天保山台場
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   天保山全景(12年1月)                    明治時代の地図

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地下鉄「大阪港」でおりて北へ300m、天保山公園が跡地。砲台の遺跡は何も無い。嘉永七年(1854)九月、ロシア軍艦ディアナ号が錨をおろす。幕府は大坂・京都防備の必要から、元治元年(1864)正月、台場築造に着手、天保山を切り崩して五基の砲台を築いた。慶応四年(1868)正月、鳥羽伏見の戦いが勃発、慶喜は天保山沖から軍艦開陽丸で江戸へ。二月、天皇親政の令が宣布。三月、天保山台場につくられた叡覧所から、天保山沖の観艦式をご覧になる。その後は軍の糧秣廠になる。現在の高台は昭和43年に「大阪開港百年記念事業」として、公園化された。大坂城天守閣入口にある大砲は、天保山台場の備砲の一つであると、言い伝えられている。この大砲は文久3年(1863)美作津山藩鋳工百済清次郎が幕府の命で製作した、と一部にあるが、確証は無い。