「とめふで」(2004.6.13一部更新)

(2016.4.15 最後に追加)
皆さまに警告!!(近未来についての重大な情報)「とめふで」掲載の責任者:岩井 猛 より

(2017.3.10 さらに追加)
つづいて第二の・・・おそらくこれが最後の警告です(岩井猛)

以上の警告を「とめふで」本文に続いて掲示しています。ぜひお読みください。

「とめふで」とは、中山みき天理教祖の継承者であった飯降伊蔵氏(本席とも呼ばれる)が在世していた明治年間に啓示された「さしづ」の中に含まれていると考えられます。但し、その内容があまりにも衝撃的な預言であるために、天理教本部から公認されることはなく、信者の間で密かに伝えられてきたものです。筆写が繰り返される過程で部分的に語句の異なった幾つかの記録が残されていますが、その中には「明治34年3月」と日付のある筆写文書も含まれています。次にその中から代表的な「とめふで」の一つを紹介することといたします。(漢字と仮名遣いを一部訂正してあります)

 さあ/\変る/\いよ/\変る。このたびは世界の立替、善悪の立替、神の世となりて善の世界となりて、これを誠の世界として天理の世となる。承知してくれ。学者、金持ち、医者、坊主、百姓の立替、それで替わると云うて置く。その替わると云うのは、今まで高い所にいた者が低うなる、低い所に居た者が高うなる。それも心一つで神がそれぞれ見分けするのや、よう聞き分け。一時、仮家すんだらふしん/\本ぶしん。内もどや/\大まぜや。
 さあ/\内々も掃除すると思え。世界を見て思案せよ。掃除すんだら世界治まる。内もざわ/\外からざわ/\、さあ/\いつ月日飛んで出るやら。間に合う者、間に合わぬ者、人衆揃うてつとめせねばならぬ日がある。
 秋(注)を合図により分け、さび分けする。天は上臼、地は下臼、中に月日飛んで出て、火水風をまぜてとかす。正味より分けをする。この時来たら、あちらの村、こちらの村、昨日までにぎわしく暮らしていたものが、今日はお日様が高う昇ったが、一家も戸が開かん。あちらの村、こちらの村、立派な家が立ち並んでいたものが、影も形も見えんようになったという日がある。世界中のあちらもこちらも蚊のなく様になるで。救け場所の門前には死人の山を築く。なれども内は安心なものや。見えてから説いてかゝるは世界なみ、見えん先から説いておくぞや。今日という日は横目ふる間も油断するな。いつ月日どうなるやら。いつとは云わん、刻限だけ説いて聞かせよう。朝の日の出から日の入りまで、気をつけにゃならん日がある。やれおそろしや恐ろしやと思うたら世界の理に巻き込まれる。
「あゝ常日頃きかせて下さった事、今見せて下さるのかいなあ」と思い、つとめにかゝれ。その時は足下にいる可愛い子供も助けるに助けられん、また、救け人衆でありながら救けを呼ぶ者は捨てとけ、ほっとけ。世界のあちらもこちらも蚊のなく如き日がある。
 今まではこのような事いうても、いつそんな月日飛んで出るやら、やれこわや聞くより早々もう見えた。どんな事も油断できんで。これまでは心得違いありたとて日が来たらんで見許していた。とびら開いて六地(ろくぢ)と聞かしてある。見えぬ先から四十五年、見えてから心得せよ。
 様々に親にしるし打たしてある。世界の子供は何も知ろまい。いつ月日どうなるやら、あゝ/\席順、急ぐ/\。急がねばならぬと悟るがよい。
 神のせきこみ、これは叶わん。人間心で行けるか、行けんか。さあ/\先を見ていよ。さあ、これより一寸さとして日本中授けで響きわたらす。神の話みな疑うている。討つ者あれば討たれてみよ、向かって切る者あれば切られてみよ。一人一名の心定めたら一人で千人助けするのや。神がにをいかけて出すのや。一人でも人の助けさすのや。これ程大きな「こうのう」はない。道の者は、神の授けたる借りものの理をわきまえたものは、心の因縁、道のものは田地はいらん。田地は世界の信者のものがある。これも作ってあまりの心を運ぶ。これを結構と思わにゃならん。また、席ずみのものは、見わけ聞き分け、この世の因縁の理を聞き分けて、財産を売り払い人を助け、これは因縁の理とす。これにそむけば、命も財産も神が受け取る。この事はいつの事やと思うなら、三六二五の暮合いに、これを百十五年限りとす。この時は、小さい魂をこの世に返して牛馬と生き返す、これを承知せよ。それ故に、今日一日を生涯の日とす。早く悟れよ。神がせき込む。さあ/\急いで働け。わずかな日やで。今日一日を万日に向かうよう、聞いて悟らにゃならん。

