諏訪公園噴水から諏訪神社境内への入り口
石灯籠(写真向かって右) 高木作右衛門藤原忠栄敬建 享保七年壬寅正月九日
  ※高木作右衛門忠栄は、本蓮寺高木家墓地(市指定史跡)の墓碑によれば享保八年十月十一日没
狛犬(写真中央) 慶応三季歳次丁卯春三月 沼間平六郎□□□信謹建

お手水鉢(右は拡大写真)
(上段)寛文拾参歳 奉寄進 癸丑九月吉日
(下段)唐内通事頭 杉本久兵衛 大田長右衛門 何長左衛門 平木庄次郎 頴川太郎右衛門

祓所の左隅。左の石灯籠の碑文 天保十年亥六月 奉献 泉□□ 海部市左衛門 謹建之
狛犬右の丸石昭和天皇が皇太子時代に県立長崎図書館をご巡幸された時の踏石。(右は拡大写真)
(上段碑文)此石ハ大正九年四月二日九州御巡遊ノ際長崎図書館ニ於テ御手植ノ節御用ヒ被遊シ踏石ナリ
(下段碑文)この石は力石と云い昔力競べに用いたもの 大正天9年4月2日皇太子時代の今上陛下が長崎にご巡幸の折長崎図書館で植樹の踏石に用いられた この石の文字は当時の立花宮司の書である
※丸石は江戸時代の碑文ではないが、興味があったので掲載 

願掛け狛犬 江戸時代長崎の遊女街に登楼した船員に翌日海が荒れて出航できず、もう一晩泊まって貰うことを願って、遊女が狛犬を海の方向に廻して願を掛けた故実に由来するという。左と右の写真は、円形の台座を回転させたため、狛犬の向きが変わっている。(中央は拡大写真) 

左写真後方 高島作兵衛奉献の石灯籠 高島作兵衛永善 文化七年庚午三月吉日
右写真 庚平社 文化五年のフェートン号事件で自害した長崎奉行松平康英を祭っている 

玉園稲荷神社入口階段下の石灯籠(左右) 荒尾石見守在原成允 奉納 安政四年丁巳四月十七日
※荒尾石見守は長崎奉行として在勤(安政元〜六年)

玉園稲荷神社と階段下の石灯籠(左右) 大草能登守藤原高好 天保三壬辰年二月吉日
※大草能登守は長崎奉行として在勤(文政十〜天保四年) 

写真左 高麗井(こまいぬい) 奉 天保四癸巳十一月十八日
写真右 月見茶屋横の防火用水 享保十九年申寅十二月吉日 奉献 頴川弥藤大文□

諏訪神社長坂の御神燈 天明三癸卯年九月吉日建焉 永代講連中