光福寺について

光福寺の沿革

巨椋池沿岸に位置する市田は、度々の洪水により史料が乏しく、詳述できないことも多くある。
光福寺の沿革も「社寺明細帳」などの欠落で由緒の解明は難しい。
以下は当時所蔵の「光福寺再建願状」によるものである。

享保 15年 (1730)
現在の地に移転
寛延 4年 (1751)
大工支配中井主水により再建工事が認可される
宝暦 12年 (1762)
本堂再建竣工 ※1
文化 6年 (1809)
本堂拡大
平成 2年 (1990)
本堂解体
平成 3年 (1991)
本堂再建竣工

※ 1
江戸時代は「寺院法度」により新寺建立が禁止されていたことから、 この地での建立は寺籍を残す古寺を再興する形で行われたものと考えられる。

※ 2
平成2年の本堂解体の折、肘木の一部に 「文化6年4月2日清治郎、3月嵯峨大工藤四郎」の墨書が残されていた。 本堂が檀家数に比して狭小であったため拡幅工事がなされ、 鐘楼・山門を配置した景観の良い寺院が完成したと思われる。

光福寺の概要

所在地 〒613-0022 京都府久世郡久御山町市田和気21-1
駐車場 境内南東にあり
宗派 浄土真宗本願寺派
宗祖 / 本尊 親鸞聖人 / 阿弥陀如来