(注)「秋」は麦(5月)と米(10月)の収穫期を表す語で、「とき」と読むこともある。

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平成28(2016)年4月15日  
     皆さまに警告!!(近未来についての重大な情報)
                     「とめふで」掲載の責任者:岩井 猛 より

 来たる6月25日……朝の日の出から日の入りまで、とくにその夕暮れどきに気を付けてください。世界の大事件が起こる確率が極めて高いのです。「とめふで」をご存じの方はピンと来るでしょう。(6月25日は朝鮮戦争の開戦記念日でもあり、こういう日は特に気をつけよ、と毎年テレビで説いているコメンテーターもいます)

 広島・長崎での原爆の出現が「とめふで」の中ではっきり示されていることに皆さんはお気づきでしたか。「見えぬ先から四十五年、見えてから心得(こころえ)せよ」と、それだけ。大抵の人は見過ごしていると思います。明治34年3月、飯降伊蔵(いぶり いぞう)本席を通して啓示された神のお告げ。その時より45年を経た(★)昭和20年に、広島・長崎に原爆が落とされ、それから後は、世界じゅうの人びとがこの原水爆のゆくえを一番心配して見守ってきたのです。(45年はふつう1945年をも意味し、やはりこれも昭和20年で、なんとも不思議な数字の一致)

 140年以上前に中山みき教祖を通して出された神のおうた,
「しかときけ 三六二五のくれやいに むねのそふぢを神がするぞや」 (おふでさき3号64)
 自分(たち)の幸せ(陽気ぐらし)を守るためなら、相手はどうなってもよい、あるいは、相手はどうなろうと、とにかく自分たちの幸せの方が先だ、という万人の胸の奥深くひそむ狭い意味での個人主義・家族主義・国家主義・民族主義が原水爆を産み出す根本の原因で、ここから脱することは誰にとっても極めて難しい。原水爆の存在は全人類の連帯責任なのです。

 でも今、そんなことを論じていても始まらない。とりあえず、あとふた月余りしかありませんから、その日に備えて、たすけびととしての心の準備と、それぞれに形の準備をお互いにしておいてはいかがでしょう。常の買物は別として、余分に食料など備えようと思えば、遅くともあの三六二五の15〜10日前にはすませておいては。直前に買い占めると、他の人たちの分をへらすことになり、神も喜ばないと思いますよ。

 心の準備としては、おたすけ人は何も恐れるな、その時が来たら、一人で千人たすけせよ、と「とめふで」にあるのだから、その心づもりでいればよいのではないでしょうか。
 ただし、今回の場合のような「おさづけ」取次ぎの際は 、時によっては直接相手のからだにふれなくても、また時には数人をひとまとめにして少し離れた位置から「おさづけ」を取り次ぐことも許されるのではないかと思います。とにかく非常時中の非常時ですから……。おたすけする人が命を失うようなことは何としても防がねばなりません。
 それから、「しかときけ 三六二五の……」「おふでさき」はどこにあるのか、何号の何番かと人から尋ねられることがこれから多くなると予想されますので、記憶のコツを伝授します。「三六二五の数字の通り」と答えればよい。つまり、三号の6番でなく62番を開けると、そのすぐ横に並んでいます。こんなことでも、さりげなく工夫されているようです。

