(74)泣いた、笑った

 今年は、命の大切さ、尊さ、はかなさをあらためて感じた一年となった。
 自然の力はすごいなとは普段から感じていたことだが、その力はすさまじく、人間が太刀打ちできるものではないと思い知らされた。ごく普通の生活が一瞬にして目の前から奪われてしまったのだ。人間の弱さを感じた。でも、人間の強さも感じられた。テレビなどを通して被災者の方の悲しみに涙を流し、生きようとする力に感動し涙した。 
 命の尊さを感じたこの年に新しい命、孫が生まれた。
 3月、出産を目前に世の中が変わってしまった。水が手に入らない。孫のためにペットボトルを求めて走り回った。そして放射能。母乳への影響、胎児への影響がどうなるのか情報のないなかで不安が増すばかりだった。
 4月28日誕生。みんなに満面の笑顔を与えてくれた。「ようこそ」という思いと「ごめん、あまり住みやすいところじゃないかもしれない」という思いもよぎった。
 出産直後、福島市内で一時期を過ごした。この孫を守らなければ。いまの仕事の原動力である。仕事のための仕事ではない。孫のためである。
 君が生まれたこの年に大人の人たちは何をやっていたのか。きちんと答えられるだろうか。不安、不信、憤りを感じながらも10年後、20年後の笑顔のためにいま何ができるか。できることをしっかりやらなければならない。そういう思いを強く感じている。(2011.12.24)

  ・ うちで測った放射線量 庭の土で176ベクレル 畑の土で867ベクレル
   ゆずの実156ベクレル キウイの実66ベクレル キンセンカ72ベクレル 
   キンセンカに付いていた土14,160ベクレル(?)

(73)目黒のサンマ

 ドジョウではなく、サンマの話です。
 インターネットの記事に目黒のサンマのことが出ていました。毎年恒例の「目黒のサンマ祭り」が今年も開かれ、岩手県宮古市から送られた約7000匹が参加者に振舞われたとのこと。記事のタイトルは「秋の味覚で復興支援」。「がんばれ!宮古」がテーマです。目黒とサンマの取り合わせも不思議なところですが、もっと不思議な感じを受けるのはこの記事の中に放射能についての表現がないことです。「サンマ」「岩手」と言えば、今の世の中の流れでは「放射能」という言葉を誰でも思い浮かべるところです。記事を書く側も当然そのことを意識するはずなのに表現しないのはなぜなのでしょうか。
 マスコミは常に、水を差すような言い方や皮肉めいたことを言うことが使命のように思っていましたが、どうしたんでしょう。そこまでいかないまでも、サンマの放射能について「7月の調査では若干検出されたものの、8月の調査では不検出となっている」とか、なんらかの情報の提供があってもよいのではないでしょうか。

 国に対しての不信感もある中で、マスコミはそれに対立する立場であるべきなのに、マスコミも同じ方向を向いて、こちらの国民の方を向いていないように感じられるのです。あるいは別の方に目を向けさせようとしているのでしょうか。
 放射能のことは もう 忘れろ 忘れろ
(2011.9.4)

(72)正解はどこに

 先日、3ヶ月になる赤ちゃんを持つ母親と放射能についてお話をさせてもらいました。国の示す基準、指標以下だから安全、問題ないと言われても安心できない。基準以下だけど自治体としては対応策を考えてます、と言われれば安心材料にはなる。対応策がなければ、ここから引越しを考えなければならない、というお話でした。
 私の孫もちょうど3ヶ月、生まれた後、母親の実家のある福島市内で1ヶ月余りを過ごしてきました。福島はここと比べれば100倍の数値です。気持ちは十分わかります。安全であるという数値で示されても不安な気持ちが解消されるものではありません。

 私としても放射能についての知識がなければ答えも見出せないという思いから、テレビ、新聞、インターネットや書籍などからいろいろな情報を得ましたが、情報を得れば得るほど、一体何が正解なのか判断できなくなりました。マスメディアも牛に問題ありとなるとそこだけに集中し、そこ以外についても注視する必要がありますね、というような提言をしようとは考えていないようです。
 国にはっきりとした基準がない、対応のマニュアルがない、いつまで続くか先が見えない、という状況の中で、住民からすれば、国は信頼できない、県は何もする気はない、あとは市町村に頼るしかない、という流れになっても仕方のないところでしょう。
 正解はどこにあるのでしょうか。放射能は土地を汚染し、海を汚染し、野菜、肉などの食べ物を汚染しています。私たちはその汚染に真正面から向き合わざるを得ない状況になってしまいました。引越しをしたからといって、正解になるものではありません。
(2011.7.24)

(70)普通に

 「大丈夫、私たちは人の幸せをねたむほど落ちぶれていません。みなさんは楽しいときには十分笑い、楽しんでください。」新聞に出ていた被災者の言葉です。心の強い、優しい人である、という紹介がありました。
 私たちは、ややもすると「上から目線」という態度になりかねない、と感じました。私たちは被害のない幸せな人、あなたがたは被災者となった不幸な人たち、かわいそうに。私とあなたは違う人、という感覚では、ねたむ、という気持ちが生まれてきてしまうのではないだろうか。私とあなたは同じ人という感覚で助け合うことが大事なこととなります。
 助け合うにはどんなことができるでしょうか。まずは、義援金。そして救援物資の提供というところでしょう。それ以上にはなかなかできることはないかもしれません。となると、あとは普通に生活すればよいのではないでしょうか。
 普通とは、買いだめをしないこと。ガソリン、カップラーメン、水など、いつもどおりの量でいいでしょう。牛乳や野菜などを買うときは情報を確認し風評被害を生み出す側とならないようにすること。福島から移ってきた人に健康の確認だと称して放射能に汚染されてないことの証明書を出せと言わないこと。それが普通です。
 普通に生活することが全体が前へ進むための第一歩となります。あえて歩みを止めたり、笑うことをやめたりしたからといって、被災者の共感を得ることにはならないと思います。(2011.4.24)

