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■2006年1月11日

長くなってきたので次のファイルをアップしました。
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■2006年1月10日(2)

凄い器の人と会った
桁外れに凄い
久々に衝撃が突き抜けた

僕が映像に描いた以上の器の存在との接触
そういうレベルの人が居るはずだと思ってはいたものの
今日初めてそのレベルの存在と直接会えた

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僕の問い
「行動をしないのは行動している内に入りませんよね」に対して
「そう決め付けてはいかんけども」との返答
どんな既成概念もなんたらかんたら

セリフは詳しくは覚えてないが、かいつまんで言えば
「概念に縛られずに行ける」という主旨のセリフ

頭の中はスゲースゲーと鳴りっぱなし

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彼はある事業をしようとしているのだが
やろうとしている事は目が丸くなるほど驚いた

「1人と1人が協力すれば2どころか3にも5にもなる」
「1+1が3にも5にもなる術を私は知っている」というセリフの説得力が凄い

彼の性質と事業の組み合わせが生み出す調和がある
彼、もしくは彼と同じレベルの性質を持っていなければできないと見られる
やろうとしているのが彼でなければ別にそれほど大したことではない
カリスマというか、その適合性が見事

簡単に言えば「社会福祉」なのだが
その辺のとはレベルが違いすぎる感があるが
そこにまた調和がある
凄い

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話は退行して
彼がどんなもんかと思って、実際に会いに行った
実際に会って、人間性を見てどうするか決めよう思って会いに行った

特に期待はしていなかったが、会ってみたら期待以上というか
想像できる最上であろうパターンを凌ぐほどの人物だった
別世界に来た様な錯覚を覚えた

すごいすごいと頭の中で鳴るし、思わず何度も口から漏れた

今までの体験・経験がそこに集束するような感覚がある
僕の今までの体験はここへ辿り着く布石、道筋だった様にすら感じる
どれ一つ欠けてもここには来られない

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とは言ってもまだ様子を見ないと分からない

僕の推測では、今後起きるあらゆる結果
それが幸福でも、不幸でも、不満ですら、それに満足する事になる


■2006年1月10日(1)

世の中情報操作だらけ
頭ではそう分かっていても、うまく処理で来ていないのが分かる時がある

嘘をつかなくても情報を偏らせる事で印象を操作する事はできる
悪い部分だけを見せれば、悪い様にしか見えなくなってゆく
「私は嘘は一つもついていない」と言っても確かに嘘ではない

確かに嘘はついていないが
周りを悪く見せる事で自分はいい格好をするという魂胆から成っているとすれば
嘘をついているのと同じくらい性質が悪い

嘘をついていようが嘘をついていまいが、そんなのはあてにならないと言える

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嘘をつかずに情報を偏らせる場合、見破るのが非常に困難になる
嘘を嘘だと見抜けても難しい

嘘はほころびを見つければ見破れる
間違い探しゲームと同じで、そこにある情報だけで何とかなる
しかし偏らせた情報だと、見破るには現場にある以上の情報が必要になる

良い部分、悪い部分を全部知って、
初めてその言葉に偏りがあるのだと知る事ができる
やつは嘘はついていないが偏っている

恐らく、朝鮮は国民に日本の悪い部分だけを誇張して教えているに違いない
日本にも反対の事が言える

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誇張は嘘に近いが嘘とも言えない
「AがBを包丁で刺して殺した」という表現を
「Aは無残にもBを包丁で突き刺して惨殺した」と書いても嘘ではない

例えば、惨殺という表現が当てはまらない程度に
包丁で刺して、死亡させただけだとしても
「包丁で刺すなんてのは惨殺したのと同じ」
という個人の価値観を引っ張り出せば解決できる

「包丁で刺し殺す事を世の中では惨殺と言うのだよ」とでも言ってしまえる

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放送の大半はあからさまに偏りが目立つ
それをネタで偏らせている作品も多いが、大半は真剣な顔をして偏らせている
それを真剣な表情で見つめる視聴者

洗脳マシンで洗脳されている光景に見える
こんな事が倫理的に認められているなんて日本はヤバイ

などと考える事ができる
この考え方は非常に極端に見方が偏っているが
冗談だから問題ない

と言っても、そのくらいの視点で見ても差し支えないくらいに
テレビの情報操作は凄まじい気がする
「テレビは宗教」と聞くと、そうだなぁと思う

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オレオレ詐欺なんかは、
テレビでの早期報道によって被害が食い止められた
といった見方ができるが、

