富 津 岬  東京湾に突き出た岬の先端は本当に尖っているのだろうか?
2005年3月27日   

 小学生の頃から東京湾の地図を見るたびに気になっていた。そう、あの尖った地形である。本当に尖っているのか。実際に現地へ行き、この目で確かめることにした。その前に、富津岬を空から確かめてみる。 

   

 確かに尖っている。しかし、小学生の時に見た地図帳の形とはどこか違う。これも空から確かめよう。左は上の写真の一部を切り抜いたもの、右は昭和22年に米軍により撮影されたほぼ同じ位置の写真である。

              

 違いは一目瞭然だ。明らかに先端が無くなって縮んでいる。私もさすがに昭和22年にはまだ生まれていなかったが、それでも昭和40年代に見た小学生用地図帳の富津岬は現在よりも尖っていたような気がする。現地へ行けば縮んだ原因が分かるだろうか。さっそく出発である。東京周りでいっても良いのだが、それでは芸がなさすぎるので、久里浜港からフェリーに乗ることにした。

  1 久里浜港から出航する東京湾フェリー          2 遠ざかる久里浜港桟橋
   

 少し沖合に出ると東電の発電所が見えて、灯台のある2つの小さな島が見えた。この島はあしか島といって、江戸時代まで今は絶滅してしまったニホンアシカが棲んでいたそうである。信じられないが本当のようだ。あしか島についてはここに詳しい事情が書かれている。

 3 東電横須賀火力発電所                 4 あしか島
   

 5 東京湾を横断するフェリー              6 フェリーから見た金谷港
   

 千葉県側の金谷港についた。久里浜に比べると港はローカルで、周りの雰囲気ものんびり、千葉県民には悪いが、良い意味でも悪い意味でも田舎??である。

 7 金谷港                       8 金谷港ターミナルビル
   

 金谷港から内房線浜金谷駅までは歩いてすぐである。駅舎もホームも久里浜駅とはかなり違って、ローカル線そのもの。

 9 浜金谷駅跨線橋から見た内房線列車          10 浜金谷駅ホーム
   

 上り電車に乗って、大貫駅で下車する。ここから西に行って海岸に出る。布引海岸というそうだ。

 11 浜金谷駅駅舎                    12 布引海岸 その1
   



 この布引海岸、写真では伝えきれないかもしれないが、とにかく景色が雄大である。砂浜は広く、視界を遮るものがない。CMや映画の撮影にはちょうど良い感じである。難点は、カイトサーフィンが飛び回っており、撮影にはやや目障りということくらいか。まあ、モーターパラグライダーのように五月蠅くないので良いだろう。

 13 布引海岸 その2                 14 布引海岸 その3
   

 15 布引海岸 その4


 どこまで歩き続けても永遠に続くのかと思われた広い砂浜も、やがて幅が狭くなり、護岸とその先に三角形の構造物が見えてきた。

 16 布引海岸 その6                 17 布引海岸から見た富津公園展望台
   

 写真18、19が富津岬の先端である。別に尖ってはいない。南側の防波堤によってなんとか浸食されずに残っているという感じである。

 18 富津岬先端 その1                19 富津岬先端 その2
   

 北西方向には写真21のように砂州が確認できた。

 20 富津岬先端 その3                21 富津岬先端 その4
   

 ピラミッド型の展望台に登ってみる。さすがに眺めは最高である。先ほどの昭和22年の航空写真によると当時の岬は砂州が真っ直ぐ第一海堡まで続いていたようだが、現在も当時よりやや北側に浅瀬があるようだ。写真23では第一海堡まで続く白い帯が確認できる。

 22 富津公園展望台から見た観音崎方面         23 展望台から見た第一海堡(西方向)
   



 その砂州を撮影したのが写真24、25である。岬と砂州の間にやや深い部分があるが、この状況だと、富津岬と第一海堡の間は、船が通り抜けることは難しいだろう。大潮の干潮であれば歩いてわたれるかもしれない。

 24 富津公園展望台から見た砂州 その1        25 富津公園展望台から見た砂州 その2  
   

 写真26で緑豊かな半島方面を眺めると右の外洋側でテトラポッドが目立つ。

 26 富津公園展望台からの写真(パノラマ)


 ところで岬の大部分は、現在は広大な公園となっている。なぜか?観音崎と同様、明治時代より東京湾の防衛のための軍の施設があったかららしい。首都圏でまとまった面積で自然が残され、公園となっているところは、実は軍事基地だったところが多い。この半島も、軍が接収していなかったら、私有地のままごみごみとした住宅地か、畑になっていただろう。軍隊が国民や国を守れず、自然を守ったことになるのは皮肉なものである。
 で、現れたのが写真27〜29のコンクリート構造物である。特に解説板もなかったので、帰ってから調べてみると、ここは第一陸軍技術研究所富津射場という場所だったそうだ。太平洋戦争中は試射場だったらしい。軍の最高機密があった場所である。当時はすでに、航空機の発達により、東京を守るという役目は果たせなかったのである。
 このトーチカのようなものは、着弾を観測する壕だったらしい。別に米軍の爆弾を防ぐためのものではなかったのだ。

 27 陸軍富津射場観測壕                28 陸軍富津射場観測壕の内部
   

 写真29のこの窓から陸軍の将校が双眼鏡で同じ景色を見ていたのだろうか。

 29 陸軍富津射場観測壕からみた東京湾         30 富津海岸 その1
   

 富津岬の北側は、遠浅の海岸になっている。潮干狩りで有名なところらしい。先には、巨大な埋め立て地と煙突が見える。

 31 富津海岸 その2                 32 富津海岸 その3
   

 海岸沿いに歩くと、やがて、埋め立て地で行く手を阻まれてしまったので、公園入口から、青堀駅を目指して歩く。結構な距離があるがやっとの事で駅にたどり着いた。青堀駅は写真33のとおり、ローカルな駅で気持ちもなごむ。普通に電車で帰るのも面白く無いので、木更津からバスで東京湾を横断することにした。木更津市といえばこの地域の中心都市だと思っていたが、その木更津駅前は意に反して狭苦しいターミナルなので驚いた。

 33 青堀駅                      34 木更津駅前
   

 バスは楽だ。太陽が傾く時間、あっという間に横浜に着いた。

 35 東京湾アクアライン木更津側            36 バスから見る東京湾アクアライン
   

 37 海ほたる(アクアライントンネル入口)     38 ベイブリッジからみなとみらいを望む
   

 富津岬の先端は尖っていなかったが、ちょっとした「最果て気分」を味わえるところである。富津岬は神奈川県民にとってあまり馴染みがないが、富津公園、布引海岸も含めてなかなかおもしろいところだ。
 ところで、冒頭のなぜ富津岬が縮んだのかという謎だが、Wikiによると土砂の堆積と関東大震災による隆起によって富津岬と第一海堡が地続きになっていたということである。戦後、埋め立てにより海流のバランスが崩れたということらしい。しかし、私見だが、おそらく岬の北側に河口がある小糸川の護岸と河口の大規模な埋め立てに原因があると思われる。地形的に小糸川が富津岬の美しい曲線を形成していた土砂を供給していたことは明らかで、無秩序な地形の改変と護岸工事がこのような事態を招いてしまったのだろう。
 とにかく、南側の海岸のテトラポッドがなければ、富津岬は変形するか、将来消滅するに違いない。海岸がテトラポッドだらけになる現象は、日本中の川にダムを造り、岸をコンクリートで固め、海岸を埋め立ててしまった日本の現状をみれば当然といえるかもしれない。
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