明日は 泣かない

    実の親から虐待を受け それでも、日々過ごさなければいけない毎日。そんな中 親に対しての本物の思いを綴った実話です。

  *1 「思いもよらぬ」 * 2 「訳もわからず」 * 3 「牢獄マイホーム」 * 4 「夜と朝の恐怖」 *

       * 5 「来る日も 来る日も」 *  6 「二つの逃げ道」 * 7 「もう、やめて」 *

                 *8 「暗闇の恐怖」 * 9 「親族の勇気」 *

もし・・・・
近所から 普通ではない 子どもの泣き声を聞いたとき
それが いつまでも 続く場合
最寄の警察または、児童相談所に電話をしてください。


なぜなら・・・・

私もその通報で 助けられたのですから・・・・・・・・・ 。

                                                     なにわ子育て日記 kamino

 

 1 「思いもよらぬ」

 
 

1 「思いもよらぬ」

 

大阪府のとある町に私は生まれた。

普通のサラリーマンの家庭に
長女として生まれたが
家計が苦しい事で、母親は内職をしていた。
物心をついた時から、傘を縫うミシンの音が
部屋中に響いていたのを記憶している。

そんな中で、良く見る風景は、窓の外にゆれる
布おしめの洗濯物・・・
そしてピンクのセルロイド製のモビールだった。

休みのたびに、父方の叔母がやってきて、
優しく抱き上げてくれたのを覚えている。

しかし母親は、座布団を重ねて、哺乳瓶を横に置き
そのまま別の部屋に消えていく。
そんな、行動に
「なんて いいかげんな事を」と、
頭で思っていたことも、はっきりと覚えているのだ。

 

 

   
 2「訳もわからず」

 

 

2 「訳もわからず」

 

私が3歳の頃、弟が生まれ小さなアパートに引越しをした。
母親の虐待がひどくなってきたのも、その頃からだった。

台所でお湯が沸くと熱いやかんを持たされたりした。
良く見ると、黒い取っ手の所が、熱で溶けている。
それを、何の理由でさせるのか解らないが
ずっと立ったままの状態で持たされるのだ。

ある日、あまりの熱さにやかんを落としてしまった事があった。
あたりに熱湯が飛び散り、私の足や服にもかかったが
それを心配するどころか、素手で何度も体を殴られた。

殴られるようになったのは、その頃からだと思う。

 

 

 

 

 

3 「牢獄マイホーム」

 

 

3 「牢獄マイホーム」

 

父親がやっとの思いで建てた、夢のマイホームは
私にとって、地獄の牢獄でしかなかった。

都会からは、かなり遠い場所にある あの家。
父親は朝早くから出勤し、その後、父が夜帰るまでに待ち受ける
途方も無く 長い一日・・・

母親は、何かにつけて、私を追いわし、時にはほうきで
時には素手で、殴りつけた。

家の中では、いつ殴られるか解からない恐怖と戦いながら・・・
外に出された時は、近所の人の目が恥ずかしくて、そっと建物の影に隠れたりもした。
食事は父親が、朝、夜、用意をしてくれた。
父親の居ない昼間は、何も食べれない状態だった。

私は、母親の手料理をまったく、覚えていない。
覚えているのは、父親が暖めてくれた、缶カレーの味だけだった。

 

 

 

4 「夜と朝の恐怖」

 

 

4 「夜と朝の恐怖」

 

一日、一回は、追い掛け回わされ
捕まると、殴られるの繰り返し・・・・

けれど、一度殴ると、その日は、気分も収まるのか
殴られない事が多い。

夜、布団につき、いつも思うことは
「今日も、殺されずに、すんだ・・・・」と、言う事。
ほっとして、眠りに尽きたいのだけれど、
もし、眠っている間に、
「殴られて殺されたらどうしよう」と、考えると
眠るのが、とても怖い。

布団の中で、大きく目を見開いて、寝るのをガマンする毎日。
だけど、そのうち、疲れ果て、とうとう 眠ってしまう・・・・


朝。
何も無かった事への ホッとした気持ちの反面
「又 今日も 必ず 一度は 殴られる」
そう、思うと地獄の一日が 始まるのだ。

 

 

 

 

 5 「来る日も、来る日も」

 

 

5 「来る日も、来る日も」

 

気がつけば、外にいる。
母親から逃れるために、家の周りで父親の帰りを
朝から待つ状態・・・・

のどが 乾けば庭にある水道からそっと水を飲む。

そんな事をしていても、母親が表にまで出てきて
殴る事がある。
空き地を賭け回り、靴が脱げば、はだしで逃げ回った事も
もある。

夜。
星が一つ、二つ見え始めた頃・・・
父親の暖かい足音が、家の近くの曲がり角を曲がってくる。
そうして そっと肩を押し やさしく、家に入れてくれる。


父親の居ない昼に食事がとれない私の身体は
骨と皮だけの、やせ細った惨めな体系になった。
太ももは、まるで濡れブキンを物干し竿に掛けたように
ペットリと皮が張り付き、下の方は、
すけて向こうが見える様だった。

 

 

 

 

 6 「二つの逃げ道」

 

 

6 「二つの逃げ道」

 