テレビの見すぎでオレオレ詐欺に引っかかるような生活基盤が出来た
という可能性が否定できない

となればオレオレ詐欺は、テレビの自作自演に近い
ありえないかもしれないが、ありえるかもしれない

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常に疑っていると、何が実体なのか分からなくなる
「それが本当なのは本当か」で無限ループとなる
時々、凄く簡単な事が本当かどうか分からなくなる
1+1=2って本当か?となる

「みんながそう認識している」という信頼のもとで
1+1=2であると成り立っているのは分かる
だからこの信頼があれば、この式に不都合はない
1+1=2では無いという可能性は存在できるが、その可能性は現在必要ない
だから1+1=2で十分であり、それ以上の事は必要なく、問題ない

1+1=2であると仮定されているが、これは実体ではない
実体であれば、そもそも仮定する事ができない

仮定できる=実体ではない
仮定できないものはない=すなわち実体は存在しない
仮定できる=可能性がある

可能性がある=可能
可能性がある=仮定できる=可能

疑っている内は何もできない=仮定できる=可能

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自信が無いくせに自信が有りすぎる状態
自信が無いのは自信がある事を裏付ける理屈

自信が無いからやらない→
なぜやらない→
できないのが分かっているほど自信が無いから→
その自信は何?

やらない、やれないと思う事に高エネルギーを使って取り組んでいる状態
自分ができないと信じる事に高エネルギーを使って取り組んでいる状態
自分で自分のエネルギーの出所を、同じかそれエネルギーで塞いでいる状態

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音は空気の振動
色は光の振動
物体はエネルギー
空間、真空は質が違うだけでエネルギー
人間の感覚は電気の信号
電気の信号はエネルギー
エネルギーは活動・振動

人間は受信機

人間はそれ単体では、他に音も光も無い
音があるから音を認識可能
光があるから光を認識可能

エネルギーで満たされた世界に居るから人間は人間として活動できる
人間だけでは、音も光も何も無い


■2006年1月7日

劇終時の拍手
良いと思ったら拍手するもんだろうけど
良いと思いもせずに拍手するのはいかがなものか

感動してないのに周りに合わせて拍手
これは嘘をついているのと変わらないのではないか

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誰も傷つかない嘘はついても良い、という言葉を聞くが
感動してもないのに拍手されたら傷つくだろう
感じ取ってしまう人なら、嘘の拍手で傷つく事になる

例えば、皆が皆感動しているわけではないのだから、
「会場全体が沸いた」という状態は
それだけで「嘘つきが混じっている」という事になる

「全体が一つになった」
実際は全体が沸いているように見えるだけで
一部沸いてない人も居るが、それを無視して表現しているだけの
言うなれば誇大表現と見られる

誰一人として疑わなかったでしょう!とか
大袈裟すぎで情報操作同然

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普通はそんなの気にせずに、会場全体の拍手を嬉しく思うのだろうが
これは「そこ(嘘の拍手)に興味がむいていない」人の思考

拍手に潜む嘘を感じ取ってしまうような性質の人にとっては
「会場全体の拍手」と聞いて「嘘つきどもめ」と感じてしまう可能性がある

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例えば僕は「良い」と誉められると、
どこがどう良いのか説明してもらわない事には納得行かない

中身を見ないで適当に誉め言葉だけを言う嘘つきが必ず居る
理解してないのに誉めている様子が醜くてたまらない
どうでも良いのに興味があるフリをされると不愉快

だから僕自身は本当に良いと思わないと興味を示さないように心がける
拍手もできるだけしない

というと理屈っぽいが
興味がないのに興味を示したように見せるのは凄く失礼な事だと思うし
感動してないのに拍手するのも非常に失礼に思う
相手に向けて意図的に嘘をついてるわけだから

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こんな事は気にする必要はないのだろうが
世の中にはこういう事に気が付けない人が山ほど居て
そんな中、僕は気になる(気にかける事ができてしまう)のだから、
気にするも一興

