長崎夢現塾とは 長崎歴史散歩 吉田松陰研究 夢迷小羊日記

夢迷小羊日記(平成18年5月29日以後はヤフーブログ夢迷小羊日記http://blogs.yahoo.co.jp/kohithugi
                  平成17年3月以前は夢迷小羊日記@をクリック)

平成18年5月24日
 5月18日〜22日の4泊5日で釜山市と安東市河回村を旅行した。河回村の撮影を目的としたカメラを趣味とする一行に同行させてもらったものだ。一行の一人が図書館時代の先輩で、私が釜山の旧倭館跡を見たいとかつて語ったことを覚えていてくれて実現した。釜山の都市の大きさと活気には驚いた。人口400万を越すというから、長崎の10倍近くある。18日と21日釜山の街を歩いたが宿泊したホテルのある南浦洞もロッテ百貨店のある西面も老若男女人が満ちあふれている。18日に倭館のあったという龍頭山公園に案内してもらい、120メートルあるという釜山タワーの展望台に昇り、釜山の街を眺望した。22日の朝、散歩に出かけ小一時間公園を散策した。韓国語・英語・中国語に日本語も併記された倭館の図入りの解説板があった。唐人屋敷の10倍の広さの10万坪あったという、草梁倭館の範囲を現在の地図に対応させたかったが、付け刃の知識ではそこまでは出来なかった。

龍頭山公園の李舜臣像。背後は釜山タワーと水族館。李舜臣は秀吉の朝鮮出兵の際奮戦した朝鮮の武将。 釜山タワーから眺望する釜山港(1)
釜山タワーから眺望する釜山港(2) 釜山タワーから眼下に見る龍頭山公園。中央下のサークルにあるのが李舜臣像。

19日安東市河回村の民宿に宿泊した、当日は30数名の韓国の学生も宿泊していたので、私達一行4人は同室に雑魚寝した。オンドルがしてあり、床暖房は快適だった。宿泊した学生の中には少し日本語ができるものもいて、飴や駄菓子の交換などささやかな交流もした。20日はそれぞれ個々にカメラ撮影に行き、私もじっくり村を見て回った。二百数十世帯の小さな村なので簡単に回れた。山あり、河あり、畑ありで、いかにものどかな田園風景が見られた。午後から渡し舟に乗り、洛東河を越えた芙蓉台と呼ばれる小高い丘から河回村を一望したが、一幅の絵になる美しい風景だった。(例により事前の準備怠慢でデジカメの電池切れで紹介はできない)午後3時から韓国の重要無形文化財に指定されている仮面劇を見た。両班(当時の貴族)を風刺した踊りで言葉はわからなくても、観客が楽しく反応している雰囲気を味わうことができた。20日は安東市内のホテルに宿泊し、21日の午前中移動して、午後から釜山近代歴史館、西面にあるロッテの免税店や百貨店、南浦洞の農協や屋台などを見て回ったり、買物したりした。初めて韓国旅行してみて、一般庶民はマスコミで報道されているような強い反日感情はそれほど持っていないのではないかと思ったがどうだろうか。また、ハングル文字は今までは難しい記号という印象しかなかったが、少し勉強してみようかなあという気持ちになった。心配していた韓国料理もおいしくいただくことができた。最初とまどった金属製の箸の使い方や地下鉄の出入りにも後では慣れてきた。韓国語が堪能で韓国事情に精通しているOさんの案内により、団体ツアーでは味わえない趣のある旅が出来たと感謝している。

宿泊した民宿。大黒柱は230年前のものだという。 民宿していた家の中庭にあるキムチなどを蓄える壺。 後の煙突は今は使用していない古いオンドルの一部。
民宿の女主人。一行のうち前年滞在したリーダーが撮影した額縁入りの立派な彼女の写真をプレゼントされてとても喜んでいた。 樹齢600年といわれるケヤキの霊木。私が行った時二人の女性が掃除していた。
仮面を売っている店。帽子を買ったとき、私が頼んだら、てれながらも撮影に応じてくれた。 韓流スター、リュ・シウォンの宗家。高倉健と田中裕子主演映画『ほたる』のワンシーンがここで撮影されたという。左の売店には高倉健の写真も貼ってあった。
河回村の教会。一般の民家は門の扉に吉を招く書がしるされ、儒教の影響を感じさせた。 街角を歩くと土塀に藁葺きや瓦屋根のこぎれいな家が随所にみられた。
忠孝堂。秀吉の朝鮮出兵の時の宰相柳成竜の宗家。この村のかなりの家が柳姓を名乗っているという。 忠孝堂の脇にある遺物資料館。柳成竜の兜や靴など関係資料がたくさん展示されている。永慕閣の文字は朴大統領の遺墨で、この資料館にはエリザベス女王も訪れたことがあるという。