(68)ずれ

 日本列島が4メートルずれたそうだ。でも、そんなことはどうでもいいのだ。気持ちがずれているのではないか、ということだ。
 プロ野球が開幕するそうだ。選手はその気持ちになっていないのに。みんなを元気にしようという気持ちなのだろうが、まだ安否確認もできていない人が何万人もいる段階で、そういうタイミングではないだろう。阪神大震災のときは10日たった段階で「復興」という言葉が出てきたので「元気づける」というのも意味があったが、今回はまだそういう雰囲気ではないだろう。過去の例だけでの判断では、ずれが生じるということだ。
 買いだめをしている人がいる。「被災者のかたは水も食料もなかなか届いていないんですね。早くなんとかしてあげなきゃ」と言っておきながら、自分はガソリンを給油し、カップラーメンと牛乳と納豆を買うのである。純粋な気持ちを持ってはいるのだろうが、その行動が被災地に影響を与えているかもしれないという思いまではいかないのだろう。相手を思う気持ちがあるのなら、今は何もしないことだ。
 放射性物質の汚染がやはり野菜に出た。人体に影響はないと言う。だけど、出荷自粛の要請が出た。影響がないのなら売ってもいいのではないか。この言葉のずれは何なのだろう。(2011.3.21)

(67)ホームヘルパー

 マンションのような外観、すっきりと明るい室内空間。住み心地はよさそうである。だが、入居している老人の顔は無表情。まったく生気がない。一日中何もすることがなく、ぼおっとしている。ここは介護付き有料老人ホームである。わたしはここで一日を過ごした。
 「野球の金田に似ているね。いい体してるわ。あたしはね、若いころ野球が大好きだったんだよ。」わたしは「ありがとうございます」と答えたが、その会話をその日軽く10回以上繰り返すこととなった。ほとんどが程度の差こそあれ、認知症である。
 この人たちをお世話する施設の職員は若い。多くが20代。リーダーとなっているのは30代前半である。この若者たちが介護の現場を支えているのである。
 24時間体制の中では、早番、遅番、夜勤があり、排泄介助、食事介助、入浴介助など相当な体力を使うこととなる。若いということで対応できる部分である。一方、毎日何回も排泄介助を行い、毎日何回も何回も同じことを繰り返す会話をきき、毎日ずっと徘徊し続ける人を目で追いながら神経をとがらせる。ありがとうの言葉ももらえず、治るあてなどない日々を過ごしている年老いた者の姿を若者は受け止めきれない。職員は疲れている。
 離職者が多いということの理由としては、きつい労働ということもあるが、病院の看護の中なら病気が治るという結果があるのに、こういう施設の介護では、努力の結果がどこにも出てこないということが大きな理由なのではないか。
 やりがいのない、結果の見えない世界に若者は耐え切れない。
 わたしがこんなことを感じたのは、現場研修を含めて4ヶ月にわたる研修を受けたからです。この研修により「ホームヘルパー2級」の資格を取得しました。
 新しい人生の扉の前に立った、というところ
 nice fifties
(2011.2.14)

(62)つながり

 うちの次男がまだ中学の1年のとき、まったくやる気がない毎日を過ごしているように見えたので、親としては困ったなと思っていた。
 だが、それは違っていた。部活でバレー部に入っていたが、1年生は優秀な者が集まったようでレギュラー6人のうち5人までがみんなが認める者がなっていた。もうレギュラーは無理だ、別の道を探そう。毎日真剣にそればかり考えていたそうだ。あるとき、テレビで見た格闘技のナンバーワンを決めるK1の試合に、これだ、と感じた。だけどいきなりK1とはいかないか、じゃ、まずボクシングをやろう。それがプロボクサーへのはじめの一歩となった。
 平日は部活、土日は千葉市内のジムでの練習という生活が始まった。それが高校でのボクシングへとつながった。ジムの会長の母校である宮崎県の日章学園への入学となった。この3年間の厳しい練習に耐えたことにより、19歳でプロテスト合格へとつながった。
 昼間のアルバイトと夜のジムの練習という生活は、ややもするとバイトの方に重点がいきがちだった。生活のためには致し方ない。
 ボクシングの殿堂・後楽園ホールでの試合には多くの人が応援に来てくれた。人と人とのつながりがどんどん広がった。
 一途な思いは人を引き寄せ、その力によって本人も輝いていく。親として、その姿は頼もしく、貴重な経験を本人がしていくと同時に、親もいろいろな経験をさせてもらった。
 プロなんだから、はずかしくない試合をしてくれと思いながらも、自分の体を痛めつけるのを見ていられない。もういいだろ。親の思いはいつも複雑である。
 終わりはいつか来る。それは突然来るかもしれない。そんな思いもあった。
 そのときが、やはり突然来た。平成22年6月、23歳で引退である。
 この経験が次の何かにつながることを祈っている。(2010.6.27)

(60)かわいい金魚

 
私は金魚を飼っています。小さな水槽ですが赤い金魚が3匹ゆったりと泳いでいるのを見ると心がなごみます。
 小さな水槽ですが、1週間に一度は掃除をして水の入れ替えをしています。水の中へ手を突っ込み掃除をするのですが、そのとき金魚は全く逃げないのです。敵だという認識がないのでしょう。長年人間に飼われているとやはり自然の中の生き物とは違ってくるのでしょうか。
 先日、さいたま市の小学校で理科の実験中に、ガラスビーカーと間違えて塩化ビニール製の容器を電気こんろに載せたために、容器が焦げて有毒な気体が発生し、4年生12人が体調不良を訴えて病院に運ばれたということが新聞に出ていました。私はちょっと違和感を覚えました。教室全体が火事になったわけでもあるまいに、そんな煙を吸わないように口を押さえるとか、さっさと教室の外へ飛び出せば体調不良まではいかないんじゃないのと感じたのです。
 気になります。これは、危ない、という自覚「危険回避能力」が欠如しているのではないか。最近の子供の事件あるいは事故の話の中で、加減ができない、危険の予想ができないことによって大きなできごとになってしまったケースが数多くあります。
 子供というのは、生活や遊びの中でさまざまな体験をして、ちょっとだけ挑戦をして、危険なことについて予知能力や事故回避能力など身体能力を高めて成長してきているはずなのですが、今の子供たちはそういう能力が遺伝子レベルで変ってきているのでしょうか。

 かわいい金魚ということだけでは世の中を泳いでいけないのです。
(2009.12.13)

(55)疑わしきは有罪?

