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吉田松陰研究A    
吉田松陰の長崎での日々(西遊日記より)

(2003.7作成、2007.1改定)
1.萩〜矢上間の旅程
嘉永庚戌(嘉永3年=1850年)
8月25日(陽暦9月30日)萩出発。秋吉台を経て、四郎カ原駅に宿す。
8月26日 清末、長府を経て、馬関の伊藤木工助の家に宿す。(29日まで滞在)
8月29日 小倉を経て、黒崎に宿す。
8月30日 内野に宿す。
9月1日 内野から山家(やまえ)まで馬上。原田(はるだ)、田代(対馬領)、瓜生野(現在の鳥栖)、轟木宿(これより馬上)を経て、中原(なかばる)宿に宿す。
9月2日 中原から神崎、境原、佐賀、牛津を経て、小田に宿す。
9月3日 小田から、北方まで馬上。柄崎(現武雄)、嬉野、田原坂を経て、彼杵泊。
9月4日、千綿→大村→永昌(諌早)→古賀→矢上(泊)。
2.長崎での日々
9月5日 晴
 朝矢上の宿を出て長崎に向かった。番所の門を出る所に警備の役人がいた。門の外に橋がかかっていた。数町行くと木の柱があって,大きな字で「これより代官高木定四郎@の支配所である」と書いてあった。日見峠を越え長崎にはいった。多くの人は牛に物を乗せて運んでいた。長崎の市中には所々に木戸があった。長州蔵屋敷に着いた。聞役は清水新三郎だった。
@長崎代官高木作右衛門忠知のこと。嘉永2年より代官職。明治6年没。
   (長州藩蔵屋敷跡。興善町6番。
    現在は長崎県自治会館)
      (明治2年に本木昌造により
       新町活版所が置かれた)
6日 晴
 朝,郡司覚之進と一緒に高島浅五郎@を訪ねた。郡司覚之進は石川市之助と一緒に六月から西洋砲術の修行のため,長崎にやって来ていた。午後舟を雇ってオランダ船や唐船の近くを乗りまわした。唐船の艫に「吉利」と書いてあった。(後で唐館に行ったとき,船主の部屋で雑用日記を見たとき,「戌一番吉利船」と書いてあったので,「吉利」は船の名前だろう)唐寺の崇福寺に行って,清国人の墓を見た。長崎には唐寺が五つあって,崇福寺はその一つだと言う。寺の裏山に登り長崎の町の様子を眺めた。その後,晧台寺に行き,坂本天山の墓碑を見学した。
@高島秋帆の子。当時30歳
 (崇福寺三門。崇福寺は寛永6年唐僧超然が開創した、黄檗宗寺院)  (崇福寺境内にある大釜。1682年中興二代千凱が飢饉で苦しむ窮民に粥を施したという)
 (晧台寺。晧台寺は慶長13年亀翁が開創した曹洞宗寺院)  (坂本天山墓碑。坂本天山は信州高遠の人で  砲術の指導者。享和3年長崎で病没)
7日 晴
 村上仲亮・阿部魯庵・西慶太郎を訪れたが,皆留守だった。諏訪神社に参詣した。平戸屋敷に行き,紹介状を差し出した。『中興鑑言』(@)を拝借した。そのときの平戸聞役は山県三郎太夫だった。
@三宅観瀾(1674〜1718)の著。木門十哲の一人。書は建武の新政について論じている。(『皇学叢書』20巻に所載)
諏訪神社正面階段。この階段下の広場でおくんちの奉納踊りが催される。               平戸屋敷跡
大黒町11番地。この近くに佐賀藩、熊本藩の蔵屋敷もあった。