これみよがしに常に気にしておきたい


■2006年1月6日

ゲストブック新年コメントの最後の締めが期待されます
(っ´ω`)っ

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思考がはかどらない時
うまい言葉が思い浮かばなかったり
思考時にうまく手順を踏めない時がある

こんな時、難しすぎて思考が進まないのか、
体調不良で思考が進まないのか分からない

あるいは情報が足りていないだけの可能性もあるが、確かめようがない
同じ思考は二度とやれない

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好調か不調かは分からないでもないが、
なぜ好調なのか、なぜ不調なのかは分からない

情報が足りていて、その分思考がはかどれば好調
情報が足りてなくても体調が良くて思考がはかどれば好調
いくらでも好調たる理由があるが、なぜ好調なのかは判断がつかない

思考がはかどらなくても不調とは限らない
はかどらないのと、はかどらないと感じているのとでは違う
思考がはかどらないと感じているだけで、
実際にはかどっていないとは限らない
不満だからと言ってうまく行ってないとは限らない

だから思考がうまく行っているのかどうかの判断も怪しい

しかし、やる事をやるしかないから
この判断が正しかろうが間違っていようがやる事には変わりがない

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楽しめるかどうかが重要だが、煮詰まった感があって楽しめない
思考するたびに「前にもやった感」があって、そこで思考が中断される
適当な言葉にするなら、新しい思考でないとやる気が続かないと言ったところ

やれない事はないが、非常にやりたくない
やる意味がない、これをやるくらいならやらない方を選ぶ

こういうめちゃくちゃな選択肢が浮かぶ

思考に限らず、大抵の行動にこの選択が浮かぶ
同じ事はあまり連続して続けてはいけない気がする

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こうして煮詰まってくると、ほとんどに「やらない方」を選ぶ様になってくる
そうなると、「それ」に該当する事をこれ以上は続けていられなくなる

まったく別の事をする転機となる

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いつまでも同じ芸を見ていると飽きる
飽きる芸は大抵くどいというか、アクが強いというか、
瞬間的なエネルギーが高い感じを受ける

周りに合わせず表現するなら
その高いエネルギーに同調させる事で、
周囲を同じエネルギーに高めるといった表現が当てはまる

多くの人は「その手のエネルギーが高い物」を好む
テレビがその手の物を多く扱っている事が理由になる
大衆が望んでいる証明になる

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ここに、大きく分けて2種類の人間が挙げられる

1、高い起伏のあるエネルギーを好む者
2、高い起伏のあるエネルギーを好まない者

正確に言えば
1、ある「特定A」の起伏は好むが、「特定B」の起伏を好まない者
2、ある「特定B」の起伏は好むが、「特定A」の起伏を好まない者

例えば
騒ごうぜ!と思う人と
静かにして欲しいと思う人の違い
静かな方が落ち着く派と、騒がしい方が落ち着く派の違い

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目立つ影響で認知しやすい分、
実数より多く見積もってしまうだけかもしれないが
僕の知る限りでは、騒ごう派の方が圧倒的に数が多い
数が多いというか、そうなる傾向にあると見られる

例えば何処かの店へ行けば音楽がかかっていたり
年明けに集まって祭り化してカウントダウン

僕はこういうのが嫌い
肌に合わない
もっと静かにできないのかと思う

大衆が好む物と反対の物を好む上に
大衆が大体好む物が大体嫌いという性質
僕が生まれて間もない頃からそういう性質があった模様

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僕が3歳に満たないくらいの時に
母が寝ている僕に情操教育のつもりで
ベートーヴェンか何かのクラシック音楽をテープで流していたら
僕が起きて停止させたらしい

何かのクラシック音楽がうるさくて不愉快だったのは鮮明に記憶している
テープを止めたのも何となく記憶にある
「あーうるさいなー」とかそういう気分で止めた覚えがある
冷汗じみた嫌な汗をかいていた記憶もある

3歳でクラシック音楽をやかましがって止めるなんて賢いな僕は!
と思うと笑える
他人事だったら「神童ですね…」と真顔で言っているところ
「しんどうですね」って言ってもピンと来ないだろうけど
「天才」ではちょっと意味が違ってくる
「賢い」にも「神童ですね」にも誉める意図はない