 先日、浅草で花見酒を味わった後、ほろ酔い気分で電車に乗り込んだ時のことである。車内は割りと空いていて、すぐに座ることができた。まもなくうとうととしてきて、いつの間にか眠ってしまったようだ。
 「危ない!」電車がガタッと少し揺れたとたんに目が覚めた。いつからか隣には女性が座っていたのだ。自分の手は確かに自分のひざの上にあった。危なかった。これがもし、女性のひざの上を触っていたら、と想像して背筋がぞっとした。酔っていたからとか、電車が揺れたから、という言い訳が通用しない痴漢行為になってしまうところだった。
 映画の「それでもボクはやってない」を観たことがあるが、やっていないことを証明しない限り、今の司法の中では99パーセント有罪となる。検察側に不利な無罪判決を出した裁判官は、政府に不利な判断をする裁判官ということで、出世などの際に不利益となることが多いため、有罪の可能性が少しでもある場合はできる限り有罪にするという傾向がある、と表現している。
 実際にやっていない場合であっても、社会的には、会社はクビとなり、妻との離婚という最悪のシナリオが待っている。
 「疑わしきは罰せず」というのが刑事裁判での原則のはずである。
 女の言い分を鵜呑みにしてはいけない。(2009.4.19)

(52)魅力的

「あたし、歳が近かったら、結婚してたかもしれませんよ。」
「えっ、オレと」
「そうですよ。でも、うそですけどね。」
 彼女の言葉はまんざら、うそでもないように思えた。とはいえ、冷静に考えると、今の自分ではなく、結婚を考えられるほど若いころの自分なら、そんなことは言われなかったのではないかと思う。
 もし人生をやり直せるとしたら、あなたはどこまで、もどりますか。最初から、あるいは、青春時代からですか。青春がなつかしいと思う人もいるようですが、私は青春時代にはもどろうとはまったく思いません。楽しいことはもちろんありましたが、苦い思い出がそれ以上にあります。今でもそれは何の前触れもなく、どこからか頭の中に降ってきます。「わっ」と思わず声が出てしまうほどの自己嫌悪に駆られる画像が現れるのです。

 人生は、多少は楽しいかもしれないと思い始めたのは40歳を迎えたあたりだろうか。自分にもなんとかできるかなと自信を持ち始め、人の気持ちも汲み取れるようになった時期だと思う。
 青春時代は、何をしたらいいかもわからず、むだに時間を使っていたような気がする。今はやりたいことがいっぱいあり、寝る時間がもったいないとさえ思う時もある。
 自信とそれなりの経験を積むことによって、人を受け入れるだけのこころの余裕が感じられる魅力的な人間であると、彼女は見てくれたのだろうか。(2009.1.20)

(51)待てない

 先日、窓口で年金の手続き内容を説明していると、いきなり「で、私は何をすればいいんだ。」と切れてしまった。切れる場面ではないと思うが、説明さえ待てないということのようだ。こんな人が最近増えているような気がする。
 車を運転しながら前の車がちょっとでも遅いとイライラし、信号が青になるのをアクセルをふかしながら待ちきれない。コンビニで前に3人くらい並んでいるとイライラし始める。
 一方で、おいしいラーメンを食べるために30分でも1時間でも待つ。あるいは、ディズニーランドでは60分でも120分でも待つのである。

 待つことができる場合と待てない場合の違いはなんだろうか。ラーメンの場合のように、自分にとって得になる場面が思い浮かべられる、ということなのか。それがイメージできないと、自分にはまったくの無駄な時間ととらえられてしまう、ということなのだろうか。
 あるいは、たとえば、住民票をもらうために窓口にきた人が、1分でも2分でも待てない。待つことが苦痛でさえあるようだ。これは、そのことで待たせる側が優位に立ち、待たされる側が低い地位となってしまう、という意識の表れなのか。「なんで、このオレ様が待たなきゃいけないんだ。」そういう顔に見えてしまう。
 仕事では、なるべく待たせないとこを念頭に意識しているが、待つ側の意識次第で受け止め方が違うのであれば、その間の溝が埋まることはあるのだろうか。
(2009.1.18)

(49)今年読んだ本

・「みなさん、さようなら」    久保寺健彦      ☆☆☆    ・「私の男」           桜庭一樹        ☆☆☆☆
・「人のセックスを笑うな」   山崎ナオコーラ    ☆☆☆    ・「映画篇」            金城一紀        ☆☆☆
・「陰日向に咲く」        劇団ひとり       ☆☆☆☆   ・「乳と卵」            川上未映子       ☆☆
・「八日目の蝉」         角田光代       ☆☆☆     ・「禁断のパンダ」        拓未司         ☆☆
・「風花」             川上弘美       ☆☆☆     ・「食堂かたつむり」      小川糸          ☆☆☆
・「夜の桃」           石田衣良        ☆☆☆     ・「ブルーベリー」        重松清          ☆☆☆☆
・「ゴールデンスランバー」  伊坂幸太郎       ☆☆☆☆   ・「東京島」           桐野夏生         ☆☆☆
・「西の魔女が死んだ」    梨木香歩        ☆☆☆     ・「とける、とろける」      唯川恵          ☆☆☆

・「ふたりのしるし」       山口正善        ☆☆☆     ・「うつ恋」            栗原美和子       ☆☆☆
・「人間の関係」        五木寛之        ☆☆☆     ・「サクリファイス」       近藤史恵         ☆☆☆☆
・「切羽へ」           井上荒野        ☆☆☆     ・「時が滲む朝」        楊 逸           ☆☆☆
・「訣別の森」          末浦広海        ☆☆      ・「百瀬、こっちを向いて」   中田永一         ☆☆☆
・「もう切るわ」          井上荒野       ☆☆       ・「平等ゲーム」         桂 望実         ☆☆
・「地図男」            真藤順丈       ☆☆      ・「なぜ君は絶望と闘えたのか」門田隆将        ☆☆☆☆
・「演じられた白い夜」     近藤史恵        ☆☆☆     ・「夢をかなえるゾウ」     小島敬也         ☆☆☆☆
・「犯罪小説家」         雫井修介       ☆☆☆      ・「BOX!(ボックス)」    百田尚樹         ☆☆☆☆
・「赤めだか」          立川談春        ☆☆☆     ・「彼女について」       よしもとばなな      ☆☆
・「ひらめきの導火線」    茂木健一郎       ☆☆☆
                                      
 (2008.12.21)

