夢のお告げ  
〜メッセージをありがとう〜 

夢と遊びましょう♪

夢と踊りながら、その声に耳をかたむけると、きっと素晴らしいメッセージが夢から届きます。
ここでは私の夢を紹介していきます。夢は夢へと連動していきます。
その中からご自分の夢のヒントを見つけていただけたら幸いです^^

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最  新  の  夢

〜2009年12月10日「ビックウェーブ」

 リクルートスーツの自分をふくめ数人の人々と橋の上にいたところ、急に盛り上がった海面が押し寄せて来て、胸まで波をかぶりました。もちろんスーツはびしょぬれです。そしてふと振り返ると、画面いっぱいのものすごい高い波が押し寄せて来ます。

「ビックウェーブだ!」と叫ぶ声が聞こえます。

その中でカジキマグロを一本釣りする寡黙そうな漁師の姿が見え、その人と軽く言葉を交わしました。

→私は新しい世界に行こうとしています。自分ではどうすることも出来ないような圧倒的な波がやって来て、それは私の服(社会的なガード・型・ペルソナ)を無効化し、元々の更の自分に戻すがごとくです。明け渡すしかない状況です。波をかぶるのは、「禊ぎ」を連想させます。そして、自然界のエネルギー補給という側面も。また、型はきちんとしているけど、足下(グランディング)含む下半身は不安定で、まだ無意識の中だよ〜ということかもしれません。

しかしながら、その大波(無意識のエネルギーの海)の中、カジキマグロと言う大魚をつかまえている漁師と接触したことは、大きな意味を持ちます。(この時魚を獲るために、「寡黙であること」は、大切なキーワードであると夢は伝えてくれています)魚は、収穫でもあり、大きなコンプレックス(マイナスの意味だけではありません。あらゆる感情の集合体です)の象徴でもあります。

私は、型では初々しくスーツなんぞ着て「いくぞ!」なんてやってますが、実は年を重ねた深い智恵に接触して、それを利用していけるような自分が生まれてきているようです。この深いメッセージをありがたく受けとっていきたいと思います。

★追記★<2010/08/03>

→夢を見た時は、自分が大波によって翻弄され、精神的な面も含めて今までの全てを明け渡す状況が来ると覚悟を決めました。実際、その後に起きた出来事は予想以上のことでした。そのどうしようもない状況の中にいながら「やはり来たのだ」と、どこかでホッとしている自分も感じたのでした。そして、あれから半年が経過し、その波も落ちつきつつある現在になって、ようやく自分が「ビッグウェーブ!」と驚愕した大津波は、来るべき現実を現すと同時に、実は私の中に内蔵している感情のエネルギーの象徴でもあったと気がついたのでした。公開中の映画「エアーベンダー」の中で、戦いの最中に主人公のアバターたるアンが、海の水を操りながらものすごい津波を作り上げ、そのパワーで火の国を圧倒して退散させた場面を観た時に、この自分の夢とダブり、涙が出ました。あぁ、私の中にこんなに感情があふれ、放出されるのを待っている。それは、私自身をもずぶぬれにするものであり、適切に外へ解き放つことをしていかないと、いつまでも私はずぶぬれのままだと気がついたのでした。

〜2009年12月2日「河合先生の夢と、つきそう影」

 教室で、ゼミの先生に「こんなことになるんだったら、思い切って飛び込めばよかった」と泣きながら嘆いている自分がいます。故河合隼雄先生に師事するために、先生の大学に来ればよかったのに「自分なんかふさわしくない」とか「どうせ続かない」と、ありもしない不安を理由にグズグズしているうちに、先生は亡くなってしまった、と。 

泣いていたら、背中の教室の真ん中あたりが明るくなり、誰かがいるのがわかります。背中で気配を感じながらわざと振り返らずにいると、ハーモニカがきこえてきました。

河合隼雄先生が、ハーモニカを吹いているのでした。

あたたかいものを感じながら、先生、得意のフルートじゃないんだ〜と的外れなことを考えています。先生は何か言いたそうで、でもただハーモニカを吹いています。私は先生の言うことを、聞かないまでもしっかり理解して、黙ったままの交流をじんわり感じています。

