平成19年度全国大会
写真後列左より石津格夫、前田弘、太田収、藤井浩一、
梅田甲子郎、横田英夫

中列左より北村俊郎、芝崎久也、岡本定之助、植西吉雄、
中村善三郎

前列左より 塩見悦夫、林忠四郎、遠山正男、鈴木篁

金鶏会と
は旧制第
三高等学
校柔道部
のOB会で
あります


逍遥歌「紅萌ゆる」は ここ




思い出の校舎の変貌

上の航空写真は現在の敷地です。下が北になります。右手の運動場、奥の運動場(かっての寮の西側)が目印になります。柔道場と剣道場の建物は残っているのかどうか分かりません。
は正門の位置。



会員所在分布図





金鶏伝説のひとつ(右の記事)



三高柔道部略史は ここ



三高私説には広く詳しい三高生一般の説明があります。それはここ


平成13年以降全国大会会場となっているリーガロイヤルホテル京都(京都駅近く)



このホームページは幹事の鈴木篁が制作した資料と澤田二美雄(沙葉)の新聞記事を引用して作成、大江敏美が管理人。記事写真などの投稿を歓迎。幹事(太田、鈴木)か管理人まで乞連絡。       

更新: 2008.8.7.



平泉の金鶏山(は中尊寺)


平成二十年度金鶏会(三高柔道部)全国大会開催決定

 

会場京都のリーガロイヤルホテル
期日 十月二十九日(水)

平成20年度金鶏会全国大会出欠・中間報告(08.10.04:現在)
出席:太田・横田・澤田直・福井・石津・遠山・鈴木・高木・水谷・
    北村俊・塩見・植西             12名
  今回報告:0     0名                   以上計:12名
  欠席:山口諒二・田郷・澤田二・平野・栗原・井上・芝崎・吉井・大江・大草・白尾
      大羽・泉・玉井・ 吉村・半田・工藤・加納・林・前田・梅田 21名
        1  今回報告:岡本・倉島・静間・北村良  4名      以上計:25名
宛先不明:岩谷・松本  2名

      

平成十九年度金鶏会(三高柔道部)全国大会

  秋晴れの京都のリーガロイヤルホテル三階薔薇の間で恒例の金鶏会全国大会が十月二十四日開かれた。十九名の出席の回答があったが、直前に体調不調などのことがあって、高木督夫、北村良男、工藤憲男が欠席となり結局十六名の出席となった。

 定刻の十二時半開会、太田幹事から、昨年の大会以降の逝去者柳沢哲雄(07.07.14)、松井清(07.02.16)、深瀬義郎(07.03.19)、米谷実(06.12.23)の報告、会員状況説明、会計報告の後、岡本定之助長老の乾杯の音頭により開宴となる。

 岡本長老は、自分は三年後に百歳になると皆を驚かしたが、続いて、この年になるとさすがに同年配の仲間はいなくなり、年間で集まりはこの金鶏会と昔の勤務先の集まりだけとなってしまった。よろめきながらも何とかして出席するのが夢だ。かつてこの金鶏会も出席者が一桁になったら考えようと言ったことがあるが、一人になってもやってほしいと思うようになった、と述べ、旧制高校OBの宿命を痛感させた。今回出席者の平均年齢は約八十七歳位だから無理もない。

 京大柔道部会報で元三高柔道部五名の消息を尋ねている話があり調べて善処することにし、また新道場(養気館)正面玄関前の柔道部員全員の記念写真が披露され、これは六高に昭和十一年久し振りに快勝したときの記念だと言うことが判明した。また三高柔道部対校戦の歴史の中で昭和十五年大高戦で「三高一人を残して悠々勝った」とあるは誤りであると、そのときの三高大将横田英夫(S.16理甲)から異議があり、実際は、敵大将がきわめて強く、三高副将多田卓夫(S.16理甲)が辛うじて引き分けて、横田を残してようやく勝ったのであって「悠々」ではなかったと言う。