(48)出産

 
このところ麻生首相の失言が話題になっており、先日も地方の医師が不足している問題について「社会的常識がかなり欠落している医者が多い」と語り、問題視されているが、この医師不足の問題はかなり深刻化しているようだ。
 国際比較では、人口当たりの医師の数や総医療費、人口当たりの医療費が日本は主要7カ国の中で最下位にあることが分かった。中でも、医師の不足による産科の閉鎖がとまらず、産院選びどころか、まず産院があるかどうかが心配な時代となっている。
 少子化の問題では、晩婚や経済的な負担、あるいは子育てより自分の生活を充実させたいとするライフスタイルの変化などがあげられるが、近くに産院がなくなり、万が一のことを想定すると不安になるというのも出産を控える大きな原因のようだ。
 医師側からみると、過酷な勤務と医療事故による訴訟リスクが高いことで産科医をやめていったり、敬遠されるということになる。この訴訟については、医師千人あたりの訴訟件数が、産科では12.4件、内科では3.8件と、産科が3倍以上となっている。出産は安全なものであるという神話が作用し、不幸な結果になった場合に裁判に訴えるケースが多いということのようだ。
 人口1万3千人を越すわが村でも、この1年間に生まれた子どもは、わずか59人。
人口ピラミッドが崩れそうである。(2008.11.30)

(46)体験記・その1

 一瞬どきりとした。犯罪者と目が合いそうになってしまったからだ。
 千葉地方裁判所第304号法廷。裁判の傍聴である。
 裁判員制度が始まることもあるが、前々から人がどのように裁かれるかということには関心があった。
 件名・傷害、窃盗、暴行、脅迫、ストーカー行為等の規制等に関する法律違反
 被告人は23歳の男、緑のティシャツにジーパン姿、髪はきれいに整えられ、普通の若者だ。
 裁判所書記官、30歳代半ばといったところか。検察官は女性だ。やはり30歳代半ば。弁護人も同じくらいの男性。若い。この人たちが世の中の事件を処理しているんだなと頼もしく感じながらも、その若さに不安も感じる。
 裁判官入室。色白、ほそおもて、髪は長く、ちょうど50歳と見た。女性である。
 裁判官の人定質問のあと、まずは、検察官の起訴状朗読。被告人が傷害、窃盗等の罪を犯したことが、静かな部屋の中で、こちらが集中しないと聞き取れないほど小さな声で読み上げられた。被告人はそれを認め、弁護人も被告人と同様である旨告げる。
 次に冒頭陳述、被告人の家庭の状況、犯行にいたるまでの経緯、犯行時の詳細な状況が捜査報告書、供述調書をもとに説明され、証拠として裁判官に提出された。
 暴行の相手は付き合っていた彼女だった。彼女への束縛の度合いが強くなり、別れ話の中で彼女をたびたび殴ったり、脅したり、携帯電話を取り上げたりとエスカレートしたため警察の介入となったようだ。
 次に弁護側、弁護人は被告人の反省文を提出し、被告人の母親を証言台に立たせた。
「親としては、反省して生まれ変わって帰ってくるようにと話した。親の責任でもある。本人も反省しているようだ。」
 次に被告人への質問、被告人は「犯行の原因は自分の束縛のしすぎにある。反省している。もう彼女には会わない。」と、弁護人の質問によどみなく答える。打ち合わせどおり、ということか。反省を強調しているようだ。
 検察側の被告人質問、検察官「彼女がもうあなたのことが好きじゃないことはわかっていたんでしょ」まるで友達の彼氏を問い詰めているような感じだ。先ほどの小さな声ではない。語気は強くなった。検察官という特別の立場というより、ごく普通に一般市民の目線からとらえているという印象を持った。
 裁判官「彼女にお見舞金とかできますか」「つぎは犯さないと約束できますね」穏やかなやさしいお言葉である。
 検察官意見「相手の心情を省みない卑劣な行為である。懲役2年を求刑します。」
 懲役2年、これは聞きなれた言葉であるが、実際に現場で聞くと、重く、緊張する言葉である。
 弁護人「内容は争わない。執行猶予付きを賜りたい。」
 裁判官「被告人、何か言いたいことは」
 被告人「反省しています」
審議終結。この間、約1時間。判決は2週間後。
裁判は45分刻みで毎日執行されている。(2008.9.5)

(39)文章のすすめ
 文章を書くという作業は結構大変である。書けと言われてもなかなか書けるものではない。これは、食欲がないのに食べろと言われるのと同じことかもしれないと思うほどである。でも、これは栄養があるんだよ、体にいいんだよと言われると少しは食べて見ようかなという気も起きる。
 この作業は、たとえてみれば料理みたいなものかもしれない。
 きょうの夕ご飯のおかずを何にしようかとあれこれ考えるとき、そうだ、きょうはカレーにしようと、決める。そして、冷蔵庫からたまねぎ、にんじん、肉などをそろえる。これは逆に言えば冷蔵庫の中にいま何があるか大体頭に入っているからカレーが浮かんだということだろう。わざわざ買い物に行って、高い牛肉を買っても味付けがうまくできなければ誰もおいしいとは言ってくれないというもの。いまある材料をうまく使えばいいということになる。
 文章は自分のよく知っている身近なこと、たとえば、子供のこと、家族のこと、近所の出来事などを、そのひとつの場面をいろいろな角度からみつめ、、感じたことをそのまま表現すれば充分に良い文章となり、相手にも伝わる。
 文章を書くという作業は、ひとつのことに対して感覚と感動を大いに働かせ、感性を磨くきっかけとして有効に作用する。(2008.1.27)

最近思うこと

(75)安心してはいけない
 はい、撮るよ。いいね、いい顔だ。
初節句のお祝いに集まった親戚の人たちに笑顔を与えている孫の写真を撮った。
そのシャッターの音は心地よく、幸せを感じる音であった。
 この1枚の写真がいまの被災地のように、どろにまみれた思い出ということにしてはいけない。
 だが、不安は残る。宮城県のがれきの処理については8割が県内で、2割は広域でと決まっているのだという。マスコミの報道では、被災地以外の県や市町村が受け入れを拒否しているから処理が進まないような印象になっていたが、順調にいっても全体の2割だけ。県内で8割の処理をすべき国が全く進めていないということだ。報道する側としては問題点とすべきところがずれているのではないか。マスコミの報道には疑いを感じてしまう。
 報道についてもう一つ。昨年の3月13日いわき市のカー用品店に男性が飛び込んできた。バッテリーをすべてほしいと言う。市内でなかなか見つからず、やっと8個手に入れた。この男性は東京電力の社員。バッテリーは津波で全電源を失った福島第1原発の原子炉圧力を下げる弁の操作に必要なものだった。東電が昨年末公表した報告書にひっそりと載っている。原発のもろさを象徴するものだ。そんな情報を1年もたってから小さな記事として伝えている。
 細野さんは安全性が確認されれば再稼動が必要であると発言している。原発の安全、安心をどんなに表明してもだれにも信頼されないであろう。(2012.3.5)

