興蔵寺城
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ひまわりドームから見た城址遠望(10年1月)

熊取町小谷地区にある。「ひまわりドーム」から見出川を挟んで対面する小高い小山が城址。山裾の小谷地区の家並みへ入り、池へ向かう。清水下池と上池脇、ゆるくカーブしている山沿の小道を山の中へ。ゆっくり道は登りになり、しばらくすると道が消滅。笹竹を掻い潜り尾根へ出る。尾根伝いに最高所へ。4m、10mくらいの長方形平坦地になっている。ここが最高所なので主郭跡か。それぞれの尾根にも郭跡が見られ、主槨の下にも帯郭がある。登る時にはきづかなかったが、清水池から展望が開けて関空のゲートタワーがくっきり見える。最高所では木々が邪魔をして、眺望が悪かったが、木々が無かったらさぞかし良い見晴らしだったのだろう。天文年間よりも早く、南北朝時代に砦が築かれていた可能性が高い。帰路は村の中を興蔵寺まで歩く。村の真ん中に寺があり、境内はそのまま城址のある山へ続いている。この寺も城を守る防御施設として使われたのだろう。

興蔵寺城址(大阪府全志より)

興蔵寺城址は丸山にあり。城は天文年間修理大夫三好光親及び其の子光俊の據れる所なりしが、天正十三年根来寺の僧来り攻むるに及びて陥落し、八木野内匠なるもの城下に戰死し、其の碑は今も存す。

興蔵寺(大阪府全志より)

興蔵寺は前記丸山にあり、法雲山と號し、臨済宗妙心寺末にして薬師如来を本尊とす。弘安五年紀州由良興国寺の法燈國師此の地に留錫して堂宇を建立し、小谷山興蔵寺と號したるもの當寺の初めなり。天文年中三好光親の城を築きて據りしを以て、天正十三年根来の僧に攻められて陥落するに際し、寺も亦回禄に罹りしかば、同十八年隆井左衛門慰盛明に再興せられて今の山號寺名に改め、延宝五年九月僧竺印更に之を再建せり。