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普度寺

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 明代に故宮(紫禁城)の東華門外に皇城東苑、又の名を南城があった。皇帝たちの遊び場のひとつである。その苑の宮殿を重華宮と呼んだ。普度寺の前身である。1450年土木の変で失脚した英宗皇帝は一時ここに住んだことで歴史上に名を残している。

 清初、ドルゴンが入城したとき、この重華宮で摂政をしいた。事実上清順治初期の政治の中心となり、多くの人馬が行き来した。「百の車馬が南城に会す」とまで言われ、当時王侯貴族が頻繁に出入りしたのである。順治7年12月ドルゴンが病死すると、冤罪に問われ、王府である重華宮は荒廃する。

 康煕33年(1694年)康煕帝はドルゴンの名誉を回復し、重華宮を改修してマハカラ廟と名づけチベット仏教寺院とした。マハカラとは日本では大黒天であり、チベット仏教では護法大神である。乾隆40年(1775年)更に拡充し大殿を慈済殿と呼んだことから普度寺と愛称された。

 20世紀後半から南池子小学校となり、また一部の住民が住み着いていた。2002年、周囲の居住区域も含めて大改修し普渡寺の復元と保護を行い、2004年一般に公開している。

 この普渡寺の数奇な流転の歴史を紫禁城の謎としてまとめた。是非ご一読ください。

   場所:東城区南池子普渡寺前巷
   入場料:不詳


山門 山門北面 普渡寺大殿 大殿 走獣
山門 山門北面 普渡寺大殿 大殿 走獣
チ吻 大殿裏面 龍の彫刻 配殿 西側
チ吻 大殿裏面 龍の彫刻 配殿 西側
正面の街並み 北面の街並み 正面東西街並み 南池子街 近所の胡同
正面の街並み 北面の街並み 正面東西街並み 南池子街 近所の胡同