平成18年5月5日
 子供もいない(これは子供が大きくなり、親元を離れているという意味だが)、孫もいない、勤めもリタイアしている我が身にとっては、子供の日というのは、特別の意味を持たないただの一日にすぎない。昨日は午前中東山手のさるくガイドをし、午後からは久しぶりに家庭菜園に時間を過ごす。二、三日風邪をひき、体調不良で気分も優れなかったが、薬が効いたのか、今日はよほどいい。
 息子の事で兵庫県に所用があり、4月28日、29日姫路、神戸にそれぞれ一泊し、ほんの主なところだけ観光して回った。世界遺産に登録されている姫路城は外観の美しさだけではなく、保存状態も良く、城内の壁に数多く配置されている武器の様子など見ると、城が大名の生活の場だではなく、軍事施設でもあることを改めて思い知らされた。神戸では新神戸ロープウェイ「夢風船」から夜景を見て、翌日は北野異人館街・南京町を回り、ハーバーランドから遊覧船に乗り、神戸港を海から眺めた。

姫路神社から好古園方面の堀端より姫路城を仰ぐ。 好古園。姫路市制100周年を記念し造営された池泉回遊式庭園。姫路城西屋敷跡地。
湊川神社の一隅にある楠木正成の墓。歴代の尼崎城主が寄進した石灯籠が何基もあった。 遊覧船で神戸港を眺望。


平成18年4月20日
 一月半ぶりにHPを更新する。インターネットの接続不良等もあり、放って置いたがヤフーの電話指導により直せたので、この間の出来事をいくつかまとめて記録する。
 3月23日長崎史談会主催の佐世保の黒島教会見学ツアーに参加した。月一回の例会には通常20人前後の出席者なのに、この日は50人以上参加していた。時津から船で西海橋の下を通り、横瀬浦で一、二ケ所史跡を見学し、その後黒島に渡った。教会そばの公民館で昼食を取った後、教会の中で地元の方により、教会の歴史や建築について熱心な説明を受けた。

時津港。長崎空港行きの船便もある。 今年第2西海橋が竣工。
手前が古くからある西海橋。 第2西海橋は車道の下に歩道が造られている。 横瀬浦公園より眺望。大村純忠は1562年貿易をポルトガルに許し、翌年この地で洗礼を受けた。
黒島教会。明治35年完成。フランスマルマン神父の設計と指導。 黒島教会内部。人口約千人の島の7割がカトリック教徒だという。

3月31日、大村に所用で出かけ、大村公園にも立ち寄り桜見物をしてきた。平日だったが、敷物に寝そべっている人もいてのどかだった。

4月16〜17日竹田市とその近郊に出かけ、地元の郷土史研究者のお話を聞いたり、志賀氏と関係のある史跡の見学を行った。往路は島原・熊本間フェリー経由で竹田市に入り、まず「サンチャゴの鐘」を所蔵していた中川神社を尋ね、次に竹田市立図書館で本田先生に関係する文献を紹介して頂き、必要部分をコピーした。夕方と翌日の朝、岡城に行き、志賀氏の居城跡と伝えられる御廟所跡や、本丸など前回歩いてなかった部分をじっくり見て回った。島津氏が大友氏を攻めてきた豊薩の戦いで、島津氏がこの城を守る志賀親次を攻めきれなかった岡城の険しさをあらためて強く感じた。17日の午前中は朝地町史談会の姫嶋さんに志賀城跡に案内していただいた。城跡の江戸期の墓地について地元の奥豊後キリシタン研究会の方から、かくれキリシタンの墓碑の特徴を持っているものがある旨の説明を受けた。その方面に関する知識を全く持っていなかったが、大変興味をそそられた。姫嶋さん宅では昼食までお世話になり、午後から行く予定にしていた勝光寺まで道案内して頂いた。その後常忠寺を尋ね、復路は日田から高速に乗り帰崎した。今回は地元研究者の熱意と深さに感心し、己れの無知を恥じると共に、刺激を受けた旅でもあった。

岡城の御廟所。中川氏以前は志賀氏の居宅があったと伝えられている。 岡城の空井戸。深さ30メートル余。記録では60メートル余、横穴もあったと伝えられている。
岡城本丸跡の滝廉太郎像。朝倉文夫作。 志賀城跡の墓碑。江戸期の墓碑だが地元の郷土史研究者は隠れキリシタンの墓碑もあるという。
勝光寺。豊後大野市藤北。大友初代能直公の墓堂跡と伝えられる。平成二、三年頃皇太子殿下が訪れたという。 勝光寺前庭の池東小島の弁天様と明徳三年(1392)銘の印塔。
常忠寺。豊後大野市藤北。 常忠寺境内の後山にある墓碑。大五輪塔の一つは、大友能直公の墓と伝えられる。

 

