ワタシタチをとりまくメディアの変容に
フォーカスをあてる思考のリハビリ・マガジン
コケカキイキイ 時事通信 No.39    2006年8月29日発行

#INDEX#
   高嶺格-価値観の闘争
◎ プロフィール
◎美術作家・高嶺格インタビュー
◎作品紹介

◎トピック:高嶺格プロフィール

 今、世界が注目するアーティストの1人、高嶺格さんの新作が いよいよ来週9月2日(土)、3日(日)に伊丹市・アイホールで発表される。

高嶺の作品は、冷静に確信をもって、ブチ壊す。 壊されるのは、例えば人と人の間にある暗黙の了解や、予測、しきたり等。 しかしそのやり方は、私を痛がらせない、やわらかい方法がとられている。 今回も大いに期待しよう。 わたしたちは、この新作・舞台作品の制作初期に、氏が意識していることや、 芸術観をうかがった。

<高嶺格(たかみね ただす)氏のプロフィール>  
1968年鹿児島生まれ。滋賀在住。91年京都市立芸術大学工芸科  漆工専攻卒業。93〜97年ダムタイプにパフォーマーとして参加。  99年IAMAS卒業。ヴェネツィア・ビエンナーレ2003他に出品。  京都造形芸術大学映像・舞台芸術学科客員教授。

◎美術家・高嶺格インタビュー      2006年6月 京都にて

┃高嶺格(たかみね ただす)さんの制作

◆多様な表現、一つのゴール
 --(編集部:)高嶺さんは、パフォーマンス、映像、インスタレーション、 陶芸、アニメーション、書道…と表現方法が様々です。各ジャンルの表現力 を得るのは、あなたにとって大変ではないですか。

高嶺(敬称略):作品のフォームは、出品するときの状況によって決めるので、 自然と多様になるというのがひとつ。あと、いろんな事をやってみたいというのは性分でしょうね。企業とかだと全然普通にやってることだと思うけど、 例えばグループ展で出品する時に、映像ばかりの中に映像作品を出しても観てもらえないわけです。で、見てもらえるにはどうすればいいかを考える。

このとき、やったことがないことでも、やってみるんです。戦略、というほどのことはないかもしれないけど、見てもらえるよう考えるということと、 やってみたいからやる、という二つの理由でいろんなことをやるんだと思う。 あと、一度自分がやったことを「正解」としない、ことかな?

釜山ビエンナーレのときはビデオ作品をやめて270枚の写真のインスタレー ションにしました。
森美術館での「六本木クロッシング」のときは、派手な場所だからあえて地味にいこうと思って、書道の作品にしました。 ソウルの、韓国書道協会会長だという偉い先生に書道を教えてもらいにいったんです。僕はハングル文字は全然読めないし、書けない。だから作品にな ると思った。先生に朱墨で添削してもらって、それをそのまま作品にしまし た。朱が入っている書道の作品なんてないわけで、これは先生とのコラボレーションなんです。書道としては評価を求めていない。

「God bless America」の時も、アニメーションを作るのは初めてだったので、 何か裏技が必要だったんです。で、「質」でなく「量」で勝負しようと、2トンの粘土を使った。クレイアニメーションだけど、クレイアニメーションと して勝負してるわけじゃない、つまり枠組みをずらす。

--でも様々なジャンルに手を出す苦労は無いですか。

高嶺:なるべくいろんなジャンルで自分が生きていけるようにしておいた方が楽しいですから。 あ、でもギルバート&ジョージが“人生一つのことしかできない”と言ってたなあ。。でも、その意味はよくわかるんです。 つまり、いろんなことに手を出してるように見えるけれども、実はそんなことはない。ゴールはひとつだろうと。

機会に合わせて、なるべく柔軟に対応出来るようにする。大きな意味で、作 り方は即興、ブリコラージュなのかも知れない。 基本的に、「有るもの」で作ります。素材を開発してるわけではないですから。

ビデオ作品を作るにしても、カメラから作ることなんてできないわけで。だから、基本的には人が作った技術、メディアを拝借してるわけですよ。広い意味でのテクノロジーですけど、使えるものが増えれば、作れるものの幅が 広がる。
なにか作ろうと思ったときに、素材に対する回路、選択がいろいろある。だから、メディアが先にあるのではなくて、考えが先に来られるように、いろいろ回路を作っているんだと思います。

--高嶺さんの作品では素材の使い方が独自に開発されています。 それはメディアを一から作るのと同じぐらい貴重なことだと思います。私は 高嶺さん自身がメディアだと思えます。それに、素材に対するこだわりも、 実はありますよね。

高嶺:例えば、デジカメの画質がダメだ、とかはありますね。 大学の時、漆をやっていたけど、それをやってよかったなと思えることは、 工芸のクオリティーを見たこと。ちっちゃーい角をぴっちり合わせることを、 すごい精度でやってる人の仕事を見ていた。