8日 晴
平戸御用達古川俊蔵を訪れた。豊島権平(てしまごんぺい)@がやって来た。『中興鑑言』を読み終わった。平安三宅緝明の著書だ。
@天明6(1786)〜安政5(1858)。信州高遠藩の生まれ。24歳の時、坂本天山の推薦により、天山流砲術師範として平戸藩主に仕えた。
9日 晴
唐館に行った。仙人堂・土神堂・両船主の部屋などを回った。出島の蘭館にも行った。館内には旗を立てる大きな柱や薬園や商館長その他の部屋があった。また,白砂糖や蘇木等の倉庫もあった。大木藤十郎@を訪ねた。
@名は忠貞、号は野鶴、別号は可月。初め藤四郎と称す。大木甚之右衛門の次男。大木左内を継ぎ船番となる。御役所附より触頭に進む。オランダ貢使を保護し江戸〜長崎間を8回往復。松陰とは66歳、69歳の時出会う。明治6年(1873)11月22日没(89歳)。著書 『砲術捷経秘録』10巻 『風呂敷包』12巻 
  唐館(唐人屋敷)の土神堂。現在の建物は昭和53年復元。  蘭館(出島)は1641年以降はオランダ人居住。 現在復元計画進行中。
大音寺の大木籐十郎の墓碑。大木家の募域には十基の墓碑が有り、籐十郎の墓碑は正面に向かって左にある。墓碑の前面には「大観院野鶴忠貞淨光院寶亀妙音大姉」 と夫妻の院号が刻まれている。向かって右側面に、「明治六年癸酉十一月廿二日卒 俗称大木籐十郎」と記され、その横に彼の歌も刻まれている。

10日 晴

『海防説階』を写した。武井武四郎・大木藤十郎・中村儀三郎を訪れた。また,高島浅五郎・吉村年三郎を訪れた。
11日 晴

大木藤十郎を訪れた。オランダ船@に乗った。上層・二層を見た。上層には大砲六門が備えてあった。二層には銅箱などが多く積まれていた。オランダ人は酒と糠Aを出した。脇船が二艘あって,一艘は船上に掛け,一艘は水上に浮かべていた。船の脇に昇降する梯があり,八階からなっていた。オランダ船が見れたのは,福田耕作Bや通詞某々の導きによるものだった。耕作に感謝する。午後長崎を発ち、平戸に向かった。この日は永昌に宿した。
@この年は蘭船1艘が6月に入港している。Aワインとパンか。B当時50歳。御役所附船番助。
3.永昌〜平戸の旅程
12日、永昌発→大村→松原→(舟)→彼杵→川棚→への峰→早岐(泊)@
@現在の藤津屋(当時小松屋)に泊まったという説あり。
13日、江向(江迎)の庄屋@に泊まる。
@現在は江迎中央公園になっている。
14日、平戸着。葉山佐内に拝謁。その命により紙屋@に泊まる。
@現在浦の町「田原石碑店」
4.平戸から再び長崎へ
11月6日、平戸を舟にて発。舟は毎月平戸から長崎へ行く飛船。船主と舸子3人、客は天草の僧と松陰の2人、合計6人が乗っていた。針尾瀬戸より大村湾へ。 
7日時津着。
8日 時津より長崎に入る。長州藩蔵屋敷の吉村年三郎を訪ねる。
9日 後藤亦次郎を訪ねる。
10日 高島浅五郎・牛島熊太郎を訪ねる。
11日 後藤亦次郎を訪ねる。
15日 中村仲亮及び隣辰と共に西泊の番所や石火矢台を巡視する。
         西泊番所
筑前藩と佐賀藩で隔年で長崎警備。西泊と戸町に併せて千人の藩兵の派遣が義務づけられていた。

16日 高島浅五郎を訪ね、砲を見る。後藤亦次郎を訪ねるが不在。
17日 鄭幹輔(当時39歳。小通事)を訪ねるが不在。
18日 後藤亦次郎を訪ねるが不在。大木藤十郎訪問。『夢物語』を借りる。夜、鄭幹輔を訪ねる。鄭は命じられ、満州語を学んでいることを話す。
19日 阿波国人堀江萩之助を問う。福済寺でぜんざい餅を食べる。この日は冬至で清国人及び唐方の官人は大いに祝い、この日の賀が終わったのち唐船は帰国するという。
          福済寺
黄檗宗寺院。寛永5年(1628年)渡来僧覚悔が開創。昭和20年の原爆で消失。現在萬国霊廟長崎観音(本堂)などを再建。
              唐僧墓地
  福済寺の裏手に開基覚悔、重興開山戒椀、二代慈岳等の墓碑が並んでいる。

