堺奉行所
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    奉行所跡に建つ泉陽高校(09年5月)              殿馬場中学前の石碑

南海高野線堺東駅を下りて西へ。土居川公園を越えると旧堺の街中。土居川公園がかつての環濠を埋め立てたもの。泉陽高校から殿馬場中学校あたりが奉行所跡になる。殿馬場中学の北東から入った道筋に、旧跡を示す石碑がある。旧堺町の中心部から若干北にズレており、摂津の国に属す。奉行所跡としては何も無い。石碑が道端に寂しく立っているだけである。

堺奉行所跡・旧堺市役所跡(現地説明板より)

堺奉行は江戸幕府の遠国奉行の一つです。奉行所の位置は現代の車之町東・櫛屋町東両町の二丁から三丁にまたがる一帯に該当し、江戸時代には奉行屋敷、与力同心屋敷など武家屋敷が立ち並んでいました。奉行は旗本のなかから選ばれ、堺の町内と港湾を管理し、町民の起訴を処理することが仕事でした。その前身は、安土桃山時代から江戸時代のはじめに堺を支配した「堺政所」に求めることができます。「堺政所」は貞享年間(1684〜1687)頃堺奉行と改称され、与力10騎、同心50人とともに堺の支配にあたったのです。堺奉行所は元禄9年(1696)幕府の方針によって廃止され、大坂町奉行所が堺を管轄することになりました。しかし、元禄15年(1702)には再興され、慶応3年(1867)まで堺の支配を行いました。明治25年(1892)には、奉行所跡に堺市庁舎が建設され、昭和19年(1944)に南瓦町へ移転するまでの52年間は、ここに庁舎が置かれていました。  1992年3月 堺市教育委員会