--即興的に対応していく制作のライブ感が、高嶺さんの作品をいきいきしたものにしているのでしょうね。

高嶺:現場が勝負ですね。泥縄式って言われていますけど。最後の最後でアイデアを変えたりするから、アシスタントはいつも大変そう。「高嶺さん、早く決めてくださいよぉ」と。
でも現場の空気だとか、感じ、その中から見えてくるものって、やっぱりすごく大事ですよね。「場」も大事な素材なんです。
◆「God BlessAmerica」
 高嶺:「God BlessAmerica」でわかったのは、作品におけるフレームというこ とです。フレームがあれば、あとは即興でももっていけるということ。

あの作品では「アメリカ」を表現するためのライン、自分で納得できる枠組 みというのが先に見えたんです。
だから、粘土の形(アニメーションとしての絵面)は、現場まかせでいけた。 その日の体調だとか、天気だとかから生まれてくるものの方が、絶対面白い だろうと思って、即興でやった。
それができたのは、先にフレームが見えていたからなんです。

--人は、人が動いているのをみるのはおもしろいものです。アニメーション だけど、人が動くのも見せてくれるあの映像には、本当に引き込まれました。 感覚に訴えて、即、行動を促すような、人を反応させるものがありました。

高嶺:それはもしかしたら、舞台的なセンスなのかもしれない。まず感覚を つつく。頭をつつくんじゃなくて、身体感覚をつつく。舞台を見て感動するのは、論理がすばらしいとかいうことじゃないですからね。

時間軸を設けて、こう持ち上げておいて、落とす、とか。リズムを全体的につけていくことによって、ある種の操作をする。
僕らのやってる仕事って、観客の肉体のコンディションを扱っているわけですから、客が作品を見たときの視線なり、呼吸なりを作品がリードし導いていくという、その操作をやってるんだと思っています。

その意味では音楽も僕の中ではすごく大きな手段。 音楽を聴いたときにすっと入ってくる感じ、気持ちの流れって、美術作品で あっても、作ってあげなくちゃいけない。
入ってきやすいリズムと、拒否させてしまうリズム。 言葉なら、長さやトーンによって、言ってる言葉は同じでも、伝わる意味が まったく異なったりするわけですから。
◆芸術と政治活動
 --高嶺さんの作品には、社会へのはたらきかけがしっかりとあります。アー トから社会への影響について考えていることを聞かせてください。

高嶺:先に大文字の「社会問題」があるわけではないんです。 木の、幹の部分から入るというよりも枝の先っぽから入ってるんじゃないか?だから、自分の知らないことにまで風呂敷を広げないようにはしています。

例えば「木村さん」は、僕と木村さんとの関係を描いたのであって、障害者 全般にまで話を広げるつもりはない。そこまでは責任を持てない。 「在日の恋人」も、嫁さん(当時、恋人)との間に存在していた壁をどうするかを考えた結果生まれたのであって、在日問題全般を扱っているのではな い。

これらの作品の場合、自分に関係していて自分で責任のとれる範囲を、先に イメージしていると思います。つまり、あくまで話が具体的になるように、 具体的な個別の関係を示す、という作業だったと思う。障害者問題「全般」 とか在日「全般」とかでは、まだ作品を作ったことはありません。

“勉強が足らない”とか、“楽観的すぎる”とか、言われます。 実際、在日のアクティビストから“在日のこともよく知らないくせに、こんなことをやる資格はない”という意見を聞いたことがあるけど、それは仕方ないし、その意見は凄く寂しいと思った。 本当に解決しようと思っているなら、そんな言葉は出ないんじゃないか?「難 しい問題だ」と言っててもしょうがないので、僕は僕のできることをやって、 うまくいったサンプルを一つでも見せていく。 自分で出来るのはそれ。
「木村さん」の中でも言ってることだけど、資格は、獲得していくものなん です。与えられるものじゃない。
◆アートの位置
 --アートは社会においてどんな位置づけだと思いますか。

高嶺:国や地域によって、アートの位置づけは変わる。自分の作品もそれに よって左右される。
例えば、こないだザグレブのクイア・フェスティバルに行ったんだけど、国がスポンサーになっていて、新聞やテレビでがんがん宣伝されていて、文化 庁長官が普通に見に来ている。
クイアって、直訳すると「変態」でしょ?ゲイとかレズビアンとか、日本な らただの変態扱いされて、メディアにも載らない。 その中でやった「木村さん」のパフォーマンスは、新聞に大きく取り上げら れた。全然キワモノ扱いされていない。まともに扱われている感じがした。
◆パフォーマンス「木村さん」
 --日本ではキワモノ扱いですか。 あの作品を観て、抵抗を示すのは男性が多いとのことですが、それについて 私は、同性の性的に使用している性器を普段見ることが少ないから、それを 見ただけで抵抗を感じるのではないかと。裏ビデオでもあまり男性器は映り ませんから。

