木村幹の韓国近現代史「写真コラム」


韓国は如何に現代史を「祀った」か
- その1・顕忠院(国立墓地)-


このページの解説

旧王宮のあるソウルの旧市街地から南側、漢江を渡ってすぐのところに、韓国の国立墓地「顕忠院」が存在します。このページではこの顕忠院について写真にて紹介します。
(撮影・2005年1月)
顕忠院全体図。左が入り口、右奥に見えるのが、朴正煕大統領夫妻墓所。
顕中院の中心に立つ顕忠塔。
本来、この国立墓地は、朝鮮戦争勃発により発生した大量の戦死者を弔う為に、設置されたものである。事務所開設は1955年のことである。


朝鮮戦争における戦死者たちの墓石。上は1962年まで使われていた「檀紀」で、また下は西暦でそれぞれ戦死した日付が書かれている。

李承晩初代大統領の墓所。この国立墓地は朝鮮戦争後、李承晩政権下に作られたものであるから、彼は自らの作った国立墓地に自ら祀られたことになる。
この墓地には、開設の当初から、殉職した軍人や公務員に加えて、「殉国先烈」及び、「国家有功者」が国務会議の議決を経て埋葬されることを許していた。例えば、この規定により、歴代の国務総理、国会議長、大審院(最高裁判所)長官等の多くがここに墓所を与えられている。写真は、第3代国務総理・張澤相の墓碑。典型的な「親日派」地主の家系に育った張澤相は、その華麗な履歴と、潤沢な経済的背景を生かして、解放後から1960年代までの韓国政治に極めて個性的な影を落としている。
4.19学生革命後の混乱状況の中、過渡政府を率いた許政の墓碑。すぐ隣に置かれた張澤相とともに、朴正煕政権下においては、野党的立場にあった彼等の、死去時の政治的位置は、この墓地に祀られる際の障害にはならなかったようである。
更にそのすぐ隣には、特殊な「殉職者」達の墓がならんでいる。1983年、ビルマ訪問中の全斗煥大統領一行を狙った所謂「ラングーン事件」の死者達である。

朴正煕、陸英修夫妻の墓。国立墓地の最も奥、長い階段を上った高みにあるこの墓は、明らかにこの墓地において特殊な位置を与えられている。今でも、夫妻を慕う人々が頻繁に訪れるのは、驚きである。
朴正煕夫妻の墓を降りたところには、1979年、暗殺された朴正煕の国葬の際に用いられた霊柩車が展示されている。
圧倒的多数を占める朝鮮戦争の戦死者達の中で、特殊な地位を占めるのが、1965年、韓国が参戦したベトナム戦争の死者達である。朴正煕政権による「輸出主導型経済発展」を支える為に、複雑な韓米関係の中に文字通り「身を賭した」彼等は、今日の祖国と韓米関係をどのように見ているのだろうか。
大韓民国臨時政府の記念碑。「民族正義」という御馴染みの朴正煕政権期のスローガンが見える。朴正煕政権は、このような独立運動に関る多くの記念碑を作っている。その背景にどのような意図があったかは、研究の対象として十分に魅力的である。

埋葬者の中には、開化期や早い段階での大韓民国臨時政府の指導者達の名前も見える。上は、1884年、甲午政変における立役者の一人、徐載弼、下は、大韓民国臨時政府国務領も経た朴殷植の墓。

これら歴代の現代史の主要人物の墓の中で、ひときわ目立つのが、所謂「光復軍」関係者の墓前が綺麗に掃き清められ、祭物が欠かされないことである。上は、「光復軍」司令官・李青天、下が同じく参謀長・李範奭の墓。初代国務総理であり、1952年の釜山政治波動では内務部長官として豪腕を奮った李範奭は、1960年代末まで、「在野」の有力者として大統領候補者にとして常に名前を連ねる存在であった。
曺晩植の墓。日本統治期、その非暴力主義の主張により「朝鮮のガンディー」と呼ばれた曺晩植は、一般的な認識とは異なり、その実、朝鮮日報社長としても活躍した、有能な実務者であり、また、日本統治末期には「学徒動員」に協力した過去さえ有していた。衆目が一致する解放直後の朝鮮半島北半の最有力者であった彼が、ソ連軍占領の下、政治的に弾圧され、姿を消してゆくまでの過程は、ちょうど金日成の権力掌握の過程と表裏一体になっている。今日の政権が、北朝鮮に宥和政策を続ける中、彼の評価がどのようになるかは注目されよう。北朝鮮にて死去した彼の墓には、遺体は埋められていない。
 1963年に発足した第三共和国初代国務総理・崔斗然の墓。李承晩政権期、長期に渡り東亜日報社長を務めた彼が、民政移管後の朴正煕政権の初代国務総理になったことは、当時の政治情勢が、クーデタ勢力対民主化勢力、というほど単純なものではなかったことを如実に示している。

上は「警察忠魂の塔」。通常の警察業務における殉職者も去ることながら、この墓地には、多くの朝鮮戦争にして「殉職」した警察官達が祀られている。この戦争においては「警察部隊」もまた、時に、軍人達と並んで、第一線に投入され、必然的に軽火器しか持たない彼等は膨大な「殉職者」を出すこととなった。

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木村幹の韓国近現代史『写真コラム』

近現代朝鮮/韓国史の目撃者たち:目次

韓国は如何に現代史を「祀った」か
- その1・顕忠院(国立墓地)-

韓国は如何に現代史を「祀った」か
- その2・北岳山「先烈墓域」-

韓国は如何に現代史を「祀った」か
- その3・居昌事件追慕公園-

朝鮮総督府・米軍政庁・(大韓民国)国会議事堂・中央庁・国立中央博物館
- 数々の顔を持った今は無き建築物-

1992年第14代大統領選挙写真集
- 大演説集会のある風景 -

山の上に「街」があった頃
- 1990年前後の韓国を振り返る -

木浦の旧日本家屋
- 「日本人の住む街」でもあった港町 -


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