(76)真珠婚式

 結婚して30年となった。私28歳、彼女24歳が夫婦となり、早いもので、もう30年人生をともに過ごしてきている。
 結婚前は彼女は4つ年下であった。結婚と同時にふたりは同い年となった。「まあ、それはそれで」と思うもつかの間、妻はあっという間に4つ年上の姉さん女房となっていた。もちろん、そういうバランスという意味で。

 それはともかくとして、今から40年前の婚姻の状況をみると、夫が3歳年上というパターンが一番多く、夫が年上の婚姻件数が全体の約80パーセントを占めていた。今は同年齢の婚姻件数が40年前と比べて約10パーセントから20パーセントと2倍に増えているそうだ。なぜ増えたか。
 今の若者は仲間内ではよくしゃべるのに先輩など世代がちょっと離れると、途端にしゃべらなくなるという。異なる世代との接触を避けたいという無意識の現れのようである。それは普段、異なる世代との接触の機会がなく、職場の上司や先輩などとどのように接したらいいのか、どんなふうに気持ちを察したらいいのかわからない、ということがあるのではないか。それが仲間内へと向かい、そんなことが結婚という社会構造の一部まで変化させているようである。
 職場の上司との接し方としては、「これも勉強、研修の一つ」という気持ちでもよろしいのではないでしょうか。そのうちに肩の力も抜けてくるでしょう。気軽に雑談してくれる男性、女性職員が現れるのを楽しみにしております。
きゃろらいん・ちゃろんぷろっぷ・きゃりーぱみゅぱみゅ なのだ。(2012.5.20)

(61)印旛村であること

 大学に入学したときに、自己紹介では、「印旛村から来ました」と挨拶した。それは、村ということで多少の親しみ、あるいはインパクトとしてはいいかな、ということで、あえて使ったいた。あえて、ということは、村というのは多少小ばかにされる雰囲気を感じながらも村から来て、みんなとこの同じ場所にいるでしょ、という自負も含めての自己主張である。
 印旛村が誕生して55年。ほぼ自分の人生と同じ時間、この時代を生きてきた。そして自分の職場として30数年、毎日、印旛村という言葉を目で見て、口にして過ごしてきた。その印旛村がなくなる。
 印旛沼と印旛村がごっちゃにされながら、むらはいいですね、と言われ、なにがいいんだろ、と思いながら、東京から50キロも離れていないのに、これだけの自然が残っている。確かにこれはいい。最近、村という素朴な響きにあこがれこの地に住み始める人たちもいる。都会的な生活をしながらも身近な自然も味わえる、そして穏やかな人間関係もできそうだ、ということがポイントなのであろう。その印旛村がなくなる。
 移り住んできた人たちにとっては、名称は単なる形であり、自然も人間関係も変わるわけではないのだから、こだわることは何もない、ということだろうが、この地で生まれ育った人たちは「むら」というマイナスになりかねないイメージと直接向き合い、「村だから」と「村だけど」という思いが混じりながら、自分を培ってきたなかで、切り離せない存在になっているのである。
その印旛村がなくなる。それは、さびしい、という言葉だけでは表現しきれないものがある。(2010.3.14)

(58) 伝えたいこと 
 自分の子供がこの世に生まれ出てくるなんて、不思議な感覚だった。
 子供をあやすなんて、どうすればいいの。戸惑うばかり。
 長男が私の人差し指をしっかりと握った。その感触とぬくもりに、自分のことを頼りにしているんだな、と感じた。
 親というのは、こういうときにこうするんだな、こう言われたら、こう言ってきかすんだな、と一つ一つ覚えていった。
 長男を叱った。こわいな、と言われた。よし、そうか、こわいか。ちゃんとしつけたぞ、と思ったが、すぐに、自己満足だけのような気がした。
 子供をちゃんとしつけたなんて、とても人に言えるようなことはやっていない。
 小学校への初登校の朝の後ろ姿。ほんとうは、ちょっと振り返りたい、だけど、振り返らないよ、前を向いていくよ。そんな主張があった。
 名前のとおり、まっすぐに素直に育ってくれた。
 子供から教えられながら、親も成長できた。
 父親から子供に何かを伝えられただろうか。いや、伝えようともしていなかった。
ただ、子供、妻、家族への思いを込めて、毎日気持ちよく過ごせるように、目の前のことを一つ一つ片付けていっただけだ。
長男が新しい家族を持とうとしている。
それでいい。それだけで十分だ。
(2009.10.25)(長男11月結婚)

(47)別れる

「別れましょ。」そう妻に言われたのは今年の春のこと。自分ではまったく自覚がなく、状況がすぐには飲み込めなかったが、妻の話を聞いて納得した。子供部屋がたまたま空いていたので、即実行。
 夫婦別寝(ふうふべっしん)である。
 中高年夫婦を中心に、これまで枕を並べて寝ていた習慣を改め、寝室を別にするスタイルへの関心が高まっているそうだ。仲が冷えたから、という理由の人もいるだろうが、これは、いわば発展的解消ということになろう。別になる理由は生活のリズムの違いが多いのだそうだが、うちは私のいびきが原因のようだ。
 子供部屋が三つ空いていて、どれでもよかったが、いままでの寝室にいちばん近い部屋とした。ドアを開けたままにしているので、お互いの気配を感じ合えるということになる。トイレに行ったようだとか、なんとなく様子はわかるが睡眠はじゃまされない、という適度な距離感が気持ちいい。原因は私だが、「ひとりで寝る開放感」を久しぶりに満喫している。(2008・10・20)

