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| 経歴 |
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東京外国語大学英米学科卒業
東京大学大学院 修士(国際関係論)
コロンビア大学大学院 博士(歴史学) |
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| 海の向こうへの興味から国際関係史へ |
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小さい頃から外国に興味があったのが、そもそもの始まりです。生まれ育ったのが横浜で、しかも湘南の海も割合身近にあったので、海の向こうの世界と日本がお付き合いすることが素敵に思えたのでしょう。
東京外語大では、アメリカ地域研究、英米文学、中国現代史、スペイン語、などに凝り、またイタリア、香港からの留学生のチューターとして彼らの日本研究の手伝いをして、幅広く世界のあちこちのいろいろな事を学びました。東京大学大学院博士課程に進学した年 フルブライト奨学金を支給されて米国のコロンビア大学大学院に留学し、国際関係史(International
History)という新分野を学び始めました。 人々が国境を越えて共感共有できる過去の記憶の構築をめざすものです。これがライフ・ワークになりました。
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| アメリカと日本 |
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これまでの人生、アメリカと日本でほぼ半々の時間を過ごしたわけです。 アメリカにはもちろん愛着があります。 ただわたしの中の日本とアメリカは、はっきりと分かれておらず、2つの円がゆるやかに重なり合っているように どちらもわりと曖昧に存在しているようです。
アメリカでは、まさに5大陸全部の人たちと知り合いました。彼らと付き合っていくうちに 国や文化、宗教、人種の違いはあれど、性格、人格、人情、発想、行動パターン、その他もろもろ、要するに日本人とまったく同じだと考えた方が正解と実感しました。
そういう機会を与えてくれた「多人種多民族国家アメリカ」ですが、国家としては世界の人たちと付き合うのが下手です。 アメリカが今後どう変わっていくのか、一方日本は 世界中と上手な付き合い方を見つけることができるのか、両方を行ったりきたりしつつ観察を続けていこうと思います。
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アメリカでの
教職歴 |
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2006年4月に日本大学国際関係学部で教え始めたのが、日本で得た人生で最初のフルタイムの仕事です。 それまで教えていたのは、全部アメリカでした。
アメリカの大学では、日米関係、東アジアの国際関係、日本の外交、日本文化、そして第二次世界大戦と冷戦などについて教えました。アメリカ人の目線を理解しながら、いかに日本人、アジア人である自分のアイデンティティーを彼らに示していくかが常に課題でした。パールハーバー、原爆、人種問題など全て真正面から扱いましたが、教室で嫌な思いをしたことは(数件の例外を除いて)ほとんどありませんでした。教えた大学はどれもいわゆる「偏差値の高い名門校」だったので 聞き分けのいい子がそろっていたのかもしれません。しかし気のいいフットボール選手たち、頼れる秀才たち、かっこいい芸術家肌の子、優秀な留学生たち、ごくごく普通の子たち、どうしようもない問題児、みんなそれぞれに「日本」を理解して受けとめてくれたように思います。 なつかしいです。
アメリカ人も日本人も、学生は全く同じに見えます。「アメリカ人学生は自分の力で物事を考える」「しかし日本人学生は全く勉強しない」−これはウソです(笑) 日大国際関係学部で教えて、特にそう思います。 このキャンパスに来たとき、カルチャーショックが全くありませんでした。 アメリカのキャンパスで慣れ親しんだものが三島キャンパスにもちゃんとありました。 アメリカで教えてきたと全く同じことをしていますが、学生たちはついてきます。日本の学生には健全な自信を持って欲しいです。
以下 アメリカでの職歴のご紹介です。
研究歴については、『現在の研究』ページをご覧下さい。
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