e-konの道をゆく
道・・・
いつからだろう 何気なく地図で道を見るようになった
一本の道をたどっていくと 枝分かれし
やがて太い線は細い実線に変わり 破線となって消えてしまう
この先はどうなっているのかな・・
あ こんなところに集落が・・
そこはどんなところ? どんな生活?
どんな風景? なにがある?
そう考えると いてもたってもいられなくなり
休みの度に訪れていた
道の先には 生まれようとしているもの 輝いているもの
役目を終えて消えようとしているもの 朽ち果てるもの・・
いろいろなものがあった
そして いろいろなものが迎えてくれた

e−kon

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たまに一言

#250 権現谷林道 〜行者、橋、水湧く巨岩〜

 

 多賀大社で有名な滋賀県の犬上郡多賀町、その多賀町の山中深く走る林道に「権現谷林道」という幹線林道がある。自然環境の厳しさから通行止めとなっていることも多いのだが、林道ファンにはけっこう人気があるようで、走っていると他府県ナンバーのオフロードバイクや車などともよく出会う。ネットなどでも多く紹介されており、当サイト「e-konの道をゆく」でも10年ほど前に、何とも薄い内容ではあるもののご紹介している。その補足というわけではないのだが、今回は権現谷林道について少しふれてみたい。


※国土地理院ホームページからのデーターを加工
画像をクリックすると拡大表示します

 権現谷林道の位置を確認しておこう。林道のある多賀町は彦根市の東部に位置し、80%以上が山間部という自然いっぱいの町だ。鈴鹿の山々から多くの自然の恵みを受け、とりわけ水の豊富さと美しさは特筆ものといえるだろう。林道があるのは、その多賀町の山奥のさらに奥、岐阜県境にほど近い鈴鹿山脈最北部の霊仙山山麓を南北に走っており、県道17号線の「河内妛原(かわちあけんばら)」と、国道306号線の「大君ヶ畑(おじがはた)」とのそれぞれの出合を林道起点とする。また、このコーナーでも何度かご紹介している、関ヶ原踏破隊が通る島津越え(五僧越え)のアサハギ谷の林道とも途中で交わる。
 下の写真は、「妛原」の起点(上)と、島津越えの道の分岐(下)だ。「熊注意」の看板があるが、最近は多賀町でも熊による被害が出ている。これまでは鈴鹿には熊はいないだろうというのが定説であったが、今はそうでも無いようで、注意が必要である。

 権現谷林道の歴史はけっこう古い。まず昭和17年に「妛原」集落から行者谷付近までの2kmが開通。その後長い空白期間をおいて、昭和31年、32年度に白谷県有林まで、そして昭和40年から56年度の工事で国道306号線までがつながり、ようやく全線12.549kmが開通する。加えて、昭和57年から平成2年度までは、コンクリートによる簡易舗装工事もされており、今の状態になるまで何と半世紀近くもの歳月を要しているのである。この開通により、芹川沿いの河内地区、犬上川沿いの大滝地区、その2つに挟まれた山間部の脇ヶ畑地区などが自動車の通れる道で結ばれることになり、本来の林業目的とともに、林道を通っての集落どうしの行き来も可能となった。

 この林道を訪れた方だとおわかりになると思うが、妛原から支線の白谷林道までの区間は、一種独特の雰囲気を持っている。特に行者橋の前後あたりは、幅の狭い道に垂直に切り立った急峻な岩壁が迫っており、その閉塞感は半端ない。コンクリートの路面には、常に多数の鋭い落石が転がり、走行中であっても落石に遭遇することは珍しいことではない。その地形のせいか、落石の際には「カーン、カンカンカーン」「バーン」という音が周辺にこだまし、その音が聴こえてくる度に緊張感が高まる。その反響音の恐ろしさは、ビジュアル的な印象とともにこの谷独特のものだろう。もし運悪く当たりでもしたら、死もしくは大怪我は間違いのないところだ。加えて、林道に沿って流れる川(北谷川)のその多くの部分が伏流水となっていて水が無く、石灰岩質の白い岩がゴロゴロとした川底の風景と相まって、他では見られない雰囲気を醸し出す。一帯は石灰岩質のカルスト地形で、周囲の岩肌の独特のディテールも印象的だ。

