中野城
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中野城主郭跡と見られる丘(13年6月)

国道170号線を富田林市「若松町5北」交差点を東へ。500mくらいで富田林警察署新堂交番に着く。この交番を含めた背後の竹やぶの丘が城址。丘の北側には旧集落が広がり、東側一帯は中小企業団地に造成されている。ギリギリの線で城址は残った。丘の周りを水路が囲んでいるが、いつの時代から存在するのかは不明。ただ丘の周りを巡る水路は集落が出来た時代から存在するのではと想像できる。城址の遺構はわずかに存在する地形から想像するだけである。500m北にある喜志城との連携から、支城的な存在なのかも。喜志城の出城と言われている北山城がここから北西に1000mにある。更に南西1500mには毛人谷城がある。これらは楠正成が築いた対幕府軍防御砦的なもの。

古塞址(「大阪府全志」大字中野より)

又城の地院の馬場などいへる字地あり、約二町餘の面積にして附近の地より高く、東南の二方は断崖をなせり。元弘三年楠正成の天王寺に出動するに際し、其の塞を設けし所なりと傳ふれど詳ならず。