 今度のことで、もし私たちが命を失うようなことがあっても、魂は永遠のものであり、おのずから霊界に移されて、やがて意識をとり戻し、あの世での生活が続くことでもあるし……。また、この世の因縁ある時と処と人を選んで生まれかわってくるのですから……。出直し(死)後のあの世も「神の懐(ふところ)住まい」と神は仰せになっており、私も心霊研究をして心霊の本を出していますから、それは間違いのないところと信じます。
「これなら死んだ方がマシ」という状況もきっと数多く出てくると思いますが、私の著書『霊宝の秘文』の中の一篇に出てくるように、自殺は霊界に移ってから結果がよくありませんから、できるだけこの世で頑張って他の人たちのために尽くし、そのあとは神に身をゆだねるようにされてはいかがでしょうか。

 ここで皆さまにひとつ疑問が生じていると思います。それは三六二五の三は一体どうなっているのかと。元の意味は、『明治36年某月25日に一人の女性が「明日は26日の祭日だから、おぢばのつとめ場所のまわりをきれいに掃除しておきましょう」と言ってやって来る、そのように今後3625の暮れ合いに、世界の人びとの胸の内を掃除することが起こる』預言である、というのが元の意味で、これは「おふでさき注釈」の本などにもそう書かれています。
 36年というのは大正にはなくて昭和36年があり、私…岩井はこれに合わせて昭和34年4月から36年12月まで、おぢば周辺で5mの大のぼりや畳大の立看板4枚を境内の各入口に立て、パンフレットを用いて原水爆など武器をなくす運動(★★
をやりましたが、昭和36年には何事も起こらず、翌37年10月にキューバ危機という人類破滅一歩手前の大事件が起こりました。
 3というのは、10年ごとに3を含む年がやって来、昭和・平成の3と西暦による3と、いろいろ次々にやって来て、最後は2013年6月25日が無事に過ぎた時点で、3というのは、神が115年間、人間が気をゆるめずにずっと緊張してがんばって過ごせるよう、ちょっと付け足した数字であったことが判明したのです。

 結局、神は人間力だけでは心の立て替え・世界の立て直しが十分にはできぬことを見通されていた上で、明治34(1901)年3月に「とめふで」を啓示し、「この事はいつの事やと思うなら、三六二五の暮れあいに、これを百十五年限りとす」と。
 そして、「115、114,113、112、……」と逆読みに、全人類に対して、神は声なき声で1年毎のカウントダウンを始め、数年前よりいよいよ「……4、3、2、1、0」の今年(2016年)となってしまったのだと思います。115年というのは、人間の寿命を115才と定めつけたい神のご意志と同じ数字であることは、すべての天理教信者がすぐに理解するところであります。
 その115年をもって……明治34年3月に生まれたと仮定して、すでに115才となった人類全体の心の出直し、やり直しをするほかないことになったのではないでしょうか。
 人間がこれまで、どれほど進化成長し発達したとはいえ、人間を創った神に勝てる人間なんているわけはない、とあなたはそう思いませんか。あのDNAの構造ひとつを考えただけでも……。
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日本人の年齢などの数え方の習慣は、昭和20年の敗戦を境(さかい)に変わってきている。例えば、明治34(1901)年3月に生まれた者は直ちに1才となり、昭和20(1945)年元旦には45才となる。その後は満で数えるようになったため、今年(2016年)3月には115才となる。

養徳社刊『お道の人のとっておきの話(その一)』178頁より、岩井猛の「私の自分史」5頁分参照
 なお、この「三千世界の立て直しプログラム」サイト(目次へリンク)には岩井猛による多数の文書資料を収録していますので、ぜひ参照してください

(2016.6.16 に追記)
上記の文中にある自著『霊宝の秘文』の一篇「自殺した霊はどうなるか」をリンクしておきます(タイトルをクリックしてください)。
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平成29(2017)年3月10日

続いて第二の・・・恐らくこれが最後の警告です(岩井 猛)

