この年表は参考書籍、日本史の教科書、広辞苑をもとに弥七郎が制作しました。明かな間違いを発見された方は、メールか掲示板で教えて頂けると嬉しいです。

 年号の()内は改元。月日は基本的に旧暦によりますが、新暦が混じっていないとは言い切れないのでご注意下さい。また、旧暦と新暦では年度の変わり目が違うので西暦は参考程度にお考え下さい。

1151〜1200 鎌倉幕府創設期 <源頼朝源義経源頼家源実朝源(木曽)義仲

西暦 年号 月日 出来事
1156 保元1(4/27) 7月 保元の乱
1159 平治1(4/20) 12月9日 平治の乱
1160 永暦1(1/10) 3月11日 源頼朝(当時13歳)、伊豆へ配流
1167 仁安2 2月 平清盛、太政大臣となる
1173 承安3 5月 文覚、伊豆へ配流
1177 治承1(8/4) 6月1日 後白河法皇の近臣らを清盛が処罰(鹿ヶ谷事件)
1179   3 11月 清盛が後白河法皇を幽閉
1180   4 4月9日 以仁王の令旨、諸国の源氏に伝えられる
    4月22日 安徳天皇即位
    5月26日 源三位頼政が宇治川で敗死(76歳)、以仁王討死(30歳)
    6月 福原遷都。頼朝、ひそかに兵を募る
    8月17日 頼朝、伊豆韮山で挙兵。山木兼隆を急襲し倒す
      22日 頼朝、石橋山で敗戦
      23日 頼朝、九死に一生を得て安房に逃れる
    9月7日 源(木曽)義仲、信止濃国で挙兵
    10月 6日 頼朝、安房より鎌倉に入る
      16日 頼朝、平氏軍迎撃のため鎌倉を出る
      18日 甲斐源氏の軍、頼朝軍と合流
      20日 頼朝の軍、平氏軍と富士川で対陣。平氏敗走
      21日 源義経、黄瀬川で頼朝と対面
      21日 頼朝軍、常陸佐竹氏を討ちに向かう
      頼朝、由比浜の八幡宮を小林郷北山に移す(鶴岡八幡宮)
    11月 5日 佐竹氏、壊滅
      17日 頼朝帰還、侍所設置、和田義盛を別当に任ずる
      26日 福原より京都へ遷都
    12月 平氏、近江の源氏を破る
      28日 平重衡、東大寺・興福寺を焼く
      頼朝、大蔵郷の新造亭に移る(第一期大蔵御所)
1181   5 1月 高倉上皇没する(21歳)。後白河法皇が院政を再開
    閏2月4日 平清盛、没する(64歳)
    3月1日 頼朝、土屋義清亀谷堂(後の寿福寺)にて母の法事
      7日 頼朝、武田信義を疑い起請文を要求
    6月 越後の平氏党城氏、義仲軍を破る
  養和1(7/14) 7〜10月 平氏、北陸道の源氏を伐とうと兵を送る
1182   2 1月 京都が深刻な飢餓状態となる
    2月 平氏、北陸道に出兵
    3月 後の若宮大路となる参道を改修
    4月 文覚、藤原秀衡調伏の為、江島に大弁財天を勧請。
      文覚、絃巻田三町を池に改造(源平池)
  壽永1(5/27) 8月12日 源頼家(頼朝長子)誕生
1183 壽永2 3月 義仲、子の義高を頼朝の元に送る
    6月 延暦寺、義仲に呼応する
    7月22日 義仲、延暦寺に潜行
      24日 法皇、延暦寺に潜行
      25日 平氏、都落ち
      28日 義仲・行家、入京する
    8月 後鳥羽天皇践祚。院、平氏一門の官爵を削る
    9月 頼朝、院の申し入れに返書を奉る
    10〜11月 頼朝に東国沙汰権を認める宣旨が発行される。
      頼朝、本位に復活
      義仲、水島で平軍に敗る
      平氏、行宮を屋島に造る
    12月 頼朝の命で義仲追討のため源範頼・義経が軍を率い西上
       22日 上総介広常、暗殺される
1184   3 1月 8日 義仲、征夷大将軍となる(10日という説も)
      20日 範頼は勢多で、義経は宇治で義仲軍を破り、頼朝の使いとして上洛
      20日 義仲、粟津で討死(31歳)
      29日 範頼・義経軍、平氏追討に向かう
    2月7日 一の谷で平氏軍を破る(一の谷合戦)
  元暦1(4/16) 4月 頼朝、義高(義仲の子)を殺す
    6月 頼朝、一条忠頼を殺す
    8月6日 義経、左衛門少尉に任ぜられ検非違使となる
      8日 範頼、平氏追討のため鎌倉を出発
    9月 範頼、京都を出発
    10月 頼朝、公文所を置き別当に大江広元を補す
      頼朝、問注所を置き三義康信を執事となす
1185   2 1月10日 義経、平氏追討のため京都を進発
      範頼軍、長門方面で苦戦
    2月19日 範頼・義経軍対平氏、屋島の合戦
    3月24日 壇の浦で安徳天皇没し(8歳)、平氏亡びる
    4月21日 梶原景時、飛脚にて義経を讒す