私のそばに誰かが影のように寄り添う気配が感じられます。

(現実)
○目覚めて夢うつつの中、すぐに河合先生に語りかけてみました。先生曰く・・・すべてはひとつの世界であり、こことそこは、そう離れている訳ではない。あなたの後ろにいつも私はいる・・・そんな風な言葉が浮かびました。

霊界通信。チャネリング。アクティブイマジネーション?いずれにしても、私はとてもとても幸せでした。ハーモニカで吹いていた曲をどうしても思い出せないのが残念でしたが、とても慣れた風でした。その日、大好きな画家のおひとり、平山郁夫さんが亡くなったのを聞きました。あちらの世界とこちらの世界と。その境界線を味わいつつ、その合間を吹く風を感じます。

→泣きながら、でも包み込まれるようなとてもあたたかな夢でした。そして、この影の存在が不思議で、気に留めました。

〜2009年10月30日「メッセージの夢達」

○左手に水ぶくれが出来たと「思い込む」が、よく見ると実際は何もない。

○「宮古島」の宮古ブルーの色をたたえた海を見つめながら、ドアのない車に乗って走っている。明るい空が見える。

○庭中を、たくさんのアリが収穫するためにはい回り、小さくて元気な「かたつむり」があれよあれよとアリの巣に運ばれて行く。

(現実)
○更年期真っ只中の低調な波の中で、まったり過ごしています。引き続き「気づき」が増え、ナーバスな自分に夢がやさしくしてくれているのを感じます。

→相変わらず笑わせてくれて感じさせてくれます。夢は、とっても繊細になっている今の自分をやさしく伝えてくれます(傷や痛みは思い込みではないですか?大丈夫ですよ)と。また、そんな中でも優先順位一番の宮古を外さないあたり夢のすごさです。すると夜に友人から旅の連絡が入って正式に飛行機が決まり、来月の宮古への旅が決定しました。予兆の夢でもありました。

→アリは、せっかちでチャカチャカ動き回る自分の性質の一面を現しています。そんな、まったりカタツムリもしっかり収穫してしまっている自分を笑いつつ、自分の中にそうした「かたつむりの資質」を発見したり、それが小さいながらとっても生き生きと育っていたことをそっと喜んだり、同時に、チャカチャカした「ノリ」で、せっかく育った大切なものを小さいうちに焦って収穫してどうする!と、つっこみの声も心の中からも聴こえます。いずれにしても、夢で見た「かたつむり」がとっても色鮮やかでぴちぴちした元気なものであったこと。それを、自分の新しい一面として受けとめました。とてもうれしいです。

〜2009年8月25日「白い双頭の龍」&9月2日「家族で飛行する

○4人でひとつのテーブルに座っている。私の左隣に友人Tさん。ふっと左側の窓から空を見上げると、白い雲がまっすぐに立ち昇っていく。それをそのまま見つめていると、雲の軌跡がそのまま双頭の白い龍となって、本物が立ち現れる。驚きつつ、笑っているTさんを見つめている。

○セスナ機に家族が全員乗っている。助手席は私、操縦は息子。後ろに他の家族の計4人。私がどうして降下するのかとがめると、息子は「だってここまで車で来たから、下に車が置いてある」と言う。あそっかと気づく私。気分よし。

(現実)
○急に夢やシンクロが増えだしました。選挙が終了し、政治が大きく変わり、社会も世界も動いています。個人的には、急に気分が楽になりました。今まで、無駄に自分を苛んでいた罪悪感が抜けて、これでよかったのだと素直に過去も自分も受け入れている流れにいます。夢が楽しいです。

→前回の、手紙を届ける伝書鳩。そして、双頭の白龍にセスナ。皆、空を自由に飛びます。家族全員が出てくる夢がほとんどなかったことに、今回の夢をみて初めて気がつきました。そして、夢の中で息子が操縦しているのも初めてです。息子にまかせているつもりはないのですが、とても気分が爽快であったことを覚えています。