 しばしの懇談の終わりに、寄せ書きをし、石津が桜章旗をふり、紅萌ゆる、寂寞破る全節を高唱し、記念写真(沢田直久は中座)を撮り、十五時半来年の再会を期して解散した。

幹事 太田・鈴木


林田悠紀夫先輩が2007年11月11日午前10時34分都内の病院で心不全のため逝去されました。享年91歳。京都府知事、参議院議員、法務大臣などとして活躍されました。次に、尾崎克幸先輩が12月2日心不全のため逝去され、鈴木が同5日の鎌倉における葬儀に出席しました。上述の岡本定之助長老の訃報によれば2月8日通夜9日告別式(於三条河原町キリスト教会)の由金鶏会から弔電。謹んで各先輩のご冥福をお祈りします。
金鶏会新春会

日時 3月15日(土)12〜15時 
場所 新宿区新宿3-37-12美美卯(電話03-5379-7241)
出席者は藤本、横田、太田、高木、鈴木、福井、栗原、泉。

金鶏という名称の由来(澤田沙葉)

旧制・三高柔道部のOBの会は「金鶏会」と言われている。「金鶏会」という名称が一体、何時どのようにして付けられたのか知りたいと思い、先輩諸氏に尋ねたのである。その結果、金鶏会は浜口雄幸の時代に始まる光輝ある歴史を持つことを知って感激しているところである。

後述の金鶏神社の案内によれば、源義家が東北鎮撫に赴くとき、現在の東京都小石川の池のほとりで野営したところ、金色に輝く鶏が夢枕に立ち声高々と暁を告げた(左に想像図)ので、これこそ吉兆、戦勝疑いなしと全軍喜んで北上した。徳川家康が江戸を開府した時、その由緒ある場所を功臣・酒井忠世に与えたので、そこに八幡太郎義家を祀り金鶏祠と名付け庭を金鶏園と称した。昭和になって安岡正篤(陽明学者、東洋思想家)がこの邸内に「金鶏学院」が開いた。昭和六年、彼により埼玉県嵐山町にある鎌倉時代の武将・畠山重忠の城跡に農士学校が設立された。そこには金鶏神社があり、そ こを中心に全国各地に支部があり、日本社会に深い影響を与えている。

 金鶏についてはそれこそ日本全国津々浦々、至るところに伝承が伝えられている。織田信長の前何百年も岐阜を支配した土岐氏の居城のあった城山は「金鶏山」と称し、今日まで数々の金鶏伝承が残っていることを知って驚いたのである。それはそれとして「金鶏」がまた伊勢神宮の「神鳥」≠ナあることを知って、驚いた。そのことと関係があるのかどうか知らないが三重県には百六十五ヶ所に金鶏についての伝承があるというのだからこれまた驚きである。また平泉の金鶏山は、奥州藤原三代秀衡が高さ数十丈に築いて漆一万杯と黄金一万両に黄金の雌雄の鶏を埋めて鎮護とし”朝日さし夕日輝く木の下に 漆万杯 こがねおくおく” と歌われ伝えられている。(左に写真)
 「金鶏」は言うまでもなく中国の「祖庭事苑」に登場する。とにかく金鶏が鳴いて、天下の鶏がこれに応じて鳴く≠ニ言われる。仏典では弥勒菩薩が鶏足山に下生すると言い、禅宗の祖・達磨大師を称えて「金鶏」というのだからこれまた意味深長である。

ところで筆者が金鶏の威力について知ったのはイスラームのお陰であると言えばほとんどの人が 驚かれるであろう。一般にイスラームの予言者と言われるムハンマド(彼と彼の後継者の上に平安あれ!)は西暦六二二年・イスラム暦元年の二年前すなわち六二〇年に大天使ガブリエルに伴われて天に昇り、神の玉座に詣で、神から直々に色々の教えをいただいたと言われる。これが有名な「ミ’ラージュ」(昇天)である。この「ミ’ラージュ」に際して予言者は第一天でアダムに会うのであるが、同時にそこで巨大な金鶏を見るのである。このことを調べた結果、金鶏について普通には知られていない驚くべきことを知るに至ったのである。(写真はエルサレムの岩のドームでムハンマドがミ’ラージュしたときの足場となった岩がこのドームの直下にあると言われています。)

さらにまた、この金鶏が古代バビロニアにおいて「Zig」として述べられ、旧約聖書の「詩篇」にも登場するのを知って驚いている次第である。



 
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