ラビア・カーディルインタビュー 諸君!5月号

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目のあたりにした 血も凍る拷問・悲鳴・絶叫… ウイグル人の悲劇 
(作者の命により転載厳禁)

中国による「政治囚」への凄惨な人権弾圧。生き抜いた女性の語る「真実」を直視しよう。
                                   

水谷尚子 中央大学非常勤講師


 本稿は、中国十大富豪の一人で、中国政治協商会議委員など中国政治の要職を長期に渡って務めた経験がありながら、その地位を剥奪され、財産を奪われ、政治犯として約六年間投獄された、ウイグル人女性・ラビア・カーディルさんへのロングインタビューである。昨年米国に政治亡命してから僅か一年の間に、彼女は、海外在住ウイグル人たちが推進する東トルキスタン人権運動のリーダーとなりつつある(中国人の呼ぶ「新疆」を、彼らは「東トルキスタン」と呼称する)。欧米のメディアには何度も登場し、人権問題を中心に積極的に発言している彼女だが、今回初めて日本のメディアにおいて、その生涯を詳細に語ってくれた。なお、「新疆」ウイグル問題について、この場で詳細を解説する字数的余裕がないので、簡単で質の高い論考を纏めた書籍として『アジア遊学No1特集・越境する新疆・ウイグル』(勉誠出版、99年)を推薦しておきたい。

 私がラビア・カーディルの名を初めて耳にしたのは、1995年に放送されたNHKスペシャル、『中国 12億人の改革開放』の第七回「新疆カザフ国際列車」に於いてであった。番組ではラビアについて、「改革開放が始まると1979年、僅か60元で商売を始め、91年には一族で1億3000万元の資産を持つ中国十大富豪のひとりとなった。慈善事業家としても知られ、92年には露店しか持っていなかったウイグル商人たちのため、1400万元を投資してウルムチの二道橋に、新疆の厳しい気候を凌げる八階建商業テナントビルを建設。新疆ウイグル自治区個人事業家協会副会長などを務める有名人」と、絶賛に近い形で紹介していた。

 次に彼女の名を聞いたのは99年8月。当時私は北京に留学していたが、中華料理が口に合わず、毎日のようにウイグル料理店で夕食をとっていた。あちこちのウイグル料理店ではウイグル人たちが、ひそひそ小声でラビアの噂をしては溜息をついていた。富と名声から多くの政府の役職を得たラビアだが、決して共産党の政策に従順だったわけではなく、却って中央官僚にさえ臆せず、民族を代表して「新疆」の窮状を訴え、改善を求める発言を繰り返した。そんな彼女の姿は、ウイグル人には希望の光に映ったが、中央にはやっかいな存在であった。度重なる政治批判から疎まれたのだろう、ついに97年、すべての役職を解かれ、監視下に置かれるようになる。そして99年8月、アメリカ在住の夫に東トルキスタン独立運動に関する新聞の切り抜きを郵送したことを口実に、「外国組織に国家機密を漏洩した」と「国家安全危害罪」に問われて逮捕され、懲役8年を言い渡された。新聞は合法的に発行されたものだったという。この事実は「新疆」から遙か遠い北京にまであっという間に広がり、ウイグル人コミュニティに大きな衝撃を与えた。ちょうど北京のウイグル人街、甘家口と魏公村が「区画整理」の名目で取り壊されていた最中であったから、ラビア投獄は北京在住ウイグル人にとって、「弾圧はここまで来ているのか」と感じさせる深刻なニュースであった。

 ラビア逮捕から釈放までの約6年間、ワシントンDCに事務局を置くUAA(The Uyghur American Association 在米ウイグル人協会)等の人権擁護団体は、毎月−−炎天下も雪の日も−−在米中国大使館前までラビア釈放を求めるデモを組織するとともに、中国政府に対してラビアの釈放を求めて働きかけるよう、アメリカ議会に嘆願運動を起こした。こうした地道で平和的な人権運動は、欧米人の心を動かし、2004年ノルウェーに本部を置くラフト人権財団は、獄中のラビアにラフト人権賞を授与し、2005年3月29日、欧米からの圧力を受けて、ついに中国は、ライス・アメリカ国務長官の訪中直前にラビアを釈放。アメリカへ亡命させた。

 06年3月、ジャーナリスト・古森義久氏の紹介で、私はラビア・カーディルさんに亡命先のアメリカの首都ワシントンDCでお会いする機会を得た。彼女は今年1月16日、自宅近くで、不自然な自動車事故に遇い、コルセットを胴や首に巻いた痛々しい姿で取材に応じてくれた。口述は3月2、3、9日、彼女の事務所及び御自宅に於いて録音した。口述時に彼女が使用した言語は、漢語(中国語)及びウイグル語である。

注:彼女の名Rebiya Qadir(漢語表記:熱比亜卡徳爾)をレビヤと表記する記事も散見されるが、ウイグル語発音に近い「ラビア」で統一した。彼女が親から与えられた名は「ラビア」で、「カーディル」は彼女の父親の名である。このようなウイグル人の名付けの習慣から、呼称は「ラビアさん」とした。

ラビア・カーディルインタビュー 諸君!5月号より(その1)

ラビア・カーディルインタビュー 諸君!5月号より(その2)

ラビア・カーディルインタビュー 諸君!5月号より(その3)

ラビア・カーディルインタビュー 諸君!5月号より(その4)

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