      28日 頼朝、従二位に叙せられる
    5月 7日 義経、平宗盛らを鎌倉に送る
      24日 義経、腰越状をおくる
    6月 頼朝義経の所領を奪う
      21日 義経・京都への帰路、平宗盛・清宗を斬る
  文治1(8/14) 8月 行家、叛す
    9月 頼朝、吉田経房を中納言に推挙。平時忠、能登に配流
    10月17日 土佐坊昌俊、義経を襲う(掘川夜討)
      18日 義経頼朝追討の宣旨
      頼朝、軍を率いて上洛しようとする
    11月 3日 義経・行家、西国へ行く
      11日 義経・行家追討の院宣
      24日 北条時政、入京(25日という説も)
      29日 諸国に守護地頭をおく
    12月 頼朝、義経派公卿の解官を要求
1186   2 1月 高野山荘園の兵糧米・地頭を停止する
    2月 高野山荘園の兵糧米未進分を免除する
    3月 頼朝の推挙により兼実、摂政・氏長者となる
      北条時政、七カ国地頭職を上表する
      頼朝、関東分国内の年貢運上を誓約、京都に申送る
      6日 頼朝、を召し鶴岡八幡宮にて舞を見る
    5月 行家、殺される
    12月 天野遠景、鎮西九国奉行人となる
1187   3 2月 頼朝の奉請により記録所をおく
      義経、陸奥国藤原秀衡にたよる
    10月29日 藤原秀衛、没する
1188   4 2月 義経追討の宣旨
    3月 地頭の非法につき、院が頼朝に停止を要求
    10月 義経追討の宣旨、再び発せられる
1189   5 1月 頼朝、正二位に叙せられる
    3月 奏衡、義経追捕の請文を鎌倉に送る
1189   5 閏4月30日 義経、藤原泰衡に衣川館で殺害される(31歳)
    7月19日 頼朝、奏衡追討の宣旨を待たず奥州征伐に出発
    8月 奏衡敗死(35歳)奥州藤原氏、滅亡する
    12月 頼朝、平泉中尊寺の大御堂を模して永福寺建立に着手
1190 建久1(4/11) 5月 大風雨、大倉山崩れる
    7月 頼朝、平氏亡霊のため勝長寿院に万灯会を修す
    10月3日 頼朝、上洛のため鎌倉を出発
    11月7日 頼朝、入京する
      9日 頼朝、後白河法皇と会見
      頼朝、参内。権大納言・右近衛大将となる
    12月 頼朝、両職辞任
      14日 頼朝、帰東のため京都を出発
1191   2 1月 公文所を政所と改める
    3月 小町大路から大火。大倉御所以下数十の諸士の屋敷焼失
    4月 正式に石清水八幡宮寺を鶴岡八幡宮寺に勧請
      佐々木定重らが延暦寺と対立
    5月 頼朝、延暦寺の求めにより定重を梟首
    7月 頼朝、新御所に入御(第二期大倉御所)
1192   3 3月13日 後白河法皇、没する(66歳)
    7月12日 頼朝、征夷大将軍となる
    8月9日 源実朝(頼朝次子)誕生
1193   4 2月 鶴岡八幡宮寺に舞殿を建立
    5月28日 富士の巻狩で、曽我兄弟が工藤祐経を討つ
    8月17日 頼朝、範頼を伊豆国に追放し、ついで殺害する
    9月 頼朝、岩殿と大蔵の観音堂に参詣、大姫の病気治癒を願う
    11月 安田義資を殺害
1194   5 8月19日 幕府、安田義定を殺害する(61歳)
    8月 頼朝、日向薬師参詣、大姫の治病を祈願
1195   6 2月14日 頼朝、妻子を伴って東大寺供養臨席のため鎌倉をたつ
    3月 4日 頼朝ら、入京
      12日 東大寺再建供養
      29日 頼朝、丹後局と会う
    6月25日 頼朝ら、帰東のため出発
    7月8日 鎌倉帰着
1196   7 3月 景清、頼朝暗殺に失敗し捕らわれた篭の中で絶命する
1197   8 6月 頼朝、石橋山で戦死した佐奈田義忠のため証菩提寺を建立
    7月 大姫(頼朝の子・義高の元妻)死す
    10月 藤原脳保、死す
1198   9 1月 後鳥羽天皇、土御門に譲位、院政を始める
    12月27日 稲毛重成亡妻供養による相模川架橋に、頼朝赴く
      稲毛重成亡妻供養の帰路、頼朝落馬
      一幡(頼家長子)誕生
1199   10 1月13日 頼朝、没する(53歳)
      26日 源頼家、嗣ぐ
    3月 文覚、佐渡に配流
    4月12日 頼家の親裁をとめ、北条時政らの13人の合議制とする
  正治1(4/27) 6月 乙姫(頼朝の子)、死す
    10月 諸将、梶原景時を弾劾する
    12月18日 梶原景時、追放さる
1200 正治2 1月20日 梶原一族、駿河国で敗死。景時、殺される
      公暁(頼家第三子)誕生

