規律指導の再構築     ー 規範意識を高めるために ー                                         (旧 小中学校における組織的規律指導)                             

    このHPは日本に顕著な中学を中心とする義務教育の暴力性に注目し、できるだけ早い制度整備による暴力の低減を目指しています。ひとりでも多くの方々に紹介していただき、いつの日か規律指導がせめて諸外国並みに再構築されることを念願しています。(平成19年2月)

*「良心」的?教育論 平成29年12月

 前回10か月ぶりの更新でしたが、やはりママ!さらに追加です。校則問題で尾木ママがまたいつものようなコメントをだしたということで橋下徹元大阪市長が、現場的な深い悩みを含めた反論を展開しているのをユーチューブで見つけました。https://www.youtube.com/watch?v=8hJTrzf7PS0 こうした意見は、本来、研究者や専門家、教育評論家こそが論じるべき議論なのですが、専門家ではないひとりの元政治家が問いただすという、これまでありがちだった教育論の在り方を示しています。今回の尾木ママの訴訟援護のように、とんでもない「良心」的?な議論(「管理主義」言説、共感主義。別名「お子様教」などというひともいます)がこの30~40年間も日本の教育界を支配してきたという話です(もっと長い?)。皮肉なことに、これこそが学校の暴力を拡大させ組織的なルールづくりを阻んできたのでした(詳細は以下の拙著参照)。前回、『混迷の学校教育』108~139頁、特に朝日・毎日等の一部メディアやアカデミズム、それ(「管理主義」批判)を口癖にしていた教育評論家等を含めた「管理主義」言説に関する論考をご参照いただくようお願いしました。これまでの議論を支えてきた主流の研究者が口をつぐみがちな近年、能天気な「管理主義」言説の広告塔でしかなかった尾木ママが、NHKを含むメディアでひとり絶好調というのはいったいどうした理由なのか。NHKの在り方(何と!クローズアップ現代、ニュ―ス深読み等・・・解説とは何なのか??)、メディアそのものの在り方が根本的に問われています(倒錯した「出席停止」に関する見解に象徴されるように、教員採用試験にさえ受からないレベルなのですが、関係者はそのことがわかっているのでしょうか。長い間教育界を席巻した混迷の、象徴的な論点です。NHK担当者への教員採用試験問題。次のいじめ問題への対応は正しいのでしょうか?・・・いじめが他者の人権を侵す行為であることに集団の中で気付かせることが重要であり,いじめを行う児童生徒に対して,出席停止にすることはよくない・・・○?×?)。元市長は尾木ママが本当に現場にいたのかと皮肉っていますが、まさにそうした感想は自然に思えます。同じ現場経験者でも、理論的内部対立を経て中央から広がり特に生活(生徒)指導で支配的となった、よりイデオロギッシュな「良心」的教育論(「管理主義」言説)を信じて高所から学校・教育行政批判をすることに正義を見出した東京現場出身の評論家と、火に油を注ぎがちな暴力的でイデオロギッシュなその議論を疑問視して研究してきた、地方現場出身の反省も多いごく普通の教員とは全く違った方向性となります。このことは、2013年と2014年の『文藝春秋オピニオン 論点100』(13年がママ、14年が私)が如実に示しています(後者は政策に関わる、学校暴力改善のための具体的な提案まで示しています)。こうした長い戦後の生徒指導を含む教育の混迷を、ある識者からは「人災」だという卓見もお聞きしました。歴史的な大きな流れでいえば、イデオロギーによる対立は現代世界の悲劇を生みましたが、まさに日本の教育も他人事ではなかったということです。戦後すぐの急進的でイデオロギッシュな京都の旭丘中学校事件に象徴的に表れたように、政治がらみの混迷の学校教育は、生徒指導を巻き込んで以後の流れを決定づけたのでした。この事件はアカデミズム(これまでの主流)においては、これまで長い間「民主主義」の実践として評価されていましたね(まさか、今も?)。詳細は、拙著『「良心」の教育神話』『混迷の学校教育』に、また管理職を含む現場の実践者による具体的な実践としては『「荒れ克服」実践レポート』に示しています。研究の白眉としては、森田尚人先生が、旭丘中学校事件をはじめ多くの論考を残しておられます(森田尚人「旭丘中学校事件の歴史的検証」上・下 等)。*上記問題の答えはもちろん✖。しかしこの問題の義務教育における深刻さは、このこと以上に、「出席停止」がこうした混乱の中で今日に至るまで空文であり続けたことです。『文藝春秋オピニオン 2014年の論点100』参照。