(42)裁く

 以前、最高裁判所を見学したときに女神像を目にした。この司法・裁判の公正さを表わすシンボルとなっている正義の女神像は、右手に剣を、左手に天びんを持つ。そして目隠しをしている像もあるという。剣は法の厳しさや司法の権威・権力を、天びんは法の公正・公平を、目隠しは先入観や予断を持たないで裁く、法の理想を表現している。 
 山口県光市の母子殺害事件の差し戻し審で当時18歳の少年に死刑判決が言い渡された。事件から9年がたつ。今まで幾度も見た、幼いわが子を抱く奥さんの笑顔の写真が印象に残る。そして、常に冷静に、強く語る本村さんの姿にはいつも感心させられる。
 報道や遺族の感情から察してもこの事件については、極刑が納得のいくものと思われる。が、しかし、一方の被告の印象はひどく薄い。ほとんど何の情報も持っていない。少年について情報を得ていれば、別の見方も出てきたのだろうか。
 来年の5月から裁判員制度が始まる。他人事ではなく、自分も「当たる」可能性がないわけではない。残忍な事件の状況を聞き、証拠や写真を目にして、果たして、冷静に公正に判断できるだろうか。先入観や予断を持たないための目隠しではなく、目を覆い隠してしまいそうである。(2008.4.23)

(71)よくわからない
 
 「だいじょうぶだよ」「安全ですよ」という言葉に安心して今まで私たちは生活してきた。
 ところが、今は、この言葉がすんなりとは受け止められない状況となった。自分が放射能に汚染される可能性が高くなることなど想定外のことである。
 「だいじょうぶって、何を基準に言ってるの」「安全?そう言い張る根拠は何なの」さまざまな情報や意見が入り乱れていて、本当は何なのか、よくわからない、というのが現状のようだ。
 どこまで有害なのか、どこまで安全なのか、触れてもだいじょうぶか、食べてもだいじょうぶか、よくわからないのである。判断のよりどころとなるものがない限り判定不能であり、次の行動にも移れない。それは現在だけのことではなく、将来のことを考えるとなおさら不安になる。それに答える情報も示されていない。
 10年後、20年後のことは誰にも想定できないということなのか。それでは私の孫に申し訳ない。記念すべき2011年に生まれてきた。日本はその年、放射能汚染に完全に打ち勝った。という年になることを祈るばかりである。
(2011.6.8)

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(64)エンディングノート

 
エンディングノートとは、終末期や葬儀のことなど、自分の希望や思いを書いておくノートのことです。これまでの人生を振り返り、これからやりたいことを考えながら、財産を把握し、人生の後半期のことを書きとめておくためのものです。医療や介護が必要になったときの希望や、葬儀や墓のことを記入するページもあります。
 人生の最後は、誰にでも起こることです。それが起こってからでは、大事なことを家族や周囲の人たちに伝えることもできなくなります。

 うちの父は78歳まで元気で、何の病気もせずに過ごしてきました。それが1年4ヶ月の入院の後に人生の最後を迎えてしまいました。長くなりかけた入院生活のために、認知症となり、病気の痛みや苦しさをあまり感じなくなったのは、幸せだったのかもしれません。そして、死というものも意識してなかったと思います。これは、幸せというべきでしょうか。
 死を意識できないということは、死への怖さは感じないということでいいでしょうが、反面、死を考えるチャンスがなくなってしまいました。自分が死んだらどうなるか、死ぬ前にやっておくべきことは何か、家族に言っておくことは何か、それができないのです。
 父のことですから、口頭ではなく、文章でこと細かに箇条書きにしたことでしょう。家族への思いと、兄弟、親戚やお世話になった人たちへの最後のあいさつ。そして、研究をしていた水草に関しては、伝えたいことがいっぱいあっただろうと思います。

 伝えたいことが伝えられない。こんなに無念なことはない。(2010.9.19)

(53)いたむひと
 映画「おくりびと」を見たときは、死を題材にしたものであるが、映像だからだろうか、わりとすんなり受け止めたが、天童荒太の『悼む人』は読んでいくにつれて、心の奥底に重く、どんよりと、のしかかってくるものを感じた。
 主人公は、全国を歩きながら事件や事故で命を失った人たちの死を悼む旅を続ける。冥福を祈るというよりは、亡くなった人たちを自分の心に刻み込み、悼むということである。
 この行為は私は理解できないわけではない。今まで、親戚や知り合いの死を経験する中で、そのときの悲しさは時間が立つにつれ薄れて、いつしか何事もなかったかのように時は過ぎる。人間というのは忘れることでバランスをとっているんだ、と言われそうだが、死の受け止め方は本当にそれでいいのだろうか。
 主人公はいつの場合もこの言葉を発する。「この人は誰に愛されていたでしょうか。だれを愛していたでしょうか。どんなことをして、人に感謝されたことがあったでしょうか」
 私の父は、生前、60年にわたり沼の水草の研究をしていた。ある環境団体の顧問をしていた関係で、その団体が、先日、その研究活動の紹介と成果の展示会を開いてくれた。その場で私は何人もの人たちと、父の生前の様子や研究の評価について話を聞くことができた。「どんなことをして、人に感謝されたことがあったか」それを形として目にすることができたのは幸せと言えるだろう。(2009.3.1)

 

 

(50)もう一つの箱根駅伝

 
今年の箱根駅伝は東洋大学が優勝で幕を閉じましたが、もう一つの箱根駅伝と言われているイベントをご存知ですか。実は、私も初めて知ったのですが、箱根駅伝本番コースの往路をほぼ同様に5区間に分け、1日目に1区(大手町)〜3区(平塚)まで進み平塚市内の湘南海岸公園でビバーク(野営)し、翌日、4区(小田原)〜5区(芦ノ湖)までのコースで行われます。
何をするかというと、これが沿道のゴミを拾いながら、そのゴミの量とタイムを競う大学生の競技なのです。
 これは、神奈川大学の探検部の発想だそうですが、今年は4回目となり、神奈川大学のほかに中央大学、慶応、東海、亜細亜など12校が参加して箱根駅伝のあと、4日と5日で、5人1組となり、約20時間をかけて、たすきをつなぎながら110キロ先のゴールをめざします。
 大学のサークルの親睦を深めながら、競技性も取り入れて、環境問題を考える行動としたことには、グッとくるものがあります。さすが大学生です。こういう発想は若者らしく気持ちがいいです。
うちの息子も亜細亜大の探検部の1年生として参加します。花の3区だそうです。
いいな、大学生って。
(2009.1.4)