1201〜1250 源氏の時代から北条氏の時代へ <源頼家源実朝執権に関する出来事

西暦 年号 月日 出来事
1201 正治3 1月 城長茂・資盛、叛す
  建仁1(2/13) 3月24日 千菓常胤、没する(84歳)
1202   2 7月23日 頼家、征夷大将軍になる
1203   3 5月25日 阿野全成、常陸国へ配流、後に殺害さる
    8月27日 頼家病み、関東関西分割案が討議さる
    9月 2日 比企能貞、一幡(頼家長子・6歳)殺害される(比企氏の乱)
      6日 和田義盛の密告により、仁田忠常殺害される
      7日 実朝、征夷大将軍となる
      29日 頼家、伊豆国修禅寺に幽閉される
1204 元久1(2/20) 7月18日 頼家、修禅寺で殺害される
1205   2 6月22日 北条時政の計により、畠山重恩伯父子殺害される
    閏7月20日 時政、剃髪して伊豆国へ隠退する
        26日 平賀朝雅、没する
1207 建永2 2月18日 専修念仏禁止、源空(法然)親鸞、配流
    10月 若宮大路、大火
1208   3 1月 問注所火災、記録文書等が全焼する
1209   4 11月 実朝、大庭御厨大日堂を修造
1210   5 6月 北条政子、日向薬師参詣
    11月 火災、北条泰時宅(小町亭)焼亡
1211 建暦1 閏1月 北条時房第等三○宇焼亡
    10月 鴨長明、鎌倉に至り実朝と会う
1212   2 1月25日 源空、没する(80歳)
    2月 実朝、相模川橋を修理
1213 健保1 2月16日 泉親衡謀判発覚、和田胤長ら描われる
    3月9日 和田胤長、陸奥国へ配流
    5月2日 和田義盛(67歳)挙兵
      3日 和田一族滅亡
      和田合戦により大蔵御所全焼。大地震
    8月 実朝、大江広元館より新御所に入御(第三期大蔵御所)
    12月 幕府近辺火災、大江広元等の宿廬焼失
      実朝の命により寿福寺にて和田合戦戦死者の仏事
1214   2 1月 由比浜あたりで火災
    12月 大火、由比浜辺より若宮大路に及ぶ
1215   3 1月6日 北条時政、没する(78歳)
1216   4 11月24日 実朝、陳和卿に大船を造らせる
1217   5 4月17日 陳和卿の大船、由比ヶ浜に沈む
    6月20日 公暁、鶴岡八幡宮の別当となる
1218   6 2月4日 政子入京し、実朝継嗣につき打ち合わせる
    10月 政子、従二位となる
1219   7 1月 火災、大江広元亭以下40余り焼失
    1月27日 実朝(28歳)公暁に殺害される。公暁(20歳)も殺害される
    2月11日 阿野時元(全成の子)挙兵し、敗死する
      13日 幕府、後鳥調上皇々子を将軍に奏請
    3月8日 後鳥羽上皇、摂津の地頭を幕府に訴える
  承久1(4/12) 6月3日 藤原頼経(三寅)を将軍として鎌倉へくだす
    7月 頼経、義時の大倉亭に入る
    9月 大火
    12月 政子第焼亡
      政子、実朝追福のため勝長寿院に五仏堂を建立
1220   2 1月 地震
    2月 大町以南由比浜まで焼亡
    7月 大雨、人家転倒流出が相次ぐ
    10月 鎌倉小町辺南北二町あまり火災
1221   3 1月 鎌倉小町大路東、火災