平成18年3月7日
 3月2日〜4日に大分県竹田・別府方面に旅行して来た。第一の目的は中世志賀氏の居城であった岡城を始め、志賀氏がかって治めていた地域の土地柄を知ることにあった。妻を運転助手としてマイカーで行って来た。行きは島原経由で熊本までフェリーを利用したが、熊本から竹田までは国道57号線に乗って走ればよかったので道はわかりやすく楽だった。ただその日は冷え込んでいて竹田近くの山あいでは雪が残っているところもあった。初日は歴史資料館・瀧廉太郎記念館・岡城跡・おたまや公園・市図書館等を回った。歴史資料館には「サンチャゴの鐘」とよばれる、十字と1612年の銘が刻まれている銅鐘が展示されていて興味を覚えた。江戸時代の竹田藩の藩主中川氏とゆかりのある中川神社の所蔵で、国指定の文化財になっている。この鐘がどこで制作され、どういうルートで中川神社の所蔵するところとなったのだろうか。瀧廉太郎記念館ではよくまとめられたビデオテープで23歳で病死した天才音楽家の生涯が紹介されていた。「荒城の月」は、完全音痴の私が一番好きな文部省唱歌であった。岡城では志賀親次の旧館があったといわれる廟所跡を確認できなかったのが残念だった(資料館で購入した『歴史の道』を読み、後で知った)。図書館の職員に志賀氏の事を尋ねたところ、別の職員を紹介され、夜思いきってお電話したところ、志賀城跡を紹介されたので、翌日行ってみることにした。

岡城跡。大手門方面。現存する城跡は近世中川氏の築城によるものだが、それ以前志賀氏の居城の時代があった。 広瀬神社。日露戦争の旅順の戦いで戦死し、戦前軍神として崇められた広瀬武夫を祀っている。境内には、この地の出身者で終戦の時自決した阿南惟幾陸軍大臣の碑もある。
キリシタン洞窟礼拝堂。江戸時代の厳しいキリシタン弾圧の時代に取り壊されなかったのか不思議である。 原尻の滝。高さ20メートル。豊後大野市。志賀城に行く途中、道を尋ねたら、ここに立ち寄るよう勧められた。

 2日目は朝から広瀬神社(日露戦争の軍神広瀬武夫を祀る)・洞窟礼拝堂・殿町武家屋敷・旧竹田荘(田能村竹田の生家)・愛染堂・円通閣・仏足石を見て回った。時間がなかったので、昼食は車中でバナナ一本で過ました。午後から、原尻の滝を見学し、豊後大野市の朝地支所(旧役場)と豊後大野市資料館で志賀城の道順を教えてもらい、朝地町史等をコピーさせてもらったり、親切に応対していただいた。途中人家のまばらなところで、通りがかりの人や民家の人に尋ねてなんとか、志賀城跡までたどり着いた時は久しぶりに気持が高揚していた。竹藪に囲まれた城跡には数十基の墓碑があったが、読めた限りではいずれも江戸時代以降のものであった。帰りにはご主人が郷土史を趣味としておられるという、近くの民家の主婦からしいたけまでいただき、あらためてその心の温かさに感激した。夕方別府につき、ビジネスホテルではあるが、ゆっくりと食事と温泉で疲れをとった。3日目は竹の博物館を見た後、湯布院までやまなみハイウェイを走った。湯布院では空想の森美術館を見学し、さらに街なみをぶらぶら歩いた。湯布院から玖珠まで210号線を走るつもりが、道を間違え県道にはいってしまい、Uターンして九重から大分自動車道に乗り、7時頃無事長崎に帰ってきた。2伯3日のささやかな旅ではあったが、やはり旅はいい。老化し、死滅しつつある脳を一時的にせよ、活性化してくれる。

志賀城跡。豊後大野市(朝地町志賀)。山間部の小高い丘にある。墓碑のある山頂部分は竹藪で囲まれている。 志賀城跡の墓碑。これ以外にも横にして、重ねられている墓碑もたくさんあった。ただ、解読できたものはいずれも江戸時代以後のものだった。
竹の博物館。土佐で鰹漁に使う生きた鰯を漁場まで運ぶ生簀として使用された駕籠だという。 由布岳。1583メートル。NHK朝のドラマ「風のハルカ」は見ているので、愛着をもって眺めた。


平成18年2月1日
 一昨日ランタンフェステイバルを見学してきた。最初メイン会場の港公園に行き、一通り飾り物を見て回ったところで、中国雑伎団のショーが始まったので小一時間立ち見した。上海やハウステンボスでも雑伎団のショーを見学したことがあるが、いつ見てもショーとしても面白いし、彼らの身の軽さや柔らかさには感嘆する。唐人屋敷や崇福寺まで足を伸ばしたが、こちらは人通りが少なく、中国人なのか二世なのか熱心にお参りしている姿が印象的だった。福建会館の一角に唐人屋敷等に関する詳しいパネルが掲げられていた。

港公園会場。月曜日のせいか予想外に人出は多くなかった。゛ 港公園のオブジェの中でもひときわ美しく見えた。
崇福寺山門。 崇福寺山門前のオブジェ。


平成18年1月30日
 28日、29日さるくガイドを希望してるコースの研修に参加した。28日午後は「国際都市・稲佐の交流史とお栄さん」のコースの受講者、29日午前は同コースのガイド役、午後は「東山洋館群とオランダ坂」のコースの受講者としての参加だった。28日は渕神社の桑姫神社の説明を受けている時、うまい具合に光線の関係で普段は見えない祠の中の桑姫塚の「大友家 桑姫御前 塚」と記された碑文を読みとることが出来感激した。翌日には、渕神社の神主さんがたまたま居られて、直接渕神社の歴史や桑姫神社について大変興味深い話をしていただき、有り難かった。午後の東山手コースのガイド役の方は市民プロデューサーもつとめている方であり、要領よくつぼを押さえた説明をされていた。終わった後、この日ガイドから教わった知識である、居留地の埋め立て以前に大浦川の元河口にかけられていた大浦橋の位置を確認してきた。少しずつではあるが、ガイドとしてのプラス・アルファの知識を身に着けつつあるのかな?