 最近読んだ比較教育研究のエリート重鎮の文章で驚いたのは、これまで研究者や教育関係者からも聞いたこともない、ごく何気ない、日本の学校教育が規律正しいなどという文言でした。日本社会がどうにか今も規律正しいのならまだわかりますが、とりわけ長い混迷の続いた学校教育においては、特に1970年代以降今日まで学校荒廃が問題化し、裏に表に悲惨な事件が続いているというのに。拙著『「良心」の教育神話』で取り上げた「葬式ごっこ」事件や、大阪の河内長野中学校の事例はそうした日本の学校の現状を、できるかぎり赤裸々に伝えようとするものでした(別に自説の補強のために選んだのではないのですが、これらの義務教育の事例においても注目すべきは、旭丘事件に通底する構造的な混迷の影が見え隠れしていることです)。小学校の校内暴力の数値だけ見ても、問題化して調査が始まって以来対教師暴力をはじめ深刻な混迷を示しているのを知っているのでしょうか。特に対教師暴力は学校の荒れを端的に示すものですが、昨年度も義務教育を中心にすごい数値で、沖原豊の研究以後きちんとしたものがないのが残念です。大学にしても、特に70年代半ば以降それまでにはなかった倒錯した観のある文化人・大学人がアカデミズムやメディアを賑わせ、これまでの正当性が混迷を深めるなか、近年ではいわゆる有名大学はおろか国立系教員養成大学でさえ、信じがたい卑劣な暴行事件が少なからず起きています。これまでにはほとんど聞くことのなかったこうした事件(ある説を援用すれば、まさにこれこそが敗戦後アノミーのなれの果て?)は、その対応においても混乱を生んでおり、ここでも「管理主義」言説に連なる学校における日本的な懲戒観の歪み関係していると思われますhttps://sirabee.com/2017/08/09/20161242468/。こうした倒錯的で卑劣な事件にしろ対応にしろ、世界的に見てどうなのか?学力はともかく、何でもありの大学が許されるはずはありません。ちなみに以前、6・3・3制と教育制度の似た台湾や韓国との比較でも校内暴力を論じていますが、数値の出ている台湾の2005年度の対教師暴力を、同年の日本と人口比で単純比較すると、小学校が実に20倍、中学校が10倍、高校は4倍です。やはり義務教育が異常ですね。小学校はそれ以後さらに悪化しているので今はまたどうなのか?ざっとした比較ですので、さらにきちんとした世界的な比較研究が必要ですが、30年以上前の沖原の研究が示した世界でもトップクラスの校内暴力国という研究結果とは矛盾しません。しかし、この戦後教育に大きな警鐘を鳴らした研究も、国会まではあがったものの、NHK関係者も加わった当時既に日本では教育的パラダイムとなっていた「管理主義」言説の議論のなかで、制度的な改善に結びつくことなく終わってしまいました。それ以後、ひょっとして重鎮のような問題意識もあるのか、いじめ研究はあっても対教師暴力という重要な比較研究がないのが残念です。沖原の研究にも関わるアメリカのゼロ・トレランスについての比較教育的議論でも、「管理主義」言説の枠内での誤解した制度改革に無縁の議論がこれまでは主流であったように感じました。少なくとも教師を殴っても問題にならない国であってはならず、どれだけ信用していいのかはっきりとはわからないPISAの結果以上に、まずは、教師も生徒も安心して生活できる規律ある学校がどこの国においても基本になるはずです。子どもはもちろん宝ですが、そのためには親が大切なように教師も大切。結局は子どもに返ってきます(拙著に事例多数)。そうした常識ある研究を今後も比較研究に期待したいものです。(平成29年11月25日~12月1日)