(45)誰でもよかった
 
 最近の残忍な事件が報道されるたびに、私は背筋がぞっとすることがあります。それは事件そのものではなく、その現場にいた目撃者の言葉にです。「血が顔から相当出ていて、手はだらりとしていました」「おなかにナイフがささっていて、意識はないようでした」その言葉は冷静に状況をとらえています。まるで映画の1場面を思い返して説明するかのように。
 これは現実の世界を見ているのに、仮想の世界との違いを自分で意識ができていないのではないか。そこには動揺するとか、目をそむけたくなるという感情がなく、じっと見つめているという姿があります。そう思うと空恐ろしい気がするのです。犯人の意識とそんなに違いがないのではないか。
 犯人の意識も現実の世界からすると、どうにも説明がつかないのです。
両親に仕返しがしたかった。14歳のバスジャック犯人、33歳の八王子での犯人、ともに同じことを言っています。それが人を殺すということとどう結びつくのでしょうか。3人の子を持つ親として意識しようと思っても隔たりがあり過ぎ、考えが及びません。
 誰でもよかった。人を殺そうと思ったときに、憎悪という感情や切羽詰った状況というのは必要ないんでしょうか。近くにいる人を持っているナイフで刺す。ナイフの柄の部分を利き手でしっかり持ち、相手の左胸をめがけ下方からイッキに刺す。こんなマニュアルがあってはなりません。
我々にこれを理解できるときが訪れるのでしょうか。(2008.7.28)

(41)人生の実績
 3番目の息子がまだ小学生のころ、いつものように私のあぐらの中にすっぽり体を滑り込ませながらテレビを見ていたときのこと、6つ上の長男が近寄ってくると、すうっとあぐらの中から体を移動させ、私の脇に座り直した。長男が何かを言ったわけではないが、三男は、気恥ずかしさを感じたようだった。子供から少年になった瞬間を見たような気がした。その三男もこの春から大学生となる。
 社会人になっている長男に「がんばれよ」と言ったら「がんばってるよ」としっかりとした口調で言われてしまった。社会の厳しい風の中にいるのであろう。次男はプロボクサーとなり、世界チャンピオンになる夢を追いかけている。これで3人それぞれが一人暮らしとなり、自分の世界を自分の力で創っていくこととなった。
 においさえも心地よく感じながらオムツを替え、ほ乳瓶の温度を手の甲で確かめながらミルクをあげた。そんなことを親が走馬灯のように思い浮かべる卒業式を何回か経るうちに、子供は次の階段を登り始め、肉体的にも、精神的にも大きく成長する。
 子供は親の知りえない部分をたくさん持ち始め、それを親は成長の一歩とは知りながらも、不安と迷いの中での子育ては手探りの連続であった。子供の成長とともに、親の方もさまざまな経験をしながら、いろいろな味の涙を流しながら、人として成長できたような気がする。
 この子育ては私の人生の大きな実績である。(2008.3.3)

(69)

 「ベクレル」「シーベルト」よく理解できません。
 「直ちに健康には影響しません」でも「食べないでください」この言葉の差が理解できません。
 「直ちに」ではなく、「大量に」ではなく、「微量」であればという言葉が説明として出てきますが、時間的、量的なものがすんなりとは受け止められません。理解できないと楽観的な考え方にはならず、最悪な事態を想定してしまいます。
 うちの孫が来月生まれます。息子たちはいま東京で暮らしていますので、乳児には飲ませないでくださいという水道水を飲んでいます。母乳に影響が出るのではないかと心配なのです。(2011.3.24)

(66)伊達直人

 「あぁあ、今年も一人っきりの正月か、さみしいもんだな。なんか、いいことないかな。隣の児童養護の施設の子供たちもさみしい思いをしてるんだろうな。そうだ、ランドセルを贈ってあげよう。人の役に立つおやじになんなきゃな。」
 「おぉ、やってる、やってる。やっぱりニュースになった。そうだよ、伊達直人ってのは、俺のことさ。かっこいいだろ。タイガーマスクは俺たちのヒーローさ。子供たちも喜んでくれてるはずだ。たまには俺もいいことをしないとな。よかった、よかった。」
 寒い。あったかい気持ちが伝わってこないのである。テレビのニュースキャスターも「いいことですね」と言いながらも、もう一言、言いたそうである。贈られた施設の方も、ありがたいと同時にどう生かしたらいいか、という戸惑いもあるようだ。
 自己満足に過ぎないのである。自分の行動は相手にきっと感謝される、という一方的な考え方であり、身勝手である。相手が何を望んで、何をどうしてほしいかという、相手の気持ちを察する、あるいは相手の気持ちに共感するという態度ではない。自分のさみしさの反動であり、自分の存在を社会に認めてほしいという気持ちの表れなのだろう。この人たちを責めるつもりはない。こんな行動になるのは、孤独死の問題や無縁社会と言われる今の世の中の問題と同じレベルにあることなのだと思う。
 菅直人さん、もうちょっといい世の中にしてください。(2011.1.17)

(65)福祉とは

 福祉という言葉の語源としては、「福」は酒を入れるビンで、「祉」はそれを乗せる台を表わしている。転じて神を表わすようになったとのことです。そのことから福祉とは、豊かな、身も心も神とともにあるような幸せな状態を表明しているという解釈があるそうです。現在の辞書では、「幸福、満ち足りた生活環境」となっています。
 今の福祉社会のあり方として、ノーマライゼーションという考え方があります。これは、ノーマル、「正常な・普通の」という言葉からきており、日常の地域社会の中で、障害を持っている人や介護を必要とする高齢者が健常者とともに生活することが当たり前となる環境づくりをしていこうというものです。
 うちの子供が小さいころ、片方の目が弱視ということがわかり、見える方の目を大きなバンソウコウでふさぐことによって、見えない方の目の視力を回復させるという治療をしていました。肌色のバンソウコウでしたので、片方の目がない状態に映ります。それを見た周りの人は、「まあ、かわいそうに」と言いました。私はショックを受けました。その言葉には見えない壁があると感じたのです。ごく普通に治療を受けているだけなのに「私とあなたは違う人」という感覚が読み取れてしまうのです。
 体の不自由な人々が存在し、その人たちが生活する上でどのような困難があるかを知り、どのような気遣いが求められるかを考え、「私とあなたは同じ人」という感覚で手を差し伸べ、お互いに助け合うことを意識することなく、自然にできる「こころ」の環境づくりが必要です。 「福祉とはこれだ」というような、ことさらに福祉ということを強調する必要がない状態が本来の福祉なのではないでしょうか。(2010.11.7)