平成18年1月26日
 24日天気が良かったので、午後女神大橋を歩いて渡った。立ち止まったりしながらゆっくり歩いて片道20分前後かかる。戸町側の橋の近くに駐車場・トイレもあり、ウオーキングにも程良い距離だ。車の利用者が一日どれくらいあるのか知らないが、私が午後2時台の5分間だけ歩きながら数えたら両車線あわせて20台が走り去った。途中車が停車してたら、拡声器で注意があっていた。どこかモニターで監視しているのだろう。

戸町側駐車場からみた女神大橋。 女神大橋より長崎港外を眺望。
女神大橋戸町方面から木鉢方面を眺望。 女神大橋より長崎港内を眺望。


平成18年1月25日
 22〜23日に「出水の鶴・知覧と霧島温泉ツアー」に参加した。一日400〜500キロ走る行程で車中の時間が多いのだが、それなりに充実していた。出水の鶴は、1月7日には12、528羽観察されている大群なのだが、餌付けの結果によるものであり、食が保障されているので、短時間の見学では動的な動きは少ない。曽木の滝を見学した後、霧島温泉に宿泊。翌日は霧島神宮見学(参拝)の後、午後から知覧の特攻平和記念会館と武家屋敷を見学した。両方とも見学したかったので、タクシーを利用した。平和祈念会館はもっとじっくり見たかったが、人が多かったのと、限られた時間のため、それが果たせず残念だった。その後焼酎工場、かるかん工房等に立ち寄り、夜9時近く昭和町で下車し、ツアーを終えた。