〜2009年8月22日 「河を渡り、貝に満ちた海に至り、母の死を受けとる

○電車を降りて駅沿いの道を歩く。私と若い母とその子どもの2〜3人。風景の右から左に向かって流れる大きな美しい碧い河があり、橋を渡る。その橋はスポンジが敷いてあって水を含んでおり、しゃがみながら渡る。左手に持っているケータイが水にぬれて、慌ててカバンにしまう。島に着き、皆で砂浜で遊んでいる。ふと左手で砂をかくと、大きな蛤が沢山出てくる。そこにいる全員に大きな声で、「ここは貝の宝庫ですよ!」と伝える。その声に合わせて砂浜から、色とりどりの様々な貝が浮き上がり、壁のように立ち上がった砂浜に並ぶ。とても美しい光景。

○伝書鳩が、友人の母の死の知らせを届けて来る。その手紙を見ながら、このご時世に伝書鳩かいと呆れながらも、どこか愛しく思っている自分。

(現実)
○昨日、久々にこのコーナーを更新したところ、待ってました!と言わんばかりに今朝新しい夢が訪れました。電車を降りて「駅」。再びの「橋」と「川」と、女性に深く関わる「海」と「貝」。そして、ケータイが水で使えないので「鳩」の知らせ・・・分析しないでじんわりと味わいたい夢です。きれいです。自分にとっての、ケータイが象徴するものは何だろう?

→「橋」は分岐点でもあり、生活や次元が変化する大切な時期に現れます・・・と昨日書きましたが、いよいよ分岐点を渡ったようです。その時、この橋を渡ると、水でケータイが使えないことに気がつきました。そして、ケータイを持っていた左手が「空いた」のでした。コントロールしていた情報源、情報そのもの、関係性等々を手放して、その後、海に入ってその豊穣さを、他ならぬその左手が気づきました・・・私は今まで自分をがんじがらめにしていたのかもしれません。受け取れなかったのは、左手でいつもケータイを握っていたから。夢が的確に教えてくれました。そうすると、必要な情報(知らせ)は、空から鳥(鳩)が届けてくれました。「母の死」、「母なるものの死」・・・若い母と橋を渡ることによって、古い母からのコントロールが切れて、サヨナラしたのかもしれません。やや強引ですが、そんな光景が浮かび、心がドックンと動きました。

→左側は、女性性を司り、私はそれらをうまく使えていない・・・と、昨日書いたら、今日その答えが(笑)。海や貝に象徴さる女性性や母性。それは、左手を空にして待っているもの、ふっと気がつくもの。決してコントロールしたり、意志的にどうにかしようとして出来るものではないと。どうやら、頭でこの状況をどうにかしようと思っていた自分でした。気がついてよかったです。

→鳥は天空を舞い、次元を越えて自由です。知らせは、天から鳥が届けました。鳥は鳩、平和の象徴。九の鳥。ハトホル。キュウは「宮」、「仇」、「救」・・・その知らせは「母の死」(88の4・・・8+8+4=20・・・蘇りの数字)。深めます。

→(9月28日追記)伝書鳩が、海にいる私に届けに来た伝言。「母死す」と。それを妙にあっけらか〜んと受けとりながら、すっと風の通っていくのを感じました。私の中に巣喰っていた古い「母(なるもの)」が亡くなったのだと。そして、次は私だな、と。ふっと感じたのでした。死ぬのではなく、「母となること」です。止まっていたある時間が動き始めて・・・人の内なる成長は不思議です。そして私はただ今思うのでした。がんばったり、行動を起こそう!と言うのでなく、ただ、このままいこう、と。