 *    またもや校則批判? 平成29年11月

 久しぶりというか、10か月ぶりの更新です。黙っておこうかとも思いましたが、やはり極端な校則批判、管理主義批判の吹き荒れたこの30(40?)年間の混乱と学校暴力の悪夢がありますので、老婆心ながらひとこと言わせてください。大阪の高校での話です。一般の現場が頭髪指導に苦労しているだけによくわかりますが、今回の事例は不行き届きであり、当然抗議すべきことがらです。しかしながら、どうして訴訟までしなければいけないのか。ダントツの校内暴力の数値を長い間続けてきた大阪の実情はよくわかりませんが、いったいその背景にあるのは何なのでしょうか。もしかしたらの話ですが、今回の事例も、「管理主義」言説の裏側にあった、一部メディアを含めた大きな日本的構造の繰り返しではないのかといった危惧を感じています。まさかとは思いますが、どうか、愚かな繰り返しだけはやめてほしいと願うばかりです。詳細は『混迷の学校教育』108~139頁、メディアやアカデミズム、それ(「管理主義」批判)を口癖にしていた教育評論家等を含めた「管理主義」言説に関する論考をご参照ください。(平成29年11月13日)

 *    教師の悲劇 平成29年1月

 教師が自らの命を絶つという痛ましい事件が続いています。こうした問題も生徒指導がらみのことが多く、身近な事例においても以前から表に裏に少なからず起きていた事件でした。生徒指導に関して言えば、この問題も一つには「かかえこみ指導」さえもが生徒指導の本道であるかのごとき言説が長く続いてきた日本的な事情が絡んでいます。いつもの結論ですが、管理職が関わる必要のなかった(時と場合によっては実践者とはみなされなかった)これまでの長すぎた日本的な組織的指導体制の不備(特に小中学校)が結局は大きな問題点なのです。これが改善されない限り、痛ましい事件が減ることはありません。(平成29年1月31日)

* やっと虚偽が見えた? 平成28年6月

 半年ぶりに一言。ブログ問題でやっと尾木(虚偽?)ママの問題性が明らかになりつつあるようです。本来ならば、20年以上も前に明らかだったはず。こうした高見から批判の王様が明るくメディアで露出している異様な状況は、結局は教育の置かれた戦後の長い混迷の歴史が背景にあるのですが、いったいどれくらいの人がこのことを自覚しているのでしょうか。まずは、こうした無責任で本来は政治主義的な論者(今は厚顔の風見鶏)を、公正かつ客観的な専門家として持ち上げてきたNHK教育の改革から( より詳細な議論はこのHPの「小中学校における生徒指導基準例」を参照ください。 平成28年6月15日 記 )。

* 大阪からの静かな大改革 平成28年度からついに本格的に実現: 問題行動対応ルール 平成27年12月 ・・・提言からはや10年近く。世界では当たり前のことがやっと叶いました。これまでの無責任なタブーからあまりに対応が遅れてしまいましたが、大小の混乱はあるかもしれませんが、後は保護者・地域や学校・行政・専門家・マスコミを含めた協同的な理解と対応のみです。これを嚆矢に、混乱を乗り越えやっと日本でも責任ある協同性が確立される時、長い目で見ると明らかな変化が数値として表れることでしょう。可能な限りの、誰もが安心できる学校(特に小中学校)に向けての制度整備は、もはや夢ではありません。政治的対立や混迷を乗り越え、とうとう風穴をあけた大阪に称賛と感謝。(平成27年12月)