出水の鶴。ナベヅルが圧倒的に多い。 曽木の滝。「東洋のナイアガラ」はご愛嬌。
霧島神宮。ニニギノミコトを祀る。国指定重要文化財。 知覧の武家屋敷、森重堅氏庭園。


平成18年1月2日
 昨日は元旦。夫婦二人で、我が家の神棚に世の中と家族の平安をお祈りし、午後からは諏訪神社に参拝に行った。私は信仰心のない人間だが、盆・正月に実家の仏壇を拝み、墓参りするのは、結婚してから欠かしたことはない。幼い頃、仏壇に毎朝御飯をお供えするのは、私たち子供の日課であり、日曜学校といって、お寺で子供達が集まることもあった。近くの神社の境内は子供達の遊び場でもあった。学生時代、唯物思想に共鳴した時期もあったが、どこかに冷めた部分もあった。私は多くの日本人には八百万の神々を尊崇する心が強いように思う。一種のアニミズムであり、日本の豊かな自然がそれを助長しているのではないか、とも思う。私は神棚に向かう時は、天と地の恵みと人の情けに感謝し、己れの生の充実を神に誓い、神のご加護をお願いする、というスタイルをとっている。帰りに夢彩都に立ち寄り、増田悦佐の『国家破綻はありえない』、藤原正彦の『国家の品格』という本を買った。年末に買った、浅井隆の『小泉首相か死んでも本当の事を言わない理由』、『最後の2年』と比較検討して読んでみようと思っている。
平成17年12月28日
 やっと風邪が治ったようでほっとしている。一カ月かかった。今日は久しぶりに街に出て、先輩と飲む約束をした。今年も残り3日。我が家の今年の5大ニュースを記しておこう。
 @予備校講師を務めたこと。週2回の非常勤にすぎないのだが、15年ぶりの授業で、教科書・問題集・参考書総て去年廃棄したあとの話だったので、零からの出発でかなりプリント作成に多くの時間を必要とした。年末から新年にかけてはセンター試験の予想問題を作る予定だ。A次男坊が中国ハルビンの女性と結婚したこと。最初驚いたが明るい感じのいい女性なのでほっとしている。いろいろ大変なことも多いと思うが二人で支え合って頑張って欲しい。B青年海外協力隊員として活動している三男を訪ねて、モロッコを旅行をしたこと。特に砂漠でラクダに乗り、テントに寝て満天の星を眺めたことは何より貴重な体験だった。Cさるくガイドをしたこと。来年が本番なのだが、実際の実施のわりには事前の講習・研修がやたらと多い。Dいくつかの旧職員や教え子達との会で二十年、三十年ぶりの人たちとも親しく懇談したこと。ただ、一番肝心な趣味としての歴史研究は空回りだった。今年は長崎史談会や長崎歴史文化協会に入会し、昨年に続き長崎の歴史再発見塾の塾生にもなったのだが、深みのある研究はほとんどできなかった。志賀親朋や稲佐お栄を少々調べたに過ぎなかった。
平成17年12月16日
 一昨日は風邪をひいていることもあり、一日家で耐震強度偽装問題についての衆院国土交通委員会の証人喚問のテレビ中継を見ていた。公明党の高木議員と民主党の馬淵議員の二人は良く調査し、勉強していて、質問も的確だと思ったが、他の議員の質問は内容も質問の仕方も、これだけ世間が注目している問題の重要性と自らの立場をどれだけ理解しているのか、首をかしげるような緩慢な問いかけで、驚いた。マスコミの情報等により、国民の知的レベルや判断力は向上しているのに、国会は形式や慣習を重んじるだけで、国民の悩み・苦しみを十分把握出来ない構造になっているのではないかと疑ってしまう。
平成17年12月5日
 11月26日にかつて勤務していた高校の東京支部の同窓会があり、当時の同僚と一緒に招待され、出席した。15回生が世話役ということで、その関係者が多く出席していた。20数年ぶりに彼らと再会し、二次会、三次会と同席したが、もともと風邪気味だったのに、つい調子に乗りすぎて、しゃべりすぎ、歌いすぎ?喉をやられてしまい、声が出なくなってしまった。もう10日になるがまだ、本調子ではない。現職の頃にも似たような経験は何度もあったのたが、こんなに声が出なくなったのは初めてだ。体力が衰え、無理が利かなくなったのだろうか。冷静に考えると、じっくりかれらの話に耳を傾け、現在やその後の成長を理解するよう務めるべきだったのに、飲むと一カ所にじっとおれなくなり、のぼせてしまう。いつまでも成熟できない。
平成17年10月14日
 9月19日〜29日にモロッコに妻と共に旅行してきた。海外青年協力隊員としてボランティア活動を行っている三男の休暇を利用して、活動している現地やモロッコ各地の主な観光地などを案内してもらった。
 9月19〜20日、福岡空港〜関西空港〜ドバイ〜カサブランカを飛んだ。ドバイでは2時間の中継時間があり、免税店でちょっと買い物する余裕があった。整備され、機能的で、きれいな空港だった。カサブランカ空港には息子が迎えに来ていて、1年半ぶりに再会した。その日はマラケシュに泊まり、ジャマ・エル・フナ広場の屋台で食事をした。以後私はモロッコの毎日の煮込み料理であるクスクスやタジンをはじめ、味付け(香辛料)になじめず苦労した。帰ったら体重が2キロ減っていた。息子はおいしいという。私はあらためて食生活のテリトリーの狭さを知らされた。
 21日は午前中マラケシュの王宮を見学し、午後、車で1時間ほどの郊外にあるティゲドゥイン村に着いた。勤務場所の村役場に行き、挨拶した。その日は水曜日で市が開かれていて、息子は通りかがりに多くの人から声をかけられていた。私たちも何人からも握手を求められた。モロッコの人口の35%を占めるベルベル人の村で、人々は善良で人なつっこいという。息子は同僚とはフランス語で話しするとのことで、村の子供達は小学2年生からフランス語を学んでおり、若い人はたいていフランス語を話せるという。夕方、洪水で流された橋の後に新たに息子が設計し、指導して建てたという小さな橋を見学した。その日の夜は息子の同僚の家の夕食に私達も招待され、御馳走になった。子供二人と4人家族で、テレビは衛星放送だった。ただ村の奥地はプロパンガスはあるが電気や水道はないという。

 22日夜明け前4時半頃イスラムのお祈りの拡声器の放送が入り、びっくりして目が覚めた。昼は別の同僚の家に食事をお世話になった。息子はしょっちゅうお世話になっているらしい。午後から村の中心部から車で1時間半程行った山奥にある、現在建築中の橋の現場に案内された。崖崩れがありそうな岩場で、運転を誤れば谷底に転落するような、車がやっと通れる位のとてもスリリングな山道だった。夜は息子の作ったスープをおいしくいただいた。翌23日から息子の知人の親族が経営する旅行会社から派遣された運転者兼ガイドの案内で主な観光地を回った。ティネリーニ・メルズーガ・ミデルト・フェズ・カサブランカで宿をとった。アトラス山脈の雄大な風景、見上げるほど高くそそりたつ岩壁の間から真っ青な青空が見えたトドラ峡谷も素晴らしかったが、最も強烈な体験となったのは、メルズーガの近くのシェビ砂丘で2時間程らくだに乗り、テントに宿泊したことだった。夕日と翌朝の朝日、夜の星空等日本では味わうことの出来ない異なる自然美の世界だった。夜、テントに寝そべりながら作った一首。「モロッコで 息子と共に 旅枕 月の砂漠に 満天の星」。ただ、私の心がけが悪くデジカメの電池切れでこの日以降の写真を紹介できないのが残念だ。メルズーガからミデルトを経てフェズに行く途中は所々のオアシス地帯の集落を除いて延々と続く砂漠と土と岩場の世界で舗装された道路を一直線に走るという感じだった。ガイドはこれらの土地は誰の所有地でもないと言ったが、そうなのだろうか。 