    5月14日 後鳥羽上皇、討幕の兵を集め義時追討の命を出す(承久の乱)
    6月15日 幕府軍入京する
1223 貞応2 7月 政子、勝長寿院奥に実朝追福の御堂御所建立(後の持仏堂)
    9月 和賀江辺、火災
1224   3 3月 甘縄以南三町あまり焼亡
    6月13日 北条義時、没する(62歳)
      28日 北条泰時、執権となる
    閏7月3日 義時の後妻伊賀氏らの謀叛発覚し、配流
    9月 西御門の三浦義村館焼失
1225 嘉禄1(4/20) 6月10日 大江広元(78歳)没する
    6月 奏時、父義時追福のため釈迦堂建立
    7月11日 政子(69歳)没する
    12月 頼経、宇都宮辻子の新御所に移る(宇都宮御所)
      連署(執権の補佐)と評定衆を設置
1226   2   藤原頼経が征夷大将軍となる(初の摂家将軍)
1227 安貞1 1月 田楽辻子、火災
    2月 亀谷あたり火災
1228   2 12月 由比浜民家出火、南北二十余町延焼
1229 寛喜1 8月 暴風甚雨、稲花全滅
    9月 若宮大路西頬焼亡
    12月 窟堂下辺焼亡、若宮大路甘縄などに延焼
1230   2   この年、大飢饉となる
    閏1月 地震、大慈寺後山崩れる
    7月 降雪、冷夏
    9月 大風、御所以下人家多く破損転倒
    12月 勝長寿院新造塔供養
1231   3 1月 大倉観音堂西辺から出火、二階堂、名越、甘縄辺まで延焼
    2月 若宮馬場本の足利義氏第焼亡、放火
    10月 泰時公文所焼亡、頼朝および義時の法華堂炎上
1232 貞永1 7月 往阿弥陀仏、和賀江島築造
    8月 泰時、御成敗式目(貞永式目)を制定
1234 天福2 6月30日 専修念生前を禁圧
1235 嘉禎1 1月 幕府、鎌倉中僧徒の武装を禁じる
1236   2 8月 頼経、若宮大路の新幕府に移徒(第一期若宮大路御所)
    12月 泰時、若宮御所北隣に自邸新造
1237   3 11月 大雨、稲瀬川氾濫、人屋流出
1238   4 1月 三浦義村・後藤基綱などの邸、焼亡
    3月23日 僧浄光、鎌倉大仏、堂宇の造営をはじめる
1239 延応18(2/7) 2月22日 後鳥羽法皇、隠岐国で没する(60歳)
    12月 武蔵大路下数十宇焼亡
1240 仁治1 2月 幕府、鎌倉保奉行を置く
    10月 泰時、山内道路の拡張工事を命じる(小袋坂)
    12月 六浦道の縄打開始。鎌倉市中夜警で辻に篝火を焚く
1241   2 2月 鎌倉大地震
    3月 大風、前浜より甘縄山嶺に至る数百宇延焼。
    4月 大地震、由比浜大鳥居拝殿など津波襲来
1242   3 6月15日 北条泰時、没する(60歳)。経時、執権となる
1243 寛元1(2/26) 6月16日 鎌倉大仏供養
1244   2 4月28日 頼経の子、頼嗣、征夷大将軍となる
1245   3 7月 5日 前将軍頼経、出家する
1246   4 3月23日 北条時頼、執権となる
    閏4月1日 経時、没する(33歳)
    5月18日 近国の武士、鎌倉に参集
    6月13日 幕府、名越光時を伊豆国へ配流
  宝治1(2/26) 6月5日 三浦一族と郎党五百余人、頼朝法華堂で討死
      7日 千葉秀胤、上総一の宮で自害
1250 建長2 5月18日 安達景盛(覚阿)高野山で没する