 それにしてもこれらの地形を見ていると、林道がつく前は大変な難所として、村どうしの行き来がこの谷によって阻まれていたということが、大いに納得できる。

「里人は川の中の岩を飛び越え、つたい歩きをして往来したもので背駄で荷物を負うての通行は甚だ困難なことであった。」(『脇ヶ畑史話』より)

という一文が、かつての状況をよく表す。犬さえも先に進めない「犬戻り」と呼ばれていたのもこの辺りで、権現谷の難所中の難所だったのである。そして、ここに林道をつけ得たことにも、単純に驚く。

 その最も印象的な区間を、少し歩いてみた。「妛原」から2km弱進んだ所にコンクリート橋がある。長い歳月による劣化と大量に降り積もる雪、そして落石などによるものなのだろうか欄干部がかなり傷んでいて橋の名などの表示も無くなってしまっているが、これは「行者橋」という橋だ。そしてそこから大きくカーブしてさらに300m程進んだ所にあるのが、白いガードレールの「権現橋」。すぐ近くにあるにもかかわらず、こちらはしっかりとした感じがするが、これは2つの橋の地形による環境の厳しさの違いからくるものなのだろう。この2つの橋の間、垂直に切り立った岩壁とコンクリートで固められた林道と白い巨石の乾いた川底の区域こそ、権現谷林道を象徴する部分といえるだろう。

 私のような人間にとっては、このあたりのどこか退廃的な感じさえする雰囲気には大いに惹かれるものを感じる。他ではなかなか見られない風景が、そこにはある。この谷には他のものに惹かれてやって来る人たちも少なくないようで、この日も化石や植物の観察で数人の方が一生懸命に道端で何やら観察されていた。「この花はミヤマキケマンソウ、これはウツギで卯の花ともいわれてます」など教えてもらった。こういった所の植物にはけっこう興味があるのだが、どうしても名前など覚えられず苦労しているので、ありがたいものだ。その方はまたすぐに花を探しに行かれたが、別の方はフズリナの化石を探されていた。いろいろなマニアの人たちが集まってくるこの谷には、多くの貴重なものが存在している。

 この区間の乾いた河原の向こうに鳥居が見える。林道脇に立てられた表示板には「元行者窟」と書かれている。この鳥居をくぐって登っていくと小さな洞があり、そこはかつては修験者の修行の場だったところ。
 『霊仙三蔵と幻の霊山寺(さんどう会編/サンライズ出版)』によると、『興福寺官務牒疏(こうふくじかんむちょうそ)』という書に、修験道の祖といわれている役小角(えんのおずぬ:「役行者」と同一)が680年(白鳳9)に霊仙山で修行を行ったということが記されているという。この『興福寺官務牒疏』自体が信用できるものかどうかは様々あるようだが、霊仙山が古から山岳信仰の聖地であったことは間違いない。また今回は直接見にってはいないが、ここ元行者窟には役小角(役行者)の石像と不動明王が祀られていると、同書には書かれている。
 霊仙山には、こういった修験者たちの修行の場がいくつもあったようだが、こうして長きに渡って祀られているこの場所は、その中でも特に崇高な所といえそうだ。今現在の周囲の景観を見てもそのように感じるので、人の手の入ってなかったころはそぞかし荘厳な雰囲気だったことだろう。

 鈴鹿に関するバイブルともいえる『鈴鹿の山と谷(著者:西尾寿一/ナカニシヤ出版)』からの抜粋だ。

「権現谷の由来は、支谷出合のすぐ下流の大岩壁の下右岸に「水神」の小祠があり、たぶんこれに起因するものと思われる。しかし伝承では榑ヶ畑の氏神八坂神社の祭神は、元権現谷の名主とも思われる「牛頭王」で、これを榑ヶ畑に移したことになっている。榑ヶ畑は、村の建立時から落合、河内方面と密接な交流があったことから、権現様の分祀がなされたのかもしれないが詳細は判らない。」

 「榑ヶ畑(くれがはた)」とは霊仙山の西山腹にあった集落で、昭和30年前後には既に人々は山を降りて生活は別地ヘと移され、今は山小屋と神社のみが残っている。無人となった集落の多いこのあたりの中でも、離村時期の早かった集落だった。