( これまではこうした方向に否定的なマスコミ等がむしろ多かった関係上、露出の少なさは仕方ありません。実は3,40年前に整備すべきだったことなのですが・・・。いわゆる葬式ごっこ事件や大阪でいえば凄まじい校内暴力の河内長野中学校の事件 後者も中学校では特別でもない荒廃状況だったのか?ニュースにもならなかったこのような事件が、長い年月どれほど多く繰り返され、そして今も続いていることでしょうか。拙著:『「良心」の教育神話』参照> 、大河内君の事件等少なからぬ事件は防ぐことができた犯罪です。暴力が許されてきた加害者にとってさえ、不幸なことでした。認識の一般的な共有は何年後になるかわからないですが、今の現状ではさらに5年以上もかかるのでしょうか、とにかく責任ある協同性と今後の数値結果に待つしかありません。これまでの流れから、改革は平坦な道ではないでしょうが、不毛な批判を乗り越えた建設的かつ具体的制度の工夫・整備そして実践の積み重ねをどうかよろしくお願いいたします。 )

 

 現在平成27年7月。またもや、岩手の不可解ないじめ事件での感慨。平成27年7月

 このHPを始めてからもう8年以上が経過しました。生徒指導提要もどうにかまとまり、規律指導の状況は大きく変わりました。しかし、大津の事件からまだ少ししかたたないのに、またもや岩手で悲惨な事件が起きました。大津事件では教育委員会の改革がされましたし、いじめ防止の法もできたのに同様の事件は続きます。何度もいいますが、やはり、より根本的には、校長を含む学校の組織的な指導が特に小中学校では相も変わらず整備・変革されない状況が多いのです。つまりは「規律規定」(生徒指導の基準)の整備こそが問題の焦点なのだということを今回こそは読者の皆さんとともにさらに声を大にして訴えたいものです。もういいかげん、日本的な「信じがたい井の中の無責任体制」はこの事件で終わらせたいものです。

  

 

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<最新論文>規律指導の意義と課題


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 義務教育に規律の規定を!・・・中学校の暴力性は発達論的な理由なのか?

せめて大河内清輝君のいじめ自殺事件(いわゆる「葬式ごっこ」事件同様、この中学校も暴力社会でした)を機にこうした動きがあってしかるべきだったと思いますが、スクールカウンセラー制度が先立ったことは、いかにも戦後日本的なことだったと思います。他の国では一般的に規律の規定整備がスクールカウンセラー制度導入より早いのにどうして日本の義務教育は遅くなってしまったのか、大変興味深いところです。1月末、教育再生会議は一次報告として「予防的プログラム、マネジメント方法の工夫」や体罰解釈の見直しを提言しました。こうした動きは私の研究から見ても評価すべき内容だと思います。次はより具体的な方法の在り方です。少なくとも規律の規定があれば、校長を含めた安全配慮義務を踏まえたより責任ある組織的な指導が行えます。ここでの試案はアメリカ流のゼロ・トレランスを支持する実践は勿論、もっと緩やかな様々な生徒指導実践をも組織的に支えるもので、規律指導をより世界レベルに近づけようとするものです。暴力性を少なくするため、1年でも早くこうした規定が義務教育の各学校に整備されることを願っております。(平成19年2月11日:管理者 大久保正廣)

 

小中学校における生徒指導基準例(抜本的な改革のための試案です)           『「荒れ克服」実践レポート』(教育開発研究所)の担当者有志の御協力によるものです。

 

 

参考:猛威をふるってきた「管理主義」言説の例

 これまで一般的だった、規律指導に関する次の新聞記事はどこがおかしいのでしょうか? 記事

  

新刊案内 『混迷の学校教育ー日本的規律瓦解と規律指導の再構築ー』 牧歌舎 2500円

            『規律指導の再構築』収録の論文とそれ以後の論文をすべて収録  2010年5月5日発行

                       『「荒れ克服」実践レポート』 教育開発研究所  2300円

         タブーを破る日本では初めての12名の小中高の管理職による本格的な生徒指導実践集  2010年8月1日発行

                                                                                                                                                                       

                                                                            

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