→(9月28日追記)ここしばらく動かずおります。動けないのも半分。よきメッセージが届いて、「それ行動!」と思ったら、思い切り指を強打したり・・・これはすぐにアクション起こすなよ、とのことでしょう。どうやら、そしてやはり。今までの人生の行動パターンの入れ替えの時期のようです。右肩上がりの人生は違うだろうと、つっぱって試行錯誤しながらジタバタやってきて、旅して仕事変えて個展やって大学行って息子とバトルして体調崩して寝込んで、それに更年期がからんだでいつもドタバタジタバタ・・・さすがに、これも違うだろうと、まったりゆったりのんびりしつつ、自分を大切にすることを一番において暮らして・・・どうも、このノリで動くのが違うんだろうな〜と、気がつきながら。のんびりしようとすると、一生懸命必死にのんびりしなきゃ!と、してしまう性分は、笑いとばせるようになったら不思議なもので、徐々におさまってきて。どん!としていようとすると、途端に落ち着かなくなってしまうのも性分。でもありがたいことに、以前に比べて身体が動かなくなって来て結果的に落ちつくようになって同時に、その場にいると、今までスピードで突っ走って振り切って来たものたちが、わらわら追いついてきて、いやぁ・・・これも中年期の醍醐味でしょうか。いえいえ。向き合うものは、きちんと時期が来たら向き合うようになっているのでしょう。私はおおまかにくくってしまうと、母なるものや女性なるものが苦手です。そんな自分が母やって女性やってることが、着慣れない異国の服を無理矢理着させられているような違和感が思春期からずっとありました。いろいろ忙しく走り回って来たのも、それをなるったけ意識しないように、と言うそんな理由がひとつあったでした(でも、一番の理由は「性分」です)私の前世の多くは、間違いなくほとんど男性だったと確信があります。が、今生は女性を選択した自分です。今回の夢の導きを読み解くと、私の女性性がゆうるりと開いていっている過程にあるのでしょう。

〜2009年8月 「靴&橋

○ホテルでバスを待っていると、到着したバスは超満員で乗れない。街には行けないとわかって、少し不安になるが無理にバスに乗ろうとは思わず、きちんと決心して断って自分の部屋に戻る。2階なのに3階に上がってしまう。部屋の前にたくさんの靴が並んでいる。すべて一人の人の靴だとわかる。2階に戻ってベランダで外の風景を見ていると、左側にすっくと若い女性が立つ。長い髪、素足に黒いヒールにワンピース。ジプシーのような雰囲気。そして勢いつけて、ベランダの手すりを右足のヒールでジャンプ!そして、隣の建物の屋根を伝い、ホップ・ステップ・ジャンプで、丁度タイミングよくホテルの前の道に横付けされた、ミニの黒い車に乗って颯爽と出発して行く。窓から半身乗り出してハコ乗りしている。あっけにとられながら、カッコイイ〜と見とれている自分。

○弁当の注文が入っていて、配達しながらそのまま帰宅すると出発。橋のたもとへ向かう。膝下くらいの浅い川。かかったコンクリートの橋の側面に、ずらっと紋章が刻まれている。各学校のものらしい。川に入り、日高のものがあるか探している。 

(現実)
○5月から長い休息期に入っていて、エネルギー最小限にして冬眠中の亀のごとくゆったりと生活しています。夢もいくつか見ましたが、この「靴」はもっとも印象に残ったものです。これだけゆったり休養を取ったのは、本当にひさしぶりです。この間、左足を捻挫して腫らし、しばらく足を引いた後に今度は左手を痛めました。身体からのメッセージに耳をすませている時期でした。「橋」は、雅楽演奏会が終了して、ほっとした時に見ました。「音」の世界にどっぷりつかり、今までとその関わり方が大きく変わって来ました。また、新月(20日)を中心に、自分の中の怒りをもてあましていました。

→「靴」は、自分の役割や向かう方向性。迷っていた時に、左側(無意識側)から颯爽と現れた髪の長い女性は、2階から飛び降りて車に乗り込んで行きました。その右足が、カッ!とベランダの手すりに当たった音も聞こえました。迷いのない、ヒールだからと言って何の躊躇もない踏み込み方でした。こうした感じ、とても元気が出ました。そうか、これもアリなんだな〜と。また、バスに乗らない=一般の生活の流れに乗らないでマイペースで行くと決めている自分も頼もしい気がしました。