そんな日々の中、私は二つの逃げ道を作った。

一つ目は・・・・・
あまりに、何度も殴られ続けると、
心の中で、逃避する事を覚えてくる。
極度の恐怖がピークに達すると
「あと、5分で収まる」
「これは、夢だから・・・・」
そう、自分に心の中で言い聞かせると、
痛みも恐怖も和らぐのだ。

二つ目は・・・・・
外で追いまわされている時
出来る限り、近所に聞こえるように大きな声で叫ぶのだ。
「助けて!ころされるーーー!」
その声を、聞いた近所の方がパトカーを呼んでくれる。

警察が来ると私は、直ぐに警察官の後ろに隠れた。
いくら、警察官が
「お母さんの所に帰りなさい。もう、しないと言ってるから」
と言われても、警察からの説得は、3日と、持たない事を私は知っている。

だけど、その日の夜だけは、本当にゆっくり眠る事ができる。
布団がこんなにもフカフカとして、暖かいものだと
心にしみじみ思うのだった。

 

 

数日後。
母親が近所に怒鳴り込みに言った事を知る。

その事で、当分の間、だれも警察を呼んで
くれない事を確信する。

大切な逃げ道を一つ、失った瞬間だった。

 

 

 

 

7 「もう、やめて!」

 

 

7 「もう、やめて!」

 

殴られるのは私だけでは無かった。
時折、怒りは父親にも向けられた。
お皿が投げつけられ、けたたましい音があたりに響く。

そんな時は、すぐさま、弟を連れて
別の部屋に避難する。


ある日の夜、
また、喧嘩が始まった。
いつものように、ヒステリックな声で叫び
お皿を持ち、父親に投げつけようとしていた。
私は、いつも耐えている父親がかわいそうに思い
両手をいっぱいに広げて、父親の前に立ちふさがった。
「もう、やめて!」

そんな中でも、母親はお皿を投げつけてきた。
お皿は 私のみけんで砕け、粉になり目にも入った。
痛さは感じられなかった。
それよりも、その出来事の驚きで、泣き出してしまった。

父親は慌てて、布団を敷き私を寝かせた。
頭には冷たいタオルが置いてある。
そのときは、母親も優しかった。
冷たいバニラアイスを口に運んでくれりもした。

優しいのは、その日の夜だけだった。

 

 

 

 
 8 「暗闇の恐怖」

 

 

8 「暗闇の恐怖」

 

夜、布団に入る時、
これだけは、母親に譲れない物があった。
オレンジの照明灯を点けてもらい、真っ暗にはしないのだ。

それは、夜に行われる虐待への準備でもあった。

顔を上に向けて寝ていると、目をつむっていても
誰かが、前に立ちはだかると、影が出来る。
それが解かると、直ぐに起き上がって逃げれるのだ。

その事が、できるようになってからは
深夜、寝込みをいきなり、殴りこまれる事がなくなった。


その記憶は今でも続き
夜は、暗くしては眠れないのだ。

 

 

 

 9 「親族の勇気」

 

 

 

9 「親族の勇気」

 

私ももうすぐ小学生と言う頃。
私と弟は父親に連れられて、父親の実家に呼ばれた。

そこには顔なじみの、叔父や叔母が集まっていた。

しばらくすると、子ども達は居間に通された。
居間では真ん中のテーブルを挟み
父親と母親が座っている。
私は、父親の背中の後ろに隠れた。
小さな弟もついてきた。

そこで、親戚の人が、
「これから、大事な話をするよ。
こっちにおいで。」
そう言って、私達を手元に呼び寄せた。

「お父さんと お母さん。どっちが好き?」

私は、間を置かずに「パパ」と、答えた。
でも、今度は真剣に・・・・
「これから、生活するなら、どっちとしたい?
その人の所に、行って」

私は、またもや間をおかず「パパ」と、答えながら
父親の所に行った。その後を 弟もついて来た。

「だけど、もし、パパと一緒になると、ママとは
一生逢えないよ。それでも、パパと一緒がいいの?」

その言葉に、私の心は、感じた事の無い喜びに満ち溢れた。

子ども心に、その場で、笑うのは、不謹慎だと思い
でも、笑みをこらえるのに、必死だった。
心の中では、万歳を何度も何度もしていた。

最後に、はっきりと、みんなに聞こえるように
「パパ!」
と、私は答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*最後に・・・・・・・・・・・

 

文章力も無く記憶を辿って書いたもので 読みづらい所も

あったとは思いますが 最後まで読んで頂いて

本当にありがとうございました。

 

今、現在あの人に対して思うことは、

「どこか 知らないところで この世の物とは思えない

ほどの苦しみで死んでいてくれないか」と、言うこと。

どんな事があっても あの人を許すことが出来ません。

 

私は 自分の子どもが、とても とてもかわいいです。

ブログで見る他のママの子ども達も とっても

かわいいと思います。その思いが深ければ深いほど

「なぜ こんなにかわいい子に」と 憎しみが深まって

行くのです。

 

私の命は近所の人に助けられたのだと 

本当に思っています。

警察を呼んでくれたのも近所の人。

おなかをすかせていた私に お菓子をくれたのも

近所の人でした。

ですから 今 つらい思いをしている子ども達を

少しでも助けてあげる事ができるように考えて行きたいと思います。

 

   私と同じように 

     産みの親を憎む人生は

       送ってほしくないからです・・・・・

          

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