 その「榑ヶ畑」の八坂神社だが、『近畿の民俗滋賀県編(三一書房)』を見てみると

 「明治神社誌料によると古くは牛頭天王(ゴズテンノウ)社と呼ばれていた。その祭神には正八幡、九所権現、天照大神、天満宮、愛宕山、春日、牛頭天王、八幡大菩薩、多賀大明神、千代宮、稲荷大明神が記されている。
 伝承では祭神は素戔嗚尊(スサノオノミコト)で、古来「ザハ権現」「ザウズ権現」などと称したのが、いかなる都合か、牛頭天王と称するようになった。あるいはザハ、ザウズの語音も牛頭天王と称したのより転訛したものではないか、といわれている。また、ザハ権現は蔵王権現のことで、古しえ霊仙山の権現谷あったものを後、この地に奉遷したものだともいわれている。」


 など、権現谷と榑ヶ畑との関係を示す記述がある。関係があったということであれば、権現谷の行者谷の「蔵王権現」を榑ヶ畑に移し、それが「ザハ権現」などと称されていた所以だということなのだろう。しかしここから「牛頭天王」へと変わったたいきさつがわからない。古の頃から祭神に素戔嗚尊が祀られていたのであれば、素戔嗚尊と牛頭天王は習合したものとして同一と考えられるので、牛頭天王への流れも不自然なものではないのかもしれない。

 古来より霊仙山権現谷は、行者たちの山伏修行の場となる聖地であった。今は静まり返った山深いこの権現谷周辺には、木地師の始祖である惟喬親王と縁が深いとされる「榑ヶ畑」、その「榑ヶ畑」とつながりがあったであろう権現谷、点在する木地屋伝承のあった周辺集落、そして修験者たちの幾多の修行の場など、それぞれの地にそれぞれの目的を持って人々が集まる、エネルギー溢れる地だった。連綿と続く時代の流れを解明することなどもはや不可能なことではあるが、その流れの中に「修験道」「役行者」「蔵王権現」「素戔嗚尊」「牛頭天王」「木地屋」などのキーワードが、どこか渡来系のエッセンスも漂わせながら見え隠れする、そんな魅力的な谷であるといえそうだ。ちなみに元行者窟のある谷は「行者の谷(支谷)」と呼ばれ、地形図にも記されているので、位置確認もしやすいことだろう。

 行者橋と権現橋、この2本の橋はいずれもが林道が川を渡るための橋で、地形図でも確認できる。しかし、ここにはもう一本橋が有る。元行者窟のすぐ横(上流)にかかる橋で、これは地形図にも記載されておらず名前もない。この橋は林道から川向こうの支谷(行者谷)へと架かる橋で、もうかなり古く橋の丸太は苔むし、とても渡れそうにないような感じがする。

 ところが河原に降りて下からその橋を眺めてみると、コンクリート製でずいぶんとしっかりと造られており、車が渡ることも想定されて造られたものであることがわかる。そして実際渡ってみると、古びてはいても人が通るくらいは問題なさそうに思えた。とはいえ、この状態を見るとコンクリート部もろとも崩れ落ちそうな気がしないでもなく、大いに危険であることは変わりない。
 橋を渡って10m程路面はコンクリート舗装されており、少し広くなったところで道は終わる。地図によっては、この出合から支谷を遡るような道が長く記されているものもあるが、狭く急峻なこの谷の様相からは立派な道がついていたとは考え難い。道があったとしても車が奥に入っていけるような林道ではなく、おそらく人一人が通れるくらいの山道だったのだろう。

 そのあたりのことが、先出の『鈴鹿の山と谷』にふれられている。

「出合は岩盤で丈夫な丸太を幾本も重ねた橋が掛けられている。支谷から材木を運び出す木場でもある。」
「さて支谷には杣道があり奥まで続いている。(中略)左上方には、支谷出合へ材木を降ろすリフトの基点となる598m独標へ広い道があって・・(以下略)」

 ネットなどで調べてみると、この支谷の霊仙山斜面にはレール跡やワイヤーなどの残骸や痕跡が残っているという。この谷の奥は造林地があり、伐採や植樹が行われていた所。『鈴鹿の山と谷』の記述とあわせて考えると、おそらく周辺の斜面で伐採された木々の運搬用に索道やケーブルが敷設され、それらが集められる所がこの支谷出合。ここからトラックに大量の木材が積まれ林道で搬出されたのだと思われる。したがってコンクリートの舗装が10mほどで、その先には道は無かったというのも納得できる。
 多賀町史別巻に付属している「小字名地図」を見ると、この谷の急峻な斜面に破線の直線が記されている。地形的にそのような場所に直線の道を造るのは不可能なので、これは木材運搬用の索道を示しているものと思われる。写真は川底にあったワイヤーの残骸だが、もしかするとこれもその頃に使われていたものが、大雨の際の土砂とともにここまで運ばれてきたものなのかもしれない。