→「橋」は分岐点でもあり、生活や次元が変化する大切な時期に現れます。そこに「音」とは。龍笛の雅楽演奏会が同じお宮で4回目を迎え、なかなか思うように上達しないながら、何やら形になり始めている気配も感じています。

→左足に左手のトラブル。左側は、女性性を司り、私はそれらをうまく使えていない様。踏み出す足が右足ならば、それを支える軸足が左。受け取る手。大事なものを受けとっていない・・・そうした思いの後に、右足で思いっきり「ジャンプ!」した女性の姿が夢にあらわれ、率直に元気が出ました。そう、こういう感じ・・・^m^

〜2009年4月26日 「取り替え&暴れる機械怪獣エレキング

○丸い電球を取り替える。それも、切れた電球と新しい電球を隣り合わせに並べて、チロリアンテープで結んで替えていくと言う儀式的な様子で、それを「なるほど〜これならうまくいく」と、感心しながら見ている自分。

○エレキング(ウルトラセブンに登場した怪獣です)のような見上げるばかりの大きな、ただし頭と口の部分がロボット化している怪獣が暴れている。車をはさんで粉々に粉砕し、それを雪山に投げつけて雪崩を起こす・・・暴れたい放題の様子を、レメディを頂いた友人と一緒に見ていて「逃げろ!」と小屋に逃げ込む・・・でもなんとなく笑いがこみ上げる自分 

(現実)
○先日、息子の出産時のトラウマの話をブログで書き、18年ぶりにほっと一息つきました。すると、友人からホメオパシーのレメディをいただきました。その傷は、生活に追われてほったらかしにしていたそのままの状態で18年もの間、私の無意識の中に閉じ込められていたのでした。今回日を当て、風を通し、そうした事を手放していく時期に入って、友人からの力強いサポートがあったのでした。ありがたく頂戴し傷を見つめ、癒していく事に意識を向けました。飲んで2日目の朝に見た夢です。

→テーマは「取り替える」こと。そして、暴れているのは、私でしょう。  生身の怪獣が、頭と口(表現の部分)をロボットのように機械化してしまい、苦しい苦しい体が生身な分、そのせめぎ合いが厳しいですが、体が生きていることに気がついた事は大きいです。ふと、「思考コントロール」と言う言葉が浮かびました。
口もコントロールされている。パターン化している。Aボタンを押したら怒り、Bボタンを押したら笑い・・・う〜ん。そういうのをもう嫌!って暴れているだな〜自分。
そして、猛烈に怒っている。何かに、車に、車に象徴される何かに、猛烈に怒っている・・・そして、車を破壊して雪山に雪崩を起こして、溶かそうとしているのかしら、凍らせた何かを。何?
 自分の感情でしょう。
氷山のように凝り固まった、過去の細かな感情の積み重ねた層。自分さえ我慢すればすべて丸く収まると、犠牲になって封印した自分の心。感情を凍らせて山のように積み上げざるを得なかった自分への怒り。悲しみ。そして愛おしさ。
怪獣が暴れます。でも大丈夫。体は生きていて元気だった。あまり注目してこなかったけれど、実は体は私を守ってくれていたのだ。
体はこんな私を救うかもしれない。ロボット化した自分の頭や口の部分を。ならば、アプローチは、肉体からがいい・・・深読みかもしれませんが。
でも、ピンと来ています。昨日の、着物を着たくなった自分の体の感覚の変化ともつながっているように感じます。
 細胞のひとつひとつに刻まれた記憶。それらトラウマを意識し、もう時期だね〜と感じた時期に、こういう機会を与えられてラッキーです。やや涙もろくなり、夢が相当深くから立ち上がって来て、寝ながら仕事をしているようです。
 以前の、首の後ろにプラグがあることを教えられて驚く、という夢を見たことがあります。自分の意思ではなく、外側からコントロールされている事実、そしてそのことを許している自分のあり方を心に留めたのでした。その夢とも連動しているようです。

