秦氏は養蚕を総括、絹織物を献上する職を担当していら。機織の技術は新羅、百済からもたらされたという。
31

 

川内町 かわちちょう 大阪府東大阪市 近鉄東大阪線 瓢箪山駅 大阪のことを古くは河内(かわち)といったが、河内氏は百済系渡来人を外する氏族で、河内郡を領していた。つまりここが河内国河内郡の中心地。
32

 

 

弥刀 みと 大阪府東大阪市 近鉄大阪線 弥刀駅 弥刀神社、別称牛頭(ごず)天王社で、素戔嗚尊をまつる。高麗系渡来人多し。
33

 

 

恩智 おんぢ 大阪府八尾市 近鉄大阪線 恩智駅 恩智神社。恩智は、阿智の転訛である奄知から変化したもの。阿智=阿智使主(日本書記)のことであり、朝鮮から織工をつれてきたといわれている。アチとは朝鮮語でアルチ=小児をあらわす。
34

 

 

八尾市 やおし 大阪府八尾市     古代、渡来人の集住地。とくに物部氏との関係深し。
  ※1   大阪市八尾市 博士王仁の日本史跡

2004.6.23追記

  八尾神社
35

 

 

 

河内天美 かわちあまみ 大阪府松原市 近鉄南大阪線 河内天美駅 阿麻美許曽神社にちなむ。古来、駅周辺は丹比(たじひ)郡依羅(よさみ)郷といい、依羅連(よさみのむらじ)のいた所。依羅氏は百済国人、素弥志夜麻美(そみしやまみ)の君の末裔。神社はその氏神を祭ったものといわれる。天美は依羅氏の先祖の名の一部「夜麻美」がなまったもの。
36

 

 

阿保 あお 大阪府松原市     古代、丹比郡依羅郷に属していた。百済の辰孫(ちそ)王の後裔である葛井(ふじい)勝子という女性が平城天皇の側室となって産んだ阿保親王が、この地に別邸を営み地名が生じる。
  ※1   松原市岡町 博士王仁の日本史跡

2004.6.23追記

  王仁聖堂址
37

 

藤井寺市 ふじいでらし 大阪府藤井寺市     古代文化の遺跡多く、渡来系有力氏族も多数居住した。
  ※1   藤井寺市藤井寺町 博士王仁の日本史跡

2004.6.23追記

  藤井寺
  ※1   藤井寺市藤井寺町 博士王仁の日本史跡

2004.6.23追記

  辛国神社
38

 

 

 

柏原市 かしわらし 大阪府柏原市     市内を大和川が流れ、石川と合流している。飛鳥時代には船津がひらかれ交通の要衝であった。同市東部は生駒山地南麓にあり、古墳も多く渡来系氏族の河内居住地帯の中心地。また、「かしわら」は橿原「かしはら」と同じで、朝鮮・新羅のソウルと同じ意味であるとの説もあり。
39

 

 

 

雁多尾畑 かりんどおばた 大阪府柏原市     生駒山地南部に位置。このエリアは古代、金属の生産に関係があったとされており、雁を朝鮮語のカルすなわち刃物、多尾をワタすなわち峠の意味と解する説もあり。
  ※1   柏原市国分町 博士王仁の日本史跡

2004.6.23追記

  国分神社と松岳山古墳
40

 

羽曳野市 はびきのし 大阪府羽曳野市     古代、渡来人の集住したところで、古墳多し。
41

 

 

 

飛鳥 あすか 大阪府羽曳野市 近鉄南大阪線 上ノ太子駅 古代、河内国安宿(あすかべ)郡に属していた。飛鳥の由来は、渡来人がここを安住の地(アンスク)と称したことによるとされる。アンスクとは安宿のことで、スクとは古代朝鮮語で村の意味。当地は百済系渡来人、飛鳥部の本拠地でもあり、その祖神を祭った飛鳥戸神社が鎮座。飛鳥戸氏の祖先は百済国王琨伎王という。
  ※1   羽曳野市古市町 博士王仁の日本史跡

2004.6.23追記

  白鳥神社
  ※1   羽曳野市古市町 博士王仁の日本史跡

2004.6.23追記

  西淋寺
  ※1   羽曳野市誉田町 博士王仁の日本史跡

2004.6.23追記

  誉田八幡宮
  ※1   大阪府羽曳野市 博士王仁の日本史跡

2004.6.23追記

  野中寺
  ※1   羽曳野市宮町 博士王仁の日本史跡

2004.6.23追記

  久留御魂神社
42

 

 