1251〜1300 鎌倉大地震、そして元寇

西暦 年号 月日 出来事
1252 建長4 1月7日 鎌倉騒動、武士ら武装して群集
    4月1日 宗尊親王、征夷大将軍となる(初の皇族将軍)
      2日 前将軍頼嗣、鎌倉をたつ
1253   5 4月 日蓮、鎌倉へ移り、法華経を唱える
1256 康元1(10/5) 11月22日 北条長時、執権となる
1257 正嘉1(3/14) 8月23日 鎌倉大地震、死者二万人
1259 正元1(3/26) 11月12日 宇都宮頼綱(蓮生)没する(88歳)
1260 文応1(4/13) 7月16日 日蓮、立正安国論を著し、時頼に呈する
1261 弘長1(2/20) 5月12日 幕府、日蓮を伊豆国に流す
1262   2 11月28日 親鸞、没する(90歳)
1263   3 11月22日 時頼、没する(37歳)
1264 文永1(2/28) 8月11日 北条政村、執権となる
1266   3 7月24日 惟康王、征夷大将軍となる
1268   5 3月5日 北条時宗、執権となり、政村、連署になる
    10月11日 日蓮、諸宗を排撃し、外寇を警告する
1271   8 9月12日 日蓮、佐渡へ配流
1273   10 5月27日 政村、没する(69歳)
1274   11 5月12日 日蓮、身延で久遠寺をひらく
    10月20日 大風により、侵寇の元軍全滅(文永の役)
1275 建治1(4/25) 9月7日 幕府、杜世忠ら元の使者五人を斬殺
1281 弘安4 閏7月1日 大風雨のため、再び元軍全滅(弘安の役)
1282   5 10月13日 日蓮、没する(61歳)
1284   7 4月4日 時宗、没する(34歳)
1285   8 11月17日 安達泰盛一族滅亡(霜月騒動)
1297 永仁5   幕府が徳政令発布(永仁の徳政令)

1301年〜 鎌倉幕府の滅亡

西暦 年号 月日 出来事
1321 元享1   院政廃止。後醍醐天皇が親政を開始
1324   4 9月19日 日野資朝、同俊基逮捕(正中の変)
1331 元弘1   天皇を中心とした倒幕計画が失敗(元弘の変)
1333   3 5月22日 北条高時自害(31歳)、北条氏と共に鎌倉幕府滅亡
1334 建武1   建武の新政
1335   2 7月22日 北条時行、足利直義を破り鎌倉に入る(中先代の乱)
    8月9日 足利尊氏、時行を破り鎌倉に入る


解説
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