 フェズでは息子の友人の案内で迷路として有名で世界遺産にもなっている旧市街を案内してもらった。ただ、私はこの段階ではへばり気味で若者について坂を上り下りするのがやっとだった。旧市街には大工・鍛冶・染色その他多くの職人が生活の場所で仕事をし、子供達もそれを見て育っているので、技術の継承という点では現代の日本より容易かなあと思った。フェズから首都ラバトまでは高速道路を走り、ラバトからカサブランカまでは海岸線の道路を走ってもらった。途中王様の一族の建物とか、馬場とかあり、ものものしく警備されていた。カサブランカの宿では朝食前に一人砂浜を散歩し、大西洋の海を眺め、潮の香りを嗅ぐことができた。モロッコの人たちもサッカーがとても好きなそうで、早朝から海岸の砂浜でサッカーに興じていた。

平成17年9月18日
 一ケ月近くこの欄も放っておいた。ホームページも2年もすぎると、日々新たにという気持が失われていき、よほど時間と心の余裕が生まれた時とか、外的な刺激がないと更新しなくなってしまう。この間、政治の世界では、解散・総選挙があり、小泉自民党の圧勝に終わり、民主党は43歳の若いリーダーを党首に選出した。私も政治的関心はそれなりにあるつもりだが、拉致問題にせよ、郵政民営化にせよ、肝心なところはよくわからない。拉致という北朝鮮の国家犯罪に対し、横田めぐみさんの問題をはじめ、これ以上進展させることができないでいる。日本政府や国連が有効な手だてを打てないのはなぜか。国家財政の危機が叫ばれて久しいが、国家は誰に対して借金をしているのか。国債等を通して現在及び未来の国民につけを回していると考えたらよいのか。諸外国の金融資本との関係はどうなのか。難しい本を読むのが億劫になった昨今だが、ぼけ防止のためにも少しは自分でも勉強しないと駄目なのかなあ。

東山手十二番館  明治初年頃建設。ロシア領事館・アメリカ領事館、メソジスト派宣教師住宅等に使用。国指定重要文化財、さるく博「ハイカラさんが往来しよらす」コースのホットステーションになっている。 崇福寺三門。国指定重要文化財。嘉永2年(1849)の再建。9月1日中国盆の日撮影 。
崇福寺大雄宝殿。国宝。本殿で釈迦如来が安置されている。正保3年(1646)創建。この日は長崎以外に在住している福健省出身の華僑で先祖の霊を供養するため訪れる人も多い。 崇福寺大釜前に置かれた金山・銀山。これらは死者に与えるお金として、金紙・銀紙で作られ、この日最後に燃やされる。
浦上村淵庄屋志賀家を補佐する散使を務めた福田家の墓(悟真寺)。 志賀親朋や道永栄と同時代の人である福田米蔵(明治35年、73歳没)や、その子甚八(大正10年、68歳没)の墓碑がある。 メソジスト監督教会宣教師であったデビソン夫妻の墓碑(坂本国際墓地)。明治六年来日した夫妻は長崎・東京・熊本等で伝道と教育に尽くした。墓碑は活水学院創立125周年を機に整備されたという。


平成17年8月21日
 昨日は28年前に高校を卒業した生徒たちによる2クラス合同のクラス会に招かれて出席した。気心がわかったメンバーだけに愉快に楽しく飲めた。多くは数年前に会っているのだが、皆ますます落ち着きと風格を身に着けて来ている。一夜明け、酔いがさめると、いつまでも成長せず、軽薄な自分が恥ずかしくなる。
平成17年8月1日
 一昨日はさるく博のサポーターの仕事?が入っていたのだが、雷雨のため中止。肩すかしを食って残念な気持ちと、時間が取れてほっとした感じが入り交じる。大半は予備校の授業プリントの作成にあてる。昨日も同じ。このところ天気が悪く、今になって梅雨が来たような感じだ。ささやかな楽しみである家庭菜園も、キュウリは終わり、トマトとなすびはまだいくらか残っているものの、成育の峠は越え、静かだ。朝顔は葉っぱだけは大きく育ったが、花は多くは咲かず期待はずれだ。ホームページを見た友人が指摘してくれたように、時期的に早く蒔きすぎたのだろうか。ライブドアの堀江貴文ブログとカメラマン宮嶋康彦氏のホームページは毎日開いている。ホリエモンの行動力と食欲には毎回驚嘆している。国内はもとより、アメリカ、ロシア、香港、済州島等その他世界の各地を飛び回っている。吉田松陰の思索と行動力を念頭に置きつつ、現代日本の政治の世界において、人々の心を捕らえる若きリーダーが輩出する条件はないのだろうか、と思案する。宮嶋氏は図書館時代に面識があり、写真や本の内容とともに、図書館に本を寄贈して頂いたこともあり、親しみと敬意を懐いている。毎日写真を更新していく誠実さを持ちつつ、ある時はホタルを、ある時は蜃気楼を追い、常に漂泊を続ける旅人であり、孤独な詩人でもある氏の生き方は、真似できるものではないが、なぜか惹かれるものがある。
平成17年7月13日
 7月から「シニアネット長崎」という、パソコンに興味を持つ50歳以上の人からなる同好会に入会した。私はホームページは開いているものの、パソコンについてハード・ソフトともに無知なので、いろいろ習熟した人に教えて頂こうと思い入会した。 まだ、全体の輪郭は掴めていないが、比較的気軽に参加出来そうなので、一安心している。早く習熟して、気の利いた暑中見舞いのはがきを作成したり、ホームページの画面の工夫を図りたい。
平成17年6月27日
 わずか週2回の予備校の授業だが、プリントや問題作成にかなり時間を食われている。ただ、昨日も真面目にやったおかげで、今日は少し心の余裕がある。久しぶりに写真入りの日誌にしよう。とはいっても美しい風景とか貴重な史跡とかの写真ではない。ありふれた、でも自分にとっては意味のある家庭菜園の断片である。今日は午前中は歴史文化協会の講話を受講し、午後は、志賀家墓地との関連で、八幡神社、護国神社等の史跡探索をした。講話は5月から受講しているが、歴史研究者だけではなく、様々な経歴の持主の多様なお話が聞けるので、とても面白い。 午後は寺野郷の墓地管理委員会の会長さん宅にも突然お邪魔したが、いろいろ興味深いお話を熱心にしていただいた。護国神社の裏山にはいり、お稲荷様の祠や志賀家の屋敷跡らしきものを探したが、解らなかった。

