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      武士の発生と成立
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「武士」と「武士団」 本論

前編) 「武士」「武士団」という言葉 武士論の遷移  「武士団」の前史  武士の職能
後編 ) 「開発領主」と「武士団」  「武士団」の結合度 「武士団」の蔓延はいつから

武士と武士団・各論1  武士の身分・侍と武士   

「侍」 「侍」と「武士」 「貴族」と「侍」  『芋粥』に見る「侍」  ・・・2007.12

武士と武士団・各論2 「武士」の職能  

「兵」(つわもの) 「兵」(つわもの)の武芸 「郎等」 馬 「牧」と「武士」  ・・・2007.12

武士と武士団・各論3 私営田領主から開発領主へ 

軍、そして平将門・「私営田領主」の時代 「領地」を媒介とする「武士団」
農村の変容・私営田領主から開発領主へ 

武士と武士団・各論4 在庁官人と寄進系荘園    

開発領主の重層的結合  在庁官人・郡司と開発領主  寄進系荘園
大庭御厨(おおばのみくりや)  相馬御厨(そうまのみくりや)  開発領主の位置  ・・・2007.12

武士と武士団・各論5 「武士団」の結合度   

「兵」の時代の「武士団」の結合度 「血縁」による「武士団」の結合   ・・・2007.12

武士と武士団・各論6 党的武士団  

渡辺党  松浦党  湯浅党  隅田党  党的武士団の性格

大庭御厨の濫妨     ・・・2007.12追記

山内荘

相馬御厨        ・・・2007.12

武士論の背景

竹内理三氏の「武士の登場」

武士の登場  兵(つわもの) not= 武士 2005記

安田元久氏の「在地武士団の成長」 

在地領主的武士論  兵農未分離  番の関心は「社会構造の再編成」?    ・・・・2007.10 ・・・2008.1追記 

平安時代の時代背景

律令時代の軍制  口分田の崩壊  農村の変貌

坂本賞三氏の前期王朝国家

国司の受難 前期王朝国家への転換 寛平・延喜の国政改革 戸田芳実氏との対談

10世紀以降の受領と国衙  

受領の意味  受領の役割の変化  「郡衙」の消滅  郡司に変わる地元有力者・田堵負名
王臣子孫の「留住」  初期の荘園の問題  国衙と在地勢力の入れ替わり ・・・・2007.10追記

10世紀以降の「国ノ人・館ノ人」  

京下りの側近・受領の郎党  受領と在庁官人・田堵負名の利害  京の近国と東国の違い
国司と国ノ人の妥協  建物としての「国庁(国衙)」と「国司館」 ・・・・2007.10追記

武士の成立論

下向井龍彦氏の「兵(つわもの)=武士」

寛平・延喜の軍制の改革  武士第一号・延喜勲功者  天慶勲功者  2005記

川尻秋生氏の「武門の成立」

 

橋昌明氏の「武士の成立 武士像の創出」 

橋昌明氏の標的・在地領主的武士論  「職能的武士論」の流れ  当初の私の違和感  
諸氏の批判への橋氏の応え  武士の承認  武士は奈良時代の昔から存在  武士身分 
2005記 ・・・2007.1 ・・・2007.10  ・・・2008.1追記

石井進氏に始まる国衙軍制論 

石井進氏の「武士団とは何か」  国衙軍制が何故論点に  石井進氏の国衙軍制論  地方軍制の図式化 
国(=地方)における武士 ・・・・2007.10

下向井龍彦氏の国衙軍制論 

・・・・2007.10

橋昌明氏の国衙軍制論への態度 

石井進氏に関連して  そして武家の棟梁  下向井龍彦氏に関連して ・・・2007.10

福田豊彦氏の国衙軍制論への態度 

武士身分の成立  棟梁の成立  「辺境軍事貴族」と「地方豪族軍」  ・・・2007.10

武士の成立− 37_00

兵(つわもの)の家−摂関時代  

大索  貴族・源頼光  貴族の武  傭兵 ボディガード  平氏の暗闘  所領  暗殺者
平忠常の乱の追討使  京の平安  父系の確立と家業の固定化  ・・・2007.10

院政時代−源義家の経歴 

  ・・・2007.11

院政時代−源義家をめぐる論点.1・後三年の役の官物未進 

竹内理三氏の「武士の登場」1965年 
安田元久氏の「源義家」1966年 
後三年の役の朝廷の評価 
官物未進の決着   ・・・2007.11

院政時代− 源義家をめぐる論点.2・権門の脅威論  

義家は領家・本所か 
第二世代での荘園史の研究 
源義家は権門の脅威か  ・・・2007.11

院政時代− 源義家をめぐる論点.3・義家への荘園寄進  

義家への荘園寄進の禁止 
『後二条師通記』と『百錬抄』の相違 
『後二条師通記』の「荘園立庄停止」と奥羽の摂関家領  ・・・2007.11

院政時代− 奥州後三年記と義家の郎党 

「奥州後三年記」と貞和版『後三年合戦絵詞』
後白河法皇の承安版『後三年絵』
『奥州後三年記』の信頼性
『奥州後三年記』の残虐性
義家の郎党の構成
義家の郎党のプロフィール  ・・・2007.11

院政時代−平家の興隆

 

都の武者

 

貴族の武

 

武士成立過程での戦乱

吾妻鏡

  1. 明治の研究(星野恒と原勝郎) 
  2. 大正期の研究(和田英松と八代国治)   
  3. 吾妻鏡の構成
  4. 吾妻鏡の原資料
    1.吾妻鏡の京系原史料
    2.吾妻鏡の原史料類型と公事奉行人
    3.吾妻鏡の原資料・合戦記・合戦注文
    4. ベースとなる筆録・五味文彦氏の研究
    5. 頼朝将軍記・高橋秀樹氏の研究
  5. 吾妻鏡の曲筆と顕彰
    1.吾妻鏡の曲筆
    2. 顕彰される人々
  6. 吾妻鏡の編纂時期と編纂者
    1.八代国治の2段階説と益田宗の異論
    2.2段階説への笠松宏至の異論
    3.『明月記』の鎌倉伝搬時期
    4.吾妻鏡の編纂者・五味文彦の研究
  7. 『吾妻鏡』編纂の背景
    1.『吾妻鏡』編纂の背景
    2.『吾妻鏡』編纂の意図
  8. 歴史資料としての価値

<付論>

  1. 吾妻鏡の周辺・嘉元の乱
  2. 和田合戦に見る吾妻鏡と明月記
  3. 龍福義友氏の「吾妻鏡の虚構」
  1. 室町時代の吾妻鏡 
  2. 吾妻鏡の諸本 
  3. 江戸時代の吾妻鏡研究
  4. 流布している俗説
  5. 参考文献

おしいれ

おことわり

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