 はじめに、重大なことでお詫びを・・・
 第一回の警告文の中で、三六二五の解釈が1年分ずれていたようです。「とめふで」に「これはいつの事やと思うなら、三六二五の暮れ合いに、これを115年限りとす」と。
 115年の6月25日の暮れ合いは、まだ安全圏の最終限界だったのです。とすれば、次の今年の6月25日は・・・。そこで第一回の警告に沿って、何とぞ、心と形の準備をなされてはいかがでしょうか。
 この日、多数の人々が「・・・神も仏もないのか」と思うような情況が各所にみられると思います。しかし神は人間をおつくりになった時、最大の贈りものとして「心の自由」を人間に与えているので、神といえども、手を出すわけにはいかなかったのです。

 しかし、こういう日があることは二千年も前から語りつがれ、それゆえ、何億もの人びとがそれを知っていました。
 この数千年の歴史をふりかえってみると、世界の各地で力のある者が、その武力を背景に他の弱い者たちをうち従え、あちこちで常に争いが起こっていました。
 最後の115年間に、二つの世界大戦と、・・・この頃になると、さすがにただの暴力だけでは戦争ができなくなり、人間が幸せに暮らす方法として「私有制度」と「共有制度」と、(あるいはその混合形について)どれが優れているかなどと、全世界を二つ、または三つに割っての壮大な対決をしましたが、結局どれもうまくいきませんでした。
 いずれの社会制度も、その後ろ楯に恐ろしい核兵器を含む武力が控えているので、結局はこんなことに・・・。

 今から二百年近く前に、日本のやまとの地に世界最後の天啓がありました。「十(とう)のうち九つまでは教えてあるが、だめ(最後)の一つを」と。
「人間は心ひとつがわがもので、からだも他の一切(いっさい)のものは神からの借りものである・・・」と。
 神が人間をつくった目的も初めて明かされました。「人間が陽気に暮らすのを見て、神もそれを見て共に楽しみたい」と。
 幾千年、哲学者など賢人を含めあらゆる人が「人間というものが、なぜこの世に存在しているのだろうか」といろいろに考えましたが、誰も確かなことはわかりませんでした。それはつくった者にしかわからないのは当然のこと。・・・しかしそれでわかった。人間だれしも自分の幸せを第一に生きているのは、そういう本能を与えられていたからだ。

 しかしまだ続きがあります。「陽気というは、神が連れて通る陽気と、めいめい勝手の陽気とある。勝手の陽気は通るに通れん」「陽気というは、みんな勇ましてこそ真の陽気という。めいめい楽しんであとあと苦しますようでは、ほんとの陽気とはいえん」と仰せられたのである。また、「勝手というものは、めいめいにとってはよいものなれど、みなの中にとっては、治まる理にならん」と。
 そういう生き方をするためには、人びとの心の真実、誠の心が一番大切なことは、説くまでもないことでしょう。思いやりの心が「真実」に通じ、「人を救けるが真の誠」と神は仰せられます

 天は一切を見通しており、「理は見えねど、みな帳面に付けてあるのも同じ事、月々年々余れば返やす、足(た)らねば貰う、平均勘定はちゃんと付く」と神の言葉としてあるのはコーランにも通じるところと思われます。また、このたびは「善人」も多数まきこまれるでしょうが、霊界または次の世において必ず立場をとりもどすことができるに違いありません。
「世界じゅうの人間はみな(神が心をこめて創ってくれた)同じ魂、高低(たかひく)はなし、いつまでも三才心で、ぶどうのように丸くつながり合うて、互いにたすけ合って暮らしてほしい」と。  

 イソップ物語の「北風と太陽と旅人のマント」の話は、ほんとによくできている。  
 
いま人類は、北風から太陽にかわる境目(さかいめ)に立っているのではないでしょうか。
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(追 記)2017.4.15
皆様への警告文(その1)は、その日に備えてのもの、警告文(その2)は、その日以後のおたすけの際に役立つ情報をまとめてあります。戦争などの時、突如として通信系統の破壊やマヒが起こるといわれていますから、以上の「とめふで」と警告文を予め紙上にコピーしておいて頂ければ・・・・・

                                    

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