でも誉める意図に取られて、
この言葉の狙いが通じないまま話が進むに違いない

そして、説明してもウケるわけがないし、
意図が通じるかどうかも怪しいから面倒
大抵説明せずに流す

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テープの止め方を知っているのが凄いとかそういう意味ではなく
母が情操教育で流した音楽を、
その対象である若干3歳に満たない我が自力で停止させるのが滑稽

その様を神童と形容して、
「神童、クラシックがうるさくて停止させる」
「賢いけど何か違う」「それが神童なのかよ!」
という変な図を思い起こさせる
面白いのか面白くないのか良く分からない冗談の様な冗談じゃない様な冗談

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話は戻って、大衆と反対の物を好む性質
反対の物を好むとは言えども、本質的には同じ物を好んでいると考えられる
しかしその形が反対に近いものに現れており、
見た目に反対の物を好む様に見える傾向にあると言える

望みは幸福だがやる事は皆それぞれが違う、という事

分かりやすい例えに変えれば、
例えば望みは金だったとしたら、やる事(仕事)は皆それぞれが違う、
どういう仕事を好むかも大体違う、という事
目的のための手段が違う
選ぶ手段が違う
好む手段が違う

僕は多数派とは好む手段が異なりやすい傾向にあると考えられる

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ケース1・暗い気分を吹き飛ばしたい

手段
1「どんちゃん騒ぐ」
2「何かして気分転換する」
3「静かにしてる」
4「瞑想する」

僕は大抵3か4、稀に2
1は記憶にない
何もしないに近い


■2006年1月5日

黒人差別の悪循環
色が黒いからと迫害
ロクな生活をさせず、教育も受けさせない
教育が受けられないからロクな仕事に就けない
学があっても黒人だと分相応の仕事につけない

仕事につけないと生活できない
強奪を行う
黒人の思考は危険だと認識される

黒人を殺しても罪にならない法律
たくさんの黒人が黒いだけで殺される
仕返しに白人も殺されるが、それは罪になる

黒人だけが一方的に迫害されるシステム


■2006年1月2日

毎年、年明けに気をつけているのが
「明けましておめでとうございます」とは言わない様にする事です。

「明けましておめでとう」と言われて良い気分になった事がないですし
場合によっては言われると不快になります。
ノーマナーだ!

おめでとうと言われているのに不快になるなんて、何だか騙された気分です。
いいか 人を騙す事を 詐欺と言うW

わざわざ「明けましておめでとう」とか。
ただの風習で、特に意味はないんでしょうけど、
これ言われると無性にくだらない気持ちで一杯になります。

「明けまして」の部分が邪魔に思えてしかたがないんですよね。
読む分には特に抵抗ないんですが。

自分からはまず間違いなく「明けましておめでとうございます」は言わず
相手に言われた場合「明けまして」の部分を絶対に言わない様に心がけます

まさに正月です。

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一次元
直線のみの世界
例えば直線を引くとして、その線が曲がって直線上からずれたとする
一次元の視点で見た場合、ずれた分は消滅したように見える
幅が存在せず、はみ出した分が認識できないために消えたように見える

一次元からは認識できないが、二次元にいれば認識可能
見えないだけで存在はする

二次元
先ほどの直線に幅を加えたもの
平面の世界
直線を引いて、それがずれてもまだ見える
平面に置いてある物を上に持ち上げると、
二次元からは消滅したように見える

二次元からは認識できないが、三次元にいれば認識可能
見えないだけで存在はする

三次元
先ほどの二つに高さを加えたもの
現在のこの世界の空間
四次元の存在は、クルミの殻を割らずに中身を取り出せる
それは、高さ、奥行き、幅、の以外の次元
「????」を通して移動可能であるため

その「????」の次元は三次元からは認識不能

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「????」とはどういう空間なのか、というのは
誰にもそれに対する認識が無いため、その説明ができる言葉が存在しない
音が聞こえない人に、音がどういう物なのかは説明できない
説明で言葉を並べられたとしても、何が何だか分からない

「????」が認識できないのでは、その説明を行うための言葉が存在できない

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約32年前発行の科学系の本を読んだら
「これは証明できない以上空想であるが」という前置きの後に
「魂は超高性能のコンピューターとみられる」と唱える内容が書かれていた
著者「関英男」
当時の年齢は69歳

調べたら割とその手の系統の人らしい

可能性が増えると、考えの幅が広くなると見られる

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