20日 後藤亦次郎、大木藤十郎、鄭幹輔訪問。
21日 鄭幹輔訪問。
22日 鄭幹輔訪問。西古川町の街頭で長崎奉行内藤安房守忠明(嘉永3年8月7日着任。同4年9月発。)の通行に遭遇する。
23日 柳川聞役十時喜兵衛、平戸聞役山県三郎太夫を訪れる。鄭幹輔、高島浅五郎訪問。
24日 十時喜兵衛を訪ねる。
25日 鄭幹輔・大木藤十郎訪問。後藤亦次郎と共に佐藤謙太郎(広瀬淡窓の門人)を訪ねる。
26日 魯範二郎を訪ねるが不在。後藤亦次郎を訪ねる。午後、堀江萩之助が訪れる。
27日 鄭幹輔訪問。中村仲亮を伴って、春徳寺に至り、東海の墓を見る。城山に登り長崎を望む。鉄砲方高木家の近辺を通る。大砲が2門備えていた。
            春徳寺
 寛永7年(1630年)泰室清安が開創。 臨済宗寺院。寛永17年この地に移転。
            東海の墓
  唐通事東海氏一族の墓。中央最奥が祖の  徐敬雲夫妻の墓碑
        城山(城の古祉)
  中世領主長崎氏の山城と伝えられる。春徳寺の裏山に位置する。
       城山(城の古祉)からの眺望。
 遠く長崎港が見える。松陰は過去と現在の戦に思いを巡らしながら漢詩を詠んだ。

28日 高島浅五郎・鄭幹輔・吉村年三郎・大木藤十郎・佐藤謙太郎・後藤亦次郎・堀江萩之助・山県を訪ねる。後藤・山県・堀江が訪れる。
29日 高島浅五郎・牛島熊太郎を訪ねる。
12月1日 堀江萩之助を訪れる。茂木より天草に渡る。この日は船に泊まる。
(茂木港 現在も茂木ー富岡間の船便がある)

12月2日 富岡の古城を訪ねる。
12月3日 原城を見学。板倉重昌碑確認。島原城下へ。夜は城外へ。
12月4〜9日 島原郊外宿す。
12月6日 「大閤真顕記」を借りて読む。
12月7日 雲仙温泉岳に登る。
12月9日 熊本へ。清正公廟(花園4丁目の本妙寺にある、聾唖者である弟敏のことを案じて参る)・横手八幡(現横手3丁目の五郎神社のことか?)を謁す。
12月10日 池部啓太と会う。
12月11日 宮部鼎蔵@を訪ねる。
@1820(文政3)〜64(元治1) 幕末の尊攘派の志士。名は増資。号は田城・尖庵等。肥後の人。山鹿流兵学を学び、横井小楠とともに青年志士を指導。吉田松陰と交遊があり、江戸・房総・東北の漫遊に同行した。1862(文久2)京都に上って攘夷親征を計画したが、文久3年8月18日の政変により七卿とともに長州に逃れた。翌年上京し、池田屋で新撰組に襲われ自刃。
12月13日 熊本城を見る。熊本から植木・山鹿を経てコエイトで宿す。
12月14日 柳川で宿す。
12月20日 佐賀へ。
12月24日 佐賀弘道館見学。柳川へ。
12月25日 柳川から久留米へ。
12月26日 久留米から宮野、松崎駅を経て、音熊で昼食。山家を経て、内野で宿。
12月27日 内野から飯塚、木屋瀬、黒崎を経て、小倉へ。
12月28日 吉田へ。
12月29日(陽暦1851年1月30日) 家へ。

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