高嶺:ダムタイプ「S/N」の中で使われていた言葉で、ミシェル・フーコーなんだけど、
「すべての人々が愛しあうこと自体が問題なのだ。
制度は虚をつかれてしまう」 
という言葉があります。
管理する側の人間からすると、すべての人々が愛しあいはじめてしまうのは 非常にアンコントロールな状態なので、それは危険だと。何かその辺にキー ワードがあるんじゃないかと思うんです。

--木村さんは他人を拒否できないという言葉がありましたが、それはすべての人が愛しあうということにつながりますね。

高嶺:木村さんくらい重い障害の人は、ものすごい弱者なんです。なんせ人を拒否することができない。圧倒的に弱い。
弱者と性のレベルで繋がる関係を見せられた時に、人はどう反応するか。福 祉、助けてあげる、ということなら、全く問題なく受け入れられる。そうで はなく全く対等に愛しあう姿を見せられた時に、どうしていいのか分からな くなるのかも知れない。
それが特に男の人が多い気がする。
◆公私の境
 --またこの作品で、公私の境や、違いを考えさせられました。

高嶺:作品の最後で、
「木村さんの体にも、作品にもプライベートは存在しないのだ。」 という言葉を入れたときの真意っていうのは、コピーライトっていう考え方 に対するひっかかりでした。個人の権利を守るとか、そんなことばっかり いって、私益に関することにはすごく神経質なのに、公益はほったらかしで いいのか?という。
あんなビデオぐらいやったらくれてやらあ、っていう。

木村さんは個人の権利を主張することができない体の人だから、誰かが代わって主張しなければならない。で、そこで言うべき権利というのは私益に基 づいたもんじゃないだろうと。
あんなにプライベートなシーンって、普通は「守る」べきだと言われて擁護 /隠ぺいされるのが普通だろうけど、木村さんは、“見せろ”という。 “これは公益になるんだ”と背中を押されている気がします。

国益という言葉とかね、こうも公然と言われるようになると唖然としますよね。獣ですね。
最近、コピーライトに対してコピーレフトっていう言葉が誕生したというの を聞きました。ちょっとワクワクしてます。

--自分と自分の範囲(家族、仲間)は、ここまで、と線をひいて、その外側の人から搾取することで、自分の生活を守るというやり方は醜いですね。で も実際にはそれをどう避けるのか、難しい。 高嶺さんの作品は、その難問をビジュアルに昇華して、醜くない価値観、別 の道を見せてくれる。心強いです。
作品への反響は沢山あったと思います。そこから明らかになったことはあり ますか。

高嶺:作品を発表するということは、価値観の戦い、バトルなんだ、ということを「木村さん」を発表していくなかで、自分が段々自覚してきた、とい うのはあります。

木村さんの映像を、“これはほんまにええもんが撮れた”と思う自分の価値観、 それがまず存在している。で、それを見せるのにはいろんな困難が、違う価 値観からの妨害が予想される、と。
で、その構図の中でビデオを発表していくというのは、これは価値観の闘争以外のなにものでもないわけです。 その時、言語化するとか、ビデオ化するとか、パフォーマンスとしてみせる とか、そういう手法をとることによって、はじめて自分の価値観が世の中で 戦える。武器を手に入れていくんだ、ということを思いましたね。 自分の価値観が武器(表現手段)を手に入れて、世の中に戦いに出ていく。

自分がいいと思っている映像を上映できない社会っていうのは、自分にとって嫌な社会であるわけで、それをふつうに上映できる社会に変えていきたい。 そのために、芸術とか言葉とか、一緒に戦っていく仲間とかを得ながら、進んでいくのだ。
「木村さん」という作品はそういう感じでやってる。

--うまく戦えたと感じる時は、どんな時ですか。

高嶺:本当はね、芸術の醍醐味は、事物をどう抽象化するかということだと 思うんですよ。作品はできるだけ分かりやすくないといかんと思ってるんだ けど、やっぱり芸術の妙は、抽象化の妙です。
政治とは、あくまでも具体的な方向を持つし、具体的でないといけない作業で、芸術とは反対のベクトルを持っている。で、その両者がうまく結びついたとき、すなわち、具象化と抽象化が同時にできたみたいな瞬間が、一番気 持ちがいい。
◆今の取り組み
 高嶺:現在、京都造形芸大で受け持っている、舞台を作る授業と、その延長で発表する、伊丹アイホールでの公演が一番大きいです。来年ぐらいまでは。

--テーマは?