玄関脇の鉢植え。大半の鉢は前の住人が残して行ってくれたものを再利用。 わらを敷く代わりに駕籠に入れられているマダーボール。妻が自分で植えた苗なので大事にしている。
1苗18個のトマトのうち何個か色づいてきた。1畳半の空間にじゃがいも・なす・ピーマン・インゲン豆・ひまわり・朝顔が所狭しと雑居している。 キュウリは今年で3年目。おかげでキュウリ好きになって、昼は毎日食するようになった。
朝顔の種は適当にばらまいたので、あちこちでつるをのばしている。先日最初の朝顔の花が咲いた。 久隅守景の「夕顔棚納涼図屏風」を思い浮かべつつ、 昼寝しながら小窓越しに庭を眺める。



平成17年6月18日
 昨日「第36回日展」長崎展を見てきた。絵や写真を見るのは好きなので、コクラヤギャラリーなどで催されている地元の愛好家主体の展示には良く出かけているが、全国レベルの展覧会を地元で鑑賞することは滅多にない。今回は県美術館開館記念として計画されている。最も強烈なインパクトのあった絵は、兵庫県の山田毅さんの「底引きの網」という日本画だった。朱色の網が大胆かつ繊細に描かれている。平日でゆっくり鑑賞できたので、プログラムに好きな絵をチョックしながら見て回った。特選など、賞をもらった作品でも、その良さが全くわからないものもある。いつかチャンスがあれば、プロの方の解説を聞きながら見て回りたいものだ。書や彫刻は、見る目が全くないので、楽しめない。その点工芸は比較的絵画に近い感覚で見ることができた。帰りにお気に入りの絵はがきを数枚買ったが、さすがに現物の絵の迫力までは伝えきれない。
平成17年6月10日
 今日は2年ちょっと前まで勤務していた学校が県高校総体サッカー決勝戦に進出したので、応援に出かけた。試合は残念ながら、2対1で負け、全国大会への出場はならなかったが、さわやかな興奮を覚えた。九州大会には出場できるので活躍を期待したい。今日は全校応援体制を取ったそうで、大勢の生徒のはつらつと応援する姿を見、旧知の先生方にお会いでき、こちらも元気をもらった感じだ。
平成17年6月7日
 ミニ家庭菜園日誌。わずか一本しかないトマトの苗が10個の実をつけている。まだ花は咲いているので、一本の苗にあとどれくらいの実と、大きさになるのか興味深い。酔っぱらった時に「モロッコ」という名前の隠元豆の種をスーパーで買い、蒔いていたが、5本ほど苗が育ち、小さなさやを付けてきた。海外青年協力隊員としてモロッコに行っている息子へのエールの気持ちで育てている。朝顔の種もあちこち適当にばらまいていたら、つるが伸び出してきた。支柱が必要なのだが、まだ放っている。一番の驚きはジャガイモだ。種いもを植え、葉っぱが茂りだした段階で、屋根の修理が必要になり、やむをえず足場にして、葉っぱも枯れたので、土を掘り返して代わりにキュウリ・トマト・ピーマンなどを植え直した。ところが、地中に取り残されていたジヤガイモから葉っぱがたくましく成長してきて、前述の葉っぱと競合している。花は多く球根や苗から育て、鉢植えにした。パンジー・ビオラ・スイートピー・ミニバラなど結構長い期間楽しませてくれている。ずぶの素人の家庭菜園には無知・無責任であるが故の新鮮な喜びもある。
平成17年5月26日
 火曜と木曜の週2回予備校に勤めるようになってから、あまり余裕が無くなってきた。プリントの準備にかなり多くの時間がかかる。その他に月曜は歴史文化協会の講話の受講、水曜と土曜は公民館講座の受講、月2回金曜日は再発見塾への出席、月一回の古文書の学習会への出席等々。たまに旅行にでかけたくてもまとまった時間がとれない。自分の意志で選んだ選択なのだが、ややバテ気味である。
平成17年5月3日
 昨日・今日とパソコンに向かっていたら、目が痛くなったので、午後から気分転換に稲佐山公園とあぐりの丘までドライブしてきた。さすがにゴールデンウイークの最中とあって、どちらも家族連れで賑わっていた。「孫はこんな所に連れてきたらいいね」と妻と語りつつ、まだ結婚もしていない息子達の子を遊ばせることを夢想する自分達に苦笑した。

