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国指定の史跡 794年(延暦3年)桓武天皇の平安京造営のとき,この船岡山が都づくりの基点
(基準点)にされたと伝えられています。
室町中期になると軍事上の要所としてしばしば合戦場となります。応仁の乱の際には
西軍の山名宗全がここに堀,陣屋などをつくり西陣の地名として今に残っています。
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上の俯瞰図は文献,埋蔵物の調査などから平安京の創建当時を復元した図で ,京都市埋蔵文化財調査センターの梶川敏夫副所長の労作をお借りして撮影したものです。 手前の山が船岡山。船岡山からは東(左)に賀茂川・吉田山・東山が,西(右)に双ヶ岡・桂川・西山が見え,測量の基点には最高の場所であったことがよくわかります。 平安京は北限が一条大路(一条通),南限は九条大路(九条通り),東限は東京極大路(寺町通り),西限は西京極大路(天神川の東)に当たります。 基点から真っ直ぐ南に行くと北中央部に平安宮[大内裏]があり,朱雀門から羅城門まで朱雀大路が通じ,平安京を左京と右京に二分しています。 平安後期には羅城門からさらに南へ鳥羽離宮まで鳥羽の作り道として繋がっていきます。今の千本通りを南に下ると大極殿の基壇跡(千本丸太町交差点),朱雀門跡(二条),羅城門跡(九条)など昔を偲ぶ旧跡に出遇います。 |
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船岡山からの眺望 標高わずか111mではありますが今も頂上から西に双ヶ岡・西山の連山が身近に見えます。 南は天王山・男山・甘南備山,空気の澄んだ正月にはその向こうに生駒山まで見ることが出来ます。 東は樹木に遮られて頂上からはなにも見えませんが,北側に下りて東に向かうと(2分ほど),休憩所があります。そこから東山の山々,北山の連山が一望出来ます。 大文字,妙法,船形,左大文字が一望でき大文字五山の送り火の絶好の観賞スポットになつているのもこのあたりです。 ただし最近は超満員。いい場所からの写真は困難。 |
(頂上から)
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西方を展望 中央が双ヶ岡 中央左の森は北野天満宮 その右が平野神社(双ヶ岡の手前) 右の突き出た山が衣笠山 後方が西山連山 (02.01.03) |
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南方を展望 男山の左後方に生駒山がはっきり見えていました |
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(大文字五山の送り火の観賞スポットからの展望)
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送り火(02.08.16) 画像クリック |
送り火(02.08.16) 画像クリック |
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(船岡公園あちらこちら) 秋・冬
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| 北進入路(02.04.02) | 運動広場横(02.04.02) | 建勲神社(02.03.28) |
道案内 市バス船岡公園下車すぐ
周囲1.3km面積78900平方kmあり東西南北に登り口があるが,なだらかな坂は北口から
自然 樹種が多く四季を通して貴重な自然観察に富んでいる。
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(風水) 京都は山紫水明の都として永年栄えてきましたが,三方を山に囲まれ下方を水に抱かれて広がる 自然の地形は中国の易学・風水の四神相応図に合致していると言われ都市の理想型とされています。 平安京を取り巻く四つの神「四神」は一般に次のように言われていますが他の説もあります。
北の山は災害を防ぎ,南の池は気を養い,東の川は貿易を栄えさせ,西の大道は文化の交流を 四神の図は高松塚古墳の壁画が有名ですが朱雀が盗掘のため破壊されていました。ところ |
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中央手前が朱雀門・・・・上へ応天門,朝堂院,大極殿 今では発掘資料などから位置,規模,様式などほぼ正確に分かっていると言われています。牛馬が労働を助けていた程度の時代に先人の知恵と権力の大きさにただただ驚愕させられます。 (京都市埋蔵文化財調査センター梶川敏夫副所長の作品をお借りしました) |
写真左の「大極殿遺跡」の巨大な石碑は1895(明治28)年の平安遷都1100年記念祭の時に建てられました。 それから100年,奇しくも1994(平成6)年の建都1200年の歴史的な節目の年に大極殿基壇の遺構が出土しました。その位置は明治に推定された大極殿の位置からわずかしか離れていませんでした。なにか凄いことのように感じるのですが皆さんはいかがですか? (写真左・・千本丸太町上る西すぐ。 中央・・千本丸太町交差点。 右・・千本出世稲荷前下る) |