富田林町 とんだばやしちょう 大阪府富田林市 近鉄南大阪線 富田林駅 諸説あるが、古朝鮮語からみると、富とはトリミのことでリが脱落してトミになった。トリミとは古朝鮮語で山の意味であり、したがって富田とは山のあるところの意味。
  ※1   富田林市栗ヶ池町 博士王仁の日本史跡

2004.6.23追記

  王仁池 栗ヶ池
  ※1   堺市三国岡町 博士王仁の日本史跡

2004.6.23追記

  方違神社
43

 

 

高石市 たかいしし 大阪府高石市     古代以来の地名、高石から市名がとられた。渡来人、高志(こし)の住したところで、高志が高志(たかし)⇒高石と転訛された。高師、高脚とも書かれた。高石神社は、高志氏の祖神を祭る。
44

 

伽羅橋 きゃらばし 大阪府高石市 南海高師浜線 伽羅橋駅 韓橋であり古代朝鮮の加羅から渡来した人たちが住み着いて作ったといわれている。
45

 

 

高師浜 たかしのはま 大阪府高石市 南海高師浜線 高師浜駅 高石(たかいし)市所在。高石はもともと高石(たかし=高志、高師、高脚)であり、高師というのは当地に百済系渡来人である西文(かわちのふみ)氏の分派が住み着いて高志と称したため。駅近くにその祖王仁氏を祭った高石神社あり。
  ※1   高石市高師浜 博士王仁の日本史跡

2004.6.23追記

  高石神社
46

 

北信太 きたしのだ 大阪府和泉市 JR阪和線 北信太駅 古来、信太氏の居住地。信太氏は百済系渡来人である、百済国人百午の末裔とされる。信太の森の聖神社は日神(暦の神)であり、朝鮮渡来の陰陽師が信仰したといわれる。陰陽師、安倍晴明の出生にまつわる伝説の地でもある。
47

 

信太山 しのだやま 大阪府和泉市 JR阪和線 信太山駅 駅東南部の丘陵地帯を信太山と称する。その西端部に聖神社(または、信太明神)といわれる。
48

 

唐国町 からくにちょう 大阪府和泉市 泉北高速鉄道 和泉中央駅 古代氏族韓国連(からくにのむらじ)の本貫地だった。唐は韓の借字であり、ともに古代朝鮮の総称。
49

 

近木 こぎ 大阪府貝塚市 南海本線 貝塚駅 古代、このあたりに近義一族が居住。
50

 

 

新井 にい 大阪府貝塚市 JR阪和線 東貝塚駅 地名は新治(にいはり)の転訛。新は新しい、治は開墾するという意味。治は朝鮮語のパリ(耕す)と同じ。よって、新しく開墾された土地という意味。
51

 

 

蕎原 そぶら 大阪府貝塚市     古くは蕎麦原とも書き、「そばはら」「そばら」ともよんだ。蕎麦の語源は朝鮮語でsap(赤)だという。蕎麦の茎が赤いためか。
52

 

 

 

近義の里 こぎのさと 大阪府貝塚市 水間鉄道 近義の里駅 古代、周辺を日根郡近義郷と呼んだ。近義とはもともと古代朝鮮語で王の意味であり、王の称号を「干」とも「旱岐」ともいった。それが訛「こんき」「こき」⇒近義の当て字を使うようになった。「姓氏録」に「近義首(こごのおびと)は新羅国王である角折王の後裔である」と記されているので、新羅系渡来人と考えられている。
53

 

 

 

 

 

日根野 ひねの 大阪府泉佐野市 JR阪和線 日根野駅 古代、周辺を日根郡近義郷と呼んだ。近義とはもともと古代朝鮮語で王の意味であり、王の称号を「干」とも「旱岐」ともいった。それが訛「こんき」「こき」⇒近義の当て字を使うようになった。「姓氏録」に「近義首(こごのおびと)は新羅国王である角折王の後裔である」と記されているので、新羅系渡来人と考えられている。和泉国日根郡に属す。当地に居住し開拓に努めた日根野造に由来。日根野造は新羅国人である億斯富使主(おしふのおみ)の後裔。当地に入植、開拓したことから造(みやつこ)の称号を得る。駅南に日根神社があり、祖神を祭る。

 

※1 博士王仁の日本史跡(大阪圏以外)

漢国神社(奈良市)

王仁池、和珥池(奈良市帯解町)

八坂神社(奈良市帯解町)

和邇下神社(奈良市天理市櫟本)

王仁の村(奈良県天理市和爾町)

東京都上野公園の王仁博士の記念碑