 など、手持ちの資料でいろいろ推測していたのだが、真実がわからずモヤモヤ感がはれない。そこで多賀町役場に問い合わせてみると、そのあたりの山は彦根市犬上郡営林組合が管理されていることがわかり、そちらの方へ連絡を取ってみた。すると半世紀前のことながらその姿が見えてきた。

 その古びた橋は、行者谷の奥の造林地の木々伐採の際に、当時の担当業者が搬出するために仮設的に着けた橋で、昭和63年頃まで使われていたという。なので橋が着けられたのは、おそらく昭和40年代の初めの頃ではないかということだった。また、山中に残るレールやワイヤーなどは、やはり木材を運び出すための索道など諸施設のもので、これも担当業者が伐採する場所の状況に応じてその都度着けたものだそうだ。山中のいろいろな場所にその痕跡が見られるのも、そのためなのである。なお、権現谷林道から分岐する白谷林道は、伐採後に植樹された木々の保育管理のための林道とのことだった。

 普通に林道を走っているとただ見過ごしてしまうような古びた橋だが、こうした歴史を知ると、やはり見え方も違ってくる。ちなみに権現谷林道にはいくつかの橋があるのだが、先述のように橋の傷みにより橋名の表示が無くなってしまっているものも少なくなく、今では林道の橋は「◯号橋」という名で呼ばれているそうだ。1から8号まであるというが、こうしたことにも時の流れを感じる次第である。

 最後に、この区間より少し「?原」寄りの所にある、この地域らしい場所をご紹介しておきたい。大変素晴らしい所で、立ち寄るといつもしばらく眺めてしまう、そんな所だ。
 先述のように、この権現谷林道沿いの川は伏流水となっており、妛原〜行者谷橋間では水のある所と無い所がある。その中で思わず目を留める巨岩の風景がある。川向こうにドンと鎮座する巨岩。しかもよく見ると、その巨岩の下から滾々と水が湧き出している。まるで巨岩が水を生み出しているようだ。神々しくも感じてしまうその姿は、実に印象的な風景。よく見ると、ここ以外にも川の向こう側から水が湧き出ている所は随所にあるのだが、巨岩の見事さと相まって、何か特別な力があるかのように思わせてくれる。自分が現代の人間でなければ、きっとこの場所に神を見たことだろう。できればいつまでも見ていたい風景であるのだが、遠くにこだまする落石の音が、いつもその気持ちを切り替えさせてくれる。

 このあたりの川底に溜まった水は、場所によっては薄いグリーンであり、透明でもある。いつ川底に浸透してしまうかわからないものゆえ、そこには小魚などの姿はほとんど見られない。それが不気味にも感じるし、美しくも感じる。水が湧き出る巨岩とともに、その風景にも大いに心惹かれるのである。

 権現谷林道は、白谷林道分岐から「大君ヶ畑」の区間は普通の林道と変わらない雰囲気なのだが、白谷林道分岐から「妛原」区間は様相が一変する。この風景に魅せられる人が多いのもわかるような気がするが、ここは落石が大変多い危険な箇所でもある。ちなみに地元の人は、好んで権現谷林道を走ることはないようだ。いろいろなお話をうかがう中でも「あそこは落石が多いから通らん方がいい」ということばをたびたび耳にする。実際落石の頻度は、他の大方の林道より断然多いように感じる。そういえば地元の車の象徴である軽トラはあまり見ない。その危険さを熟知している地元の人たちのことばを大切にしたいものだ。
 また進入禁止の車止めがされている時もあるので、現地でのルールは厳守したい。

 調査や研究目的で入る人たちは危険を承知で入っているのだが、何も知らずに入る外部の人たちは、落石の危険な地域でも注意の意識なく入ってしまう。大変魅力的な所でありながら、人には決してお勧めできない危険な所、そんな権現谷林道なのである。

<2016年5月11日>





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<2005.4.21公開>


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