岡ミサンザイ城
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前方部の櫓台跡遠望(11年9月)

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近鉄南大阪線「藤井寺駅」南500mに位置する「伝仲哀天皇陵」が城址。古墳を利用した、戦国期の城址の一つである。現在、宮内庁の管理下にあり、立ち入りは不可。対信長戦で三好方が築いた城で砦に近いもの。高屋城の前進砦的な存在だったのかも。東に高屋城、北に小山城、西に新堀城があり、連絡砦としては重要な位置にある。周濠は満々と水を湛えているが、当時は空掘りで、西側には張り出しを持っており、その間を街道が通っていた。前方部には櫓台もあったというが、今はうかがいしることは出来ない。その後、周濠や張り出しは、灌漑用溜池として利用された。今は、張り出し部の溜池は埋め立てられ、住宅地と化したが、道路がかろうじて形を留めているのみ。

岡ミサンザイ古墳(仲哀天皇恵我長野西陵)藤井寺市藤井寺4丁目(現地説明板より)

羽曳野丘陵の北東部の外堀の洪積段丘に前方部を南南西に向けて築かれた墳丘長242mの大型の前方後円墳で、幅50m以上の広い周濠を巡らせています。宮内庁の調査によって、墳丘部が中世末頃に城郭として利用され、大規模な改変を受けていることが明らかとなりました。城による墳丘墓の改変については、後円部北西側の中段に曲輪状の張り出しが認められること、裾部から墳丘部に向けて竪堀等が掘り込まれていること、墳丘部から前方部にかけての周囲に二重の薬研堀が一部竪堀に切られているものの良く残っていること、堀の外側には土塁を有しており、防御性を高めていることなどが報告されています。陵墓測量図から本来の古墳の形状を窺い知ることは困難ですが、墳丘に葺石が葺かれていた可能性とともに、外堤の円筒埴輪列が確認されており、その円筒埴輪の特徴から、ボケ山古墳(仁賢陵古墳)より古く、市野山古墳(允恭天皇陵古墳)より新しい5世紀後半に築造された古墳と考えられます。   平成15年3月 藤井寺市教育委員会