四月怪談     日本ビクター   1988.3月公開

監督 小中和哉    原作 大島弓子

ビデオ CICビクターホームビデオ

あらすじ
高校生の初子(中嶋朋子)は気付けば大きな門の前に立っていた。そこにいた男(柳葉敏郎)からその門は天国への門だと教えられ、初子は死んだのだと聞かされるが、彼女は夢だと思って面白がるばかり。夢でないことを知らせたい男の提案で、ふたりは初子の一日を振り返ることにした。

朝、母親に起こされ普通にはじまる一日。学校へ行き、授業を受ける、あこがれの生徒に声をかけられ喜ぶ、幽霊が見えると言い変人と呼ばれる登(角田英介)につきまとわれむかつく。いつもと同じ一日。ところが、学校の帰りふと記憶が止まってしまった。
子犬の鳴き声が聞こえた気がして入った倉庫。子犬を見つけて近寄ろうとする初子の上に落ちてくる鉄骨。初子は全てを思いだした。「私は死んだのだ」と初子は知ったのだった。

ところが、それは違っていた。初子に鉄骨は当たっていなかった。実際に初子に当たったのは鉄骨の上に乗っていた弁当箱で、彼女はそれを鉄骨だと勘違いし、早とちりで死んでしまったのだった。男はまだ十分生きられる初子を元の体に戻すために現れた幽霊だったのだ。その男、弦之丞にとって、本当なら、ここで初子を生き返らせて全ては終わるはずだった。ところが・・・・。

初子は生き返る事が出きることを知り、しばらく幽霊を楽しもうとするのだった。誰にも姿を見られない初子は最初こそ面白がってふざけるが、やがて自分の人生はつまらないもので誰にも必要とされていないように考えるようになり、生き返る気持ちを失っていく。

そんな彼女に弦之上は語りかける「人の一生って、なんのためにあると思います?」「自分の一生はいつか会えるたった一人の人のためにあるんだと信じていた」と。そして、生きているときその気持ちをごまかしていたことを告白する。弦之丞は生きているときに見つけられなかった何かを探し、成仏出来ずにいるのだった。

少女と幽霊、そして少女に好意を持つ少年の繰り広げるハートフルでファンタスティックなストーリー

「わたし、お別れを言ったの。15年間のとりえのなかった生活と、これから、ん十年間のわたしのとりえの無いだろう生活にね。」

「とりえってなんですか?とりえって君自身じゃないですか?花が好きなことも、足が遅いことも、特別かわいいって訳じゃないことも。みーんなあなたのとりえなんじゃありませんか?」

C A S T

国下 初子・・・・・・・・・・・中嶋 朋子

弦之丞・・・・・・・・・・・・・柳葉 敏郎

夏山 登・・・・・・・・・・・・角田 英介

津田沼 宏・・・・・・・・・・・新井 昌和

国下 耕作・・・・・・・・・・・寺田 農

国下 とし子・・・・・・・・・・山口 果林

 解 説
トレンディドラマという言葉がはやっていた当時の日本映画の状況はひどく、とくに若者向け映画といわれる分野は、作りの悪いアイドル映画とビーバップハイスクールの様な学生映画がほとんどで、視聴の対象がきわめて限定されているような状態でした(もちろん大林宣彦監督作品などはありましたが映画界全般としてはそんなもの)。また、洋画では「プリティ・イン・ピンク」や「マネキン」(ともにアンドリュー・マッカーシー主演)などの青春映画の佳作と呼ばれ、一般の視聴に耐える作品が次々と公開される中で、日本ではATGに代表される青春映画の破滅的なイメージから脱せずにいました。

そんな中で「ステイ・ゴールド」(深津絵里主演)などの一般受けしなかったものの、新しいタイプの日本映画が作られるようになり、それを経て発表されたこの映画は(と言っても僕が見たのは公開当時ではありませんが)「満月の口づけ」(これも深津絵里主演)、「わたしをスキーにつれてって」と並んでエポック・メイキングな作品と言えるでしょう。

この作品のあと、いくつもの類似した雰囲気を持つ作品が作られましたが、この作品を見直すと、以外にも他の作品に比べて骨太な印象を受けました。それはビデオのライナーノーツにある「ボーイ・ミーツ・ガール」という一点が貫かれている言う点において、他の作品を凌駕しているからのように思えます。

同じ意味では一連のフジテレビ系の作品も「ボーイ・ミーツ・ガール」を貫いていて見やすい作品になっていますが、この作品はトレンディドラマ色が弱いのでそれらとは違った切なさを持っていると思います。

 

*フジの一連とは「僕たちの映画」シリーズを含む「ヒーロー・インタビュー」「バースデー・プレゼント」「7月7日、晴れ」などの作品のことです
 完成度、見やすさ、親しみやすさ共に優れていますが、トレンディドラマ仕立てな為、たびたび「テレビでやれ」等の批評をされます。

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