〜2009年4月9日 「握手」&4月10日「水をわける」

「握手」

礼儀正しい職場。ほとんど男性で、皆スーツを着こなして真面目に仕事をしている。その中で女性は少数。すると、最近入った新入りが、いじけてすねたのか、水色のモヒカンに黒い皮チョッキで職場に現れる。皆、困っているが、誰も何もしない。モヒカンは、もう一人のすねているツッパリ君の席に来て二人で談笑している。私は、回りの空気を読みながら(はいはい。こういう時は、おばさんの出番なのよね)と、何を話すかわからないままに二人の所へ行く。そして、しゃがんで視線を合わせて、説教しようかと思ったのに、口に出たのは「おばさんも君らの気持ちがわかるよ」と言う台詞。モヒカンが手を伸ばして笑顔でにっこり。握手を放さない。

「水をわける」→

自分の部屋のベランダに出て、外の風景を眺めながら水を飲んでいる。誰かが左後ろから声をかけて座る。礼儀正しい。その人に自分のコップの水を分ける。(あ、飲みさしで悪いな、と思うがその人はニコニコしている)遠くで新幹線が走っている。(やっとここまで来た)と思っている。

(現実)
○息子が大学に入学して、やっと家庭体全体が落ちついて来ました。自分に向かうエネルギーがいよいよ増えてきて、ようやっと自分と向き合える時期・・・そんな感覚です。満月が9日。この1週間は素晴らしい桜の盛りに酔っている日々です。

→前回に続いて「握手」です。若い男の子のもつエネルギー、今度は、はぐれた心、すねた気持ちのモヒカン君との和解です。自分で自分のことを夢ではっきり「おばさん」と言ったことに結構ショックを受けていました(笑)自分の中にいる、若い頃のそうした気持ちの自分とつながり合えたこと。相手も嬉しかったようです。

→大事な夢です。ちょっとあたためます。何気ないながらも、自分の水を与えたことはとても大きな意味を持つと、起きてしばらくしてから気がつきました。記念日でもあり、大いに気になる夢です。

〜2009年2月27日 「外人の男の子と4匹のイヌ

○外でのピクニック。白いテーブルの向こうから、外人の若い男の子が私に手をさしのべる。握手したいようであり、私をとても気に入っているのが感じられる。笑顔でにっこり。握手を交わす。こちらもいい気分。

○家の中を子ども達が走り回っている。2階から降りると、玄関で犬が4匹じゃれあって遊んでいる。2匹は我が家の犬(雷太・風太、両方黒白のシーズー)で、もう2匹は知らない(毛を美しく手入れされた茶色いシーズーと柴犬のような茶色い犬)柴犬の名前は「雅子さん」と子どもがおしえてくれる。母が友人から預かったのかな?と思う。 >

(現実)
○息子の受験が終了し、結果待ちの時期に入りました。ほっとしたのと、やっとエネルギーが自分に戻ってきたのがありありと感じられた日の夢です。

→まだ大きな仕事が終わる前の緊張と不安があり、相当疲労していましたが、新しい出会いの予感を示す夢です。外人は、私にとって未知の分野からの訪れ人。きっと、まったく異なる世界とこれから仲良くなっていくのでしょう。若い男の子のもつエネルギー、力、そうしたものと手をつないだ自分がいました。楽しみです。

→犬は従順で、生活のパートナーで、素直で、飼い慣らされた野生でもあります。怒りをしっかり表現します。我が家の馴染みの2匹と新しい2匹。白と黒の「風」と「雷」に、「茶」が加わり、4匹となりました。青龍・白虎・朱雀・玄武でもないでしょうが、安定感を感じると共に、白黒はっきり!だけでない、すべてをうけとめる大地の色、土の色の「茶」が我が家に取り込まれたこともなんだかあたたかいものを感じました。「雅子さん」は宮古の友人の名前であり、皇室の雅子さんであり、雅なお方であります。そんな流れも感じつつ、総じてあったかな新しい風を感じる夢でした。

