●久米村の秘拳法
「那覇手」、それは琉球久米村に連綿と継承されてきた琉球拳法の核とも云
える古伝拳法である。明治以降は東恩納寛量師範によって現代にまで継承
された。一説では東恩納師範に依って中華福建省から輸入された南拳であ
ると言う論もあったが、実際的には既に那覇手の内容のかなりの部分は王
朝期に琉球において琉球拳士たちによって既に演武されていたと言う記録
があり、琉球王朝古伝の拳脈であることは間違いない。
伝えたは久米村武人と言われるが、同村はまた一説では十四世紀に中華
の帰化人によって形成された村落であるとも言う。しかしながら『万葉集』に
は既に久米村の記録があると言われ、琉球と宮中は神戸港(大輪田泊)を
中継地として通じていたとされているのである。
そしてこれは先師から口伝承として伺った話であるが、久米村拳士たちは帝
の神輿を担ぐボディーガードとしてさぶらい、帝を守護していたと言う。彼ら
琉球久米村武士が身につけていた最強拳法こそが那覇手の源脈なのであ
る。その驚くべき内容をみてゆこう。
●那覇手の核「三戦」
那覇手は琉球拳法の核であり、その那覇手の核とも云えるのが「三戦」であ
る。是は現代においては琉球、本土にそれぞれ伝承され錬磨されているが
それぞれのスタイルには異同があり、色々な形態で演じられている。
正面を向いたままで三歩前後する方式。三歩進み、転身して一歩後退。転
身して一歩前進、二歩後退で演じられる方式などがある。しかし琉球の一部
には三歩進んで転身、三歩後退、転身、一歩前進、一歩後退で演じられる
方式も残っており、これが最も古式の方式であるのではないかと考察するも
のである。当会も最も古式と思われる方式で「三戦」を錬磨している。
●古伝必殺技法の集積回路
「三戦」は一見短く、単純な型に見えるが内蔵する技法伝は真に深いものが
あり、正に古伝技法の集積回路とも云える驚異の拳法伝である。短い型の
中に「拳法伝」「柔術伝」そしてその両伝を繋ぐ極意手法までが盛り込まれ
た驚くべき技法伝となっている。
実際拳法極意は勿論、柔術伝の部分にはある意味では本土の合氣柔術に
おける殆ど全ての技術が内蔵されているのである。そしてなお一層貴重な
のては拳法を柔術で抑えてゆく本質的な極意伝までが手法の中に含まれて
いる事でこれは古代拳法における真に驚くべき驚異の遺法なのである。
これは日本の柔術伝においても本来含まれるべきものであるが、口傳として
継承され、現伝の古流柔術の伝承でも殆どみられなくなってしまっているも
のである。
●「虎口」の秘法
「三戦」の最後は「虎口」と言われる両手を陰陽に構えて差し出す独特の技
術で終わるが、これは那覇手のみに存在する技術であり、極めて深く複雑な
無数の技法伝が内臓された驚異の遺伝法なのである。しかしながら極めて
残念な事にその眞の手解きは今まで公開された事がなく、実際的にはその
技術は殆ど失伝状態である。よってこそ確かにその驚異の技法伝は琉球古
伝拳法の秘宝中の秘宝と云えるであろう。
●「永遠回帰」
那覇手「三戦」こそは首里手や泊手の複雑な技法伝を経た後に再び帰って
来るべき正に永遠回帰の古伝拳法型であろうかと思う。当会でも那覇手の
新古型を研鑽し、首里手、泊手を探究、教授し、また近代空手拳法の技法
伝までを追及したのちに再び元に戻って錬磨すべき技術であると捉えている
のである。