岩室砦
[ ホーム ] [ 上へ ]

 

府道の北側付近が砦跡(11年9月)

泉北ニュータウンから狭山に抜ける、府道34号線の「岩室西交差点」付近が砦跡。交差点北側の岩室墓地から見上げると、跡地は高台になり、狭山方面から見ても高台に位置する。少し南側には古い創建伝説のある観音院がある。砦跡なので地形から読み取るしかないのだが、その地形さえも泉北ニュータウンの開発で変形があり、前記の観音院から岩室の集落地から判断するだけである。墓地にある無縁墓石の年号も古いので江戸時代。一部にはそれより古い五輪塔の小さな墓石もあるので、それよりも時代は遡れるのかも。背後に千早赤阪城をかまえた南朝方の砦として、北朝方(陶器氏)の田園城に対する監視所的な砦だったのかもしれない。泉北丘陵の東端に位置した南朝方の砦だった。直ぐ東側には西高野街道が通り、北側より田園からの旧街道が通る。両街道を監視する役目も合せ持ったのかも。

観音院(現地説明板より)

岩室山極楽寺観音院と号するが、本院の創立年代は明かでなく、大阪府編大阪府誌によると「西陶器村大字田園の西垣外に在り、僧行基の開基創建にして真言宗の無本寺たり、中世衰微して事歴詳かならず、只元禄年中僧観盛中興して今に至れりと伝ふ」と記載されている。 本院は極楽寺の多くの塔頭のなかの一つであったが、その本尊十一面観音が諸仏のなかで最も大事にされたので観音院の名で全体を呼んだと考えられる。本尊の十一面観音立像は観音堂の厨子に奉安される秘仏で、開扉は8月10日の「千日祭」のみでこの日に拝すると千日参拝したのと同様の御利益があるという。阿弥陀堂に安置される阿弥陀如来坐像と共に大阪府指定文化財になっている。境内にある鐘楼の釣鐘は安永6年(1777)3月3日の銘があり、富田林の鋳物師田中記右衛門藤原信就により製作されたもので、第二次大戦のときにも供出を免れ毎年除夜の鐘を鳴らしている。(堺市)