(63)質を問う

 がんというと中高年がかかるというイメージが強いが、子宮けいがんは、若い世代の女性に急増しているそうだ。20代でかかるがんのトップとなっている。このがんの予防ワクチンが昨年、販売開始された。10代の接種が有効であり、県、市町村の一部でその費用の補助も始まった。
 元女優の三原じゅん子さんは2年前に子宮けいがんを患ったそうだ。今回の参院選挙の街頭演説では、このがんの予防ワクチンの接種が施策として重要であることを訴えていた。それを聞いていた有権者のおばさんは「えっ、何のワクチン、やっぱり美人だわね。」という感想だ。話の内容はまったく伝わっていないということだ。
 民主党の小沢さんがいち早く、柔道の谷亮子さんを引っ張り出した。その時点で当選確実が出る人である。有権者は候補者の政治能力など眼中にないことを知り尽くしている。いや、小沢さんでなくても、いまだにこの戦術を使ってくる。これが実際生きている。
 タレント候補がいけないわけではない。それまでの人生経験をいかして国政に反映させたいという気持ちは意義あるものと受け止めてあげるべきだろう。だからその人が何を訴え、国会で何をしたいのか、きちんと有権者の側が判断する必要があるのだ。
 だが、実際には、あっ、この人知ってる、美人だわね、という視点で投票してしまう。柔ちゃんに35万人が投票した。有権者の質がこんなもんだから、同じ戦術がまかり通ってしまう。
 議員の質を問う前に、有権者自身の質を高めねばならない。(2010.7.14)

(59)謝辞

 私たち親にとっては、自分たちの子供が社会人としてどのような評価を得ているかということを知る機会はなかなかないわけでありまして、こういう結婚式は貴重な機会でありますので、そのスピーチや職場の方、友人の方のお話の一言一言を丁寧に聞かせていただきました。それにより、親としては、安堵、安心をしたところでございます。本当にありがたいことだと感じております
 息子に関して言えば、いままで、高校、大学の進学、あるいは就職、そしてこの結婚、それぞれの段階で最良の選択をしてきております。それは皆様方のそれぞれの時点での適切なアドバイスがあったからこそ、本人も最良の判断ができたものだと考えます。
 これから、二人の人生を築いていくなかで、今まで以上に選択、判断をしなければならない場面が数多くあることでしょうが、その時も、皆様方の一言一言をしっかりと受け止め、この二人は最良の判断をしていくことだろうと思います。そういう意味も含めまして、どうか、これからもこの二人に対して、ご指導、ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。(2009.11.1)

(57)暴挙

 「決めたことをきちっとやり抜く姿勢を貫くことが大事」鳩山さんはおっしゃった。立派だ。
前原さんも、マニフェストに沿って、八ッ場ダムの建設中止をすぐに表明した。
 が、しかし、これは暴挙と言わざるを得ない。ファッショ思想だ。
 自分たちが決めたことなんだからと、結論ありきで物事を進めようとしている。地元の意向の確認、話し合いもせず、現状と将来への影響の説明もなく、代替案も提示せず、費用対効果のデータもなく、ただ結論のみで相手を説得、納得させる努力もしない。これが民主主義に基づく国の姿勢とは到底言えない。
 選挙に勝ったんだから、この国を変えるんだから、これが民意なんだから、とばかりに意気揚々と走り出そうとしている。自分たちの数の力によって、万能の力を持っている我々は何でもできる。そう見えてくる。独裁だ。
 見失っているものがあるのではないか。山の頂上にいきなり立ってしまい、目線がふもとの方にいかなくなっているのではないか。国の政治の基本は党や政治家ではない。国民である。国民が何をどのように変えたいかという、その意思を充分に反映しているかどうか冷静に考えていただきたい。(2009.9.30)

(56) それは犯罪である 

 帰宅して最初の日課はパソコンを開いて迷惑メールを削除することである。次々に出てくるわけのわからない100通を超えるメールにはうんざりする。
 「今Hしたい方必見」「素敵な女性が見つかります」「人妻専門」ちょっとこころが揺れそうになる言葉であるが、発信者はこんなことにエネルギーを使い、何を生産しようとしているのだろうか。
 1年間で約4000件パソコンに入り、4000件削除している。電気代はもとより、費やす時間も年間にすれば延べ30時間以上となる。
 昨年、世界で発信された迷惑メールは62兆件、330億キロワット時の電力が使われた。日本の一般家庭での消費電力に換算すると、約920万世帯分に相当する。温室効果ガス排出量は1700万トンと想像できないほどの数量となる。
 時間をなるべく効率的に使いたいと思っている中で、この迷惑メールの処理は全く生産性をもたらすことなく、むだな電力と無意味な時間を費やすだけである。
 これは、迷惑の域ではなく、地球環境に悪影響をもたらし、個人の時間を奪い取るという犯罪行為である。(2009.6.6)

(43)ほめられる
 ほめられて伸びるタイプと叱られて伸びるタイプがあるようですが、私はほめられて伸びるタイプだと思います。
 叱るよりほめるというのは、脳の働きの基本的なメカニズムにかなっているのだそうです。
 誰でもほめられると大きな快感が伴います。快感を伴う刺激を受けると脳幹の前方から前頭葉につながる神経系でドーパミンという特殊な物質が出て、それが前頭葉のさまざまな働きを活性化させるのです。ドーパミンは大きな音や振動、ストレスが生じたときなどに分泌される一方、おいしい食べ物を食べるなどの快感を感じたときにも分泌されます。ということは、ドーパミンの分泌を促すような刺激を与えれば、前頭葉各部が担う頭の機能はよくなるのです。他人にほめられるということは、まさにそのような刺激だったのです。

 仕事だけでなく、人とのつながりの中でも、その人をほめ、尊重するということがお互いを成長させることになります。(2008.6.15)

最近思うこと2004〜2007