〜2009年2月「鯨の夢」&「川の中の自転車」

○波止場のような場所に来ている。白い建物があって、芝生が見え、異国の雰囲気が漂う場所。遠くに制服で「かごめ」をしている女の子達が見えて、そちらに行くと行きどまり。そうか、枠があるんだなとふと後ろを振り向くと、白い建物の中に海面がせり上がってきて鯨が見える。そしてそのまま、そばにいた息子を連れて(呑み込んだ訳ではなく、鯨の隣の位置にいる)海の中に潜っていく。唖然として見ながら、ショックで泣き出す。その喪失の悲しみに大泣きする。息子は連れ去られたのではなく、自分の意志で鯨についていったことに気がついている。

○橋の上から川をのぞき込むと、自転車が水中に沈んでいるのが見える。

(現実)
○息子の受験のサポートで家の中や私自身がかなり消耗する前の時期に見たのが「鯨の夢」です。
○消耗も限度に達し、息子とどうつきあっていっていいのかわからなくなって混乱の極み、「もうすべてを投げだそう」と何度思ったかしれない時期に見たのが「川に沈む自転車」です。わかりやすすぎます(笑)

 →「鯨の夢」は、あまりのショックに現実でも泣いていて、泣きながら自分の声で目が覚めました。息子が離れていくという暗示でもあり、そのまんまですが(笑)あまりにいろいろ暗示的なものが多くて、アップするのをためらって一ヶ月たちました。まだよくわかりませんが、すべり止めの学校が合格して一区切り。やっと表に出す気持ちになりました。分析は、もう少し経ってからします。情動が激しく揺すぶられた夢でした。(後日談→第一希望の大学で、海洋研究の大学に入りました。これも「まんま」ですが(笑)それだけではないものも感じています)

→息子との関係が行き詰まって、夢に「サポートをお願いします」と伝えて見た夢です。バランスを意味する自転車の様子を見るだけで、バランスを崩しているよ〜と言う現状認識がわかりますが、それだけでなく、今は川(水)の中に今までの関係をいったん沈めている時期で、浄めているのかリセットしているのかもしれず。それを橋(転換。新しい場所へ移動する中途のところ)から見つけている時期だとも教えてくれました。実際、この夢を見て数週間。確実に暮らしの中のバランスが大きく変化して来ています。

 

〜2009年1月6日 「衣を探す・衣をしまう

○若い女の子が、有名なライブに出るために舞台衣装を選んでいる。しゃがみこみ、床に脱ぎ捨てられたものの中から、お気に入りの服と銀のアクセサリーを探し出す。選んだインドのサリー風の服はうすいピンクとオリーブグリーン。彼女によく似合っているが、ちょっと埃っぽく見える。

(現実)
○年末年始の、多忙なお宮でのご奉仕が続き、まったく初夢を見る余裕もないまま新年に入り、ようやく見たのがこの夢です。
○なかなか慣れないまま、なんとか助けられながら仕事をこなしています。
○変わらず、内なる変化があって、過去の思い込みが崩れ続けています。静かな中にも変化の兆しが続きます。

 

 →感じたのふたつです。過去の服を身に纏っている自分。それらの「服」は私の「脱け殻」で過去のもの。だから、しっくりはくるけれど、すでに古びていて今の自分にふさわしくない。今ひとつは、せっかくしっくりした衣を持っているのに、大切にしていないあり方。ぞんざいに脱ぎ散らかしているスタイルの指摘であり、大切な自分の「型」を床にほっぽっている。いつも手入れし、研ぎすましていれば自分の定番や型となる。ぬぎちらかして落としたままだと、もったいない。または、「型」が自分を活かすことに気がついていない自分へのメッセージかも?  

→「型」については、苦手なくせにとらわれやすい面が自分にあって、うまく使えば「防衛」にもスムーズなコミュニケーションの道具にもなるのに・・・と言っているかのようです。

→オーラソーマの「コズミック・ラビット」の色合いです。 

夢とのおつき合いのコツは

いま井戸を掘ってるんだニャぁ