高嶺:特に無いです。 舞台は美術作品とくらべて、コンセプトを忠実に伝えられるメディアではな いと思うんです。生の体を使うと、美術作品と比較にならないほどのノイズ が発生するから。
ノイズは常に出ていて、見え方はどんどん移りかわっていくでしょ?だったら、その移り変わるノイズごと作曲することをやってみたい。 これは美術作品ではなかなかできないことです。

--非常に前向きな考えですね。自分から、ノイズの色を決めたり、方向を決める。

高嶺:ものすごい難しいけど、それが物づくりの醍醐味ですね。 それから、全体が全体にとって裏切りであるような舞台にしたいです。

--できあがった時に、その制作に裏切られるのですか。

高嶺:お客さんは裏切られるし、やってる側も裏切られる。時間も空間も、 一瞬前から裏切られていって、最後に、“前提から裏切られてたんだ”と気付 く。

--うーん、おもしろそうです。
【聞き手:由辺】

◎今後の予定

新作「アロマロア エロゲロエ」公演
構成演出:高嶺格  舞台監督:奥義則 音楽:山中透 照明:葛西健一
2006.9.2(土)19;00〜、9.3(日)15;00〜
会場:伊丹AI.HALL
前売り2500円 当日2800円

●アーティスト・イン・レジデンス 「日本・オーストラリア交流プログラム」
9月中滞在、展覧は9月29日よりメルボルンにて ダーウィンからメルボルンまで、オーストラリアを車で縦断し、 粘土の野焼きをしながら運ぶ

●展覧会 国民文化祭やまぐち「映像としての中原中也」展
11月3日〜11月12日 
山口情報芸術センター、他

グループ展「Message2007」
1月10日〜1月17日 
都城市立美術館・宮崎

*インタビュー中に挙がる作品紹介* 出順

○「Baby Insa-dong」 (2004  釜山ビエンナーレ「隙間」)
在日韓国人の女性と自身との結婚式のドキュメント写真270枚と、 彼女の「その在日に対する嫌悪感は何なん?」という質問に答えるまで のテキスト、ビデオから成るインスタレーション。   

○「Korean Studies」 (2004 「六本木クロッシング」展 森美術館)
ハングルの読めない高嶺が、ソウルの習字教室に通って書いた書道作品。 朱墨で先生の直しが入っているが、きっちりと立派なケースに展示。

○「God bless America」(2002 ヴェネツィア・ビエンナーレ「緊急ゾ ーン」)
男女が寝泊りしながら2tの粘土を捏ね巨大頭像を作り変えてい く。それが、頭像が表題歌をテンポ悪く歌うアイロニカルなクレイアニ メになっている。

○「ア・ビッグ・ブロウ・ジョブ」(2004 「Living Together is Easy 」展 水戸芸術館)
900×900×1000cmの闇に家具や廃材が詰め込まれ、 コモンセンスについてのテキストやライトがそれをなめるように辿る。

○「鹿児島エスペラント」
(2005 横浜トリエンナーレ  「アートサーカス[日常からの跳躍]」)
床面16×11m、天井高8mの真っ暗な空間のインスタレーション。 一曲の歌が流れる間、ライトや文字が空間を嘗めるように動き、 土が敷き詰められた床に彫りつけた文字、配置された廃材、 壁には少女の絵…を時折見せる。

○「木村さん」(1998)
一級障害者の木村年男さんを生活介助していた高嶺が撮った、 性介護を扱ったビデオの上映とパフォーマンス。 2004年の横浜美術館「ノンセクトラディカル 現代の写真3」展では、 出品が決定して後、開催直前に展示拒否され、物議を醸した。

○「在日の恋人」(2003 京都ビエンナーレ「スローネス」)
戦時中、多くの朝鮮人が労働した山深い鉱物採掘現場、 現「NPO丹波マンガン記念館」に3ヶ月滞在し、陶芸作品を制作。 坑道跡に展示。また制作過程で、在日韓国人の恋人との間の壁をなくし、 館長との関係を築いていく、その記録。

○「S/N」(dumb type 1993-1996世界24都市で公演)
映像、音響、照明と裸に近い人間のダンス、膨大なテキスト、セミナー、 ショーなどからなるパフォーマンス。高嶺はパフォーマーとして参加。 エイズ、ジェンダー、アイデンティティの問題を扱い、愛の発明を訴える。

○「アロマロア エロゲロエ」
(2006京都造形大学 映像・舞台芸術 学科高嶺クラス授業発表公演)
演出・高嶺格、キャスト・その学生。 タイトルは漢字2文字で「女」偏に「臭」、「男」偏に「臭」と書く。 50人位の大学生が舞台で対話したり、パフォーマンスするのを周囲の やぐらから見下ろす。言葉面とその発し方による内容の伝わり方の変化や、 普段の無意識のコミュニケーションのデフォルメを見せる。また演劇、 舞台表現そのものについて考えさせる。

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