稲佐山公園のつつじ。中央後方が頂上のテレビ塔。 稲佐山展望台より長崎港伊王島方面を眺望。
かきどまりの長崎市総合運動公園。2年前はインターハイのメイン会場だった。 式見のあぐりの丘。過去何度か訪れているが、こんなに大勢の人と遭遇するのは初めてだ。


平成17年4月30日
 昨日は4月23日に水辺の森公園に新装オープンした県立美術館を見学してきた。メイン展示のスペイン美術を中心とする須磨コレクションはあまり親しみを覚えるものではなかったが、建物は開放的な空間が、公園や港の風景に溶け込み、いい印象を持った。これから様々な特別展や県民の自主的活動を通して、長崎県の芸術・文化の一拠点として発展して欲しい。

美術館の二つの建物の間に運河を取り込み、2階のテラスや屋上から港や街が眺望出来、開放的な気分を味わうことができる。 4月27日〜5月1日まで港祭りが開催されていて、日本丸やあこがれなど5隻の帆船が常磐埠頭に繋留されていた。写真は今年唯一参加した外国船である韓国のコレアナ号。


平成17年4月17日
 一昨日は、4月から勤めることになった、ある予備校の入学式に出席し、久しぶりに緊張した雰囲気を味わった。昨日は7月から始まるプレさるく博の研修で、3時間程説明を受けながら歩いた。今日は家庭菜園に、にら、レタス、ロケット、モロッコ(いんげん豆)、白うり、ひまわりの種を蒔いた。明日は朝顔の種を蒔くつもりだ。いずれも1メートル程度の一畝か二畝の少量にすぎないが、どれだけ育つか、楽しみだ。鉢には去年球根を植えたラナンキュラスやフリージア、苗から育てたパンジーやビオラなどが咲き、心地よい疲れと、ささやかな春の喜びを感じた一日だった。
平成17年4月10日
 一昨日、久しぶりに佐世保にある義父の墓参りに行った。行き来している親戚は少ないのだが、最近誰かお参りしてくれたのだろうか、柴がきれいにしていた。墓掃除とお参りをした後、帰りがけに、近くで墓地のお世話をしていた人と立ち話をした。この年になると、さすがに今まで考えたこともなかった死と関係する、様々な世俗的な問題に直面することが多くなってきた。
 行きがけは西海橋経由で、帰りは大村経由で、それぞれ満開の桜を見物した。帰りには、一度は行って見ようと思っていた竜頭泉にも足を運んだ。

西海橋の桜。中央後方は架設中の第2西海橋。 架設中の第2西海橋下を通る船。
東彼杵町の龍頭泉。 大村公園の桜。平日ではあったが、花見客もかなりいた。


平成17年4月2日
 一昨日、毎年命日にお参りしているという先輩に案内されて、元同僚の墓参りをした。有馬商業高校のすぐ近くにあり、神道の家だったそうで、周りに他の家のお墓はなく、孤立して建っていた。生前ある学校で親しく一緒に仕事をし、語り合った仲で、個人的にもつながりがあっただけに、御無沙汰していたことを霊前に詫び、複雑な思いで後にした。
 その後、2年前まで勤務していた学校を訪れ、校長室・職員室・進路室などで懐かしく懇談した。2階の廊下や教室の整備状況なども見せてもらい、18年度の50周年に向けて古いものの良さを生かしつつ、環境が美しく整えられつつあるのを嬉しく感じた。夜の島原の街では、会いたかった元同僚やPTAの保護者に偶然に会えたりして、久しぶりに見苦しい歌を披露した。
 この二ヶ月間、ライブドアと日本放送・フジテレビの株をめぐる争いについての報道を興味深くみてきた。私個人は株もしないし、経済や会社の成り立ちについても無知な門外漢に過ぎないのだが、素人をも釘付けにする何かがあった。特に32歳の若い経営者が、日本の大企業を本当に支配できるところまで行くのかに、最も興味があった。堀江貴文氏に対しては、マスコミの一部は、現代の織田信長に喩え、英雄視するところもあった。東京大学在学中にオン・ザ・エッヂという有限会社をつくり、10年たらずで、日本放送の経営権を掌握するに至った才能は並のものではなく、時代の寵児といえる。ラフなファッションで、しゃべりも明快でわかりやすい。小泉総理のこの問題に関するインタビューも耳にしたが、株のことはわからないという意味の発言をしていた。一国の総理として、国家の安全と企業活動の自由、公益性等に関して原則論だけでも語って欲しかった。
 郵政民営化・年金問題等の内政問題と共に、拉致問題、東シナ海の石油開発問題、国連安保理常任理事国加盟問題等、東アジアの近隣諸国との対立をどう調整していくのか、政治・外交の世界においても、明快で正当な主張を世界に発信できる国民的リーダーの出現が期待される。
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